28 始まりの物語
それは、陰陽師の贄と、始まりの物語。
◆ ◆ ◆
夜の闇が、まるで生き物のように息づいていた。
都心から遠く離れた、忘れ去られた山奥の社。そこに集う者たちは、表の世界では決して名を明かさない。
知る人ぞ知る、平成の末に細々と生き残った陰陽師の末裔たち――現代では「拝み屋」と呼ばれ、闇に潜む悪鬼羅刹を祓う影の存在だ。
その夜、厄災が目覚めた。
禍ツ神、炎血。
当代一の実力者と謳われるオレ、神威刃は、唇を噛んだ。
すでに三人の先輩が挑み、返り討ちに遭って死んだ。
社殿の床には、彼らの遺した呪符と、乾いた血の跡が残っている。
「生贄を捧げよ、というのが上の決定だ」
上層部の冷たい声が耳に蘇る。今時、生贄なんて……。はらわたが、沸繰り返るようだ。許すわけにいかない。しかも、
生贄に選ばれたのは――瀬川アカリ。
同じ修行寺で育ち、幼い頃から一緒に呪文を唱え、式神を呼び、夜通しで星を眺めていた少女。
俺が密かに、胸の奥底にしまい込んでいた想いの相手。
「……ヤイバ」
アカリは、社殿の外で静かに微笑んだ。
白い巫女装束が、月明かりに浮かび上がる。
長い黒髪が風に揺れ、いつもより儚く見えた。
「家族にも、日本にも災いが降りかかるって……私、行くよ。生贄になる」
「お前が犠牲になることはない」
夜気を裂くように、山の獣の鳴き声が響いた。
俺の心の悲鳴のように、呼応するかのごとく。
「ヤイバ、でも、それで皆を守れるなら、わたしは」
でも、震えてるじゃないか。本当は怖いんだろ?
「俺が倒す。俺が必ず」
「ダメ! あなたが行ったら、きっと……!」
アカリの手を振りほどき、俺は走り出した。
背後で彼女の叫びが聞こえたが、振り返らなかった。振り返ったら、決心が揺らぐ。
山の頂。
古い鳥居をくぐった先、空間そのものが歪んでいた。
黒い靄の中から現れたのは、人の形を模しながらも明らかに違う存在。
無数の赤い目と、裂けた口。周囲に浮かぶ無数の鬼火を手にして喰らう。……その鬼火はかつて誰かの魂だったもの。命だったもの。それをスナック菓子のように喰らって、やつはニタリと笑った。
「愚かな者共よ。贄も用意できぬか」
「贄なぞいらん。お前はここで、俺が封じる」
俺は印を切り、式神を呼び出した。
金色の狐と、青い鬼。
普段なら圧倒的な力で悪霊をねじ伏せる俺の術が、しかし今夜は通用しなかった。
やつの触手が、俺の腹を貫いた。
血が噴き出す。視界が揺れる。
それでも俺は歯を食いしばり、ありったけの霊力を集め、最後の術式を完成させた。
「――天ノ宮流、八雷調伏!」
雷が落ち、黒い神の体を焼き、封じ込めた。
禍ツ神の絶叫が山全体を震わせ、ついにその巨体が崩れ落ちる。
しかし、勝利の代償は、俺の命。
膝をつき、血を吐いた。口の中が苦い。
体中の力が、抜けていくようだ。大地に俺の血が染み込んでいく。
「ヤイバ!」
アカリが駆け寄ってきた。
彼女は止めに来たのだろうが、ひと足遅かった。
俺は最後のチカラを振り絞って、懐に隠しておいた、俺が己の髪の毛で編んだブレスレットを取り出した。
「……生きろ」
我ながら弱々しい声だった。
「ヤイ……バ」
血まみれの手で腕輪を渡す。見た目はオシャレな組み紐だ。
「これを」
俺は組み紐のブレスレットをアカリの手に握らせた。
「変化の術を、かけてある。……お前はこれから、俺として生きろ。生贄が生きていたことがバレたら、殺される。だから――」
「な……」
二の句が継げないアカリに、俺は笑ってみせた。
「俺として、生きればいい」
「嫌よ! 死なないで……っ、ヤイバ!」
アカリが泣きながら抱きつく。
抱きしめ返してやりたいが、俺の体は、もうほとんど動けなかった。
俺は最後に好きだったと言おうとして……やめた。
これからアカリが誰かと幸せになるのに、邪魔になりそうだったから。
その言葉を最後に、俺の命の灯は消えた。
そして、何故か異世界の、アリストという貴族令嬢の中で目覚めた。
アリスト・フォン・バージェライネン侯爵令嬢。
白き髪色の儚げな美少女。
なんの因果か、転身という、変わった魔法をもつ女の子に。




