24 美味しい時間
俺は辺境伯城の厨房に男性体で立っていた。窓からは朝日が差し込み、清々しい。
異世界であるこの世界ではパンは硬く、噛むのに苦労する「カチカチパン」が主流だ。
貴族ですらふわふわとした柔らかいパンを知らない。俺は前世の知識を活かし、今日こそ変えると決意した。
「アリスト様、何をされるんです?」
厨房の料理人と侍女が俺のやる事をながめてる。
「ふわふわパンの為にまずは天然酵母を作るんだよ。新鮮なぶどうでもできるがレーズンの方が失敗しにくい……」
「天然コウボ?」
「まあ、見てろ、そして手順を覚えとけ」
「はあ」
料理人はまたおかしな事をはじめたなと俺を見てる。
もう慣れた。
そして辺境伯家の厨房には魔道コンロってのがある。
中央に据えられたその魔道コンロは、魔力結晶を動力源とし、火力の微調整が自在にできる優れ物。
俺はまず、大きな鍋に水を張り、魔道コンロの火力を中火にセットして沸騰させた。
「消毒は大事だからな」
「消毒……」
料理人は真面目くさった顔で復唱した。
ガラス瓶を数本、沸騰した湯に沈め、十分以上煮沸する。
熱湯を捨て、瓶を清潔な布で丁寧に拭き、完全に冷ますまで待った。湿った布で覆い、埃が入らないように置いておく。
辺境伯領の仕入れ業者から保存料未使用、オイルコーティングされてないレーズンをゲットしておいたのでレーズンに天然酵母が付いている。
煮沸して冷ました瓶に、レーズンを三分の二ほど入れ、煮沸冷却した水を注ぎ、ゆるく蓋をして振る。
フレッシュなぶどうであれば砂糖と蜂蜜も少し使うが、レーズンは乾燥によって糖分が凝縮されているので、水に浸けるだけで酵母のエサになる糖分が十分溶け出す。
「これで酵母が活発に増える。毎日振って、ガスを逃し、泡が出てくるのを待つんだ」
「毎日振るんですね」
料理人は心得たとばかりに頷いた。
最初の一日は何も変化がない。料理人は指示通り毎日朝夕、瓶を優しく振り、それを指示通りに棚の比較的暖かい場所に置いた。毎日チェックに行って俺も振る。
三日目、ようやく小さな泡が表面に浮かび、五日目には瓶の中でぶくぶくと活発に発酵し、蓋が少し浮き上がるほどになった。
「よし、いい感じだ。もう少し熟成させて……」
十日後、液体は薄茶色に濁り、フルーティーでアルコールのような香りが強くなった。俺は上澄み液を濾して天然酵母液を取り出した。
次は本格的なパン作りだ。
小麦粉、塩、少量の砂糖、オリーブ油、バター、そして酵母液をボウルに入れる。
魔道コンロの弱火でボウルを温めながら、根気よく捏ねた。
前世の記憶通り、しっとりとした生地がまとまるまで十五分以上。
捏ね終えた生地をボウルに戻し、清潔な布をかけて魔道コンロの余熱を利用した温かい場所で一次発酵させる。
ここでも時間がかかった。一時間、二時間……。
生地はゆっくりと膨らみ、指で押すと優しく戻るくらいになった。二時間半後、俺は生地を分割し、丸めてベンチタイム。再度成形して型に入れ、二次発酵。
魔道コンロのオーブン機能を中温(約180℃相当)にセット。生地がさらにふんわりと膨らんだのを確認して、ようやく窯入れした。
焼いている間、台所中に甘い香りが広がった。使用人たちや、任務中の護衛騎士までが美味そうな香りにソワソワしてる。
二十五分後、俺はオーブンからキツネ色の丸いパンを取り出した。
表面は薄くパリッと、中はきめ細かく柔らかく、指で押せばふわっと沈んで戻る。
「完成だ……」
まずはシンプルに、焼き立てを軽く千切る。熱々のパンを口に運ぶ。
「ああ……っ」
柔らかい。俺天才! 優勝!
表面の香ばしさと、内側のしっとりとした甘み、ぶどう酵母特有の深い風味が口いっぱいに広がる。硬いパンしか知らないこの世界で、これは革命的だと言えよう。
「アリスト様……これは……」
「まあっ!」
侍女のセシルとフレデリカも恐る恐る一切れを貰い、目を丸くした。
頰が緩み、二人で顔を見合わせて、頷きながら微笑む。まるで仲の良い姉妹みたいに。
「ふわふわです……! こんなパン、初めて……温かくて、甘くて、噛まなくても溶けるみたい……」
「本当に美味しいです!」
「それじゃあ、旦那様にもご賞味いただくとするか」
護衛騎士達がパンを羨まし気に見てるが、夫が先だ、悪く思うな。
──ああ、侍女はレディーファーストだよ。
俺は夫の部屋へ向かい、重厚な彫刻が施された立派な扉をノックした。
「いるぞ」
中から夫の声がした。
「入るぞ」
紅茶付き焼きたてパンのセットを乗せたワゴンを押して入った。
「!? 朝からなんだ、いるとは言ったがまだ入れとは言ってないし、着替え中だぞ」
いるぞは入ってヨシではなかったのか。まあいい。今日もいい筋肉で鍛えられた胸筋に割れた腹筋だった。見事ナリ!
「美味しいパンができたから焼きたてを持って来てやったんだ。そう邪険にするなよ」
オズヴァルトも仕方なくシャツを羽織ってから大理石のテーブル側のソファに座ると、紅茶と一緒に一口食べてから思わず目を閉じた。
「柔らかい……硬くない。バターの香ばしい香りがなんとも……」
「香ばしくて美味いだろ?」
「……ああ」
俺は夫の好感触にニヤリと笑うと、もう一切れを頰張った。
焼き立ての湯気と、ふんわりとした食感。硬いパンが主流のこの国で、俺の生活がワンランクはアップした。
次はもっと改良して、クロワッサンや食パンも作ってみようかな?と、思った。




