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エデン近似値 ー俺に一目惚れした兵器の少女が、壊れるまで愛してくるー  作者: 小達出みかん


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9/12

初めてのお勉強

「え…」

「難しい事ではありません。彼女はほとんど人と交わることはありませんから」


 泣き叫びながら自分の名前を呼んでいた彼女の声が、アキルの耳によみがえった。彼女が寝入った瞬間の寝息も、林檎を差しだした時の嬉し気な声も。


「どうしたんですか?返事は」


 ルートの声が、アキルをせかす。しかしアキルは、うなずく事ができなかった。

 自分でも驚くことに、フューシャの声を思い出してしまったら、できなかったのだ。うなずいた方がいいとわかっている。今までいろいろなものを諦めてきたアキルだ。この程度の事を承知するのは簡単なはずだ。しかし…アキルはぎゅっと唇を噛んだ。


「なんで…あいつはあの部屋に一人なんだ?あいつは、何者なんだ?」


 苦し紛れにそう聞いたアキルに、ルートは鋭く言った。


「口を慎みなさい。フューシャ様は、この園の最高司政官、ヴァリ様のご息女なのです」


 最高司政官。えらいやつの娘。つまり彼女が本当に「お姫様」であると言う事がアキルにも理解できた。


「…『アドナイ』に乗ってるのも、それが理由?」

「おおむねそうです。彼女は、この園の人ですらめったにお姿を見る事はかなわないのです。あなたのような人が近づいて良い立場ではないのですよ」

「そうか…」


 あんなに親しく懐いてきたというのに、彼女は遠い存在だった。そう思うと、頭の中に灰色の霧がかかったような、一気に背中が寒くなったような心地になった。


(もう…会えないのか)


 アキルは無意識に、ぎゅっと手を握りしめていた。よく毛布をそうしていたように。

 逡巡するアキルに、ルートはいくらか声のトーンを落として言った。


「そう落ち込むことはありません。ここには水も食料も、なんでもある。地上とは比べ物にならないほど安定した生活が送れますよ。彼女の事は、忘れなさい」


 忘れる。そんな事ができるだろうか。しかし、どのみちアキルに逆らう力などないのだ。アキルは肩の力を抜いて、うなだれた。


「…わかった。いう通りにする」


 その次の日から、この部屋で「特別プログラム」が始まった。内容は主にこの「園」の基本情報について覚えるところからだった。アキルが字を覚えたてだと知って、ルートは仰天した。


「一昨日初めて絵本を読んだ!?では…口頭で説明した方がよさそうですね」


 ルートは両手いっぱいに持ってきた本を置いてため息をついた。


「ここで暮らしていくつもりがあるのなら、あなたは地上の規範を捨て、園のルールに従っていただくことになります」

「それはわかってる。ここのルールって、どんなんだ?」

「まず文字を読めるようになっていただかないと、話になりません」

「ここの奴らは、全員文字が読めるってのか」

「当たり前です。それとその言葉づかいも直しなさい。口に出る言葉は、その人間の内面の現れです。言葉が汚いと、それ相応の人間だとここでは見なされますよ」

「でも俺は…あんたが言う『それ相応の』人間だし」


 アキルが正直に思った事をいうと、ルートの目が吊り上がった。


「それでは困ります。ここは地上とは違うのです。ふさわしい者しか、いることは許されません」


 アキルの心の奥底で、じわりと反抗心が沸き上がった。


「そりゃ地上とは違うよな。…だって浮いてんだから、この島」

「それは反重力装置が作動しているからです」

「…なんて?」

「地球には重力というものがあります。それは知っていますね?」

「なんだそれ」


 ルートは絶句した。


「地上の学校は、そんな事も教えないのですか?」

「ねぇよ、学校なんて。皆食っていくだけで必死なんだから」

「学校がない!?なんという事でしょう。これは時間がかかりそうですね…」


 ルートは思案顔になった。アキルは文字すらろくに読めず、ルートも地上の現状など知る由もない。両者の知識の隔たりは、ルートが最初予測していたよりもずっと大きかった。彼は軽く咳払いをした。


「ではとりあえず、『あなたが』知りたい事から教えることにしましょう。何でも聞きなさい」


 そういわれ、アキルはすぐさま口を開いた。


「ここの人らは、何者なんだ?なんで太陽の下に出ても、平気なんだ?」


 その質問に、ルートは落ち着き払って答えた。


「我々も、あなたと同じく人間です。ただ遠い昔に、我々の祖先は地上から離れた。というより、地上へと戻れなくなったのです」

「なんで?」

「この地は元々、大気や気象を研究するために作られた施設でした。ですがだんだんと地上の生活が困難になり、数多くの研究機関や大学がこの園へ移ってきました。結果このような大所帯となったのです」

「それって、25ショックの時のこと?」

「ええそうです。それは知っていたのですね」

「ああ。25世紀を境に、人間は地上に住めなくなって地下に潜ったって聞いた」

「大気汚染に気象異常、そして紫外線の影響…それらから逃げて、地下に適応できる者だけが生き残ったと私は聞いています。だからおそらく、あなたは我々より体が丈夫なはずです」

「…で、ここの住人はその時地下じゃなくて空をえらんだ人たちの…子孫ってこと?」

「この場所で研究や学問を続けているうちに、下の世界は変わり果てていた、というのが正しいですね」


 その言葉を聞いて、アキルは釈然としなかった。


「でもおかしいだろ?だってここは地上よりも太陽に近いだろ。何で平気で暮らしていられるんだ?人も植物も」


 するとルークは心なしか誇らし気な顔になった。


「良い質問ですね。それこそがこの園の存在意義だったのですよ」

「あー、もうちょっと簡単な言葉で説明してもらえる?」

「仕方ない。努力しましょう。あなたはここの新入生の誰よりも未熟なのですから」

「はいはい」


 ルークのもったいぶった言い回しに、アキルもだんだんと慣れてきた。


「ここのそもそもの研究が、いかにして大気汚染や異常気象を食い止めるかというものでした。我々の祖先は長い時間をかけて紫外線を吸収する植物や、空気を浄化する装置の開発に成功したのです。ただ…その時にはもう、遅かった」

「遅かった?なんでだよ。そんなすごいもんがあるなら、地上のやつはいくらだって欲しがるよ」


 思わず食って掛かったアキルに、ルートは鋭い声で言った。


「だからです。地上での生活ができなくなり、その時にあった国家も法律も崩壊してしまった。25世紀以降、人間は知性や規律を捨て後退した。ルール無用の略奪、テロ、暴動が横行し、暴力が支配する時代になってしまった。それを知った我々の祖先は、決断したのです」

「…もう地上には降りないって?」

「いいえ。正確には待つと。我々の技術が、地上の人々の間で生かせる時が来るまで。それから長い時がたちましたが…我々はずっと、その技術を継承・発展させてきました」


 アキは拳を握りしめた。


「なんだよ…それ。生かせる時って…いつなんだよ?!」


 震えるその声に、ルートは静かに言った。


「その決断は、司政官にゆだねられています。我々にはわからない」

「はぁ…!?あんたらが高飛車に構えてるその間にも、地上の人間はどんどん死んで苦しんでんだぞ!?スズメバチにも殺されて…!」


 ルートの顔がわずかに翳った。


「…あなたの怒りも、わからないではありません。ですが、待つと言う事も、それなりに辛いものなのですよ」


 その言葉に、アキルは反撃しようと口を開きかけた。が、カツカツと靴音が響いて、一人の少女が部屋へ入ってきた。


「ずいぶん優しいのね?ルート。そんな奴に丁寧に説明してあげて」

「司政官の命令ですので、シアン様。」


 群青色の髪をさっと後ろへ払い、アキルの目の前にシアンが仁王立ちした。その目は冷たくアキルを見据えている。彼女は傲然と宣言した。


「座学は終わりよ。ついてきなさい」



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