虫がついた!
しかし司政官は首を振った
「いや、いまさらその措置を取っても無駄なのは、お前もわかっているだろう」
その言葉に、ルートは頭を下げた。
「申し訳…ございません…!私どもの管理下にありながら、このような事…!」
「たしかに、私は二人の娘、とくにフューシャには地上との接触を固く禁じた。けれどこうなってしまったからには仕方がない。打てる手を考えよう」
そういって、ヴァリはやや俯き額に手を当てた。これは彼女が深く物事を考える時の癖だ。彼女の頭の中では、何通りもの対処法が同時に検討されているのだろう。
重大なミスを犯してしまったにもかかわらず、声一つ荒げず冷静に対処するヴァリを、ルートは畏敬の念をもって見上げた。
(ヴァリさまはやはり司政官にふさわしいお方だ…)
この園の全てのシステムを作り上げたのは彼女だった。今では上から下に至るまで全ての管理、運営をその手で行っている。ヴァリなくして、この園の存続はありえなかった。
その彼女の大事な娘が、フューシャとシアンだった。彼女は娘ですらも、この園の歯車として捉え、育ててきた。園がとこしえに続くための、特別な金の歯車として。
(この園にとってなくてはならないフューシャ様に、大変な虫がついてしまった…ヴァリ様はあの地上人をどうなさるおつもりだろう)
やがてヴァリはすっと顔を上げ、固唾をのんで見守るルートを見下ろして言った。
「あの地上人を迎え入れ、園に帰化させよう」
そのヴァリの発言は、ルートの予想を超えるものだった。
「お言葉ですが、彼は我々とは違います!制御は不可能でしょう」
ヴァリは悠然と言った。
「ではルート、お前はどうすればいいと思う」
「始末する、それしかないのではありませんか?」
「しかしそうすれば、フューシャはどうする?たとえ秘密裡に始末したとしても、遅かれ早かれ気が付くだろう」
「それも仕方ないことです。地上人にかかわってはロクな事にならないと、いい薬になるやもしれません」
そういうルートに、ヴァリは軽く首を振った。
「そう単純に済まないだろう。なぜならフューシャは知ってしまったのだから。もう以前のあの子とは違う。さきほどのお前の言葉を借りれば、知恵の実を食べてしまったのだよ。」
そう、取り返しのつかないことになってしまった。だからこそヴァリは、地上には人間はもう存在しないのだと教え込み、降りる事を禁じていた。こうなる事を、恐れていたからだった。特にフューシャは。
「今のフューシャは、彼を殺せば手がつけられなくなるだろう。その間SDが押し寄せてきたらどうなる」
「ならば、彼を地上に返せば―」
「あの地上人はここの事を知ってしまった。このまま返せば秘密が漏れる。ただではすまないだろう」
「ぐ…で、では…」
ルートはためらいながらも提案した。
「フューシャ様の方に、忘れてただく…というのは」
「それは私も考えた…が」
ヴァリはフューシャの精密検査の結果を指し示した。
「この数値では危険だ。彼女が食べてしまった『りんご』が、脳の深い範囲にまで影響を及ぼしている。無理やり記憶を消去しては、必要な部分にも影響が出るかもしれない。」
「ですが―」
「忘れるなルート。我々にとってアドナイは『神』なのだ。神に失敗は許されない。フューシャの管理に一番大事な事は『アドナイを完璧に操作できるかどうか』だ。その他のことは些細なこと」
黙り込んでしまったセキに、ヴァリは言った。
「とはいえずっと一緒にさせておくのは危険だ。引き離そう。あの地上人には、ここに帰化するためのプログラムを受けさせる。それでいいだろう」
その声は淡々としていたが、有無を言わさぬものがある。ルートはうなずいた。
「承知しました、ヴァリさま」
朝、いつもの風琴が鳴り出す前にそれは起こった。
「姉さん、起きて。ママからの通達よ」
いつもいないはずのシアンの声がフューシャの部屋に響き、彼女ががばっとフューシャのベッドを暴いた。
「っ…!」
その許しがたい光景に、シアンは歯をくいしばって耐えた。桃色のベッドの上には、フューシャと―彼女を抱きしめて眠る少年が横たわっていたからだ。
「だ、れだお前」
シアンの大声に、まずアキルが目を覚ました。
「それはこっちの台詞よ!フューシャから離れなさいっ…!ルート!!」
フューシャを庇うように起き上がったアキルを、ルートが抱えて引きはがした。
「は、離せ…っ!」
アキルが離れた衝撃で、フューシャも目を覚ました。
「シアン…?それに、ルート…?」
二人の姿を見て、何が起こったか理解したフューシャは真っ青になった。
「や、やめてルート!アキルを、連れていかないで…!」
「それはできない相談ですね」
ルートに万力で抑え込まれ、力の差を悟ったアキルは暴れるのを断念して状況を見ていた。
「まったく呆れるわ。地上に降りたと思ったら、こんなものを隠していたなんて!」
怒るシアンに、フューシャは必死に言いつのった。
「わ、私がわるいの。アキルに、ここにいてほしかったの!お願い、アキルにひどい事しないで、連れていかないで…!」
「これじゃ話にならないわね」
シアンがルートに合図すると、彼はアキルを抱えて扉の外へ運んだ。
「やだ!やだぁ、やめて…っアキル、アキル!!」
ほとんど泣き声の、フューシャのその叫びは扉が閉まると共に遮断された。ルートは無表情のままアキルを担ぎ、エレベータに乗り込んだ。
一見細く見えるのに、結構な力持ちだ。そんなどうでもいい事を思いながら、アキルはすでに全てをあきらめていた。
「俺は…どうなるんすか。このまま島の外に放り出される?」
するとルートはちらりと冷たい目でアキを見た。
「そんな野蛮な事は、ここでは行われていません」
ルートは、アキルを殺風景な白い部屋で下ろすと、その手に四角い枷を嵌めた。
「とりあえず話が終わるまで、あなたを拘束します」
「…話って、なんの」
「あなたの今後の事です」
「はぁ」
ルートはアキルを見て、不快そうに眉をひそめた。
(よくわかんねぇけど…嫌われてるってのは、わかる)
しかし彼のまとう空気が、地上の荒くれものたちとは全く違う事もわかった。この男は、気に食わない相手だろうと、感情に任せて殴ったりするような人間ではない。おそらく。
(なら、とりあえず歯向かわないでおこう)
おとなしく話しだすのを待っているアキルに、ルートは冷静に口火を切った。
「あなたの処遇ですが…特別プログラムのあと、所定のクラスへ入ってもらいます」
が、アキルはルートの言った事が半分もわからなかった。
「特別…なんて?」
「特別プログラムです。あなたはここの事を何も知らない。ある程度知識を入れてからでないと、何もできない」
「何も、って…俺、殺されるんじゃないの?」
率直なその質問に、ルートは眉をひそめた。
「そうしたいのはやまやまですが、これは上の決定なので」
「はぁ…」
事態がよく呑み込めないアキルを、ルートはじろりとにらんだ。
「ですが、勘違いはしないでいただきたい。あなたが従わなければ、いつでも私はあなたを隔離房に閉じ込めるのでそのつもりで」
彼から発せられる敵意は激しく、アキルはため息をついてうなずいた。
(あの怪物を奪って逃げるつもりが…こんな早く捕まっちまうなんてな)
だけど、命あっての物種だ。どんな惨めな事になっても、生きていればチャンスがあるかもしれない。この園は、アキルにもそう思わせてくれるほど豊かに見えた。
「従うも何も…殺されないんなら、それでいい…」
アキルはおとなしく枷のはめられた両手を上げた。ルートはうなずいた。
「いいでしょう。我々は何事も理性的に対処する組織です。あなたが真剣にプログラムに取り組むのならば、迎え入れるつもりです」
「え…?俺を?」
その言葉に、アキルはわけがわからず目を瞬いた。迎え入れる?この地に俺を?
しかし、次の言葉はもっとアキルを困惑させた。
「ただし、フューシャ様とはもう二度と、接触しないでいただきたい」




