抱き合って眠るだけ
絵本の結末は、王子様のキスで、毒りんごの呪いにかかった姫が目を覚ますというものだった。
(そうだ、たしかそんな話だったよなぁ)
とんちんかんな話だなと思った事を覚えている。けれど光と花で溢れたそのワンシーンは美しく、子供心にいいなぁ思った。懐かしい気持ちを思い起こしながら、アキルは絵本を閉じて回りを見渡した。
(…この場所がまさに、あの映画の中みたいな場所なんだよな)
お姫様が寝るようなベッド。緑あふれる中庭。塔のあるお城。柔らかな香りと布団に包まれて目を覚ました今朝、あまりにもいつもの光景と違いすぎてアキルは混乱してしまった。目の前にはいつものじめじめした土壁ではなく、白い肌の女の子が横たわっていたのだから。解かれた金の髪は彼女の肩や腕に広がり、淡い桃色の輪がふんわりと浮かんでいた。彼女はすでに目を覚ましていたので、アキルは自分の寝ている姿が見られてしまったと思いバツが悪かった。
(…くそ)
アキルは内心で苛立ちを感じた。自分はあの怪物を奪うつもりでここまで来たのに、フューシャと一緒のベッドで寝て、文字まで教えてもらい、彼女の世話になってしまっていた。
(食いもんまで、あいつ頼りだ)
グライダーには最低限の荷物が積んであったが、それももうない。アキルは自分の無力さに呆れてため息をついた。
(さっさと怪物を奪って、こんなとこおさらばしたいのに)
あのフューシャは、だいぶ頭が緩そうに見えた。長い間アキルを隠し通すのは無理だろう。なにせ、敵のアキルにですらやすやすと心を開いてしまうほど幼いのだから。あんな無防備な人間を、アキルは初めてみた。
アキルがりんごを頬張った時も、たどたどしく文字を読み上げた時も、フューシャの目はこの上なく嬉しそうにキラキラと輝いていた。そんな目で見つめられるのは、アキルにとっては居心地が悪い事この上なかった。
(…どう反応したらいいか、わからないじゃんか)
だって自分は彼女を騙そうとしているのに。
アキルはもやもやとした気持ちを抱えたまま、絵本を本棚にしまいに行った。本棚には他にも色とりどりの絵本や教本が並んでいた。
(…とりあえず、見てみるか)
あの怪物を奪うにしても、そのやり方を知らなくてはならない。ここは地上の世界とはずいぶんと違う場所なのだ。りんごだって、フューシャだって、そうだ。
(敵を騙すには…敵の事を、知らなくちゃな)
文字を覚えたてなので亀の歩みかもしれないが、知らないより知っていたほうがましだ。
(それに、知りたい。なんでこの場所は…地上とは違うんだ?)
アキルは決心を固め、本を取り出した。一度読みだすと時間を忘れてしまい、気づいた時には空の色が変わって暗くなってしまった。
(うわ…もう夜かよ)
はっと本から目を上げたその時、シュッとドアが開いてフューシャが戻ってきた。
「あ…あ、アキル」
入ってきたとたん、フューシャはベッドにぱたんと倒れ込んだ。
「…どうしたんだよ」
アキルは思わず彼女を覗き込んだ。フューシャはアキルを見上げて微笑んだが、その表情は生気がなく、体はぐったりとしていた。
「ちょっと修練が大変でね…つかれちゃっただけ」
フューシャは持っていたピンクの布包みをアキルに差し出した。
「はい、これりんご。お腹すいたでしょう」
アキルはその布包みを受けとったが、いったん脇へと置いた。
「お前は大丈夫なのかよ、飯」
「私はね、今日は検査を受けたからたべられないの…」
フューシャそういって目をとじ、ベッドの上でぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
「あああ、変なかんじ。体の中がぎゅうぎゅうする…」
「どっか痛いのか?」
アキルがそう聞くと、フューシャは首をかしげた。
「痛い?痛いって、どういうこと?」
そういわれて、今度はアキルが首をひねった。
「うーん…怪我したり、病気したりすると体が痛くなるだろ。ひりひりしたり、ずきずきしたり。」
フューシャはじっとしたままその言葉を繰り返した。
「ひりひり…ずきずき…うん、私の身体は、いま『ずきずき』してる。針に刺されているみたい。これって痛い、ってことなのかな」
「そうだよ。お前何したんだ?検査って痛いのか?」
「そうだね、痛いんだ。体の中も頭の中も全部調べられちゃうの。やってる途中も、終わったあとも、ぐるぐるして気持ち悪いの。いつもはそうでもないのに、今日はとっても嫌なかんじだった…」
どんな検査なのかアキルには想像がつかなかったが、目の前のフューシャが辛そうであることはわかった。アキルは立ち上がって、自分の出した本をすべて片付け、ベッドシーツを敷きなおした。
「じゃあ、さっさと寝ちまったほうがいい」
掛布をめくってフューシャに促すと、彼女は素直に中におさまった。その身体をくるんでやり、アキルはベッドに背を向けた。するとフューシャの小さい声が追ってきた。
「…今日は一緒に寝てくれないの?」
「邪魔だろ。俺は床で寝る。」
そう言いつつも、フューシャの気持ちを察しているアキルは頬の内側を噛んだ。
(でも…もうあんまり、こいつと接触したくねぇ)
無言で床に横たわるアキルの耳に、フューシャの震える声が届く。
「邪魔なんかじゃない…せっかく一緒の部屋にいるのに、一人で寝るのはいや…ねぇお願い」
放っておけば泣き出しそうなその声は、アキルの決心をたやすくくじいた。
「…わかったよ」
誰だって、体が痛い時は何かにすがりたくなるだろう。そのことをアキルは身をもって知っていた。
殴られた後は、呼吸をするたびに背中が痛む。長く飛行した日は、浴びてしまった熱が体にこもって割れるように頭が痛くなる。明日治る保証なんてなくて、それでも起きて外へ行かねばならなくて。
そんな夜、アキルは不安と痛みを抱ながら薄い毛布にくるまって、ただじっと土壁を見て過ごしていた。弱っている時ほど、自分が一人ぼっちであることも、明日になんの希望もない事も、痛みと共にまざまざと身に沁みた。それでも、明日が今日よりましな一日になってほしい。そうどこかで祈りながら、毛布を握りしめていた。
「入るぞ」
アキルはそう断って、フューシャの隣に体を滑り込ませた。フューシャが弱弱しく微笑んだのがわかった。
「よかった…アキル、もっとそばにきて」
フューシャの手が、アキルの腕に触れた。その指は驚くほど冷たかった。
「なんでこんなに冷てぇんだ」
「わかんない…検査のせいかなぁ」
いぶかしがるアキルに、フューシャがそっと身を寄せてきた。彼女の身体は全体的にひんやりとしていたのでアキルは不安になった。目の前の人間が、苦しんでいる。それも自分より弱そうに見えるやつが。嫌でも自分の痛みと彼女の姿が重なった。アキルは目を細めた。
「仕方ねぇな…」
アキルはフューシャの細い体に腕をまわした。まるで冷えたガラスを抱いているみたいだった。
「こうしてれば、少しは暖まるだろ」
アキルの腕の中で、フューシャはぱち、ぱちと目を瞬いた。
「う、うん…なんだか、アキルの触れてるところが、じわってする」
「…俺の方が、体温が高いからだよ」
「体温……」
そうつぶやいたあと、フューシャは目を閉じて微笑んだ。
「うん、アキの腕の中は、『暖かい』んだね…いいな…」
次第にアキの熱が移ってゆき、フューシャの肌も温かくなっていった。その目は次第にとろんと潤み、そっと閉じられた。アキルはほっとして腕をはずそうとした。が…
(せっかく寝入ったし…もういいか、このままで)
静かな寝息と、腕にかかる彼女の頭の重み。それを感じていると、やはり思い出すのは過去の事だった。普段は心の奥底にしまい込んでいる兄の面影。寝入る時の頬を撫でる手の優しさ。
(ここに居ると、やたら思い出しちまうな)
日常のふとした時に思い出してしまうと、兄がいない事実が辛くてやりきれなくなる。だからあまり兄の事は考えないようにしていた。
だけど、こうして誰かを抱きしめながら兄を思い出すと、さして辛く感じないのだった。
(不思議だ…何でだろう)
兄が戻ってこないという事実は変わらないのに、アキルの胸中は穏やかですらあった。無意識に兄の行動をなぞり、アキルの手はフューシャの白い頬を撫でていた。
(俺は…ちっちゃいころ、いつも寝かされる側だったな…)
こうして寝かしつける方になるのは、存外悪くない体験だった。心のうちに自然と、温かいものが湧き上がってくるような心地がした。人に何かをしてあげるという行為は、こうも心を穏やかにするものだったのか。
(兄貴も…こんな気持ちだったのかな)
遠くなってしまった時間に思いをはせながら、アキルも目を閉じた。
「…何てことだ」
制御室のモニターの前で、ルートは表情をなくしていた。フューシャに対する監視システムをオンにした結果、ここ数日の変化の元凶が明らかになってしまった。
モニターにはフューシャと、未登録未確認の人の形をした者が寄り添って眠っている様子が映っていた。
ルートの隣に立つ司政官は愁眉でため息をついた。
「これは地上人か?由々しき事態だな」
腕をくんで厳しい顔の彼女に、ルートは言いつのった。
「…いますぐフューシャ様とあれを引き離さなければなりません。ヴァリ様、ご指示を」




