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エデン近似値 ー俺に一目惚れした兵器の少女が、壊れるまで愛してくるー  作者: 小達出みかん


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6/13

知恵の実、食べた?

「不便じゃないの?アキルのいたとこはみんな、そうなの?」

「読める奴もいるけど。俺は覚える暇なんてなかったから。不便っちゃ、不便だけど」


 字が読めないなんて、この園においては目が見えないのと同じくらい不便なことだった。なんて大変な事だとフューシャは思った。


「じゃ、今、覚えたらいいよ!私が教えてあげる」


 アキルの答えも聞かず、フューシャはベッドを降りて本棚へ走った。ABCの教科書と、お気に入りの絵本を引っ張り出す。


「これがアルファベット…下の人も、おんなじ?」


 教科書を開くと、アキルはそれを覗き込んで言った。


「ああ、見た事ある。同じ字だ」

「そっか。文字は、ここも下も同じなんだねぇ」


 フューシャはほっとした。それなら自分でも教えられる。


「これがA,B,C…書いて覚えるといいよ、ノート貸してあげるね」


 フューシャが教えると、アキルは素直に紙に文字を書きつけた。


「そうそう、上手…!」


 アキルは貪欲に目の前の本から情報を読み取ろうとしていた。忘れていた気持ちが、フューシャに差し出された本によって呼び起こされたからだ。


 アキルが物心ついたころに覚えたのはナイフと銃の扱いで、文字の勉強などした事がなかった。しかしネットも無線も死に絶えた荒野では、手紙が唯一と言っていい通信手段だった。モグラ隊は手紙の輸送も受け持っていた。紙は貴重品だったが、文字の読める者は親しい者とよく手紙を交わしていた。離れていても、人は文字に情報や気持ちを託して、伝える事ができるのだ。それは荒れ果てた地で許される数少ない、人間らしい暖かな行為だった。

 

 しかし文字が読めないアキルは、その営みから締め出されていた。今まで内容が読み取れないまま通り過ぎてきた文字たちに対する嫉妬とも羨望ともつかない気持ちが、ずっとアキルの中にはあった。いつか、自分も手紙を受け取ってみたい。そして書いてみたい――。


けれど兄の死と共に、アキルの中のすべての願望も欲望も消えてしまった…。

と、思っていた。


(読める…!文字って、こういう風に読むものなのか…!)


 いざ教えてもらえれば、アキルは夢中になって目の前の文章を読もうとしていた。


「むかしむかし…ある…ところに…うつ…?なんて読むんだ?」

「うつくしいひめ、だよ」


 ABCの表の次にフューシャが差しだした絵本の1ページ目には、お城の床を掃除する白い女と、鏡をのぞく黒い女が対比して描かれていた。


「おうじょ、さまは…うつくしいひめを…じゃまにおもい……あ、俺この話知ってる」

「えっ、そうなの?どこで読んだの?」


 フューシャは驚いてアキルを見た。


「読んだんじゃなくて…見たんだ」


 地下には足りない物が多かった。食料に水、生活に必要なその他もろもろ。だから地上に人類が暮らしていたころの、過去の道具をだましだまし大事に使っていた。

 

 その中に、映写機もあった。ごくたまに、その映写機を使って地下の広場で映画が上映されていた。アキルも数回、兄に連れられて見に行った。ほとんどは大人向けの映画でよくわからなかったが、一つだけ子供向けの絵が動く映画があった。


「これって、りんごが出てくる話だろ」

「うん、そうだよ!私、このお話大好き。地上にも絵本があったの?」

「いいや、映画で見たんだ」


 するとフューシャはパッと目を見開いた。


「映画!いいなぁ!私は見たことがないの」

「…ここには映画がないのか?」

「ううん、映画館はあるの。でも私は、ここのちっちゃなモニターでしか映画を見た事がないの。一度大きなスクリーンで、みんなで見てみたい」

 羨ましさのにじんだその言葉に、アキルは思わず相手に同情しかけて、眉をひそめた。


(何馬鹿な事考えてんだ、俺は。こんな贅沢な部屋に住んで、飯の心配もしたことのないようなやつが可哀想なわけあるもんか)


 しかし、そんな恵まれた身の上なのに、フューシャは行動を制限されて不自由なように見えた。


「なぁ、あんたってなんで…」


 アキルが聞いたその時、ピーっと通信音が鳴り響いた。


『フューシャ様、修練の時間です。どうしたんですか』


 するとフューシャは慌ててベッドから立ち上がった。


「やだ!忘れてた…!」


 バタバタとクローゼットを開き、フューシャが着替え始めたのでアキルは慌ててばっと背を向けた。


「私ちょっと行ってくるね!本棚にあるのはぜんぶ読んでていいよ!誰もこないとおもうけど、来たら隠れてて!」


 そういって、フューシャはあわただしく部屋を出て行った。





『今日はSDではなく、エル相手の修練から始めましょう』


 シュミレート機のモニターに、エルを模した紺碧の機体が映った。アドナイとよく似た、鋼鉄の肢体を持つ機械の巨人。


「わかった!」


 フューシャは高揚した気持ちのまま、戦闘訓練に入った。目の前に繰り出される相手の攻撃を、いつもの要領で次々と受け流し抑えていく。


(蝶のように舞って、舞って、トドメを刺すのは最後の最後…蜂のように!)


 それはルートからいつもくどいほどに指導されていることだった。舞うときの動きは流麗に、鋭く。この園において、戦いは戦いではない。神である「アドナイ」と「エル」の美しい言葉の代弁なのだからと。


(アドナイの声を聴いて、力を最大限に引き出すことができるのは…私だけ)


 地上へ戻る目を失い、拠り所のない浮草となったこの園には、新しい神が必要だった。アドナイとエルは、科学技術の粋を集めて作られたこの園に君臨する「神」。

 神は外敵を排除し、美しく舞う。2機はこの園における「信仰」の大黒柱であった。だからそこから紡ぎだされる攻撃も、飛翔も、神々しく壮麗なものでなければいけない。フューシャはその動きを再現するために、長年修練を重ねてきたのだった。体に染みついた本能的な動きで、フューシャは相手に自らの槍を振り下ろした。


「あっ…!」


 しかし目測を見誤り、槍は宙を空振りした。その一瞬のミスが命取りとなり、フューシャの機体の胴体が槍で撃ち抜かれた。


「きゃあっ…!」


 電動で作られた衝撃が体に走る。ぱっとモニターが切り替わり、ルートの顔が映った。


『今日はどうしたんですか、フューシャ様。心ここにあらずですよ』


 フューシャはあわてて体を起こした。


「ごめんなさい、油断してた…!」


 自分が浮かれているのは、わかっていた。今朝起きてアキルと一緒に過ごしたのが、あんまり楽しかったからだ。

 フューシャはいつも教えてもらうばかりの立場で、「人に教えてあげる」という事をした事がなかった。なのでフューシャの導きによってアキルが文字を覚え、絵本をたどたどしく読み上げる姿を見ると、胸がきゅっとなるほどに嬉しくなってしまった。


(アキル、すごい…!すぐに読めるようになっちゃった!なんだか私もすっごく嬉しい!)


 アキルは実際のみこみが早かった。本に目を落とすそのまなざしは、真剣で美しくすらあった。フューシャはドキドキしながらも、彼の求めに従って次々と文字を読み上げ、教えていった。


(アキル、今頃絵本を最後まで読んでいるかなぁ…?)


 部屋に戻るのが楽しみだった。しかしそんな浮ついた気持ちがどこかにあったせいで、失敗してしまった。こんな事ではルートに疑われるし、何より。


(アキルも頑張ってるんだもの、私も頑張らなきゃ!)


 フューシャはモニターに向かって叫んだ。


「ルート、もう一回やらせて!」

「…かまいませんが」


 シュミレータ内のデータを外から観測するルートは、先ほどの戦闘データを見ながらうなずいた。彼の組んだ修練プログラムが、再び起動する。このアドナイの開発と、フューシャの修練を一手に担う彼は、今日の彼女の動きがおかしい事にすぐに気が付いた。


(いつもより反応速度が遅い。無駄な動きも多い…)


 昨日から、彼女は不可解な行動が多かった。地上に降りていた時のアドナイのデータを消し、今朝は修練の時間も忘れていた。そして一番妙なのは、ミス続きで叱責を受けているにもかかわらず、彼女は一貫して楽しそうな顔をしている事だった。


(いつも私や司政官に叱られたら、数日は落ち込んでいるというのに)


 彼女の気持ちが浮ついているであろうことは、毎日のバイタルチェックの数値でもはっきりと表れていた。体温、脈拍、気分観測…すべての数値が正常値よりも高くなっていた。

 ルートは厳しい目で、訓練に励む彼女を眺めた。


(何かが彼女に起こった。なのに、フューシャ様はそれを正直に話していない)


 何が起こったのか、突き止めなくてはならない。けれど母親にも話さなかった事を、ルートに話す事はないだろう。彼はフューシャを管理する立場だったが、自分の立ち位置は心得ていた。


(この後、精密検査を行おう。そして司政官に報告を)


 シュミレータから降りてきたフューシャは、満面の笑みだった。


「ね?どうかなルート。ちゃんとハイスコア取ったよ!」

「100連続ハイスコア記録を目指す計画は振り出しに戻ってしまいましたね」


 そういうと、フューシャはしゅんと肩を落とした。


「うう、ごめんなさい。でも、今日はもうこれで終わりでいい?」

「いいえ。この後精密検査をさせてもらいます」


 フューシャが驚いて顔を上げた。


「えっ、なんでぇ!まだその時期じゃないでしょ?」


 彼女が尻ごみするのも無理はなかった。精密検査は、楽しいものではない。


「念のためです。すみませんが」

「うぅ…あれ、体の中がぜんぶ引っ掻き回されるような気がして、苦手なんだよねぇ」


 下がり眉でそう訴える口調は、いつもの他愛ないフューシャだった。純粋で無垢であれと願った司政官の指令どおりに、ルートは彼女を育ててきたのだ。


(だけど…何か、何かがちがう。今日のフューシャ様は)


 違和感を感じたルートは、ふと彼女の顎に手をかけて、その目を覗き込んだ。


「ひゃっ…!?」


 すると彼女は驚いて、野生の動物のようにその身を後ろに引いた。それを見て、ルートは衝撃を受けた。


(おかしい…!今までの彼女なら、私を見つめ返して首をかしげて…笑っていたはず)


 修練や検査で、ルートは幾度となくフューシャに触れてきた。だからルートが彼女にどう触れようと、彼女は安心して身を任せていたはずだ。

 なのに、この反応。覗き込んだ時、その目ははっきりとルートを拒んでいた。私の内側を覗き込まないで――と。その頬は、ぱっと赤みがかっている。


(私に心を覗かれるのが―嫌だと?見られたくないものがあると?)


 ルートは低い声で彼女に聞いた。


「…なぜ逃げるのですか、フューシャ様」

「に、逃げるっていうか…その、ごめんなさい!びっくりしちゃって」


 フューシャはそう取り繕った。その行為がすでに、彼女らしくなかった。


(フューシャ様は、今まで隠す事のなかったご自分を、隠そうとしている…。)


 それはまるで、知恵の実を食べたイヴのごとき反応。直感的にそれを悟ったルートは、冷たく告げた。


「わかりました。では検査を始めましょう。今日は徹底的に、すみずみまでさせていただきます」



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