りんごをあげる
「…なんだよ」
あぐらをかいたまま、ベッドの柱にもたれかかって寝ていたアキルはすぐさま覚醒して目の前のフューシャをにらんだ。フューシャははっと手をひっこめた。
「横になってよかったのに」
さぞかし萎れて帰ってくるのだろうと思っていたが、意外とフューシャは元気そうだった。
「俺のこと、ばれてないか?」
「うん、大丈夫だよ。私、ママに初めて嘘ついちゃった」
なぜか嬉し気にそういうフューシャだったが、その笑顔はアキルから見ると相当危なっかしかった。
「本当にばれてないんだな?」
「ばれてないって!えへへ」
アキルは再び顔をしかめた。へらへら笑う彼女を不気味に感じた。
「…なんでそんな嬉しそうなんだよ?怒られるって言ってただろ」
「怒られたは怒られたんだけど…えへへ、ええとね」
彼女は両手を合わせてまごまごと動かした。
「なんだよ」
「あのね、アキルがお部屋にいるって思うとうれしくて。最近だれも、一緒に寝てくれないから」
「はぁ?」
「前はたまにね、シアンが来てくれてお泊りしたんだよ。でもシアンは今学校にいるから…」
しばしの沈黙のあと、アキルは口を開いた。
「…俺はあんたのお守りするために来たわけじゃねえよ」
「でも…でも隠れるんならここしかないよ?外にはたくさんカメラがあるから、それを避けないと…」
来る途中に、フューシャがあちこち上下を見上げて隠れていたのはそれか。アキルはため息をついた。位置といいセキュリティといい、この部屋は特別なのだろう。そして多分、目の前にいるこの少女も。ここを根城にしてアドナイへの探りを入れるのが、どう考えても最善策だろう。
(せいぜいこいつの機嫌を損ねないようにして、追い出されねぇようにしなきゃいけないってことだ)
アキルはちらりとフューシャを見上げた。
「わかった。俺にできることなら協力する」
彼女の顔がぱっと笑顔になったあと、少し恥ずかしそうに言った。
「ほんと?!うれしいな。実はずっとね…一人で寝るのが寂しかったの」
その発言に、アキルはまたため息をつきたくなった。
ベッドサイドの自動風琴が、やわらかな音を奏でだす。そのメロディは「トロイメライ」。いつもの朝だ。そう思ってフューシャはベッドの上で目を開けた。
するとすぐ隣に、別の体があった。フューシャと同じくらいの大きさの身体。けれど彼の身体はフューシャとちがって浅黒く、腕も足も硬そうだった。彼からは不思議な匂いがした。最初は燃える油のような匂い。でも近づくと、つんと鼻をつくような、新鮮でさわやかな匂いがする。まるで草いきれの中に踏み込んだような。そして何よりも印象的なのは、フューシャを射るように正面から見つめる黒い目―。
昨日目の前に現れたアキルは、今までフューシャが見たこともないタイプの人間だった。睨まれるのも、ぞんざいな口を利かれるのも、フューシャには初めての体験で、目新しいことづくめだった。
(いけない事なんだけれど…でも探しているものがあるって言ってたし…)
フューシャはいつも、教えられたり与えられたりされるばかり。アドナイに乗るとき以外、自分から何かをする事は禁止されていた。空き時間はずっと、この部屋に独りぼっち。
そんなフューシャに、さっきアキルは「頼む」と言った。真剣な目だった。突然現れた物騒な少年だったが、誰かに頼られる事などめったになかったフューシャはたやすくうなずいてしまったのだった。
だから昨日怒られてもへっちゃらだった。帰り道にはスキップしたいくらいだった。部屋に誰かが待っている。それも自分しか頼れない境遇の人が。そう思うといつもふわふわしていた気持ちがぴしっと強くなったような気がした。
(私がアキルを、助けてあげなくっちゃ。そしたらきっと、感謝してくれる、よね?)
何がほしいわけでもないけれど、彼の役に立って、「ありがとう」と言われたかった。そうしたら、今までの寂しい気持ちが少し和らぐような気がするのだ。
そう思いながらアキルの背中を眺めていると、ふいに彼がごろりと寝返ってこちらを向いた。その目がバチリと見開いて、真正面からフューシャと目が合った。
「っ――、ここは」
フューシャは、横になったまま微笑んで言った。
「ここは私の部屋…おはようアキル」
するとアキルは起き上がって頭をがしがし掻いた。少し頬に赤みが差していた。
「はー…そうだった」
フューシャも身を起こして風琴を止めた。回転をピタリと止めた金の羽を、アキルはじっと見ていた。
「なんだ…これ」
「これは風琴…目覚ましなんだ。朝、自動で鳴り出すの。気に入った?もう一回流そうか」
「いや…いい」
「そお?」
フューシャはベッドから降りた。起きたらまず、朝食を取りに行かねばならない。
「ちょっと行ってくるね」
この園では、食事はすべて配給制だった。フューシャのものも例外ではない。廊下のワゴンにいつも通り置かれたパウチを取って、フューシャは部屋へ戻った。
「アキルもお腹すいたでしょ。これ、一緒にたべよう」
フューシャはパウチを彼に差し出した。が、アキルは吸い口をおそるおそる口にして、すぐ離した。
「うわ…なんだこりゃ」
「私のご飯なんだけど…どこか変?」
「変っていうか…何だこれ?」
顔をしかめるアキルを見て、フューシャははっと気が付いた。
「ああっ、そうだよね!アキルは、いつも何を食べているの?」
「…穀物とか、草とか」
それなら彼女も思い当たるものがあった。フューシャはすっくと立ちあがった。
「わかった!ちょっといってくる!あ、そうだ、窓からこっそり下見てて!」
ぱたぱた出ていったフューシャを見送り、アキルは窓辺にそっと近づいた。はるか下に見える城の中庭に、フューシャが走り出てくるのが見えた。そして中央の木々の下に隠れてその姿は見えなくなった。
(…何やってんだ?あいつ)
しかし戻ってきたフューシャの手にある丸いものを見て、アキルは目を剥いた。
「それって…りんごってやつ?」
「うん、そうだよ!知ってるんだね!」
「…食ったことねぇけど」
果物を栽培できる地など、荒野のどこにも残っていなかった。かろうじて育つのは、地下の穀類や青菜だけだ。りんごは記録の中にだけしかない、幻の食べ物だった。しかしフューシャは何のためらいもなくそれを差しだした。
「私もないんだ。アキルは食べれる?」
アキルの頭の中に様々な疑問がよぎったが、彼はとりあえず最初に思った事を口にした。
「食ったことないのか?庭にあるのに?」
フューシャはアキルの隣に腰かけて、パウチを吸いながら言った。
「私たち、ずっとこの園で暮らしているうちに、地上にいたころの食べものを受け付けなくなっちゃったんだって」
「ずっとって…」
「最初に居たような人たちはわからないけど…私は生まれた時からこれ。」
「じゃああんたたちは、食えもしないもんを栽培してんのか」
「うん。木とかお花は、植物学科の博士たちが大事に育ててるんだよ。私はさくらんぼの木が好き。食べれないけど綺麗だよ」
植物学科?博士?アキルはますます頭が混乱してきた。
「ていうかそもそも、なんでここではりんごが作れるんだ?地上じゃ無理なのに」
その質問に、フューシャは困った顔になった。
「ええっとぉ…なんでだっけ、習ったんだけどなぁ…知りたい?」
その言葉に、アキルは力強くうなずいた。
「わかったぁ…あとで説明するよ。ね、でも先にりんご食べてみて」
そういわれて、アキルは差し出されたりんごを受け取った。おそるおそる一口かじるのを、フューシャがわくわくとした目で見ている。
「ね、ね、どんな味?教えて!」
舌の上にひろがる甘味と酸味、そしてしゃきしゃきとした果実の歯ごたえ。アキルは目を白黒させながらとぎれとぎれに言った。
「…舌が…しびれそうだ」
「えっ、美味しくないってこと?」
今まで甘い物などろくに食べた事のなかったアキルには、それは経験したことのない味だったのだ。アキルは素直に言った。
「いいや…うまい。すごく。」
するとフューシャの顔はぱっと輝いた。
「本当?!よかったぁ。あのねパンも持ってきたんだ。食べて!」
そのパンは固くて薄かったが、りんごはとても美味しく、アキルにとっては忘れがたい味となった。その存在について、詳しく知りたかった彼はフューシャに聞いた。
「教えてくれ。なんでここでは植物がたくさんあるんだ?」
「えっとぉ…ちょっと難しい仕組みでね…」
自分で説明することをあきらめたフューシャは、本棚からいくつか本をひっぱりだしてアキルの前でページをめくってみせた。
「うーんと、そうそう、『環境に作用する植物の育成』…ここに理由が書いてあるよ」
が、本を差しだされたアキルは顔をそむけた。
「俺、字は読めねぇんだ」
「ええっ!」
フューシャは驚いた。そんな人は、この園にはいないからだ。




