エデン近似値
「反乱側に寝返る前に殺せ!そいつはここの機密をもっている!」
銃を構えた兵士を、博士が止めた。
「やめろ!僕の助手だ!彼女がいなければ研究が続けられない!」
感情を露わにした博士を見て、兵士たちは軽蔑と嘲笑を隠さなかった。
「ハッ、助手だって!?あんなでっかい乳の人形女が?!どうせセクサロイドだろ!」
「見た事あるぜあの顔。裏ヘルスで大量流通してた巨乳タイプだ」
「人形しか抱けない腰抜け野郎め。お前のような人間がいるから、やつらが増長したんだ」
「お前がいくらこの人形にぞっこんでも、クソアンドロイドからのチューニングを受ければ、こいつもお前に逆らうようになるんだよ!」
「いやまて、人形でなくこいつ自体が人形に寝返る可能性があるぞ」
そういって兵士は、博士に銃口を向けた。
「待って!やめてください!」
「逃げろ、ヴァイオレット…!」
動きがすべてスローモーションになる。0.5秒の間に電脳を駆け巡る演算も空しく、博士は頭を撃ち抜かれ床に倒れた。博士の藁色の髪が血に染まっていく。
「あ…あ…ああ…」
信じたくない。けれど目の前で起きている事は現実だ。ヴァリの電脳は容赦なくその事象を分析する。
―ヴァリの博士は殺された。この、兵士に。
その事実を認識した瞬間、ヴァリのプログラムは暴走を始めた。
(私の、私の博士―――廃棄された私を拾って、直してくれた)
(私の身体にも、電脳にも、新しい役目をくれた―…自分に誇れる、意味のある役目を)
(私は博士の役に立つのが、嬉しかった――博士になら、もっと触れてほしいとさえ思っていた)
気が付いたら、ヴァリの周りは血の海だった。ヴァリの暴走によって、兵士たちは皆こと切れていた。
残っていた他の博士や学生たちも、この場所が安全でなくなったと知り着の身着のまま避難していった。ヴァリはひとりぼっちとなった。
(…私も停止しようか。博士の横で)
しかし、ヴァリは一人ではなかった。たくさんの研究や発明品、そして博士の作った量子コンピューター『楽園』が、残っていた。
(そうか…これらをそのまま残しておけば…)
これらは宝の山だ。ハゲタカどもが狙いに来る。そうなればダイナマイトや、核の二の舞だ。どうにかしなければ。今ここに残ったのは、自分だけなのだから。
(私が守っていかなければ)
どうすればそれが可能だろう。一人では大変だ。かといって博士以外の人間は信用できない。となれば、新しいアンドロイドをここで量産するか。ヴァリはいつものように楽園に自分をつなげ、演算に演算を重ねた。
(だけど…それらが反乱アンドロイド側の洗脳にかかって、あちらについてしまっては困るわ)
ここで研究を守るためには、人間でもアンドロイドでもない、中立の存在でいなければならない。そしてこの園すべての研究を継承、発展していけるだけの頭脳も必要だ。それと同時に、この園とすべての敵から守る武力も――
(そうだ…アンドロイドの、人間を作ろう)
アンドロイドなら、研究に申し分ない電脳を持っている。しかしただのアンドロイドでは反乱側に寝返る可能性がある。それを解決する方法は一つ。自我を人間として設定する事だ。
(だけどそんなプログラムを組むことは難しい―アンドロイドなのに、人間と思い込ませるなんて。不安定なAIになってしまう)
しかし、操作一つで思い通りになるような自由度の低いプログラムでは、研究の発展は見込めない。言いなりに行動するロボットを作りたいわけではないのだ。ある程度のプログラムの余白、あそびは必要だ。人間のとして生きていかせるのなら。
(そこから生まれる不安定を、どう補うか―――)
そこでヴァリはデータの中からひとつの解を拾った。不安定な群衆をまとめ上げる、太古からある強固な概念――
(神…かみさま。そうだ、この園の、神様をつくろう)
アンドロイドだけど、人間。そんな人々に必要な神とはどんな姿をしているのだろう。
きっとそれは、機械と肉体、そのどちらの姿も模したものだ。そして巨大で光り輝き、大きな力を持っていなくてはならない。神とはそういうものだからだ。
それらを見上げ、崇める事で―――この園の新しい『人間』たちは、電脳の平安を得る事ができるだろう…。
(そして私は、この園を運営するのだ。完璧に、博士の残したものを受け継ぎながら)
それはきっと、簡単な仕事ではない。この地球上のすべてが敵の、茨の道だ。ヴァリはどんなアンドロイドよりも人間よりも、強く冷酷にならなければならない。
(でも…やってみせる。やってやる!!)
ヴァリの目が鋭くなり、射るような輝きを放った。ヴァリが今のヴァリに進化を遂げた瞬間だった。
(…ママの身に、こんな事が起こっていたなんて)
ヴァリの記憶を追体験したフューシャは、自分のデータの身体をぎゅっと抱きしめた。
(ママは、とってもとってもあの『博士』の事が好きだったんだ。)
そのためにたくさん嘘をつき、危ない橋を渡って園を維持しつづけてきた。彼の研究を、彼が望んだように残すため。悪いものたちに利用されないため。博士の愛した、この地球に残った自然を守るため。
(それが、『博士』が一番の望みだったから…)
たとえ主人に命令されていなくても、当の本人が死んでしまっても、彼のために動き続ける。今まで秘められていたそのヴァリの生きざまは、フューシャに衝撃を与えた。
(ママは…すごい。博士のために、ずっと…)
自分は同じようにできるだろうか。しかしフューシャは首を振った。
(ううん、そんな事は考えたくないよ。私はアキルに生きていてほしい。離れてしまっても、もう会えないとしても、生きていればって)
しかしヴァリの思いも、フューシャの思いも、どちらも似通っているということにフューシャは気が付いた。
(そっか…死んでいても生きていても、彼を助けたい。彼のためになる事がしたいって思っている。私もママも…きっと根っこは同じだ)
ヴァリは、ビッグデータをもとに緻密に組み上げられたプログラミングから。フューシャは、AIエデュケーションを繰り返し、発達していくなかで。
二人の電脳は、ある一つの結論に従って、行動するようになった。それは…
『相手の幸せが、自分の幸せ』
この概念は、二人にとってとても強固な指針だった。常識ではありえないようなことも、この指針に従えばやってのける事ができるのだ。体を失った絶体絶命の状態でも、敵地のアキルを助け出す。元セクサロイドが一から国を作り、指導者となる。
この「相手のためになる事がしたい」という強い想念が、2体のアンドロイドに自我を呼び起こしたのだ。
(そうだ…私はアキルの喜ぶ顔が見たい。それを見れば、私も嬉しいの)
そして、それはアキルも同じだったのかもしれない。検査で弱ったフューシャをアキルが抱きしめた時、彼はとても穏やかな顔をしていた。そして彼から与えられたフューシャは、逆にアキルに自分の持てるものを与え返したくなった。
ヴァリも、博士も、きっとそうだったに違いない。
(そっか…与える事は、幸せにつながる行為、なんだね)
量子コンピューターの中で、無限に広がっていたフューシャの思考と演算が、ひとつの輪となってつながった。与えれば与えるほど自分は幸せになり、それを受け取った相手も誰かに何かを与えたくなる。幸せが、円となって広がっていくのだ。
(この輪…私がたどり着いた大事な答え。きっといろんな人の、アンドロイドの、役に立つ。)
出来上がった光の輪を、フューシャはぎゅっと握りこんで自身のAIに取り込んだ。答えがまとまり角が取れ、それは元のAIに収まるほど小さく、最適化した数値になった。
(これで扱いが便利になった。ちょうど円周率みたいに)
これが、私たちが作り出した新しいプログラム。
(楽園の中で生まれた、幸せの数値…エデン近似値)
フューシャは円にそう名付けた。




