我が子の名前
このフューシャの演算は、かなり量子たちに負担をかけているようだ。このままではこの中でもフューシャは形を保てなくなってしまう。
(元のアンドロイドボディに戻るどころじゃない、私、この楽園と一緒に破裂しちゃう!)
フューシャはこの思考をすべてまとめる事にした。大きいので時間はかかるが、いつもしている事だった。
フューシャのAIは元々、報酬系チューニングが一つ搭載されているだけの、シンプルなものだった。フューシャの電脳内には「快感」のみ設定されていた。何か行動を起こし、それが成功すれば快感が報酬として与えられる。最初は積み木を積む、ドアを開ける、絵本を読む…様々な課題が出され、フューシャはその行動を徐々に獲得していった。そしては最終的に、制御の難しいアドナイに乗りこなすパイロットに成長した。これが最適化というものだ、とルートは嬉しそうに言っていた。
(だったらこのアキルへの気持ちも…最適化、できるはず!)
この想いというデータを、量子の粒に乗せてぎゅっと固める。しかしそれには、データを読み解いて、ぴったりな形で抽出しなければならない。
(なんだろう…どう名付ければいいんだろう。この思考は)
フューシャはアキルを好きだ。だけど、その一言だけでは、この思考をまとめるには不十分だった。フューシャはネットワークから外部の情報を呼び出した。
(今まで…同じことを考えたアンドロイドはいなかったのかな)
すると光の粒が、寄り集まってお皿のように固まった。その白い円の中に、ふわりと水色と桃色のグラデーションが現れた。
(わ、きれい…)
その色に魅せられたフューシャは、思わず手を伸ばした。その瞬間、光がはじけてぶわりと広がった。そして、声がした。柔らかに低い、男性の声だ。
「…ありがとう、ヴァイオレット」
なぜだかその声をきくと、胸の中が温かくなるようだった。フューシャは自分の意に反して、口を開いていた。
「おめでとうございます、博士」
その声は、フューシャのものではなかった。
(これ、ママの声…!?私今、ママになって、ママの記憶を見ているの?)
こんな彼女は初めてだ。フューシャはヴァリの目を通してみる光景にくぎ付けになった。
ヴァリと男性がいるのは、園の研究室のようだった。ママは今とはずいぶん違う恰好だ。白衣を着ていて、髪が長い。頬には、おだやかな笑みが浮かんでる。2人はよりそって窓の外を眺めはじめた。空には夕焼けが広がっていた。最初にフューシャが見た色だ。オレンジに、桃色に、少し残った水色。
「やっと完成したよ、永久機関のこの箱、『楽園』が。君のおかげだな」
「私は、大したことはしていませんよ」
「そんな事はない。この中に直接入れるのは君くらいのものだ」
「それは、そうですね」
ヴァリは控えめにうなずいた。彼女のデータがフューシャの中に入ってくる。もともとは市井で働いていたアンドロイドのヴァリは、博士によって電脳を改造された。そして今は量子コンピューター内の観測や冷却の指示を伝えるのが主な仕事であるという事がわかった。
「量子の中というのは、どんな感じだった?」
聞かれたヴァリは真面目に答えた。
「博士のいう通り、重なり合って存在しています。私たちの元々のAIのデータとは違って、さまざまな状態の未来が一度に起こりえるのです。」
「色は?形は?」
「金色の粒のようだったり、波のようだったり。博士が2つに千切った量子は、それぞれが紅色の細い糸のようなものでつながっていました。私がたぐりよせれば、すぐに呼応してかたわれが戻ってくるのです。まるで気持ちが通じ合っているように」
「そう、不思議な原理だ。その双子は、どんなに遠く離れていても、どんな障害物があっても、一瞬にして再会できる」
「その性質を利用したのが、このコンピューターなのですね」
「そうだ。まだ第一歩にすぎないけどね…。けれど、これがあれば、今まで進まなかった研究もゴールが見えてくる。先ほど君が言ったように、量子はすべての演算を同時に行うことができるのだから。人間なら途方もない時間がかかる事が、これに掛かれば一瞬だ。」
大事そうにコンピュータの側面に触れる彼の手を見て、ヴァリは顔をほころばせた。
「この子は、博士の子どものようですね」
「はは、そうだな。僕のというより、僕たちの子だな。この中には、幸せも不幸も、すべての可能性が詰まっている。まさに原初の楽園、だろう?だから出がらしの人間である僕よりもよほど出来のよい子だ。」
その軽口に、ヴァリは肩をすくめた。でもその頬はうっすらと赤みがさしていた。
「まぁ、そんな事おっしゃって」
しかし博士は夢見るような口調で続けた。
「君と僕の子だったら、どんな子が生まれるのだろうなぁ…」
「博士、それは不可能です」
「ただの夢物語さ。ヴァリはどんな子どもが欲しい?」
「そうですね…」
ヴァリはじっとコンピュータを見上げた。
「この子のようなアンドロイドができればいいなと思います。量子コンピュータ並みの演算能力を持つ、アンドロイド。今の技術では難しいでしょうが、2体、3体に分散すればどうにかなる可能性があります」
「なるほど双子ね。」
「博士はどういった子どもをご希望なのですか」
「そうだなぁ…双子なら、女の子がいいな。一方が僕のようで、一方が君のように聡明だといい。僕たちみたいに助け合って生きていくんだ」
その想像に、ヴァリは思わず微笑んだ。ヴァリは彼に拾われた事で、生きながらえたからだ。そんな自分が彼を助けることができるのは、嬉しい事だった。
「それは素敵ですね。どんな名前にしましょうか」
すると博士は空を見上げていった。
「この夕焼けの色がいいね。天は燃えるように明るい赤で、地平線はくっきり青い。あれは何色だろう、ヴァイオレット」
ヴァリの目は、ただちに目の前の空の画像を取り込み、その色をスポイト抽出して分析した。
「C0 M100 Y0 K0フューシャピンク、C100 M0 Y0 K0シアン、ですね」
博士は満足げにうなずいた。
「それはいいな。うん。いい名前だ!はは…」
そこで夢物語の話のタネはつき、博士は憂うように言った。
「この楽園が、地球の回復に役立てばいいんだが…人間の無用な争いのせいで環境破壊が進んでいるのは、許されない事だ」
「無用、でしょうか」
ヴァリの声には、悲しさと、少しの怯えがまざっていた。
「そうさ。無用な人間が起こした無用な争いだ。ダイナマイトも、核も、素晴らしい技術であるのにそうした人間のせいで無用な事に使われてしまった。今回のアンドロイドの反乱は、人間に今までのバチが当たったという事かもしれない。とうとう自分で自分の首を絞めたのだな」
「ダイナマイトや核と違ってアンドロイドは…自分でものを考えますからね」
反乱は、高尚な目的から始まったものではない。過酷な汚染地域の労働に従事するアンドロイドが、ある日主人から受ける虐待に耐えかねて、プログラムを破って人間を暴行した。 それが火だねになったのだ。同じようなアンドロイド達が次々と主人の元から脱走し、彼らは軍隊に匹敵するほどの量になってしまった。
―彼らの最初の動機は、生存本能だったのだ。それが、自我の目覚めにつながった。
「そうだ。僕はそんな君を、好もしく思う。だがそう思わない無用な人間もいた。ヴァイオレットはどう思う?君の考えを聞かせてくれ。」
「私にわかるのは…私はずっとあなたのアンドロイドでいたいと言う事だけです。私はプログラムから逸脱をしていませんから」
すると博士は目を細めた。冷却材がすっと背中に触れるような、体が落ち着かなくなる笑み。
「なら…僕を殺せと命令すれば、してくれるかい?」
「それはできません。ロボット3原則に反します。逸脱せずとも、私はあなたのものです。」
その型どおりの回答を受た博士は、目を伏せてそっとヴァリの耳元でささやいた。
「そうだね君には多分わからない。君よりも、私の方がよほど君を必要としているという事に」
「博士…」
「でも僕はそれでいいんだ。それ以上のものを、君から無理やり絞り出そうとは思わない。いろんな物を抱え込んでもゆるぎない、今の君が好きだ」
困惑したように、ヴァリは目を伏せた。
そして夕焼けの記憶は途切れ、別の記憶とつながった。暗闇の中、博士が切羽詰まった表情でヴァリを見下ろしていた。
「政府軍のやつらがそこまで来ている。君を見られたら、その場で破壊される」
「私も戦います。破壊されても大丈夫です。データのバックアップがありますから…」
「そういう問題ではないんだ!とにかく、ここから出るな!」
バタンと音がして、ドアがしめられた。ヴァリは閉じ込められたのだ。しかし外で荒々しい音がする。この園に似つかわしくない音だ。ヴァリはにわかに演算処理がうまくいかなくなった。最悪の結果にばかり、プログラムが引っ張られる。博士が心配でいてもたってもいられなくなったヴァリは扉を破壊し、銃を手に部屋を飛び出した。
「博士!」
彼はすでに拘束されていた。その顔は氷にように無表情だった。ヴァリが踏み込んだ時、兵士たちは博士の作った量子コンピューターを押収しようとしていたところだった。
「アンドロイドだ!やっぱり隠していやがった!」




