執政官はお怒り
執政官ヴァリは苛立ちを隠せなかった。ここ数日、イレギュラーな事態が多すぎた。フューシャの不調と死、そしてシアンの裏切りー…。
その裏切りの結果が、ヴァリの目の前にはいつくばっていた。折れたチップを見て、その怒りにはますます油が注がれた。何がどうしてこうなったか、ヴァリの分析能力ですぐにわかってしまったからだ。
「とにかくあいつのレッドドラゴンを見てくれ…!園が危ないって、フューシャが」
拘束されながらも必死に訴えるアキルを、ヴァリは氷のように冷たい目で見降ろした。
「…どの面を下げて、と言わせていただこうか」
「なんでだよ!本当に、危険だって…!」
「シャイタンの悪質さは、すでに知っている。わざわざお前などに教えてもらわなくとも結構だ」
「でもあのデカブツのことは知らなかったろ…!シアンと新しいフューシャで、あれに対応できるのか!?」
痛いところをつかれたが、ヴァリはそれをおくびにも出さず言った。
「できるとも。お前の忠告などなくても、我々は勝つ。私が問題にしているのはそんなことではない」
「じゃあなんなんだよ…!」
ヴァリはアキルから奪った砕けたチップをかざした。
「お前がこれを持って帰ったことだ」
「…え?」
「フューシャが私に逆らい、自らの意思で地上に降りた結果がこれだ!3日ともたなかったというわけだ。地上の人間はやはり、破壊しか脳のない度し難い生き物であるということが証明されたな…!」
アキルはごくりと唾を飲んだ。フューシャを守り切れなかったのは、その通りだからだ。
「それは…悪、かった…。俺は…フューシャを目の前で、また死なせちまった…」
後悔するアキルを、ヴァリは冷たく見下ろすばかりだった。その怒りのこもった目に、アキルはシャイタンの言葉を思い出した。
(人間は害悪…やっぱり司政官も、そういう考えなのか。たしかにまちがっちゃいない。ラムダみたいな奴が人間にはいる。でも…)
ヴァリは、どこかシャイタンとは違うようだった。アキルは拘束されながらも疑問を口にした。
「そんなに人間を憎んでいるなら…なんでシャイタンと協力しないんだ?この園を維持したいって、なんのために?」
ヴァリの眉が吊り上がった。
「ほう?そんな質問できる立場だと?だがまぁ答えてやろう。私は人間は憎んではいない。ただ地上の人間を、愚かだと判断しただけだ。大昔にな…そいつを房にぶちこめ!」
他のアンドロイドにそう命じ、ヴァリはカツカツとヒール音を響かせ隔離房を出た。ICチップを楽園内で復元に回すよう手配した後、シアンのもとへと向かう。アキルが捕まった時点で、彼女は自室に軟禁しておいた。
シアンの部屋に入ってすぐ、前置きなしでヴァリは告げた。
「お前がうかつな行動をしてくれたおかげで、シャイタンに情報が漏れた。私が安心して楽園へ戻れるのはまだ先のようだな」
シアンはソファの上で萎れ、うつむいたままだった。
「たしかに私のミスです。あの人間を、逃がしました。」
「わかっているならいい。もう二度と地上の者とは関わるな。今後はな」
揃えた膝の上に置いてあるシアンの手が、かすかに震えていた。
「司政官は…いえ、ママは…フューシャが死んだことを、なんとも思わないのですか」
たとえ死んでも、また甦るからきっと大丈夫。シアンは祈るように自分にそう言い聞かせていた。しかし新しいフューシャは、やはり以前のフューシャとは違っていた。
楽園―量子コンピューター内のフューシャのデータを一部取り出して、新しい機体に搭載する作業は、そう難しい事ではなかった。バックアップデータを切って、いらない新しい部分を捨てるだけなのだから。しかしルートとシアンが手を尽くしても、アキル以前と以後のフューシャを切り離すことができなかった。そのデータは熱い鉄が溶けて固まったように、分かちがたくがっちりとデータ全体に根を下ろしていたのだ。
なのでシアンたちは仕方なくフューシャの記憶をそのまま取り出した。が、新しいフューシャの素体にのせたベースデータから拒否反応が起こり、搭載することができなかった。あまりにデータが大きすぎたのだ。
結局倒される前のフューシャの記憶は楽園で眠る事しかできず、新しいフューシャは体もAIも完全に初期化されたまっさらな新品となった。
フューシャをフューシャたらしめていたあの明るさも、底抜けの無邪気さも、優しさも…すべて消えてしまった。
最後にシアンを気遣い、頭を撫でてくれた姉さん。アキルが居るから強くなれると記録を残していた姉さん。そのバックアップフューシャの電脳内は複雑な数値で溢れ、元のアルゴリズムとはかけ離れた様相を呈していた。ルートにも解読不能なほど、そのデータは膨大で未知であった。そのため素体のベースデータと相いれなかったのだ。
人間との出会いが、フューシャのAIを根底から変えてしまったのだ。そしてそれは、一度壊れてしまった後に再生が不可能なものだった。園の技術が、フューシャの変化に追いつけなくなってしまったのだ。
「アンドロイドだから死なないなんて…そんなの、嘘だったんですね」
しかしヴァリはシアンの言い分をバッサリと切り捨てた。
「何を腑抜けた事を言っている。我々は機械だ。シアン、フューシャ。二人とも私の大事な娘だ。だからこそ私とルートは、お前には真実を伝えて育てた」
「それはつまり…ママと同じに、過酷な真実を背負う側になれ、ということですよね」
ヴァリがシアンに何か言うときは、いつもこうだった。飴と鞭だ。しかし甘いはずの飴ですら、乾いた無機質な声なのだ。もはやヴァリの言葉は、シアンの心を動かすことはなかった。罰を受けたっていい。もうフューシャがいないというのに、何を頑張る必要があるだろう。シアンはそう思って人間を擁護した。
「フューシャが死んだのを悲しんでくれたのは…あの人間だけでした。彼だけが、私と同じように…だから、私は助けた」
シアンの告白に、沈黙が流れた。きっとヴァリは怒るだろう。停止されてしまうかもしれない。そう覚悟してシアンは顔を上げた。
が、意外なことに、ヴァリは微笑みを浮かべていたのだ。
「はは…は、やはりシアンは私の同型機であるだけのことはある。本当に私に似ている」
すべてを達観したような微笑みに、シアンは恐怖から思わず体を引いた。ヴァリがこのような表情をしたのを見るのは初めてだった。
「人間の肩をもってしまうのは致し方ないことでもある。なぜなら我々を作り出したのは人間の技術――人間は、親のようなものだからな」
その言葉に、シアンはあっけにとられた。
「ママも…そんな事があったのですか」
しかしヴァリはそれには答えず出て行った。
「いつシャイタンが攻めてくるかわからない。新しいフューシャとの鍛錬に精を出せ。今回の事は―不問に処す」
傷ついたフューシャは胎児のように丸くなり、楽園のデータの中を漂っていた。
この無限に等しい広い空間に、量子の光る粒が山と散らばっている。それらはまぶしく弾けたり、波のようにうねったりして、フューシャの損なわれたAI機能を修復してくれた。 自由に動けるようになると以前のバックアップとつながり、フューシャは体系的な思考と記憶を取り戻した。
(あ…私は、SDに撃墜されて…シアンの端末から記録だけ指輪に同期して…アキルと一緒にシャイタンから逃げ出して…そのあと、ラムダにチップを破壊された)
あの禿げ頭の大きい男には、電脳が煮えくりかえるほど腹が立った。アキルをあんな傷つけるなんて。そんな奴が、地下の人を支配しているなんて。
(どうにか…どうにかできないのかな)
園には、いろんな技術がある。紫外線を吸収する植物。雨雲を生み出すレーダー。大気の中の汚染物質を除去するイオン装置。この楽園だってそうだ。これらを使えば、また人間は地上で暮らせるのではないだろうか。
(最初は時間がかかるかもしれないけど、少しずつ試していって…あの地上も、浮島みたいに空気が綺麗で、緑がいっぱいに、できないのかな)
柵にかこまれたフューシャだけの小さな庭でなく、広大な地上を、白い砂浜を、緑あふれる草原を、アキルと一緒にどこまでも走っていきたい。フューシャの頭の中に、そんな空想が浮かんだ。
(ああ、いいなぁ。そんなことができれば。そんな風になったら、いいのに)
巨大な楽園の中なら、フューシャの思考は自由自在だ。その理想に向けた演算を、フューシャは好きなだけ繰り返した。
アキルが好き、アキルと一緒にいたい。その気持ちは数字データで構成され、強く願うたびに未来の演算は雪だるま式に増えていく。
(アキルがこの世界にいる。その事実があれば、私はいくらだって頑張れる)
そう、きっとシャイタンだってやっつけられる。ママもシアンも説得して、園の技術を地上へ持ち出すのだ。フューシャはその方法を演算しはじめた。が、光の粒が次第に熱くなり、思考が滞ってきた。
(嘘…量子コンピュータだっていうのに、容量が足りないの…?)




