真水と泥水
少女はバカみたいにぽかんと口を開けた。その表情は小さい子供のようだった。白くて丸い額に、ほんのり朱に染まった頬。灼熱の光を受けて、その髪はピンクゴールドに輝いている。
その光景に、アキルは困惑した。
(誰だこいつ?この真っ昼間に、マスクも防護服もなしで…?!)
この時刻、地表は灼けるフライパンと同じだ。防護服なしでは火傷で死亡待ったなしだ。ゴーグルを失ったアキルは慌てて防護服のフードをかぶりなおした。どのくらいここに居たのだろう。顔の表面がヒリヒリする。アキルは体を起こしてまじまじと目の前の人物を見た。ノーマスクの上、さらに彼女は腕と足がむき出しの白いボディスーツのようなものを着ていた。裕福な娘らしい。手には紅い石の嵌った金の指輪をしていた。
「そ…んなっ…かはっ」
そんな恰好で死ぬぞ。アキルはそう言おうとしたが、乾いた喉から咳が出ただけだった。
「あ、あ、大丈夫ですかぁ?」
喉がひりつく。干からびてくっついてしまいそうだ。アキルは必死で言葉を絞り出した。
「み…ず…」
「みず…?水ね!ちょっと待ってて!」
彼女はぱっと立ち上がり、地面をパカリと開けて中からコンテナのようなものを取り出した。
「ここに…入ってるかなぁ水……」
そこでアキルは遅ればせながら気が付いた。あの白い怪物の身体の上に、自分が横たわっていたことに。
「はっ?!どうっ…ゴホゴホッ」
思わず叫びそうになってまたせき込んだアキルに、少女が水を差しだした。
「あった!どうぞ!」
とにかく飲まないと死ぬ。そう思ったアキルは水を受け取って飲んだ。それは冷たくかすかに甘く、アキルの喉を潤した。不純物の混じらない水だ。そう気が付いたアキルは目を丸くした。
こんな貴重なものを簡単に分け与えるなんて。目の前の女はわけがわからない、得体のしれない相手だ。アキルは顔をしかめて、そのボトルを相手に返した。
「あっ、いいよあげる。ぜんぶ飲んじゃって!」
その言葉に、ますますアキルの不信感は増した。
「お前…何者だ?この怪物に乗ってきたのか?」
「これ?これって、アドナイのこと?」
「この怪物は…アドナイって名前なのか」
そういうと相手は首をかしげた。
「怪物じゃないよ。アドナイは大事なものなの」
「大事なもの?お前が…動かしてんのか?スズメバチを撃ったのは、お前か?」
すると彼女は慌てて、泣きそうな顔になった。
「ごめんなさい!まさかSD機兵の上にあなたがいるなんて思わなかったから…」
そういわれても、アキルは信じられなかった。この巨大な怪物を意のままに動かしているのが、目の前の子どものような女だとは。
「嘘だろ…」
「嘘じゃないよ。でも…あなたの乗り物を壊しちゃって、ごめんなさい」
その口ぶりは純粋そのもので、彼女が嘘を言ったり騙したりしている気配は微塵も感じられなかった。荒野で暮らす幼い子よりももっと幼い口調だ。なぜなら、アキルたちはごく幼いころに嘘や盗みを覚るから。
「お、怒ってる…?」
しかし、目の前の少女の素直で無防備なたたずまいを見ると、そういった事とは無縁に育ってきたであろう事がアキルにも感じられた。
(そんな事が可能なのか?この荒野で…)
いや、この少女はどうみても荒野の住人には見えない。アキルは警戒を強めた。
「お前、どこから来た?何が目的だ?」
「え、どこって…私は園から来たの。SDたちを追い払わなきゃ、危ないから」
「園?…SDって、今戦った奴のことか?」
「うん。そうだよ。園はね、あそこ」
そういって少女は、後方に浮いている島を指さした。
アキルは、信じられない思いで目の前の少女を眺めた。
「…浮島に、人なんていたのか」
「うん、たくさんいるよ!」
元気にそう言った少女を見て、アキルは何かがおかしいと思った。
「あそこに人が住めるはずない―…!地上ですら、住めねぇんだから。」
その言葉に少女は驚いた顔をした。
「そんなことないよ!園にはちゃんと、人がいるよ。アドナイも、私のお家もあるんだよ。私のお家はね、お城の中にあるんだよ」
その浮世離れした発言に、アキルは顔をゆがめた。
(こいつ…もしかして、頭がイカれてんのか?)
しかし現実に、アキルの下に怪物は存在していた。『アドナイ』とかいうこの巨人は、さっきいとも簡単にスズメバチをすべて撃墜した。こちらの心臓の奥までゆさぶるような大音量のエンジンジェットに、光線で敵を撃つ巨大な銃。大きさも性能も、アキルのグライダーとはけた違いだ。その差は鳥と羽虫よりも大きい――。
(たしかにさっき、俺はそれを見た…。)
しかし巨人の圧倒的な強さと、目の前の少女がまったく結びつかない。アキは無意識のうちにぎゅっとボトルを握った。中の水がたぷんと音をたてた。
「そうだ、この水――。お前、なんでこんな綺麗な水、持ってんだよ?」
すると少女は首を傾げた。
「えっ、綺麗?普通だよ。園の水は、ぜんぶこんなだよ」
その顔は純粋そのものだった。嘘や狂気でなく、ただただあるがままの事を言っているという表情だった。
(マジかよ…それならつまり、浮島は…)
今まで廃墟だとばかり思っていた浮島には実は人が住んでいて、地上とはかけ離れた生活を送っていたという事なのか。そう思うと、アキルの身体の中に、理不尽なほどの怒りが沸き上がった。
(俺たちが地下にへばりついて、泥水を啜って、スズメバチに殺されている間―…あそこでは)
透き通った水の入るボトルを持つ手が、わなないた。この水。そして巨大な鋼鉄の武器「アドナイ」。アキルの中で、それらが繋がって一つの答えを出した。
(どんな奴らか知らないけど、ずっと綺麗な地で隠れて暮らしてたやつらがいるんだ。こんなすごい武器を持っているくせに、地上の事は知らんぷりをしながら――)
次の瞬間、アキルは彼女を押し倒して首筋にナイフを当てていた。
「あっ…えっ、え?」
彼女はぽかんとアキルを見上げた。
「この怪物を俺によこせ」
「えっ…アドナイが、欲しいの?」
「エンジンのかけ方を教えろ」
「エンジン…?えっと、だめなの、アドナイは私にしか動かせなくて…」
「そんなはずないだろ。どうやって動かしてんだ」
「えっと、ここの力で…」
彼女はぱかっと口を開いた。
「声で動くってことか」
「えっと、口の中にキーがあって…」
そういわれて、アキルは彼女の唇に触れるほどに顔を近づけた。
「きゃっ…な、なにするのぉ…!」
しかし、そこには白い歯とピンクの舌があるだけだった。
「キーってどれだ」
彼女が抵抗して手足をじたばたさせたので、アキルはぎゅっと手首をつかんだ。
「暴れるな。ちゃんと口開けろ」
「だっ…ダメダメ…っ!放してっ…」
彼女はアキルに怯んだのか抵抗をやめたが、今度は体に力が入ってガチガチになった。握る手首がおかしいほどに熱い。
「私まだっ…あっ…」
妙だと思った瞬間、彼女の身体からガクンと力が抜けた。
「…!?」
その顔を見ると、ゆでたように真っ赤になっていた。
(まずい、炎天下で熱中症になったのか)
私でなければ動かせない、とこの女は言った。ならば今死なれては困る。そう思ったアキルは、彼女を担いで『アドナイ』のハッチを開けて中へ連れ込んだ。
「ダメッ…初対面なのにそんなっ…あっ」
体をかたくして飛び起きた少女―フューシャははっとして頬に手をあてた。周りを見渡したが、そこはいつも通りのコックピットで何も変わりない。先ほどの少年もいない。
「帰っちゃったのかな…もう…いや…はぁ…」
その眉は八の字に下がっている。今日は失敗続きだ。帰ったらどんなに叱られるかわからない。そう思うとフューシャの肩は落ちた。するとその時、モニターから通信音がけたたましく鳴り響いた。
「あっはい!シアン?もしもし?!」
モニタの向こうから、静かに怒りを押し殺した声が響いた。
「やっと出た。何度も呼び出したんだけど?なんで無視したのよ」
「ご、ごめんなさい…ちょっと手が離せなくて」
「はぁ?余計なことしてないでしょうね?とにかくさっさと園に戻ってきて。」
「わ、わかったわかった!」
ブツ、と通信が切れてフューシャはほっとして頬に手をあてた。まだ熱い。
(私…地上の『人』としゃべっちゃった!)
地上に降りる事も、地上人に姿を見せることも、フューシャは固く禁じられていた。我々と彼らは同じ人間ではない、別の生き物なのだと教えられていたからだ。茶色い布に全身覆われている地上人は、たしかにフューシャたちとは違う生き物のように見えた。
だけど、あのぶあつい茶色の表皮の下の顔は、フューシャと同じように人間だった。さっきの少年の射るような黒い目と、熱い手を思い出して、フューシャは思わずきゅっと目をつぶった。
(ああぁ、びっくりした。でもとりあえず、帰らなきゃ)
フューシャは不器用な手つきでアドナイが記録していた今のデータを消した。一刻も早く帰らなければならない。フューシャはシートに腰かけ、カチンと歯を打ち合わせた。するとその音に連動して、エンジンシステムが起動する。
「アドナイ、帰ろう。ああ、怒られちゃうかなぁ」
『OK、起動―――』
心地よい電子音が答え、アドナイは起き上がった。外では轟音を響かせているターボエンジンだが、内側は静かだ。アドナイはあっという空の高みへと跳びあがった。
園の格納庫へアドナイを着陸させたフューシャは、ほんの少しハッチを開いて周りを見渡した。
(あ、あれ…誰もいない)
さぞ怒ったシアンが待ち構えているのだろうと思ったのだ。ほっとしたフューシャはこれ幸いとアドナイを出ようとした。が、突然肩をつかまれて飛び上がった。
「おい待て」
「きゃああっ!!!」




