この場所で、俺だけが
「いいえ!そんなことない。あなたと私の記憶や、操縦技術は『楽園』のバックアップから引っ張ればいいわ」
「じゃあ…この痛みは、消えるんだね」
彼女が何を意味しているか、シアンにもわかった。
「そうよ…彼の事を忘れる。それだけでいいわ。だからオールリセットじゃなくて、あのSD戦闘の前の日の状態にあなたを戻す。それでいいでしょう?」
「シアン…きっとそうしても、私は元の私には戻れない気がするの。私…いろんなことを考えてしまったから」
「そんな…そんな事ないわ」
「いっぱい考えて…私の容量、もうあとがなくなっちゃったんだね。アドナイのためにとっておかなきゃいけない部分まで、使っちゃった。わからなかったの、初めてのことで。迷惑かけて、ごめんね」
フューシャはそっとシアンの手に触れた。シアンは悔し気に首を振った。
「やっぱり、地上の人間とかかわるべきではなかった。彼らは危険な存在よ。私たち…長い間のうちに、それを忘れてしまっていたんだわ」
「私もシアンも…ううん、ママ以外のほとんどの人は、人間を知らないもんね。だけどね、きっと危険な存在なんかじゃないよ」
静かにそう言ったフューシャに、シアンはたまらず叫んだ。
「危険じゃない!げんに姉さんはこうして壊れてしまったわ!!」
「私はしょうがないよ。だってシアンよりもママよりも、私はポンコツだもの。自分の中の気持ちを、処理しきれなかった。だからアキルが悪いんじゃないよ」
「でも…でも!」
シアンは子どものように首を振った。こんなに取り乱すのはおかしなことだ。フューシャの身体と今の電脳が廃棄されても、体は作り直せるし、バックアップから記憶はいくらでも取り出せるのだ。つまりフューシャはすぐに生き返る。それなのに、こんなにも悲しいわけは―…
(私は…今のフューシャと…別れたくないんだ…)
最初はフューシャのその変化が厭わしかった。しかしフューシャはまぎれもなく成長したのだ。無邪気で明るかったフューシャから、優しく強い彼女へ。成長した彼女は、前よりももっと慕わしく、美しく、彼女が失われてしまう事を考えると身が裂かれるようだった。
(だけど、変化したあとのフューシャを生き返らせるわけにはいかない―…この変化のせいで、フューシャはこんな事になってしまったのだから…!)
この変化に、今の身体と電脳は耐えられなかった。フューシャの今の成長は、してはいけない成長だったのだ。
だからフューシャを生き返らせるなら、「あの地上人に出会う前」のフューシャでなければならない。
「姉さん…私、私…!」
泣き声で首を振るシアンの手を握ったまま、フューシャはあたりを見回した。
「そろそろ時間だね。あのね…お願いがあるの。私の部屋に置いてきた手紙…アキルに渡してほしいの。それとママがね…」
バチリと電源の落ちる音がして、あたりが暗くなった。シアンが返事をする前に、接続は途切れてしまったのだった。
フューシャは命の最後の力を使って、シアンに2つ頼み事をした。前者は簡単だが、後者はたやすいことではなかった。
(でも…でも、やるしかないじゃないの)
暗闇に一人取り残されたシアンの頬が濡れた。
「で…フューシャは結局、どういう状態だ?」
端末を手に、ヴァリは目の前に立つシアンを見上げた。
「現在新しい体を用意している最中です。数日中には完成するかと」
「全リニューアルか。その間の戦闘配備は数を割かなければな…。しかしフューシャの余分な情報がそぎ落とされてよかったかもしれないな」
なんのためらいもなくそう口にする母を前に、シアンはぐっと足に力が入った。
(ママは…私のこともフューシャのことも、なんとも思ってないんだわ)
しかし、そんなヴァリの思考回路が一番理解できるのも、シアンだった。ヴァリはそんなシアンを見て、にやりと笑った。
「そうだ。シアンはそういう風に作られているのだから」
「…ええ」
「忘れないでほしい。この園の存続こそが、一番大事なのだ。もはや人類を助ける術は、それしかないのだから。」
「技術と文化の保持と継承。わかっています」
「冷たい母だと思うだろう。けれどシアン、私はシアンを一番に信頼しているんだよ」
それにシアンは薄く笑った。
「そうですね。私はママとほぼ同型の最新機ですもの」
「ああ。私の脳も、シアンの脳も、この世に存在する全てのビックデータから導き出された最適解のCPUを積んである。どんな状況だって、ピタリと正解を見つけられる」
「…でもそれは、相手も同じです」
AIとAIの戦い。それはお互いにバベルの塔を作りあって競うようなものだ。あちらが高くつくれば、こちらはもっと高く積み上げる。それを見たあちらも同じことをする…。 終わりも決着もなく、塔だけがどんどん高くなっていく。シアンのその口答えに、ヴァリはうずいた。
「私やシアンは同じだ。でもフューシャは違う」
相手が際限なく繰り出してくる新しい戦闘機へ対抗せんとひそかにヴァリが作り続けていた奥の手が、「アドナイ」とそれの専用パイロットだった。
フューシャは、アドナイに乗るためだけに作られた娘。相手のどんな戦闘機にも対応できるよう、無限の可能性を持つ特殊なAIをその脳に積んでいた。
「彼女はプリミティブ・タイプ…最低限のアルゴリズム以外は、全てブラックボックスのAIだ。フューシャの思考回路は、私たちにも、いや彼女本人ですらわからない。」
「アルゴリズムではない、つまりフューシャ本人の学習、体験の結果の判断。だからこそ、どんな無鉄砲な戦闘にも瞬時に対応できた。でも…体にかかる負担が大きい」
「ああ。我々が考えるよりも、遥かに大きなデータを捌かなければならないからな。だが戦闘する分には問題なかったはずだ。余計な事にデータを割かないために、フューシャを塔に閉じ込めていたのだのだがな」
ヴァリはじっとシアンを見上げた。尋問が始まった。シアンは身を固くした。
「結局フューシャの戦闘能力も、まったくの元通りとはいかないだろう。いくらか学びなおさなければならない。相手の戦力も上がってきているというのに、これは事だぞ」
フューシャは頭を下げた。
「私が…地上人の制御に失敗したからです。申し訳ありません」
素直に過ちを認めたシアンを、ヴァリはそれ以上は責めはしなかった。
「まぁ、人間は予測がつかない生き物だ。良くも悪くもな。制御しきれないものは仕様がない。フューシャも忘れたことだし、問題なかろう」
ヴァリのその言葉が何を示すか察したシアンは、背中が冷たくなる気がした。フューシャの予測は的中したわけだ。だがヴァリはそれを見越したように微笑んだ。
「…安心しろ。この件は私が当たることにする。私が直接手を下す、最後の仕事だな」
これが親心というやつだよ、というヴァリの前で礼をし、シアンは彼女の前から下がった。
青空に紙吹雪が舞い、金色のトランペットを持つ鼓笛隊が並んでマーチを奏でている。もうすっかり真昼に出歩くことに慣れたアキルは、物珍し気にそれらを眺めていた。
「お祭りだな!今日は久々にフューシャ様を拝めるぜ。」
「よかったな、アキル」
このところ、礼拝でもフューシャの姿を見なかった。口数の少なくなったアキルの心配をしてくれていたサムとアロンに、アキルはうなずいた。
「ありがとう。拝命式って…礼拝よりもずっと盛大なんだな」
「そりゃそうだよ!この園のトップが代替わりするんだからな!」
明るくそういうサムに、アキルは落ち着かない気持ちにさせられた。
(俺の…俺の考えた事が当たってるとするならば…)
―この園の人間は、全員『アンドロイド』だ。
しかし、当人たちは自らを人間と認識している。こんなことを言っても、2人ともぽかんとして笑いだすだけだろう。しかしアキルは聞かずにはいられなかった。
「なぁ…サム。俺とあんたは、同じ人間、なのか?」
おそるおそる聞いたアキルに、サムは首をかしげた。
「何言ってんだよ?人間以外になんなんだよ。」
「サムは動物みがあるって言いたいんじゃないの?」
「なんだと!アロンッ!」
笑うアロンを小突くサム。それはまさしく、人間の男子が交わすコミュニケーションそのものだ。
(やっぱり…皆自分がアンドロイドだって、知らないし思ってもいないんだ)
人間としてふるまうように、プログラムされているのだ。周りの人々の和やかな笑いや鼓笛隊の軽快なリズムに包まれて、アキルは眩暈がするようだった。
(だから皆、公平に親切なんだ。喧嘩も争いもないんだ…この場所は)
周りだけが白く輝いて、自分だけがひとりぼっちでいるような感覚にアキルは陥った。
(この場所で―――俺だけが、血肉の通った人間だ)
ありとあらゆる欲を持つ。嫉妬や憎しみを抱く。争いを繰り返す。他人の命を体に取り込み、排泄をする。
(俺は…俺はなんで、この場所にいるんだ…?)
アキルの額に汗がにじんだ。生きている証拠。だが、どう考えてもおかしい。なぜ自分はあの時処分されなかったのだろう。ここで仲間のようなふりをして紛れ込むよう言われたのだろう?
しかし、いくら考えてもわからない。その時、マーチとさざめきがピタリとやみ、華々しいファンファーレが響いた。
『これより、司政官による拝命式を執り行います』




