拝命式
豪奢にしつらえられた広場の舞台の袖から、司政官が現れた。赤い外套をなびかせ、颯爽とした姿だ。その後に、背筋をのばしたシアンとフューシャが続く。お揃いの白い制服を纏った2人は、寄り添って咲く2本の百合のようだった。
(よかった…フューシャ、無事だったんだな)
皆が見守るなかか、司政官ヴァリは厳かにシアンとフューシャに任命した。シアンは新しい司政官に、フューシャはひきつづき、この園の守り神にと。フューシャの頭には金色に輝く月桂樹の輪が、シアンの肩には赤い外套が授けられた。すっくと立って人々の方へ向き直ったフューシャは、あの時礼拝堂で見たように無表情だった。どこか遠くをさまようようなその視線を捕まえようと、アキルは無意識に彼女をじっと見つめていた。
(フューシャ…!)
その時、彼女の目先が、すっとアキルの上に止まった。アキルは思わず期待に唇がゆるんだ。しかし、フューシャはアキルに微笑みを返しはしなかった。琥珀色の目はまるで無関心であるかのように、アキルからすぐにそれた。その表情は、1ミリたりとも変わっていなかった。
(どうしたんだ…?あいつ…)
その事に、アキルは自分でも驚くほどに動揺していた。前、群衆の中でアキルを見つけたら、フューシャはあんなに嬉しそうに表情を変えていたというのに。今の彼女の目は、何の感情も映さない硝子玉のようだった。感情を抑えているのではない。もともとないから、映らないのだ。それほどに以前の彼女とは違う、空虚な目だった。アキルだけでなく、シアンにも、ヴァリにも、そして目の前の人々にも何の興味もないようだった。
(あれは…フューシャじゃない!前のあいつと違う…!)
たった数秒の事だった。けれどアキルはその事をはっきりと感じた。そして当たり前の真実にぶちあたった。
(そうだ、この園の人間が全員アンドロイドなら、当然あいつだって―…)
しかもフューシャはアドナイでの戦闘という人間離れした技を日々行っているのだ。この園で一番、過酷な仕事と言っていいだろう。アンドロイドでない方が不思議だ。
(あいつが前のあいつじゃなくなったのは、もしかして―…)
この間の戦闘のあと、しばらく姿を見なかったフューシャ。つまり、今目の前の舞台に立っているあの少女は。
(新しい『フューシャ』なのか…)
前のフューシャは、おそらく戦闘で死んだのだ。その事に気が付いたアキルは、自分の手足から力が抜けるのを感じた。
「うそ…うそだろ…」
アキルがこの世でただ一人、大事に思っていた存在は消えてしまった。それも自分が知らないうちにだ。頭がまっしろになって、息が苦しくなった。無意識に、胸に下げた指輪をぎゅっとつかむ。が、それは固く冷たい指輪でしかない。
このまま立っていることなんて、できない。アキルはふらふらと人込みから抜け、賑わう広場からどこともしれず去っていった。
夜半、地下の隔離房でヴァリは一人、相手を待っていた。もう時間は過ぎている。時計を眺めながらヴァリはふっと息をついた。
(怖気づいたか?私が直々に端末にメッセージを残してやったというのに)
端末を取り出したその時、隔離室入り口の鉄のドアが開く重たい音がした。
「来たか、少年」
間髪入れずによく通る声で呼びかけたヴァリに対して、アキルは無言だった。ヴァリは彼に椅子を指し示した。
「まぁ座ってくれ」
「……俺に何の用すか」
「娘が世話になったようで」
ヴァリがにこやかにそういうと、彼はうつむいた。その表情は見えないが、怒りを感じていることはわかった。
「…もう前のあいつと違うんだろ」
その答えに、ヴァリは口の端を上げた。予測がついていたことではあったが、ヒューと口笛を吹きたいくらいには相手に感心していた。
「ということは、もうすべてわかっているのか?この場所の秘密を」
「全部じゃねえよ。あんたらがアンドロイドっていう事だけだ」
自暴自棄になっているのか、ずいぶん素直に手の内をさらしてくれる。人間は単純なのに、なかなかどうして制御のできない生き物だ。つくづくヴァリはそう思った。
「そうか」
短く答えたヴァリに、アキルは問うた。
「…俺を閉じ込めるつもりか?」
「ほう。なぜそう思う?」
「どういう目的かしらねぇけど、俺を迎え入れた事の方が異常だ。いつかこうなるんじゃないかって思ってた」
「目的ね…。君も察しているだろうけど、フューシャのためだ」
「あいつのため?」
アキルがわずかに興味をしめした。その黒い目に何かを求めるような、かすかな光がともったように見えた。その光をみとめたヴァリは思わず言いかけた。
「そう。あの子が君を…」
しかしヴァリは途中で首を振ってやめた。
「やめよう。もう終わった事だ」
しかしアキルは低い声で言った。
「…あいつが俺を、好きになったからか」
彼のゆるぎない声に、さすがのヴァリも目を丸くした。
「ほう。君は…それを否定も疑いもしないのか?プログラミングされた愛は本当の愛情ではないと、君たち人間はよく悩んでいたものだが」
少し面白がるようなその言葉に、アキルは静かに首を振った。
「そんなの…考えもしなかった」
「では君は、フューシャがアンドロイドでも関係なく、愛していると?」
「愛?そんなたいそうなもんじゃねえ。俺はただ…」
そこまで言って、アキルの言葉は途切れた。
アキルが願っていたのは、彼女が辛い思いを抱えて一人ぼっちでいて欲しくないと言う事だった。だがそれをこの司政官の前でどう言葉にすればいいか、わからなかった。なのでただ一言、簡潔に告げた。
「フューシャに、笑っていてほしい。あいつの正体がなんでも関係ねぇ」
柄にもない言葉に、アキルの心臓が高鳴る。しかし言ってしまうと、とてもすっきりとした。しかしヴァリの眉にはぐっと力が入ったようだった。
「…それは君が無学だからさ。君はアンドロイドのことなど、何も知らないだろう。知ればきっと、同じようにはおもわない」
抑えたその声の奥には、くすぶる怒りがかすかに感じられた。アキルは逆に聞いた。
「たしかに俺は何も知らない。だから教えてくれよ。ここがアンドロイドだけの園なら―…なんでSDと敵対してるんだ?同じアンドロイドの仲間じゃないのか」
「人間だって、一枚岩ではないだろう。特にこの地域では、紀元前から争いあってるじゃないか」
「それなら、アンドロイドも結局人間と似てんのか。同じ種族で争いあってる。本で読んだけど…SD達は、昔反乱を起こしたやつら側なんだろ。でもそいつらと戦ってるこの園も、人間の味方ってわけじゃなさそうだ。一体あんたの目的は、何なんだ?」
「それはこの間、シアンが説明しなかったか?」
「人類が争いをやめて賢くなるまで待ってる―ってやつか?でも、このまま自然に争いが止むなんてありえねぇし、そうしてる間に人間は一人もいなくなるぞ。」
その言葉に、ヴァリは冷静な笑みを浮かべた。
「それを待っていると言ったらどうする?」
その言葉に、アキルは一瞬色を失ったが、すぐに肩を落としてため息をついた。
「…そんな気がしてたよ」
が、ヴァリは笑って首を振った。
「はは!今のは冗談だよ。私の目的はそんな事じゃない。けど君に言うつもりもない。娘にさえ言っていない事だからね」
その笑いを見て、アキルは顔をしかめた。
「…それで、結局俺に何を言いたいんだ?」
ヴァリの笑みがすっと消えた。
「さよならを言いに来たのさ」
ヴァリが人差し指を立て、何かの操作をした。思い切りのよいその動作とは裏腹に、ヴァリの電脳内には複雑な演算が渦巻いていた。目の前の少年を消すのは決定事項だ。フューシャを確実に運用するのにどうしても必要だ。しかし、そうしなくて済む演算を、同時に電脳内で展開している。
(私は――この人間を殺したくないと思っているのか?フューシャのために?)
半分の理由はそうだった。『可愛い娘』の、初恋の相手だから。しかしそんな同情を抱いて判断が鈍るのは、普段の彼女からしたらありえない事だった。娘も大事なコマの一つと考える司政官ヴァリには。
(ためらうのは、私は『身をもって』知っているから――フューシャのその気持ちを)
大事な人がいる。その人のためなら、どんな事もやり遂げられることを知っている。そして、その人を失った時に、どれだけ辛い思いをするかも。
(―フューシャの利益と、私の利益がぶつかってしまったというわけか)
ならば自分の目的の方を優先する。今までずっと、そうしてきたのだから。ヴァリの電脳は冷徹に最後の決断を下した。
「やはり人間は危険な存在だ。久々に思い出させてくれて礼を言う」
ガッと重たい音がして、アキルは膝まずいた。が――膝をつく床は、もうなかった。扉のように開いた床の下、夜空の空中に、アキルは落ちた。
(っ―――!)




