領域が足りない
シアンがしゃっとベッドのカーテンを開けた。シアンはご機嫌斜めだった。
「もう、せっかく今日は私たち、一緒にいられるのよ!予定を合わせるの、大変だったんだから」
起き上がらないフューシャを見て、シアンは諦めたようにばふっとその身を横たえた。ベッドのスプリングが跳ね、シアンの艶めく黒髪と、フューシャの輝く金髪が仲良く跳ねた。フューシャの閉じられた目を見て、シアンはつぶやいた。
「そんなに…つらい?」
フューシャはふっと目を開けた。金の睫毛に縁どられた琥珀色の目が、揺れてシアンを見た。
「ねぇ…なんで私…もうアキルに会っちゃだめなの?」
シアンは優しくたしなめるように言った。
「会ってはいけないのは、彼だけじゃないでしょう。姉さんは他の人たちと交わってはいけないの。あまりに純粋すぎるから」
「それっていつまで?ずっと、なの?」
その言葉に、シアンは目を閉じてうなずいた。
「そうよ…私たちは二人ともそれぞれ違う役目を与えられているわ。それは一生、変わらない。逃げる事なんてできない。ママでさえ、ずっとそれをこなしてきたのよ」
「そうね…私たちは二人でいられる分、まだ楽…わかってるの」
フューシャはシアンの頭をなでた。
「アドナイで戦ってさえいればいい私と違って…ママの後を継ぐシアンの方が大変だって、それもやっとわかった」
その言葉に、シアンは目を見開いてフューシャを見た。
「今まで甘えてばかりでごめんね、シアン…」
頭を撫でる白い手を、シアンは思わずつかんだ。
「ど…どうしちゃったの、姉さん。そんならしくないこと…!」
フューシャはかすかに首をかしげて笑った。どこか痛みをこらえているような、切ない笑い。
「自分のことだけじゃなくて…周りの人の気持ちも、少しわかったの。シアンからしたら、ぜんぜんだろうけど」
アキルが教えてくれた痛み。痛い事は、辛いことだった。けれどそれを知る事ができたからこそ、フューシャは自分が以前よりも少しだけ変わることができたような気がした。
(私…他人のことまで、考える事ができるようになった。いろんな人の気持ちを考えて、知って、行動できるんだ)
その思考原理をあてはめてみれば、アキルがなぜ、もう会わないと言ったのかも推察できた。
(…ばれたら、私も怒られるから。でも心配して、無理して会いにきてくれたんだ)
アキルはフューシャのために、リスクを冒してくれたのだ。
(うれしい…アキル、私の事を忘れていなかった……)
もしかしたら今この瞬間も、心配に思っていてくれるのかもしれない。そう思うと、じわじわと胸の中に広がる感情があった。暖かくて、でも胸がきゅっと締め付けられるような、切ない気持ち。
(ありがとう…アキル。私、あなたが好きなんだわ)
この気持ちを知ったから、きっと自分は今までより強くなれる。自分がアドナイに乗っていることで、この園を、アキルを、守る事がきるのだ。フューシャの心のなかに、ぱっと光が灯った。初めての感覚だった。
(今は会えなくても―――私はあなたのために、頑張るね)
フューシャの口の端に、自然と笑みがのぼった。この気持ちを、ちゃんと記録しておきたい。ベッドから体を起こして、フューシャは端末に少し向かったあと、礼服に着替えた。依然として頭は痛いが、気持ちが元気になったおかげで力が沸いた。
「待たせてごめんね、シアン。仮縫いに行こう!」
シアンは目をぱちくりさせた。
「え、ええ…どうしたの、姉さん」
「だって、シアンの特別な日のためのドレスでしょ?とびっきり素敵なんだよね?」
いつもの調子を取り戻したフューシャに、シアンはほっとしたようだった。
「ええ、もちろんよ。私はいつもの紺色、姉さんはそうね…真っ白な生地に、金糸が縫い込んであるドレスがいいわ。ケープはオーロラ色のチュールね。肩がうっすら透けて綺麗よ」
「素敵!シアンはいつも、お洋服をえらぶのが上手。ね、でも今回はシアンも白で、お揃いにしようよ!」
その言葉に、シアンは面食らったようだったが、ふっと力が抜けたように笑った。
「そうね…お揃いもいいかも。私たち二人で、ママの代わりになるんだものね」
「そうだよ。拝命式は、二人で出るんだもの」
そういって、二人が笑いあったその時。室内に、緊急ブザーが鳴り響いた。
唐突なSDの到来に、2人はあわてて格納庫へとむかった。しかし、フューシャが乗り込んだ直後、赤い表示と共にアドナイは強制停止した。
『緊急信号、伝達失敗、危険信号…!』
フューシャは焦ってそれを見ていた。
(私…とうとうアドナイにも嫌われちゃったの…!?)
しかし、フューシャが出れなければエル、つまりシアンが危ない。彼女の戦闘値は、アドナイよりも遥かに低いのだ。
「動いて!動いてアドナイ!!シアンがSDにやられちゃう!!」
戦闘においては、シアンはあくまでサポートなのだ。アドナイが出なければ話にならない。しかしアドナイのシステムは無慈悲にアナウンスした。
『起動展開のための領域が不足しています』
「領域って、なんの領域?!」
『あなたの頭の中の領域です』
どうすればいいかわからず、フューシャは叫んだ。
「わかったわ、もう何も考えない!」
フューシャはそう言って、制御システムを切った。これであらゆる安全装置も、リミッターも効かない。だかそのかわり、どうなろうとも思い通りに動く。フューシャはカチンと歯を打ち鳴らした。
「アドナイ、発進!」
SD25機を撃破し、アドナイとエルが戻ってきたのは夕刻だった。コックピット内で熱暴走を起こしたフューシャは、もはや原型を留めていなかった。防護服を着たスタッフたちが、フューシャを担架で運んでいく。だらりと下がったその手は、皮膚が爛れて中身が見えていた。それを見て、エルは格納庫で崩れ落ちた。
「う…うそでしょ…」
しかしここでくじけているわけにはいかない。自分は「ヴァリ」の娘なのだ。そう言い聞かせ、シアンはなんとか立ち上がった。この私がそばに付き添わなくて、誰がフューシャの手を握ってやれるというのだ。シアンは急いでフューシャを追って、処置室へ入った。
「状況はどう?」
フューシャだったものにつながれた無数の管の先のモニターは、すべてレッドゾーンを指し示していた。どの数値も厳しい。ルートも動揺しているようだった。
「ヒートを起こしています。このままでは今の身体も、電脳ももちません!」
「指示処理機能が限界値を超えている…補助記憶装置の余裕まで全部なくなって…」
モニターを見て、シアンは歯噛みした。
「体は破棄ね。データは量子コンピュータ内にバックアップがある…今の電脳は、あと何分もつ?」
「5分もないです!」
「わかったわ」
シアンはそう言って、フューシャから伸びたケーブルを自らにつないで目を閉じた。
『フューシャ…どこ?私よ』
薄桃色のガラスで囲われた空間。ここは、フューシャの頭の中だ。ガラスの外はピンクレモネードのような色の夕焼け。フューシャの部屋の窓から見る景色と、よく似ていた。
(そうよね…あの子は空ばかり見ていた。だって私たちが塔に閉じ込めたから)
ぺたりぺたりとガラスの部屋を歩いていくと、目の前に下に降りる穴がぽっかりと開いていた。螺旋になっているその階段を降りると、桃色の空は消えて、ガラスに一つの影が像を結んだ。
(ああ、フューシャの思い出)
一緒に桃色の部屋で絵本を読んだこと。初めて戦闘を行った日のこと。礼拝堂の上空で舞いつづけたこと…映像は昔のことから始まり、どんどん現在へと近づいていく。
不毛の地上の大地、アドナイの上でアキルに水を差しだす彼女。そして、フューシャを押し倒したアキル。フューシャは真っ赤になっている。
(まぁ、あの地上人とは…こんな出会い方をしてたのね。フューシャったら、検査でもバレないように注意して隠していたんだわ)
ルートの監視網をかいくぐるのはそうとう消耗するはずだが、それもわかる気がした。やがて映像はアキル一色になり…庭園でポットを耳に当てているフューシャが映った後、すべては消えた。光も階段も全て消えて、あたりは真っ暗闇になった。
「シアン、私…どうしよう」
その中で、フューシャの声だけが響いた。シアンは動揺を抑えて言った。
「それを聞きにきたの。もう時間がないわ。」
「私が決めていいの?」
その言葉に、シアンは唇を噛んだ。彼女の逡巡を察したのか、フューシャは優しく言った。
「いいのわかってる。私…初期化するのね」




