トイレがない
言い逃れを許さないと言いたげに、彼女はアキルを鋭い目で睨んだ。ここは嘘をついては不利だろう。アキルは正直に言い返した。
「確かに数分話はした。でも、直接接触はしてない。それに俺がどこから来たのかも、誰にも言ってない」
「屁理屈言わないで!接触は接触よ。約束通り、隔離房へ入れるわ」
シアンは唇をぎゅっと引き結んでアキルを見た。怒りを抑え込んでいることがその表情からわかった。しかしアキルは頭をかいて言った。
「そっかぁ…でも俺が隔離房?に行ったら、他の奴が怪しむだろうな」
「他のやつ?何のこと」
「フューシャと話すのに、クラスメイトに協力してもらったんだよ。俺が隔離房に入ったら、奴らは勘ぐるだろうな。フューシャに会ったせいで、上からの介入があったって―」
「そんなの、痛くもかゆくもないわ」
「いいのか?だってこの『園』は地上と違って野蛮な暴力とは無縁の場所なんだろ。知性と公正さが売りなのに、何も悪い事なんてしてない俺が無理やり牢屋にぶちこまれたって知ったら皆不安になるだろうな?あんたや司政官様を不審に思うかもしれないぞ」
「なっ―!あ、あなたは私の言いつけを破ったのよ!」
「お姫様と数分話すことは、そんな悪いことか?それに…」
アキルはシアンから目をそらしてつぶやいた。
「もうフューシャとは会わない。彼女にもそう言った。聞いてないか?」
「そ…そんな事、あの子に言ったの?」
シアンはどこか責めるような口調でそう言った。
「ああ。俺が信じられないなら彼女に聞くといい。だから―教えてくれないか?さっき俺が聞いた事」
アキルの黒い目が、シアンを見上げた。シアンはうろたえて一歩下がった。彼女の頭の中は、さまざまな思いでぐちゃぐちゃだった。
(地上人の制御に失敗したわ―なんとか持ち直さないと、どうしよう、ママを失望させる)
(フューシャが昨日から落ち込んでるのは、こいつの言った事のせいだったのね―!)
(どこまで質問に答えればいい?どう回答すれば、この地上人を掌握できる―…?)
真っ青になったシアンに、アキルは首をかしげた。
「どうした?具合が悪そうだぞ」
「よ…よけいな、お世話よ」
「座ったらどうだ?」
シアンは首を振って、こめかみを指でおさえた。
「大丈夫よーそうね、あなたが本当にもうフューシャと接触しないのなら、教えてあげていいわ」
「しないって」
シアンは浅くうなずいた。
「なら教えてあげる。SD、あの中に入っているのは人間じゃなくて、AIよ」
「…そうだったのか」
アキルは俯いた。では兄たちは、人間ですらないものに殺されたという事か。
「じゃあ奴らは、人類の敵、ってわけか」
「そうね。ここの研究と、私たちを狙っているの。まだ彼らの介入を許していないのは、この園くらいのものでしょうよ」
「他の国は?荒野の外の人たちはどうなっているんだ?」
アキルの真剣なまなざしを受けて、シアンはなぜか怯んだような顔になった。が、すぐに持ち直して続けた。
「依然として紛争を繰り返しているわ。アンドロイドという大きな敵が現れても、人間は一致団結はできなかったのよ。こうなったらもう、どちらも信用なんててできないわ。だから私たちはここを守るの。今の状態では、誰にも園の技術は渡せないもの」
アキルは首をひねった。シアンの言ったことは、ルートや友人たちの言った事と少しずれがあった。彼らはSDに乗っているのがアンドロイドである事など、一言も口にしていなかったからだ。
「それって…この園の人たちは、知らないのか?」
「…知る必要がないもの。SDに乗っているのは、敵。AIだろうと人間だろうと、それは変わらない事よ。あなたには特別に教えてあげたわ。約束を守ってもらうためにね」
「そうか…」
まだ疑問は残るものの、それを言い表す言葉が見つからなかった。とりあえずアキルは礼を言った。
「ありがとう。少しは納得できた気がする」
「ふん」
シアンは答えず、つかつかと去っていった。しかしその足取りは、どことなく元気がなかった。
(あいつもきっと、いろいろ無理してるんだろうな…)
しかしアキルが何か言った所で怒らせるのが落ちだろう。触らぬ神にたたりなし、という事でアキルは再び端末に目を落とした。
「ふぁ…あ、つかれた…」
すっかり日が落ちてから、アキルは図書館を後にした。電子文書とシアンの話から得た知識から、アキルは今の状況を頭のなかで組み立てた。
(つまり…大別すると勢力は3つって事だよな。地上の人間と、園の人間と…アンドロイド)
この園は、アンドロイドは敵として見ているが、地上の人間をいつか助けるために存在している。一方で地上はまだ争いを繰り返し、アンドロイドもそれに一役買っている…という事だろうか。アキルは唇を噛んだ。
(そんな争い…いったいいつ終わるんだよ!?誰かが止めないと、このままじゃ永遠に地上の人間は争い続けて、大地も干からびていくばっかりじゃねぇか)
なぜこの園の人間は、頑なに外への介入を避けているのだろうか?シアンたち以外は、SDの中身も知らないのだ。外と遮断され、情報を制限され、この場所はまるで繭の中のように清潔すぎて息苦しいくらいだ。
(技術を悪用されないためって言っても…これだけの力があれば、いくらだって園の方が優位に立てるだろ!)
やはり、地上の人間を助けるつもりなんて、ないのだろうか。アキルの頭にそんな考えがよぎった。しかし、ならばなぜ、地上を綺麗に戻す技術を研究しつづけているのだろうか?食べれもしない林檎を、栽培しているのだろうか?すべて園でひとりじめにし、自分たちだけ生きながらえるためだろうか?
(でも…この園のやつは、皆いいやつなんだよな。フューシャも、サムも、アロンも…。俺の事を嫌ってたルートって奴ですら、最低限親切にしてくれた)
地上から来たアキルからしたら不気味なほどに、ここには喧嘩や諍いがなかった。アキルのような毛色の違う存在も、何の抵抗もなく受け入れてくれた。皆個性はあるが、一様に親切で公平だ。彼らのその根本はすべてつながっているような気がした。そう気が付くと、今まで感じていた違和感がいっきに噴出した。
(同じ人工子宮生まれ、食べれない林檎、フューシャが食ってた不味い飯、)
本当にそれは人工子宮なのだろうか?あの食べ物の成分は何なのだろうか?疑惑は次々と疑惑を呼ぶ。
そして極めつけの不可解な事は…この園では、誰もトイレに行かないのだ。
(どうしてアキルは、私ともう話さないって言ったの?)
もう嫌いになった?でも、手紙をくれた。なのに何で…?
ここ数日、フューシャは同じことを100回くらい考えていた。答えが出ない事をぐるぐる考え続けるなんて、戦闘訓練でも学習でも経験したことがなかった。フューシャの頭は時を追うごとに熱く重くなっていった。けれど行き着く気持ちはいつも一つ。
(アキル…また会いたいよ)
そう思った瞬間、ずきんと頭が痛む。その痛みにアキルの言葉を思い出して、また胸がえぐられたような気持ちになる。
(痛みを我慢するな―って、でもアキル…)
アキルがまたあの手で撫でてくれれば、きっとすぐに良くなるのに。寝入りしなに自分の頬をそっと撫でたあの手つきを思い出して、フューシャはぎゅっと自分の身体を抱きしめて震えた。
(…会いたい)
抱きしめられて得る温かさを知ってしまった今、以前よりも孤独に耐えることが辛くなってしまった。
(さびしい。こんな気持ち…みんななるのかな?)
フューシャは身の回りの人達の事を考えてみた。ママのことは、あまりに強大で分析できない。ルークは、寂しさなんて感じない気がした。だがシアンは、寂しいというフューシャの声をいつも聞いてくれた。仕事に忙殺されている彼女は、いつもどこか不安定な所があった。アキルの事が判明して以来、彼女の不安は強くなったようだった。
(ごめんね…シアン、私のせいで、不安にさせて、仕事も増やした…)
以前のフューシャだったら考える事はなかった。身を切られるような切実な思いを経験して、フューシャは初めて妹の不安や孤独について考えた。
(シアンも…大変、だよね。ママはシアンにいろんなものを背負わせているんだもの。でも…それでも、私はアキルに会いたい。大事なシアンにいけないって言われてるのに、この気持ち、消せないの…)
しかし、考えるほど、そう思うほど、頭痛がどんどん強くなる。フューシャは耐えきれなくなってベッドに身を投げて目を閉じた。ひとりぼっちの静寂がフューシャの身体に重くのしかかる。
しかし次の瞬間、その静けさは破られた。
「姉さん!もう時間よ。すぐ支度して!」




