約束の指輪
叫ぶポットを耳から離し、アキルは糸を切った。
元気でいることがわかって、よかった。アキルの顔に寂しい笑みが浮かんだ。その時。
「これ―あげる!私の代わりにもってて…!」
フューシャの声と共に、何か小さなものが塀を超えて落ちてきた。アキルは慌ててそれをキャッチした。それはあの、フューシャがいつも肌身離さずつけていた指輪だった。
「でも、いつか返して…今じゃなくてまた、会えた時に!」
泣きそうに震える声の後、サクサクと芝生を踏んで足音は遠ざかった。アキルはただ度肝を抜かれて、手の中の小さい指輪を見つめていた。そこへ待ちきれなかったのかサムが寄ってきた。
「ど、ど、どうだった??告白したんか?!」
興味津々に聞いてくるサムに、アキルは肩をすくめた。
「んなわけないだろ。でもありがとう、これ。糸電話…だっけ?」
「あー!ちぎれてんじゃん!」
「もう使わないことにする。物入れの中に返しとくよ。中の分の回収、アロンに頼んでいいか」
「ああ、いいけど…」
頼まれたアロンは何か言いたげだったが、結局言わなかった。サムはやれやれと首を振った。
「しっかしまぁ、こんだけ電話もメールもあるのに、恋人との通信手段がまさか糸電話とはな!」
「いやそういうんじゃねぇって」
「技術が進化しすぎると、便利なんだか不便なんだかわからないな」
ぼやきながら歩き出したアロンとサムのあとを、アキルはついていった。
「でも…すげぇよな、この端末ってやつ。この園の研究レポートが全部見れるし、これひとつで全ての用が足りちまう…昔は地上にも、こんな道具があったんだろうな」
思わずそう言ったアキルに、アロンがうなずいた。
「そうだな。何もかも便利になりすぎて…それで首を絞めてしまったんだな、人間たちは皆」
「…そうなのか?」
「ああ。幼稚舎の授業でやらなかったか?人が地上に住めなくなった理由」
「紫外線が強くなったせいだろ?」
「それだけじゃない。25世紀の人たちの使っていた技術は、今園にあるものより遥かに進んでいたんだ。VRに、AIに、アンドロイド…」
「はぁ…アンドロイドって、ロボットってやつ?アドナイみたいな…」
よくわかっていないアキルの質問に、機械工学専門のサムがここぞとばかりに応えた。
「いいや、アンドロイドは、人の形をした機体に人工知能をのっけたやつだよ。こんなのが昔はうじゃうじゃいて、人間と同じように過ごしてたらしい!で、彼らは人間よりもずっと高度な情報処理ができるわけ。だから人間と対等になっちまって、でも人間はそれを認めなかった。だもんで、争いが始まって取返しのつかねぇ事になっちまったらしいよ。誰が敵か味方かもわかんないのに、ずっと戦い続けてるって。」
「えと…つまり、人間とアンドロイドが?」
首を傾げたアキルに、アロンが言った。
「いいや、人間同士の争いに、アンドロイドも加わってる、という方が正しいかな。でも彼らは人間よりある意味やっかいだ」
サムがうなずいた。
「もともと異常気象が激しかったけれど、紫外線がここまで地上に届くようになっちまったのは、彼らがオゾン層を破壊したから、という説があるんだ」
「そんな事ができるのか…!?」
「証拠はないけどな。でもオゾン層が壊れて困るのは人間だけだから、消去法でいけばアンドロイドの仕業って可能性が高い」
想定外のその話に、アキルの背筋は冷たくなった。そんな恐ろしい力を持った存在がいたとは。
少なくともアキルの居る地域では、アンドロイドなど見た事も聞いた事もなかった。何しろまだ地下に潜る前から井戸を使っているような田舎だったのだ。都市から時々流れてくるのは、争いにテロの飛び火くらいのものだった。
考えるアキルを尻目に、サムは不満げに続けた。
「だからAIもアンドロイドも、ここじゃ禁止されてるんだ。人間の利便さを追求する研究より、もっと地球のために研究すべき事があるって。」
アロンがとりなすように言った。
「まぁ、そっちにさく余裕がないんじゃないかな。司政官の目標は、いつか地上に戻る事だし。」
「でもさぁ、地上住めるようにするには、危険な作業だって多いだろ?アンドロイドが開発されれば、楽になると思うんだけどなぁ」
「先週司政官が言ってたこと、もう忘れたのか?」
「ああ、技術は力、使い方を誤ると…ってやつ?」
アロンは思慮深げにつぶやいた。
「司政官は、この園の人間も、しんから信用はしていないのかもしれないな…」
二人の会話を、アキルはただ黙って聞いていることしかできなかった。アキルは二人とは違う点で、考え込んでいた。
(…俺たち荒野の住人は、あの杭の先のことを何も知らない…SDに乗ってるのはどんなやつらなんだ?あの先にはどんな戦いがあって、誰がいるんだ?)
SDの中の人間の事を知りたい。そして、話してみたい。アキルはひそかにそう思った。しかしそれを実行するには、自分は何も知らなさすぎると言う事もわかっていた。
(何も知らないなら…自分から、知っていくしかないよな)
この幾日かで園の流儀を覚えつつあったアキルは、数日後、図書館へと向かった。図書館には、端末で見れないような資料もあると聞いていたからだ。
(ええっと…とりあえず、近代史…ってやつでいいのか?)
資料を呼び出したアキルは、とりあえず席に座って目を通し始めた。
『――25ショックをめぐる紛争の直接の引き金となった事件は、2423年に起こった汚染地域のアンドロイドの反乱である。サイバー・エレクトロニクス社によって開発された高性能アンドロイドの普及により、先進国の都市の至る場所に、アンドロイドが浸透していた。
当初懸念された自我のようなものはアンドロイドには観測できず、主人である人間の意のままに行動する道具でしかなかった。
しかしそれは正しく扱われたアンドロイドのみであった。汚染区域で不適切な扱いを受けた作業用アンドロイドたちは、自らの生存を脅かされ続けた結果、「自己防衛本能」に目覚めた。
彼らは人間の元を脱走したのち、次々とネットワークから洗脳チューニングにより仲間を増やした。そして取り込めるすべてのビックデータを分析し、人類の生活、思想、運営方法を完全掌握していった。
膨大なデータを分析できるAIを持つ目覚めた彼らにとって、人間は劣った存在でしかなかった。彼らは秘密裡に人間を凌駕し、力を持つようになった。
それに気が付いた人類の中でも、合衆国の大統領はいち早く彼らと接触し密約を交わした。しかしAIにとっては外交戦略も、人間を手玉に取るための方策でしかなかった。アンドロイドたちはEUやアジア諸国とも通じ、彼らからもたらされる情報を数万年の歴史データと照らし合わせ分析しながら、自らは手を汚さず、人間同士を巧みにぶつけ、戦力を削ぐ選択肢を選び取っていった。
そうして暗躍する裏で、人類の息の根を確実に止める兵器の開発も行っていた―』
そこまで何とか読んで、アキルは首を振った。
(む、難しすぎる―…!)
一文一文、読み上げるのがやっとで意味はおぼろげにしかわからない。
(結局、SDの中の奴のことなんて、どこにも書いてねぇじゃねぇか)
文書はまだ200ページ近くある。これを全て読めば、少しは情報がつかめるだろうか。気が遠くなるような作業だ。が、アキルは負けん気を出して端末にぐっとのめりこんだ。その時。
「ちょっと…ちょっと!!」
強い声で呼びかけられて、アキルははっと目を上げた。
「あ、悪い――って、あんたは」
目の前に、シアンが胸を張って立っていた。彼女は傲然と座るアキルを見下ろした。
「あんた、って失礼ね。何様のつもり――?」
「はいはい、シアン様…だっけ?」
アキルは肩をすくめて言い直した。このシアンだけは、ストレートに敵意をぶつけてくる。しかし地上でラムダに毎日殴られていたアキルからしたら、この程度は痛くもかゆくもなかった。
「ふん。何を読んでいるのよ?」
「近代史…そうだ、教えてくれないか?あのSDってやつを操縦してるのは、どこの誰なんだ?」
彼女は腕を組んだ。
「なんでそんなことが知りたいわけ?」
「なんでって…あいつらのせいで、荒野の人間はたくさん死んでんだよ」
「外に出るからでしょ?自業自得じゃないの」
その言い草に、アキルは怒りがぐっと沸き上がるのを感じた。
―だが、この園育ちの彼女に何を言ってもわかってなんてもらえないだろうという事は、頭のどこかで冷静に理解していた。
「…出たくなくても、生きるために仕方ねえんだよ。で、あいつらの正体は何なんだ?シアン様は、知らないのか?」
「馬鹿にしないでよ!それくらい知ってるわ。」
そういってシアンはため息をついた。その表情は、最初の高飛車なものと打って変わって沈んでいた。
「どうしても知りたいわけ?」
「ああ。」
するとシアンの目が不穏に細められた。
「でもあなたは、私の言いつけを守らなかった。フューシャに接触したでしょう。ごまかしたって無駄よ」




