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エデン近似値 ー俺に一目惚れした兵器の少女が、壊れるまで愛してくるー  作者: 小達出みかん


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11/12

だいすきお姉さま

 フューシャは部屋で一人、ため息をついた。何をしても気持ちは晴れない。ぬいぐるみを抱きしめても、指輪を眺めても、ドールハウスの人形たちを並べても、もの寂しさが増すだけだった。


「シアン…フューシャ…それにママ…」


 指輪は、シアンともママともお揃いの、フューシャにとって大事なものだった。紅い宝石は、どんな光の下でもまばゆくその表面を輝かせる。しかしフューシャはぱたりと手を下ろした。次にいつも遊んでいたように、フューシャはミニチュアの人形を動かした。大きな窓の前にはママ、天蓋のついたベッドには自分、桃色のソファにはシアン…。ドールハウスの室内は、フューシャがいるこの桃色の部屋をそっくり模したものだった。


 実際はこの部屋に一人でも、ドールハウスのフューシャの部屋には、いつも家族が集っている。それが嬉しくて、フューシャはよくこの人形たちで遊んでいたものだった。そうすれば、寂しい気持ちもいくらかやわらいだのだ。だけど今は、何をしてもアキルの事が頭に浮かんでしまう。


(何してるかな…アキル)


 いきなり彼と引き離されてから、フューシャの頭はずっと彼のことばかりだった。

 誰かにナイフを突きつけられた事なんて、初めてだった。押し倒されたのも、脅されたのも。それなのに、フューシャはまた彼に会いたくてたまらなかった。


(学校にいるって本当かな。探し物は、みつかったのかなぁ…)


 彼を助けて「ありがとう」と言ってほしかった、それだけなのに。フューシャの胸がぎゅっと痛む。


(私のことなんて、もう忘れちゃったかなぁ……)


 彼を連れていかれるのが嫌で、あの時は子どもみたいに泣きわめいてしまった。それを見て、アキルはとまどっていた。目を見交わしたのは一瞬だったが、アキルが泣きじゃくるフューシャの心配をしているのがわかった。


(怖いところもあるけど……本当は、アキルは優しい人なんだよね)


 素気なくて、フューシャよりも強そうなのに、彼は体の内側のどこかに、強く握ったら壊れてしまいそうな危うさを隠していた。その脆い部分が、時折黒い目の上にふっと露わになるのだ。傷つきやすそうな彼のその目。


(検査の夜…一緒に寝てってお願いしたら、アキルの方が辛そうな顔、するんだもん…)


 『痛み』というものを教えてくれたアキル。その時痛かったのはフューシャなのに、彼の方がよほど辛そうな顔をして、フューシャを抱きしめていた。


(あのとき、ぎゅっと抱きしめ返せばよかった――大丈夫だから、そんな顔しないでって)


 そう伝えれば、彼は辛い顔をやめてくれただろうか?「わかったよ」と笑ってくれただろうか? あの時の光景を何度も何度も頭の中で繰り返すけれど、その先は自分のこしらえた妄想。「抱きしめ返したい」という思いばかりが、行き場をなくしてどんどん膨れ上がる。


(また会いたい、アキル……)


 あの時アキルの腕に抱きとめられた瞬間、フューシャの身体の中のどこかの蓋が、開いてしまったのだ。

 開いたその穴から、何かがあふれ出す。熱い液体みたいに、止まる事なくどんどん流れ出て、ぐずぐずになって体がしびれたように陶然とするのだ。早くどうにかしなければ、液体が溢れて破裂してしまうかもしれない――。


(私…どこかおかしくなっちゃったのかな)


 もともと足りない部分が多くある自分なのに、さらに変になってしまったらどうすればいいのだろう。またフューシャはため息をついてうなだれた。その時。


「ちょっと姉さん、まだ食べてないの?パウチが外に置きっぱなしよ」

「あ…ごめんなさい」


 入ってきてパウチを差しだしたシアンに、フューシャはうなだれたまま礼を言った。それを見て、シアンは心配気な顔になった。


「大丈夫?今朝のSDは、しつこかったから―…」

「ううん平気。シアンが怪我しなくて、よかった」


 そういうと、シアンは少し微笑んでフューシャの隣に腰かけた。


「…姉さんが助けてくれたから」


 戦闘のあとは、シアンはなぜかいつも機嫌がいい。それを見て、フューシャも少し微笑んだ。


「当たり前だよ。だってシアンは大事な…」


 そこでフューシャは迷った。自分にとって、シアンは何?


「なによ、なんでそこで止まるのよ」


 少しむくれたシアンに、フューシャはとぎれとぎれに答えた。


「私、お姉ちゃんなのにしっかりしてないもの…だからシアンの事妹って言うの、ちょっと恥ずかしいの」

「そんな事ないわ。私…私は姉さんの妹でいたい」

「そう…?こんな、頼りない私でも?」


 フューシャはそう言ってシアンを見上げた。するとシアンは目を見開いた。


「どうしたのよ…いつも明るい姉さんが、そんな事言うなんて」

「だって…私、学校にも行けないし。シアンとちがって、何でもちゃんとこなせないもん…」


 シアンはフューシャの手を取った。


「姉さんは姉さんのままでいいの。ありのままでいて。私みたいになる事ない。私は…今までの姉さんが好きだもの」

「そう…?」

「うん。だから言って。私は姉さんの大事な…何?」


 やっとフューシャは微笑んだ。小さい笑みだったが。


「シアンは…私の大事な家族。たった一人の妹だよ…」


 その言葉に、シアンは蕩けるような笑みを浮かべてフューシャを抱きしめた。


「姉さん…」

「なに?」

「私たちは、ずっと一緒よ。だから心配なんてすることない。ね?私にまかせて」


 安心させるようなその声に、フューシャはなんとか笑顔をつくってうなずいた。


「うん…シアン」


 しかしフューシャの予想に反して、シアンは笑い返してくれなかった。


「姉さん…」


 その声はかすかに震えていた。


「どうしたの?シアン…」


 シアンは肩の震えを抑えて目の前のフューシャを見た。

 今までシアンが励ませば、フューシャは明るく笑ってうなずいていた。一点の曇りもない、清浄で無垢な笑みをシアンにくれた。なのに今は。


(そんなに…そんなにあの地上の男のことが、気になるっていうの…!?嘘よね、嘘っていって…!)


 我慢がならなくなったシアンは、低くつぶやいた。


「姉さんいい事教えてあげる。今週末は、礼拝よ」

「え?それっていつもの事―――あ」


 フューシャは何かに気が付いたように口を手にあてた。その顔からはさきほどあった憂いは吹き飛んでいた。


「そっか…!礼拝なら、いいよね?この園の人みんなが、来るんだもの…!」


 とたんにキラキラと輝きだした琥珀色の目を見て、シアンは目をそらした。


「私もう行くわ」


 フューシャの部屋をあとにして、シアンはぎゅっときつく拳をにぎりしめた。


(そう―…やっぱりそうなんだ…)


 姉が変わってしまった事を、シアンは最初の通話の瞬間から気が付いてた。


(気が付かないわけがないじゃない。だって私は…)


 ずっとフューシャだけを、見てきたのだから。シアンは爪痕のついた手をひらいて、じっと見た。


(姉さんは、私がいなくちゃダメなのに。アドナイに乗っている時も、降りている時も―…)


 フューシャは昔から頼りなかった。自分一人では服も選ぶことができないほど幼く、寂しがりだ。今でもシアンの添い寝を求めているくらいに。

 だからこれからもこれまでも、フューシャの着る物はすべてシアンが選ぶし、許される時間は全て一緒に過ごす。だが…


(最近忙しくて姉さんの部屋に行けなかった…。修練すら一緒にできないんだもの)


 シアンはフューシャとする修練が好きだった。あんなに頼りないフューシャだが、ひとたびアドナイに乗り込めば無敵だった。巨大な手足を自分の手足のように動かし、飛翔し、敵を撃ち落す。模擬戦闘では、いつもシアンが叩きのめされる。

 いくら避けても、攻撃に転じても、フューシャは戦闘においては先の動きを全て読んでシアンを圧倒する。意識が遠のくほどの戦闘は白熱し、最後、シアンの集中がぷっつり切れる直前、ここしかないというタイミングで、フューシャの繰り出す見事な一撃がシアンの機体に沈む。電動の衝撃が体に走り、完璧な負けに平伏す瞬間、シアンは言い知れぬ快感を覚えるのだった。


(この私でも、どうやっても姉さんには勝てない…!)


 シアンが頭をフル稼働し、体を限界まで動かしつくしても、フューシャはやすやすとその上をいく。そしてフューシャに叩きのめされる時、シアンは仕事も不安も何もかも忘れて彼女のむき出しの力に身を任せる事ができるのだった。天使のようなフューシャから繰り出される一撃に負けるのは、体の全部がほどけてバラバラになるように気持ちがよかった。痛みと衝撃が、シアンの身体の存在を強烈に感じさせ、自覚させてくれる。


(ああ、私…ちゃんと生きてるんだわ!)


 そしてコックピットが開き、物理衝撃で動けなくなった(ふりをしている)シアンに、フューシャはその白い手を差し出すのだ。


「ありがとうシアン。よく、がんばったね」


 シアンをぎゅっと抱きしめて、フューシャはいつもそう言うのだ。その瞬間のために、シアンはヴァリから任される厳しい仕事も、責任の重さを感じる役目も、頑張る事ができていた。


 フューシャの腕の中は、いつだって甘く柔らかい。シアンにとって、世界一安心できる場所だった。

 その場所が脅かされる危機を、今シアンは迎えている。端末で報告を受けながら、シアンは一人念じた。


(そうよ、大丈夫。もう二人が会う事はないわ。あの地上人が何かしたらすぐにわかるんだから―――)



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