素手でも倒せます!?
「皆殺し」というメッセージは強すぎたかもしれない。
エルフのミルトンの頬がピクリと動き、好々爺にしか見えない魔法使いのレウェリンの顔も一瞬強張った。
急に心臓がドキドキしてきた。
私が転生したオデット・ルネ・デスローズは、女魔王として育てられたのだ。前世の私と違い、言葉使いもどちらかというとサバサバして男性っぽい。容姿はメリハリのあるグラマラスボディなのに、気質は魔王。
もし前世の記憶が覚醒しなければ、こんな風にドキドキすることはなかった。ただの女魔王オデットであれば、「皆殺し」という言葉に、ここまで過剰反応することもなかっただろう。
でも、今は違う。
前世のどこか気弱な私が顔をのぞかせている。会社の先輩から何か頼まれ、断れない弱気な私が。
会話では完全に女魔王オデットだ。だが心の中では、前世の私と女魔王オデットが混雑している。「~かしら?」とか「~なの?」なんて、オデットは使わない。でも前世の私はそういう思考だった。
前世記憶が覚醒した直後だからか。
時間が経てば、二つの人格はうまく融合するのだろうか?
融合することが正解なのだろうか?
敗戦国となり、捕虜となった今。
前世の押しに弱い私では、やっていけない。
それに。
女魔王オデットに転生したのだ。しかもラスボスとして散るはずが、命はまだある。
前世で弱気だった私が女魔王オデットに転生した。
これには意味があるはず。
前世の人格を引きずり、気弱なままでいいの?
それは……違うと思えた。
この転生を無駄にするわけにいかない。
ここは生き残った女魔王オデットとして、堂々としよう。
大きく深呼吸をして、気持ちを固めた。
「勇者シリル」
自分でも驚くほど、落ち着いた声を出していた。
シリルも一瞬、ハッとしたように思える。
「答えて欲しい。私はこれでも魔王の娘。王女だ。……もう王女ではなくなる身分であるが、気持ちとしてはまだ国の上に立つ者の一人と思っている。未だ戦っている魔族もいるかもしれないが、セインの自害を受け、多くが降参していると思う。できれば問答無用で処刑にするようなことは、しないで欲しい」
これはオデットの望むことであり、私が望むことでもある。
だからだろう。
緊張せず、すらすらと話すことができた。
「奴隷として迫害するのではなく、せめて職に就かせてくれないだろうか。魔族であり、兵士や騎士として戦っていても、そこは人間と変わらない。家族がいて、子供がいる父親でもある。誰かの息子であり、夫だったり、兄だったり、弟であったり……。それは人間と一緒だ」
そこでこれはオデットとしても、私としても強く願うこと。
「知っての通り、魔族の女は人間の女と変わらない。珍しい銀髪と赤い瞳を持つが、その肉体は人間と同じであり、魔力も持っていないんだ。あんな風に……」
そこでペルとシアの姿が浮かび、唇を噛む。
「分かった。君が言わんとすることは理解した。特に兵士達の狼藉はひどいものだった。全員、軍法会議にかけ、犯した罪の報いは受けさせる。それに捕虜となった魔族についても、善処すると約束しよう」
「シリル……!」
これには思わず頬が緩む。
寛容な人間だと思ったが、なんて話の分かる人間なのだろう、このシリルは!
そうだ。
前世のゲームにおいても、シリルは勇者なので、文句なしでダントツの人気だった。でもその理由は、彼が勇者でイケメンだから、だけではない。性格もすこぶるよかったのだ。誠実で真面目。信頼できる勇者だった。
「ふむ。お嬢さんは、魔王の娘で、王女であったわけじゃが。捕虜にした魔族のことをまず心配するとは。普通であれば、自身の身の上を気にするであろうに。魔王も騎士団長も、すべて放棄して自死を選んだ。だがお嬢さんは、違うのじゃな。生き残った王族の一人として、魔族全体のことを考えておる」
ルーベントは仕方ない。彼は本物の魔王ではなかった。元々舞台俳優で、魔王を演じていたことがあっただけで、名ばかり魔王に選ばれてしまったのだから。
セインについては……。
毒。
どうしてもセインと毒が結びつかない。ましてや毒で自害だなんて、悪い夢でも見ているようだ。
「あの魔王ではなく、お嬢さんが女魔王として戦場に立って指揮をとっていたら、この戦の結末は変わっていたかもしれぬのう」
ゲームにおけるレウェリンは、親しみやすい話し方をするが、腹を割った相手以外、褒めることはない。まさかこんな風に褒められるとは。
「それは……買いかぶりだ、魔法使いのレウェリン。私は今、牢屋に入れられているわけでもなく、拷問を受けているわけでもない。だからまだ、魔族のことを考えられているだけだ。追い詰められたらきっと」
「それはないだろう。君なら例え、自分がどんな苦境に置かれようと、自分よりも民草を優先すると思う」
サラッと言われたシリルの言葉には、オデットとしても前世の私としても、ドキッとしていた。
なぜそんな風に、今日会ったばかりの私を評価できるのか。
そういえば勇者には、真贋のスキルがあったはず。
真贋のスキル。
それはゲームにおいて、敵の隠れステータスを見るためのスキルだった。もしかするとこのリアルな世界では、相手の本質を見抜けたりするのだろうか?
いずれにせよ、今のシリルの言葉は、とても嬉しかった。
私の中で勇者シリルの株は急上昇していたのだが……。
勇者シリル、エルフのミルトン、魔法使いのレウェリンが、私のいる天幕に来た時は、何をされるのかと思った。蓋を開ければ、一応あれは尋問だったのだろうが、有意義な会話ができたと思う。
さらにエルエニア王国の王都エルグランドまでの道中、私は敗戦国の王族とは思えない待遇を受けることになった。歴史を紐解くと、敗戦国の王族は、見世物のように運ばれることもあったという。荷台に積んだ檻の中に入れられて。
だが私の場合はどうか。
移動は馬車で、三度の食事を与えられ、野営では専用の天幕を与えられた。泉で水浴びもできている。レダとレオンと一緒に、散歩をすることもできた。
自分が捕虜であることを忘れそうだった。
さらに、様々な噂を耳にすることになる。まず王宮にて、魔族の女性に対し、乱暴を働いた兵士。彼らには厳罰が課されることが決定し、王都に到着と同時に強制労働が課せられるという。その決定に、逃亡を企てる者も現れたが、それは軍の規律に反すること。問答無用で死刑だった。
王宮の宝物庫から、勝手に宝飾品を盗んだ兵士も罰せられることが決まっている。自主的に返還すれば、罪は問わないが、隠蔽したり、嘘をつけば……。牢屋に入れられることになる。
王都へ戻る道中で、こんなにいろいろな決定が下されるのは、異例のこと。でも軍部へシリルが働きかけることで、スピーディーな決定につながったという。
さらに捕虜となった魔族はあまりにも数が多く、収容所で受け入れが終わらない。そこで捕虜交換の手続きが早急にスタートしたという。
身代金と引き換えで、少しずつ捕虜の魔族が故郷へ戻っている。ただし、首には魔法使いが用意した、魔力を抑えるチョーカーをつけられているという。魔術を行使すると、それは通報され、場合によって逮捕されてしまうというが、これは仕方ない。魔族による問題行動が減れば、このチョーカーも廃止されるそうだ。
さらに捕虜収容所についても、虐待がないか、抜き打ちで内部監査が進められているという。これを提言してくれたのはシリルだった。エルエニア王国の国王は、魔王討伐の立役者であるシリルの進言を快く受け入れたそうだ。
勇者シリルは有言実行。
ある意味、暗黒の国アビサリーヌは、彼の指揮で陥落したことが、正解だったのかもしれない。彼でなければ、今とは想像できない壮絶な体験をすることになったのでは?と、悪寒が走る。
そんな風にさえ思えた最中、王都到着は目前だった。
エルエニア王国の王都はとても大きく、その広さは中核都市の二つ分はあるという。そして王都の入口となるエリアは、王都というには牧歌的だった。牧草地が広がり、その手前は森が広がっている。
「この森には“沈んだ森”と呼ばれる場所があるんです。雨が多いこの季節、木の半分ぐらいが水に沈み、とてもファンタジーなんですよ。見に行きますか、王女様?」
この頃になると、女騎士レダとは、古い知り合いかと思うぐらい、仲が良くなっていた。そしてこの“沈んだ森”を見に行こうと言う提案にも、快諾だった。
森に入るので、ミドル丈のブーツを履き、通常より短めのラズベリーレッドのワンピースに着替えた。レダは、髪はいつも通りのポニーテールだ。服は、白シャツにグレーのズボン、さらにシルバーのマントを羽織っている。さらに腰には剣を帯び、当たり前のようにエスコートしてくれるのだ。
だが私達二人の先頭を行くのは、レオンだ。
尻尾を振りながら、時々こちらを振り返り、先へ先へと進んでいる。
「この森、クマも出ると言われていますが、安心してください。私、クマぐらい、素手でも倒せます」
それは確かに前世ゲームで見た光景。まさかの背負い投げで、レダがクマを撃退するシーンを見た時は、驚愕した。でもそれが女騎士レダなのだ。
ただ、私も女魔王。
いざとなったら魔術を使い、魔獣でも召喚すれば、クマなんてちょろい。
とはいえ、今のところ、魔術を使う機会はなかった。
セインの元へ向かうという目的は失われ、逃亡する気持ちはとうの昔になくなっている。それに自分だけ逃げるのは……。今、捕虜になっている魔族に申し訳が立たないという気持ちもあった。
魔王の娘、王女として、果たすべき役目はある。王都へ向かい、問われる罪について自分なりの考えを述べ、そして受けるべき罰があれば、受ける気持ちになっていた。
「ほら、見えてきました。あそこです」
「これは……すごいな」
レオンのことを抱き上げ、眼前に広がる景色を一緒に眺める。
平時はそこはただの森なのだが、今のこの季節、その辺りは湖のように雨水が溜まっていた。空を映し、ターコイズブルーの湖のようになったそこには、木々の幹が半分ぐらい水没している。でも木は枯れることなく、青々とした葉をつけていた。
水没林。
前世でも写真で見たことがある。雪解け水が流れ込んだダムが満水となり、周囲の木々が水没しているように見えるのだ。とても神秘的な景色だった。
「ありがとう、レダ。こんな美しい景色を見せてくれて」
明日はいよいよ王都へ入る。そこで自分がどうなるのか。
魔族と人間の戦いは、私が始めたことではない。数千年前、種族や価値観の違いで、戦争は始まってしまった。修復は不可能で、もはや勝敗がつかないと、収拾はつかない状態。
もしあの黄金のドラゴンが登場する前に、前世の記憶が覚醒していたら、和平の道を進むことができのだろうか?――そんな“もしも”を考えても仕方ない。
もう時は戻らないのだ。
二度とこの景色を見ることは、できないかもしれない。
しっかり目に焼き付けよう。
そう思って、“沈んだ森”を眺めていた時。
不穏な気配を察知した。






















































