同情? 愛情?
今晩先に、婚姻関係を結んでおきたい。
「え、えええええ」
「驚かれますよね。無理もないと思います。ですがエルエニア王国では割とよくあることなんですよ。ずっと戦争状態が続いていましたよね。よってすぐに婚姻関係を結べるように当人同士の意思のみで、書類にサインすればいいんです。勿論、王女様と勇者の結婚ですから、盛大なお式は後日、しっかり執り行います。ですが、既に国王陛下から許可は出ていますし、簡易で司祭を呼び、参列者は……まあ、私でしょうか。ともかく神殿でシリル様が」
「ちょって待て!」
椅子から立ち上がり、レダの両肩をがっしり掴む。
「こ、婚姻関係を結ぶというのは、そ、その書類にサインを結ぶだけか!?」
「はい。基本的には。あとは人により、司祭を立ち会わせ、誓いの言葉とキスぐらいする方もいますかね」
「そ、そうなのか。それだけか……」
レダは指を顎に当て「うーん、そうですねぇ」と考え、「それだけだと思います!」と微笑む。
「何せ明朝一番で出発が決まり、実は今、準備に皆さん、追われています。本音を言わせていただければ、婚姻関係なんて結んでいるところではないだろう!なんですよ」
それはそうだろう。これから戦に向かうというのに。
しかも総大将も同然なのに!
「でもだからこそ、でもあるのです。戦場に向かうが、結婚もした、絶対に生きて戻って来る……そんな意味あいも含め、婚いうわぁぁぁ」
掴んでいたレダの肩を思わず大きく揺らし、尋ねてしまう。
「そんなに今回の討伐は危険なのか!? カイテリアはただの青二才だ。しかも率いているのは残党のはず。生きて戻れない程、危険だというのなら、私も共に向かおう! 私がカイテリアを説得する」
「お、王女様、おち、落ち着いてください」
「だがシリルが命を落とすかもしれないのだろう! それを黙って見過ごすわけにはいかない! シリルを死なせるわけにはいかぬ。だから私もヴィレンドレーへ行く!」
次の瞬間。
ぎゅっとレダに抱きしめられ「?????」と固まる。
「王女様はそこまでシリルのことを……。シリルの部下として感無量です。ですが王女様、安心してください! 有象無象の統率のとれない残党など、造作もなく倒せます。今回、婚姻関係を急いだのは、王女様の身の安全のためです」
「へ?」
「王女様が、とある令嬢からいろいろ言われたことは、侍女からシリルに伝わっています」
それはもしやヴィヴィアンヌのこと……だろうか。
そうなのだろう。
「彼女のような妬みもそうですが、魔族に対する偏見だってないわけではありません。今はシリルも王都にいて、フィオナ様やミルトンの婚約、戦勝のお祝いムードもあり、表に出ていませんが……。魔族に夫や息子を殺された……という声もゼロではないのです。そんな状況の中、王女様をそのまま置いて王都を出るのが、シリルは心配だったのですよ」
「なるほど。シリルの……勇者の伴侶という盤石の立場になれば、さすがに恨みを持つ者も手を出せないと?」
「そうです。しかも国王陛下が直々に二人の結婚を認め、しかも既に成立した婚姻関係ともなれば……。もし王女様に手を出せば、それは国王陛下の意向にも逆らう、反逆の意志ありと認められます。そうなればこの国で生きていく意思があるならば、迂闊に手を出すことはしないでしょう」
残していく私のためを考えて、シリルは急遽婚姻関係を結ぶことを決めた。
これは私が殺されないようにするための、同情なのだろうか?
それとも……愛情と捉えていいのだろうか?
同情だろうと愛情だろうと、婚姻関係を今から結ぶ――は決定事項だろう。
それならば言われた通りにするしか……。
――「往生際が悪いぞ、オデット!」
叔父であるキルの声がよみがえる。
同情なのか、愛情なのか。
それはシリル本人に聞くしかない。
◇
神殿へ向かうことが決まると、侍女とレダの間で小さな一悶着があった。
それは……。
「盛大なお式は後日挙げることは理解しています。今日は司祭立会いの元、書類にサインを入れることがメインなのでしょうが……。せめて白いドレスに着替えてからではダメですか!?」
「うーん。でもドレスって着替えるのに時間がかかりますよね? それにドレスを着替えたら、やれ髪型を変えたい、お化粧も整えたいとなりませんか。それに侍女の皆さんは間違いなく、磨き上げたくなると思うのです。プロフェッショナルとして。つまり一度手をつけたら、完璧にするまで止めることができないのでは?」
「うっ、それはおっしゃる通りですが……」
この様子をレオンを抱っこし、眺めていたが。
私にとって、一生に一度のことと、知り合ったばかりなのに、侍女も頑張ってくれている。
どうしたものかと困っていると、レダが「分かりました。こうしましょう!」と提案した結果。
部屋に魔法使いのレウェリンを呼ぶことになった。
突然呼び出される形になったレウェリンだが、いつもの白のローブで、手には杖を持っている。「まったく魔法使いの扱いが荒いのう」とぼやくレウェリンに、レダは呼び出した理由を説明した。
つまりは急遽、シリルと私は婚姻関係を結ぶことにしたので、衣装をなんとかしたい。レウェリンの魔法でドレスを着せ、髪型を何とかして欲しいということだ。
「なるほど。お祝いごとの協力を惜しむつもりはないのじゃが……。女性のドレスや髪型を変える魔法……範疇ではないんじゃ。よってまず、基本となる色にあわせ、白の寝間着に着替えてくれんかのう」
寝間着に着替えるなら簡単だ。これにはレダも「着替えましょう」と同意する。
そこで衝立の中、侍女に手伝ってもらい、まずはドレスを脱ぐ。その間にレウェリンが説明してくれた。
「魔法使いはオールマイティでどんな魔法でも使えるわけではなく、得意・不得意がある。わしは服飾に関しては素人じゃからのう。しかも魔法のレベルも低いから、今晩零時を過ぎたら元の寝間着に戻る。それでも構わぬか?」
「構いません!」と侍女が鼻息荒く返事をしている。その後は、レダとレウェリンが髪型について話していた。その間に寝間着への着替えは完了だ。
綿の白い寝間着ではない。シルクの寝間着は、デコルテが見えるデザイン。手首までの袖は、そこだけがシルクシフォンになっている。身頃はウエストでシェイプされ、足首まで隠れるフレアロングスカート。これをドレスに魔法で変えるのは最適だと思えた。
「では」とレウェリンが言うと。
瞬きしている間に、寝間着がドレスに変わっている。
スカート部分は、ふわふわの白のチュールが何層も重ねられ、裾にはフリル、しかもそこに立体的な小花がいくつも飾られている。ウエストの背中側に、ドレープ状になったリボン。胸元は大きく開き、身頃には銀糸による美しい刺繍まであしらわれている。しかも長袖は、白のロンググローブに変わっていた。
髪はアップで、ちょこんとティアラまで乗せてくれている。
「うーむ、どうなんじゃ?」
「「完璧です!」」
侍女たちとレダの目がハートになっている。
姿見を見た私も、思わず頬が緩む。
これはもうウェディングドレスと言っても過言ではない。
自信がない、得意ではないというが、そんなことはなかった。
レウェリンの魔法はパーフェクトだと思う。
レオンまで目を大きく見開き「すごいですにゃん」という顔でこちらを見上げていた。
「王女様、こちらをお持ちください!」
侍女の一人が、部屋にあった花瓶の花をリボンで結わき、ブーケのようにしてくれていた。
赤い薔薇の美しいブーケだ。
「では神殿までお送りしましょう」
そう言っている間にも、転移に必要な魔法陣が、レウェリンの足元に広がる。
転移の魔法は難易度が高く、一人ずつに対して魔法陣が用意されると聞いていた。
だが、今、魔法陣はレウェリンの足元にしかない。
「レウェリンの転移魔法では、一度に三人は転移できます。神殿なんて目と鼻の先ですから、あっという間ですよ。行きましょう、王女様」とレダが私をエスコートする。
こうしてレウェリン、レダ、私の三人が魔法陣の中に立ち、レオンを抱いた侍女が見送ってくれている――と思った次の瞬間には。
神殿に到着していた。