ゲームのスペック通り
「可愛い、姪っ子の頼みだ。きかないわけがない」
キルが私だけに聞こえるよう、囁きながらもウィンクをする。
そのウィンクを見てしまった女性職員が、倒れそうになっていた。
チラッと見ると、私の後方にいた侍女も、頬を赤くしている。
魔族の男性は、恐怖で人間を支配する者もいれば、このキルのように、美しさで魅了する者もいた。
「では叔父上、談話室へ行かぬか?」
ここは図書館であるが、閲覧席以外に、館内の本や古い書物などを使い、議論や会議などもできるよう「談話室」というものが用意されていた。
館内案内によると、この談話室には魔法使いにより、防音魔法がかけられている。図書館は静謐な空間だ。ゆえに音漏れをして、耳障りだと思われないように。はたまた会話を、こっそり盗み聞きされないために。防音魔法がかけられていた。
この談話室でなら、キルとゆっくり話せる。
そう思い、声をかけたわけだ。そしてその当該の談話室の中へ、キルと二人で入った。いくつか談話室はあったが、少人数用の小部屋を選んだ。長方形の縦長の個室は、入室すると窓ガラス越しに解放的な中庭が目に飛び込んでくる。花よりも青々とした木々が見え、中庭というより、森のように思えた。
左右は白壁で、中央によく磨き込まれたマホガニー材で出来た楕円形のテーブルがドーンと置かれている。同材質で作られた椅子は、背もたれの透かし彫りが秀逸だった。
さすが王城内に設置された図書館なだけある。
高級感に溢れていた。
私の侍女は廊下で待機。キルは従者もつけず動き回っていたようで、身一つでそのまま椅子に座った。
「オデットも座ったら?」と気さくに言われ、「はい」と腰をおろした。
「さて。お互いに大変な目に遭った。勇者シリルが率いるパーティは実に紳士的だったが、エルエニア王国の兵士達は違っていた。あんなに乱暴で狼藉ものだとは思わなかった。あまりにもひどい奴は、こっそり制裁を下しておいたが……。しかし、名ばかり魔王を演じてくれたルーベント、それに……セイン。まさかこの二人が自ら死を選ぶなんてな。大きな誤算だった」
「叔父上は、よくぞご無事だったな」
「魔王の弟だが、公爵だからな。それに俺が賛成したから、あの張りぼては城内に入れたんだ。それに早々に降参し、投降したからな。抵抗もせずに。こうやってなんとか生き延びることができたわけさ」
キルはこの通り、飄々していた。魔族の女からはその容姿で好かれ、男からはこの掴みどころのないところが気に入られている。今回もどうやら上手くやったようだ。
「さっき、カウンターに預けていた禁書。あれはすべて一級の禁書だ。あの禁書に書かれた魔術を行使すれば、対価を支払うことになるが、この王城なんて、ものの数秒で吹き飛ばすことができる。……そんな危険な本を手元に置こうとするなんて、何をお考えなのか?」
つまりは反逆の志があるのでは?という確認だ。
「ははははは。オデット、よく知っているな」
元女魔王なのだ。知っていて当然、知らなくては女魔王は務まらない。
「確かに禁書に書かれている魔術は通常の魔術と違い、すこぶる強力なものばかり。だが代償はデカすぎる。俺は自分が可愛いからな。既に敗戦が決まり、鎮火目前の火に、あえて油を注ぐつもりはない。それにほら、これがあるだろう?」
キルは自身の首元を示す。
一見すると黒革のチョーカー。だが実態は、魔力を抑えられ、それでも無理を通して魔術を使えば、すぐに通報される魔法使いが作ったアイテムだ。
制約があるから、悪さはできない、ということか。
いやでも、自分が可愛いという言い方をしたが、つまりは余計なことをするつもりはないということだ。
キルのこの本音が見え隠れたした会話が楽しくてたまらない……とは、インテリタイプの魔族の補佐官たちは噂をしていたが……。ただ単に面倒くさいだけではないか?
「俺は何もしないさ、オデット。何より魔族の王の直系血族の君が、勇者との結婚を選んだ。もう魔族からは大義名分は失われた。だろう?」
そう言われるとその通りだ。
「叔父上は自身はこの王都で、安寧な隠居生活を願っている。残された魔族たちも無駄な争いをやめ、諦めろと思っているのか?」
「完璧な回答だよ、オデット。だってそうだろう? 魔王城へ乗り込んできたエルエニア王国の兵士の狼藉ぶりは、腹に据えかねた。だが軍法会議で罰則が発表されている。捕虜交換も進められ、魔王城に残ったドワーフのストーンズという奴。報告書を見る限り、うまくやってくれている」
そこでキルは、背もたれに身を預け、大袈裟な程に両手を天井へと広げる。
「俺達は今、平和に向け、歩み出している。無駄な争いはやめ、人間と魔族。共存でいいではないか」
キルのこの意見については……異論はない。
女魔王としては、まだ心の奥底で「憎き人間の男どもめ」という気持ちは残っている。自分の侍女達が次々に乱暴されるところを目の当たりにしたのだ。だが、全ての人間が悪というわけではない。
兵士達の蛮行の背景には、群集心理も働いたと思う。一人が始めた行動が、周囲の人間の行動に影響を与えてしまった。アイツもやっている。なら自分も――。
個別で人間を見た時、シリルのような善性が強い者もいるのだ。悪あがきをして滅ぼされてしまうより、人間と共存できた方がいいと思う。
さらに言うならば。前世の感覚からも、争うより平和が一番という思いもあった。
「叔父上の意見には賛成だ。共存できるに越したことはない。それはそれでいいが……ずっと気になっていることがある。なぜ私のことを、魔王の娘だと?」
「オデットのことを だとは絶対に言えるわけがない」
“女魔王”の部分は口パクでそう言うと、キルは真剣な顔になる。
「もしも であると分かったら、それこそ大変なことになる、いろいろな意味で。生け捕りにされ、いいように利用されるだろう。ではそうならないために、魔力を解放し、魔術を使う手もあった。だがオデットの魔力は強すぎて、諸刃の剣だ」
そこでキルは私の目をじっと見て尋ねる。
「覚えているか? 魔術を使おうとして、暴走状態になったことを」
「覚えていない。何があった?」
「……なるほど。あれは大変だったからな。記憶を封じられているのかもしれない」
「記憶を封じる!? そんなことができるのか?」
すると禁書に記された魔術で、記憶操作に関わる項目もあると言う。そして私の封じられた記憶は、魔力暴走した時のことだった。
「……私の魔力暴走で、森が丸ごと焼失したのか……?」
驚く私にキルはコクリと頷く。
前世の記憶が覚醒したことに驚いたのは、そんな昔の話ではない。
だが私にはまだ眠っている記憶があったなんて……。
「切り札だから、その時までは、魔力を使わない。だからこのペンダントをずっとつけておくように――そう習っただろう? それは嘘ではない。だがもう一つ。大きな意味があった。それは切り札として、舞台が整うまで、魔術を絶対に使わせないためだ」
「つまり切羽詰まった私が、王宮にシリル達が乗りこんできた時、魔力を解放し、魔術を使っていたら……」
「人間は勿論、オデット以外の魔族も全滅だっただろう。しかも子供の頃より、魔力はさらに高まっているはずだ。魔王城を中心に、あたり一帯が焼失した可能性がある」
キルが、私の魔力を諸刃の剣と言った意味が、よく分かった。
女魔王のオデットの魔力は、ゲームのスペック通り。
魔力は武器として、この上なく上等。
だが使いどころを間違えば、全てが滅ぶ――。
「それに魔王には、魔力を持てない者は就くことができないことぐらい、人間だって知っている。かつ魔族の女に魔力がないことも知られたことだ。それなのに が魔王に就いているとなれば、生け捕りにされいろいろ調べられるだろう。例えば人間と魔力を持つ女が交われば、魔力持ちの人間が生まれるか――そんな実験だってされかねない」
能面のように、無表情で恐ろしいことを告げるキルに、ゾクリとする。
だが彼の言う通り、私が女魔王であるとバレ、捕えられていたら、大変なことになっていたはずだ。
「魔王の娘、王女となれば、ひとまず魔力はないし、政治的に利用できる“か弱い駒”で済む。だから王女ということにした」
「それは分かるが……。事前に、もしもの時に侍女にすると話していなかったか?」
私が問うと、キルは恐ろしい「もしも」の話をした。