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暁の双子座〜修復が紡ぐ、ふたりと未来の物語〜  作者: aduchi


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第二章 花咲くイリス 第二部 花の価値

挿絵(By みてみん)

これは、思いを託す人と壊れたものに向き合い続けた二人の物語。


毎週水、金、日曜日の19時10分更新予定

 昼下がりの屋敷には、普段より多くの声が響いていた。

 磨き上げられた大理石の床。高い天井から吊るされた硝子の灯り。

 壁に飾られた絵画には、先祖たちが積み重ねてきた年月が刻まれている。

 商いによって築かれた、この家の象徴。

 訪れる者は皆、まずその広さに目を奪われた。

 けれど。イリスが見ていたのは、そこではなかった。

「イリス様。」

 呼ばれて振り返る。

 商会の取引相手だという男が、穏やかな笑みを浮かべていた。

「以前お会いした時より、随分と大人になられましたな。」

「ありがとうございます。」

 イリスは微笑み、軽く頭を下げた。その瞳は昔と変わらず相手を真っ直ぐ見ていた。

 相手の目を見ること。名前を覚えること。ただ形式だけで終わらせないこと。

「それにしても……。」

 男の視線が、イリスの髪へ向く。

「素晴らしい髪飾りですな。」

 イリスは無意識に指先で触れた。赤と青。幼い頃から大切にしてきた二つの髪飾り。

「古いものですけれど。」

 そう答えると、男は感心したように頷いた。

「古い?それはまた価値がありそうですね。」

 その言葉に、イリスは笑顔を崩さなかった。けれど、指先だけが髪飾りの小さな傷を探していた。

 価値。その言葉は間違っていない。

 きっと、この髪飾りには金銭的な価値もあるのだろう。

 けれど。

 イリスが大切にしている理由は、そこではなかった。


 その日の夜。

 自室へ戻ったイリスは、机の上に髪飾りを置いた。

 蝋燭の明かりが、赤と青の飾りを照らす。

 小さな傷。わずかに緩んだ金具。年月が残した跡。

「……。」

 指先でそっと触れる。

 傷を見るたびに思い出す。

 亡くなった祖母の笑顔。幼い頃の庭。家族と過ごした時間。

 この傷も、この古さも。すべて、この髪飾りが歩んできた証だった。


 数日後。

 屋敷に、一人の職人が訪れた。古い家具の修復を任された男だった。腕の良さでは町でも知られている。

 父も満足そうに頷いていた。

「見事なものですね。」

 修復された家具を見て、誰もが感嘆の声を漏らす。

 傷は消え。木の輝きは戻り。まるで新品のようだった。

 しかし、イリスだけは少し違和感を覚えていた。

「……あの。」

 職人へ声を掛ける。

「ここにあった傷は、消してしまったのですか?」

 男は振り返った。

「はい。」

 当然のように答える。

「古い品ほど、傷をなくし、本来の美しさを取り戻すことが大切です。」

 イリスは家具を見る。

 確かに美しい。誰が見ても、以前より価値が高まったと思うだろう。

 でも。

「この傷も……。」

 イリスは木目に残った小さな跡を見る。

「この家具が誰かに使われてきた時間だったのではないでしょうか。」

 職人は少し困ったように笑った。

「お嬢様、傷は直すものです。」

 その答えに、イリスはそれ以上何も言えなかった。


 夜。

 窓辺に座り、庭を眺める。

 月明かりの下で、花々が静かに揺れていた。

 イリスは箱を開く。

 赤と青の髪飾り。もし、この二つを誰かに預けるなら...。

 ただ綺麗にするだけの人ではなく、この傷を見てくれる人がいい。

 古さを失敗ではなく、歩んできた証として見てくれる人がいい。そんな人はいるのだろうか。


 数日後。

 商会の者が、何気なく話した。

「そういえば……変わった修復師がおります。」

 イリスは顔を上げた。

「修復師?」

「はい。」

 男は少し考えるように続ける。

「名声を求めるような職人ではありません。」

「では、なぜ知っているのですか?」

「一度、壊れた品を預けたことがありまして。」

 男は笑った。

「不思議な男でした。」

「不思議?」

「修復する前に、しばらくその品を眺めているのです。まるで、その物が何を見てきたのかを聞いているようでした。」

 その言葉に、イリスの指が止まった。

「名前は?」

 男は答えた。

「ラナンです。」

 初めて聞く名前。

 けれど、その響きだけが、不思議と心に残った。


 翌朝。

 イリスは屋敷の門の前に立っていた。

 手には、小さな木箱。中には赤と青の髪飾りが眠っている。

「お嬢様、本当にお一人で行かれるのですか?」

 使用人の問いに、イリスは振り返る。

「はい。」

「ですが、その方は有名な職人ではないのでしょう?」

「ええ。」

 イリスは笑った。

「だからです。」

 使用人は首を傾げる。

 イリスは箱を見る。

「有名だから大切にしてくれるとは限りませんから。」

 町外れ。人通りの少ない通り。古びた看板が、小さな工房の前に掛かっていた。

『ラナン修復工房』

 中から、かすかな金属音が聞こえる。

 規則正しい音。一つ一つの作業を確かめるような音。

 イリスは扉の前で立ち止まった。

 少しだけ笑う。

「どんな人なんだろう。」

 そして、ゆっくりと扉へ手を伸ばした。

この物語は、一人の修復師と物を大切にする女性の出会いから始まります。

直すのは、壊れた物だけではありません。

そこに残された想いや、過ごしてきた時間もまた、彼女達が繋いでいくものです。

ゆっくりと進む物語ですが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。


毎週水、日曜の19時頃に最新話をアップする予定です。


よろしくお願いします。

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