第十二章 運命の双子 第一部 未来の双星
あの日から、幾つもの朝が過ぎていった。
窓から差し込む光の中で、イリスの身体には少しずつ変化が現れていた。
以前より疲れやすくなり、階段を上るときには自然と手すりへ手を伸ばすようになった。
それでも、工房へ向かう道だけは変わらなかった。
今日もイリスは屋敷を出る。
赤と青の髪飾りが、歩くたびに小さく揺れている。
工房の扉を開ける。
カラン、と鐘が鳴った。
「来たか。」
「うん。」
ラナンは作業台から顔を上げた。
そして、イリスを見るなり眉を寄せる。
「今日は少し顔色が悪い。」
「そうかしら。」
「ああ。」
ラナンは工具を置いた。
「座ってろ。」
「まだ何もしていないわ。」
「だからだ。」
イリスは思わず笑った。
「ふふ。ラナンは心配性になったわね。」
「お前が無理をするからだ。」
そう言って、ラナンは水を汲んでくる。
「ほら。」
「ありがとう。」
イリスは椅子に座り、水を口に含んだ。
ラナンはその様子を見届けてから、作業台へ戻った。
細い工具を手に取り、古い懐中時計の蓋を慎重に外していく。
イリスはその手元を眺めていた。
しばらくすると、ラナンが工具を置いた。
「……これ、動かすのは後にする。」
「どうして?」
ラナンは工房の奥へ目を向けた。
「炉を使う仕事が増えたら、ここは少し暑くなる。」
「そうね。」
「お前が来るときは、炉を使わないようにする。」
イリスは目を丸くした。
「そこまでしなくても大丈夫よ。」
「俺が大丈夫じゃない。」
ラナンはそう言って、作業台の上を片付け始めた。
「ここにいるなら、安心していられる場所にしたい。」
イリスは何も言わず、その背中を見つめた。
ラナンが工具を一つずつ箱へ戻していく。
その動きはいつもと変わらない。
けれど、置き場所を少しずつ変えていた。
手の届かない棚へ、尖った工具を移している。
「ラナン。」
「ん?」
「まだ生まれてもいないのに。」
「だからだ。」
ラナンは振り返った。
「生まれてから考えてたら、遅いだろ。」
イリスは小さく笑った。
「もう、お父さんみたい。」
ラナンは少し困った顔をした。
「……そうなのか?」
「うん。」
ラナンは自分の手を見た。
修復のために傷だらけになった手だった。
「俺に、できるかな。」
「何が?」
「父親。」
その言葉を聞いた瞬間、イリスの表情が柔らかくなった。
「できるわ。」
「どうして分かる?」
「だって、ラナンだもの。」
「それじゃ分からない。」
「私のことを、いつも大切にしてくれるでしょう?」
ラナンは黙った。
「きっと、この子にも同じようにするわ。」
「……そうだな。」
ラナンはイリスの隣へ腰を下ろした。
そして、まだ小さな膨らみに目を向ける。
そっと手を添える。
「ここにいるんだな。」
「うん。」
ラナンの手は動かなかった。
「変な感じだ。」
「私もよ。」
「触っても、何も分からない。」
「まだ小さいもの。」
「そうか。」
しばらくして、ラナンがふっと息を吐いた。
「でも、いるんだな。」
「うん。」
イリスはその手に自分の手を重ねた。
二人の指が重なる。
工房の窓辺では、白い花が風に揺れていた。
それから幾つかの週が過ぎた。
定期の診察の日。
二人は再び医師のもとを訪れていた。
イリスは診察台に横になり、ラナンはその傍らに立っていた。
医師がしばらく様子を見ている。
やがて、その手が止まった。
「……少し、気になりますね。」
ラナンの表情が変わる。
「何があった?」
「もう一度、確認しましょう。」
医師は静かに手を動かした。
部屋に、短い沈黙が落ちる。
やがて医師が顔を上げた。
「どうやら、お子さんは一人ではないようです。」
イリスが目を瞬いた。
ラナンも言葉を失った。
重なっていた二人の手に、同時に力が入った。
まだ見えない二つの命が、静かな未来の扉を叩いていた。
この物語は、一人の修復師と、ものを大切にする女性の出会いから始まります。
直すのは、壊れた物だけではありません。
そこに残された想いや、過ごしてきた時間もまた、彼女達が繋いでいくものです。
ゆっくりと進む物語ですが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。




