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暁の双子座〜修復が紡ぐ、ふたりと未来の物語〜  作者: aduchi


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第十一章 新しい命 第三部 二人の願い

挿絵(By みてみん)

これは、思いを託す人と壊れたものに向き合い続けた二人の物語。


 工房の扉を開けると、カラン、と鐘が鳴った。

 いつもの音が、午後の静けさに溶けていく。

 ラナンは作業台に向かっていた。

 窓から差し込む光の中で、古い銀器を指先に乗せている。

 細い工具が金属の縁をなぞるたび、小さな音が工房に落ちていた。

「来たか。」

「うん。」

 イリスはいつもの椅子へ腰を下ろした。

 ラナンは顔を上げ、イリスを見る。

 その視線が、いつもより少し長かった。

「今日は遅かったな。」

「少しだけね。」

「何かあった?」

「迷子の子に会ったの。」

 ラナンの手が止まった。

「迷子?」

「うん。マリーっていう女の子。」

 イリスは今日の出来事を話した。

 人混みの中で手を握られたこと。

 母親と間違えられたこと。

 一緒に母親を探したこと。

 そして、無事に見つかったこと。

 ラナンは工具を置いて、最後まで聞いていた。

「それでね。」

 イリスは自分の手を見た。

「最後に、またねって言ってくれたの。」

「そうか。」

 ラナンの声が、少し柔らかくなる。

「怖かっただろうな。」

「うん。でもね、途中から笑ってくれたの。」

「お前が一緒だったからだろ。」

 イリスが顔を上げた。

「……そう思う?」

「ああ。」

 ラナンは何でもないことのように言って、また銀器へ目を戻した。

 イリスは小さく笑った。

「マリーね、私の手をずっと握っていたの。」

「最初は間違えたんだろ。」

「そうね。」

「でも、離さなかった?」

「うん。」

 イリスは自分の指を見つめた。

 小さな指が絡んだ感触が、まだそこに残っている気がした。

「途中から、自分から握ってきたの。」

「……懐かれたな。」

「ふふ。そうかもしれないわ。」

 イリスは窓の外へ目を向けた。

 午後の光が石畳を照らし、人々の影が長く伸びている。

「ラナン。」

「ん?」

「あの子を見ていたらね。」

 イリスは少しだけ言葉を探した。

「私も、いつかお母さんになるのかなって思ったの。」

 ラナンはゆっくり顔を上げた。

 驚いたような顔ではなかった。

 ただ、イリスを静かに見つめている。

「……そうか。」

「変じゃない?」

「変じゃない。」

 ラナンはそう言って、少しだけ笑った。

 ほんのわずかな笑みだった。

 けれど、イリスにはそれで十分だった。

「ラナンは、どう思う?」

「どうって?」

「私が、お母さんになるの。」

 ラナンは少し考えた。

「……似合うと思う。」

「本当?」

「ああ。」

 短い返事だった。

 けれど、その声には迷いがなかった。

 イリスは嬉しそうに笑った。

「ありがとう。」

「礼を言うことか?」

「嬉しいもの。」

 ラナンは少し困ったように目を伏せた。


 夕方になる頃、二人は工房を出た。

 並んで歩く帰り道。

 昼間より人は少なくなっていた。

 遠くから、子供たちの笑い声が聞こえる。

 イリスはそちらへ目を向けた。

 けれど、今度は足を止めなかった。

 隣を歩くラナンの手を、そっと握る。

 ラナンも握り返した。

「今日は楽しかったか?」

「うん。」

「なら、よかった。」

 それだけの言葉が、夕暮れの中で温かく残った。

 屋敷へ戻ると、二人は食事を済ませ、それぞれの時間を過ごした。



 夜が深まり、部屋の灯りだけが静かに残っている。

 イリスは鏡の前に座り、赤と青の髪飾りへ指を伸ばした。

「まだ外さないのか。」

 後ろからラナンの声がした。

「うん。なんとなく。」

 イリスは鏡越しにラナンを見る。

 しばらく迷ってから、振り返った。

「ねえ、ラナン。」

「ん?」

「私たちの子供ができたら、どんな子になるのかしら。」

 ラナンはイリスの隣まで歩いてきた。

 鏡の中に、二人の姿が並ぶ。

「……お前に似てほしい。」

「私?」

「ああ。」

「どうして?」

「よく笑うから。」

 イリスは目を細めた。

「じゃあ、ラナンに似たら?」

「無愛想になる。」

「ふふ。」

 イリスが笑う。

「それなら、半分ずつがいいわ。」

「それがいいな。」

 ラナンはそう言って、イリスの髪に触れた。

 赤い髪飾りの位置を、ほんの少し直す。

「似合ってる。」

「今さら?」

「ああ。何度見てもそう思う。」

 イリスは頬を緩めた。

 そして、ラナンの胸へそっと身を寄せる。

「……欲しいな。」

 ラナンの手が、イリスの背に回る。

「何が?」

「私たちの子供。」

 ラナンはすぐには答えなかった。

 けれど、抱く腕が少しだけ強くなる。

「……俺も。」

 イリスは顔を上げた。

「本当に?」

「ああ。」

 ラナンはイリスの目を見つめた。

「お前と俺の子なら、会ってみたい。」

 イリスの瞳が、柔らかく揺れた。

「うん。」

 二人はしばらく、そのまま抱き合っていた。

 窓の外では、夜の街に灯りが一つずつ浮かんでいる。

 まだ誰もいない未来だった。

 けれど二人の間には、いつか小さな手を握る日が来ることを願うように、静かな温もりが残っていた。

この物語は、一人の修復師と、ものを大切にする女性の出会いから始まります。

直すのは、壊れた物だけではありません。

そこに残された想いや、過ごしてきた時間もまた、彼女達が繋いでいくものです。

ゆっくりと進む物語ですが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。


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