第八章 想いの吐露 第三部 愛の誓い
工房の扉の鐘が鳴った。
ラナンは作業台から顔を上げた。
そこにいたのはイリスだった。
しかし、その隣には見知らぬ女性が立っている。
「……イリス。」
「こんにちは、ラナン。」
イリスはやや照れたように微笑んだ。
「今日はね、ご紹介したい方がいるの。」
ラナンの視線が隣
の女性へと移る。
女性は穏やかな表情でラナンを見つめていた。
「こちらは、私の母です。」
「……お母様。」
「ええ。」
ラナンは一瞬、言葉を失った。
視線をイリスへ戻す。
「聞いていない。」
「うん。言っていないもの。」
イリスは楽しげに笑った。
ラナンは小さく息を吐く。
「……そうか。」
「初めまして。セシリア・フォンテーヌと申します。」
「……ラナン・モローです。」
ラナンは慌てて姿勢を正した。
セシリアは静かに頭を下げる。
「娘がお世話になっております。」
「……こちらこそ。」
それ以上、言葉は続かなかった。
工房には炉の静かな音だけが響いている。
間に挟まれたイリスが二人を見比べ、わずかに微笑む。
「ラナン、緊張してる?」
「していない。」
「そう?」
「……少しだけ。」
イリスがくすりと笑った。
セシリアも穏やかに微笑む。
その視線が工房へと向けられた。
「ここが、あなたの工房なのですね。」
「はい。」
ラナンは簡潔に答えた。
セシリアはゆっくりと室内を見渡す。
扉の右側には修復を待つ品々が整然と並べられている。
左側には工具が規則正しく配置され、奥では炉が静かに赤く揺らめいていた。
窓辺には白い花が飾られている。
「きちんと整えられていますね。」
「仕事場ですので。」
セシリアは作業台へと歩み寄った。
そこには古びた銀細工が置かれている。
「これは?」
「古い髪飾りです。持ち主が母親から受け継いだものだそうです。」
「それを修復しているのですか?」
「はい。」
ラナンは髪飾りを手に取った。
「壊れた部分だけを直します。残った傷まで消す必要はありませんので。」
セシリアはそれを静かに見つめる。
「傷も残すのですね。」
「その傷も、その物が歩んできた時間ですから。」
セシリアの表情がわずかに和らいだ。
その言葉を聞いたイリスが、嬉しそうにラナンを見る。
ラナンもそれに気づき、わずかに目を細めた。
「……イリスが、よく話しておりました。」
「俺のことを?」
「ええ。」
セシリアは娘へ視線を向ける。
「あなたのことを話すとき、とても楽しそうなのです。」
ラナンは黙り込み、耳がわずかに赤くなる。
「そうですか。」
「ええ。」
セシリアは穏やかに微笑んだ。
「今日は、それが分かっただけでも伺った甲斐がありました。」
イリスは少し恥ずかしそうに母を見る。
「お母様ったら…。」
「何かしら。」
「もう……。」
ラナンはそのやり取りを見つめていた。
母娘が並ぶ姿は、不思議なほど自然に映る。
しばらくして、セシリアが立ち上がった。
「今日はこれで失礼いたします。」
「もう帰るの?」
イリスが尋ねる。
「ええ。あなたも、ラナンさんのお仕事の邪魔をしてはいけませんから。」
「邪魔ではない。」
ラナンが口を挟んだ。
イリスが振り返る。
「本当に?」
「……いてくれた方がいい。」
短い言葉だった。
しかしイリスの表情はぱっと明るくなる。
「ふふ。ありがとう。」
セシリアは二人を見つめ、静かに微笑んだ。
「では、また今度。」
「はい。」
扉が開き、小さな音が工房に残る。
やがて扉は閉じられた。
工房に静寂が戻る。
ラナンはしばらく扉を見つめていた。
隣ではイリスが微笑んでいる。
「緊張していたでしょう?」
「……していない。」
「していたわ。」
ラナンはわずかに視線を逸らした。
「……お前の母親だからだ。」
「うん。」
イリスは嬉しそうに笑う。
ラナンはその横顔を見つめた。
そして静かに口を開く。
「イリス。」
「なに?」
「前から話そうと思っていた。」
「俺は、お前と結婚したい。」
工房の中で、炉の火が小さく揺れた。
イリスは目を丸くする。
それから、ゆっくりと微笑み、一筋の雫が落ちる。
「……私も。」
第八章 終
この物語は、一人の修復師と、ものを大切にする女性の出会いから始まります。
直すのは、壊れた物だけではありません。
そこに残された想いや、過ごしてきた時間もまた、彼女達が繋いでいくものです。
この章は、二人の関係が次に進むための章になります。優しい時間を感じてほしいと思っています。




