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あなたこそ生まれるべきだったのよ

屋敷を出て行こうとする私を、リチャードも、もちろん彼の婚約者も財産管財人のハーヴァーも、見送りなどしようと考えなかった。


私を玄関ホールまで案内する使用人さえもいないと、少々自分の境遇にもの悲しさを感じた。だが、おかげで、これからの伯爵家の全てからだって私は背を背けていられる、かもしれない。

もう二度とこの屋敷には戻ることは無いだろう。


私は決別が王都の屋敷で良かったと思いながら門へと歩く。

数分歩けば門に辿り着ける。


「これが領地だったら、馬車の無い私には大変な苦行だったわね」


ピタ、と足が止まった。

領地の屋敷には母の思い出があるからと、父も私も王都の屋敷ばかりを利用していた。なぜならば、母を失った辛さがまだまだ私達には耐えがたかったから。


「ああ、母の思い出の品を奪われたら」


「この屋敷に関しては申し開きもできませんが、領地の屋敷に関してはすでに奪われる前に荷造りして隠してあります。あとは、お嬢様の指示を待つばかりとなっております」


執事の声に顔を上げれば、門の前に執事と侍女が並んで立っていた。

懐かしい顔ぶれと、頼む前に私の心を守ってくれた彼等の行動に涙腺が緩む。


「財産管財人が触るなといえば何も触れないわ。この屋敷のことは仕方がない。でも、ああ。領主館についてはありがとう。ああ。感謝ばかりだわ」


「いいえ。あのドレスこそ守れず、申し訳ありませんでした」


「いいの。それよりも最後にあなた方に会えてよかったわ」


「ハハハ。ただのお見送りで終わらないところが申し訳ないのですけどね」


「あら?」


なんと、執事達は感傷だけで私を見送りに来たわけではなかった。見送りどころか私を屋敷に連れ帰りに来たようだ。


理由は――推薦状。


この伯爵家に今後何かあった時のために、「私に」「推薦状を書いて」というお願いの形をした強要だった。私に断れるだろうか。無理だ。私は彼らに連れられて、裏口からこっそりと屋敷に舞い戻り、屋敷で働く使用人四十二人の紹介状を半泣きで書くことになったのである。


「領主館の二百三十人分も書くの? そっちは今日中でなくていい?」


「お嬢様こそ伯爵を継ぐにふさわしいのに」


「……私が女である限り、跡継ぎはリチャードだわ。リチャードを支えてやって。その苦労の分、いざ退職するときは退職金に色を付けますから」


父に仕え私を幼い頃から知っているこの家の執事は、物凄く嫌そうな顔をした。

今すぐに退職したかっただろうけれど、ハーヴァー親子(あの女とあの親)にこの伯爵家を好きにされたくないのだもの。


「リチャードは楚々とした人が好きよ。サザリア子爵令嬢は可愛らしい外見をお持ちな上に領地経営もできる才女だわ。あの方とリチャードが出会える機会を作ってあげて」


「次期伯爵夫人にアイラン嬢ですか。サザリア子爵家にこちらが飲み込まれませんか?」


「領地を円滑に経営してくれるならいいのよ。彼女が嫌なら、あの盗人を真っ当な淑女に、リチャードをいっぱしの領主に仕立てるしかないわよ」


「……かしこまりました」



「ひどい話だな。君は従者を何と思っているんだ」


宿で実家で起きたことをカイヴァーンに話せば、カイヴァーンは私を慰めるどころか私が執事達に命じたことを酷いと罵ってきた。

私を甘やかそうとしないカイヴァーンが憎たらしい。えいやと胸を押せば、彼は簡単にベッドに転がる。


――この人はお尻を叩かれることを喜んでいるのかしら。


けれど彼はウキウキしているどころか、ベッドに転がるやまるで泣いているみたいに顔に右腕を乗せて目元を隠した。それから彼は、疲れたような静かな声で呟いた。


「恋人の仲を裂くなんて、まるで王妃様のようだ」


「え?」


「美しき伯爵令嬢と真実の愛に落ちたタルマドはね、定められた公爵令嬢との結婚を覆すことができなかったそうだよ。それで妻となった公爵令嬢への意趣返しとして、平民に近い下働き女中を襲い孕ませたのさ。お前は平民にも負けたんだ。平民の子が第一子だ。お前と子を作るなんて吐き気がする。お前も嫌だろう? 生んだとしてもお前の子は平民の下となるのだ。――糞最悪だよ」


どこに真実の愛があるのよ!!

カイヴァーンは美しいわ。母親似だというならば、カイヴァーンの母親は本当に美しい人だったはず。側妃様もすごい美人だし、単にタルマドは美人好きなだけじゃないの? 美人を襲った理由を正当化しようとしただけじゃないの? どうやっても正当化なんかできませんけれど。


「私も石を投げてやればよかった!!」


あ、と口を押える。

私はタルマドへの怒りを抑えられず、大声まで出していた。

カイヴァーンは顔から腕を下ろし、露わになった両目で私を見つめる。

目元が赤く疲れて切った瞳が意味するのは……。


私は彼の隣に横たわり、彼を引き寄せて抱きしめた。

そして私は左腕を彼の体にしっかり回し、右手で彼の後頭部を撫でる。彼の後頭部はなんて形が整っているのだろうと、短いのに少々癖がありパサついている髪に指先が絡め取られながら。

彼は私に嫌がるどころか、まるでアブがするように私にしがみ付く。

私の胸に顔を埋めて。


「君は優しいな。こんな生まれちゃいけなかった人間にも優しい」


「カイ? 言っていいことと悪いこ」


「俺が生まれたことで全てが狂った。平民だった母は俺の魔力に耐えられずに出産時に死んだ。王妃となった女は己の自尊心と拠り所のために薬を使ってでも王との子を作り、そのためにノイエンはタルマドとラティムの母であるシャリナ側妃に疎まれて地獄の日々だ。唯一親に可愛がられていたラティムだが、彼は理想の王子を望まれるばかりに歪んでしまった」


「あなたのせいじゃないわ。悪いのはタルマドに王妃に側妃よ。ああ、王妃は政争の駒にされた被害者かもだけど、被害者のままでもいなかったんでしょう。それにラティムは重圧があったでしょうけど、あいつは甘ちゃんだわ」


「そうだな。だが、自分の母がタルマドの血を引かない自分を生んでいたと知ったら、もう甘ちゃんでいられないよ。あの人も、タルマドを見限ったならば側妃にならなきゃ良かったのに。何がしたかったのか。ノイエンを苦しめ、ラティムを苦しめ、ミティーアが俺と逢瀬を重ねていると密告して俺達を殺そうとした」


「……それで、側妃が処刑されていたのね」


「ああ。ラティムも死罪だ。だから燃やした。だってあいつはまだ十代だ。まだ死ぬには早すぎる」


「あなたはやっぱりいいお兄ちゃんだわ!」


カイヴァーンに死を偽造してもらったラティムは、息子の病を理由に王都を去った宮廷魔術師団長のもう一人の息子となったのだそうだ。彼の本当の父親こそ、宮廷魔術師団長だったから? 腐ってる。学園でケインを誘惑したニーラみたい。


「ハリアーの奥様には申し訳ないわ。だって彼女は壊れちゃった本当の息子と、夫の隠し子の面倒を見なきゃでしょう?」


「シュトレイン・ハリアーは正気に戻った。大したことない呪いだったから、数日で元に戻ったんじゃないかな? 親友だったラティムとしっかり仲違いして、母親と一緒に母親の実家に帰ったよ」


「ラティムには針の筵かしら。でも、生きていれば反省できるものだし、私も寝ざめは悪くない」


「寝覚めか。君をさんざんにいじめたあいつを庇ったから、恋人としては失格だと罵られることを覚悟したが、君は俺のしたことを許し誉めるか」


「誉めるわ。だってあなたはお尻ぺんぺんをご褒美にしているでしょ」


「ハハハ、バレたか。大人になるといろいろなところが歪むんだよ。俺はそれぐらい君よりも年数を重ねてくたびれたおっさんなんだって、痛い!」


「あら、髪の毛をひっぱっちゃった。ごめんあそばせ、ってきゃあ」


お尻をギュっと掴まれた。

なんていやらしいと、罰としてもっと髪を引っ張ってやる。


「――君に出会えて良かった。こんな生まれてきちゃいけない男に、って、痛い」


「おバカなことを何度も言うからよ。いいこと? あなたはどうしてもタルマドの子として生まれなきゃいけなかったの」


「どうしても?」


「ええ。あなたが生まれなくともノイエンは生まれ、ラティムも生まれたはず。そして、言い訳だけで美人が好きなだけのタルマドにミティーアはきっと無理やりに攫われて愛妾にされたはずだわ。ティアムはもちろん惨殺されてね。だから考えて。あなたがいなかったら、誰がアブを助けてあげられたの? あなたがいなかったら、私はどうなっていたというの?」


カイヴァーンが私の胸からそっと顔を上げた。

上目遣いで私を見つめる彼の顔は、彼が言うとおりの疲れ切った年嵩の男ではなく、アブのように純粋でひたむきなものだった。


ああ、彼こそ今までどうやって生きてきたのだろう。

彼こそどんな子供時代を過ごしてきたのか。

全てに、お前さえいなければ、お前のせいで、と怨嗟を受けていたのではないのだろうか。だからこそ、彼を慕う弟達を救うために必死に生きてきたのではなかったのだろか。


「グリ」


「あの日、あの馬車であなたに出会えて良かった」


「グリ」


「あなたがあなたとして生まれてきてくれて良かった」


彼の瞳は大きく見開かれ、そのあとは彼の瞳ってなんて宝石みたいなんだろうって思った。涙のせいで普通以上にキラキラ輝いて、なんて美しいんだろうと。


「指輪の宝石はダイヤじゃなくていいわ。やっぱりあなたの瞳のようなスターサファイヤにして」


「いいや。俺は君みたいなルビーが好きだ。ルビーみたいな君にはルビーを送りたい。いいか。青い宝石が見たきゃ、俺をずっと見つめていればいいんだ。グリ」


「じゃあ、絶対ずっと一緒にいてね」


カイヴァーンは、もちろんだ、といって私を抱きしめた。

今度はアブみたいじゃなく、王子様がお姫様を守るようにして、優しくぎゅっと。

瞼を閉じればもちろん、眠り姫に捧げるような優しいキスで唇に落としてくれた。

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