あなたに助けてもらえることをずっとずっと待っていた
改めてカイヴァーンが説明してくれたことによれば、恐ろしいことに本当にカイヴァーンは明日処刑される予定だそうで、間違いないのだそうだ。
「一体何が起きているの?」
カイヴァーンは答える代わりに疲れた風に微笑んだ。
「カイ」
「ラティムが俺に言ったとおりだ。俺は身分が低い母から生まれたおかげで、自由気ままに生きてこれた」
「だから処刑されるの?」
「まさか。どうやって処刑するんだ? 俺はもう二年前に戦死している。死んだ男の名を騙った罪? 俺は二年前から一度も子爵の名で署名も何もしていない。惚れた女に婚姻のサインもできない、名無しの亡霊なんだよ」
惚れた女。
私はカイヴァーンに抱き着いた。
なんだか、もうどうでもいい気がした。
「じゃっ、帰るわよ。亡霊さん」
「う~ん。俺としてはもう少し問い詰められたい気がするんだけど」
「惚れたって言ってくださったのだもの。もう何も聞かないわ。帰りましょう」
「いや、聞いてくれ。惚れたはナシ。で、俺は普通の女がしてくれる返しを君に期待しながら会話をするのを諦める。ああ、そうすると、君が拒否する選択肢が選べなく、もご」
私はカイヴァーンの口元に両手を押し付けて塞いだ。
そんなことを初めてされたからなのか、おしゃべりな彼はしゃべられないと窒息してしまうだけだからなのか、動揺激しく目を白黒させている。
「いいこと? とにかく洗いざらい簡潔に全部喋りなさいな。私はあなたと共にあると決めたの。だから、私と共にあるという第一前提を覆さないなら、私の選択肢は気になさらないでってきゃっ」
手の平を舌でつつかれたのだ。
私が思わず手を離したけれど、私の両手首はカイヴァーンの両手にそれぞれ捕まっている。
そして彼は私をまっすぐに見つめている。
命ごいをしてきたケインぐらい必死な瞳で。
「カイ」
彼はハハッと笑い、目を反らし、私の手の平にそれぞれキスをして、それで、私の手の平を自分の頬を挟みこんでしまった。この手の平を堪能したいって風に、瞼まで閉じて。
「カイ」
「――これだけは約束してくれ」
「も、もちろん。命の危険がある時は、私はちゃんと逃げますわ」
「ハハッ。最後まで一緒ってやつじゃないのが君らしい」
「あら、私を残して死ぬおつもり? 私が逃げ切ればあなたは後ろを気にせずに戦えるし、私の目を気にせずに格好悪く遁走することもできますのよ?」
「だな」
カイヴァーンは両目をつむったそのまま、そっと顎を上げた。
無防備なその表情は、抱き着いてきたアブが私に甘える動作にとても似ている。
ちゅっ。
「額じゃない。大人のキスをしてくれよ」
パッと目を見開いたカイヴァーンが幼子のわけはない。
だけど私は幼子にするようにして、こつんと額と額をくっつけた。
「洗いざらい喋ってくれた後にね」
カイヴァーンから、うむむって悔しそうな唸りが聞こえた。
カイヴァーンが収監された牢獄は、なんと王城の地下にある牢屋だった。
こんな場所からホイホイ外に出て、王都内を散策し、辺境伯にお手紙を書いたりしていたなんて、「有能というより馬鹿じゃないの」。
「心の声は心に隠しておいてくれ」
牢の壁に背をもたれさせて胡坐をかく男は、一枚壁を隔てて後ろに潜んでいる私に怒りを込めた低~い声で囁く。
「でも、バカって言いたいわ。こっそり王城の地下牢に二重壁に逃走用の穴を拵えるという仕込みをするぐらいなら、さっさと王城ごと土台から崩してしまえばよかったのよ。それで大事な人を連れて逃げれば良かったの」
「でもさ、俺の身は一つなんだよ。本当に王城から弟達が出たいのかわからなかったし。あいつらが絹のシャツを脱いで生きていけるかなんて、わかんないだろ」
「――それって、弟の誰一人として王の器がないと言ってますわよ」
「グリ」
「王は泥水被ってなんぼ、ではありませんの? 国費が切迫している状況で絹のシャツに拘ってどうしますの? どんな状況でも生き抜く知恵と気概を与えてくれるのが王ではございませんの?」
「グリ。黙って」
「あなたこそが――」
「兄上。あなたが忘れ去っていた弟ですが、最期の言葉ぐらい聞きますよ」
私は今度こそしっかりと口を噤んだ。
初めて耳にした声の主に対して、そんなことはない、と叫び返してやりたかったけれど。
「ノイエン。供も連れずに一人で来たってことは、お前こそ俺に恨み言があるんだろ? 最期なんだから俺はいくらでも聞くぞ」
カイヴァーンのバカ、大バカ者。
王宮の奥に隠されていた弟と話す機会を得るためだけに、死刑囚として王宮の地下牢に繋がれることを選んだだなんて。
「あなたと私は似たところがないのに、私達は目元が似ていると平気で嘘を吐いてたあなたに?」
「笑い皴ができるとこはよく似てい……ノイエン。お前は目が見えていたのか?」
「ええ。生きるための擬態です。ハハハ。迫真でしょう。なのにこれが演技か探るために、あの愚鈍はいろいろしてくれましたよ。晩餐は、それはもう地獄でした。スープの皿には生きたムカデが泳ぎ、ある時には鼠の死骸がメインディッシュだった」
「ノイエン」
「辛かった。何も気が付かないふりをしながら、私は食事と言えないそれらを口に入れてきました。生きるためなのに死にそうになりながら」
「ノイエン」
「ええ。あなたは知らないことですよね。あなたと出会った時は、力なき王妃の母の勧めで妻を娶った頃でしたから。まだ十になったばかりの私に妻だ。でもね、私は喜びましたよ。幼い婚姻が許される王子で良かったと。彼女達のおかげで、私の食生活は改善しましたからね」
「ああ。彼女達は目端が利く心根の優しい子達だったな」
「心根が優しい? 私にあてがわれた妻達が、外見に問題がある者達ばかりだったのは言わないんだ。でもまあ、私もそこは気にしていませんからいいんですけどね。でもやっぱり、外見は重要みたいですよ。私は私を慈しみ守ろうとする彼女達を愛してはいたんです。母のように姉のように。それなのに、私の視力が戻る可能性を知った途端に、彼女達は私を裏切ったんです。私を治療できる可能性のある少女を殺したのですよ」
「――ノイエン。ラティム達が関係していたと聞くあの悲劇は」
「ええ、ええ。私の妻達の仕業です。とても美しい少女だった彼女は、考えうる限り最悪と言える死を与えられたそうですね。ただ殺せばいいものを」
「お前が彼女達を煽ったのか?」
「どうでしょう。ラティムが恋焦がれて、追いかけまわすほどですから。もしかして視力を取り戻した私もそうなると思ったのかもしれませんね」
「だからといってあの殺し方はないだろう。彼女達はそんな残虐なことができる者達ではなかったはずだ」
「ですね。ふ、うふふ。ならず者を買うなんて、慣れないことをするから」
「彼女達はどうした?」
「毒杯を仰ぎました。気さくで心優しい第三王子、ラティムを冤罪で貶めたことが辛くてたまらなかったようです」
「そこまでお前の仕込みだったんだな。どうして、どうして待てなかった!!」
「いつまで待っていれば良かったんですか! あなたはあの魔女があいつの新しい愛人になった途端にあの女のことばかりだ。あなたが私を見捨てたんだ!」
「ノイエン。俺はお前を助けるために」
「死んだ振りを? 違うでしょう。それだってあの女のためだ。だって、私はずっとずっと辛かった。兄上だって、私がいつだって辛かったことを知っていたでしょう。それなのに、私を助けてくれなかった。私のために死んでくれなかった。兄上が命を懸けたのは、あの女とあの女が生んだ赤子だけじゃないか!!」
「時間がかかったのは俺が無能だからだよ。お前を助けたくとも俺は無力だった。近衛特務地獄狼隊の隊長に成り上がるまで時間がかかった。お前の苦境を知ったあの日の勢いのままお前を助け出していたら、その後はどうなっていたと思う? すぐに捕まって拷問死だ」
「だけど私はそれでもよかった」
「ノイエン」
「私は残飯を漁る豚同然だ。誰にも顧みられることはなく、ただ思いついたときに、いたぶり傷つけるためだけに生かされた奴隷だ」
「だから、アヴァロンに呪いをかけたのか? 俺がお前を見捨てたと思ったから、誰にも愛されない呪いをかけたのか?」
「ふふふ。母親の遺産を継がせてやっただけですよ。いいえ。あの女の願いを叶えてやったんです。愛の証を汚されまいと編み出したあの女の魔法だ。あの女はきっと、あなたとの愛の証が誰の手垢も付かずに済んだと、きっと地獄の底で喜んでいるでしょうよ」
「ノイエン」
「私を殺しますか? 兄上」
「殺すわけはない。俺はお前を愛している」
「では、殺してくださいよ」
ガラガラガラガラ。
私とカイヴァーンを遮っていた石壁が崩れ落ちた。
開けた視界の中では、鉄格子越しに抱き合う青年達の姿だ。
私は第二王子がカイヴァーンの腕から逃れる前に、第二王子の体に触れた。
パシュン。
何かが弾けた音で地下の天井に、呪いのための魔法陣と呪文の文字が描かれた。
ほんの数秒だけ。
それが消えた後に、十代の少年の泣き顔が映った。
焦げ茶色の髪に青い瞳をした少年は、泣き笑いだ。
辛いけれど無理して笑顔を見せている、そんな顔だった。
何を言っているのか聞こえなくてもわかる。
俺が助け出してやるからな。
パシュン。
灯も記憶も消えれば、ただの石の重なりの天井に戻る。
鉄格子越しにカイヴァーンは意識を失った青年を抱えている。ノイエンは、彼が重ねた年月も読み取れないぐらいに、あどけない寝顔をさらしていた。
「グリ。俺に介助が必要な大きな連れ子ができたからさ、俺と結婚するのはもう少し考えたほうがいいぞ」
「介護って一人じゃ無理よ」
「グリ」
「あなたにはもう一人弟がいるでしょ。元気そうなあの子に手伝わせましょう」
「君って鬼だよな。だけど、ありがとう。あれも大事な弟なんだよ」




