アーゲスティア・デレクタード
アーゲスティア王国は一度アーゲスティア共和国として貴族の元老院による統治が行われたが、貴族制は緩く保たれたまま、王が空位として形式上の王国が復活した。摂政についているのが魔術師によって選定された統治者である。首都はアーゲス。人口1000万人
その国はデレクタード王国と共にアア帝国を保護している。その帝国に肌の黒い人々を集め、その国に隔離していると言ってもいいが、自由と自治は十分に守られている。デレクタード王国は人口700万人
アーゲスティア誌 第一章 国土と首都
中央八王国の東部に位置するアーゲスティア王国は、豊かな平野と幾筋もの大河に支えられた内陸国家である。現在の人口はおよそ一千万とされ、中央諸国の中でも安定した人口を維持する大国の一つに数えられる。華々しい征服事業や魔術国家として知られる国ではないが、その政治制度と法文化は周辺諸国から高く評価され、「中央世界の秩序を支える王国」と評されることも少なくない。
国土は北部の丘陵地帯から中央平原、そして南方の乾燥地帯へと緩やかに変化する。北方では古くから牧畜が営まれ、羊や山羊が多く飼育される一方、中央部には肥沃な沖積平野が広がり、小麦や大麦を中心とした農耕が盛んである。南へ進むにつれて降雨は減少し、地形は次第に乾いた大地へ姿を変える。その先には古代より独自の文明を育んできたアア帝国が存在するため、南方街道は交易のみならず外交・軍事の面でも極めて重要な意味を持つ。
王国内には大小さまざまな河川が流れているが、その多くは北方の山地を源流とし、平野を潤しながら南へ流れてゆく。長い年月をかけて築かれた灌漑施設は王国各地へ網の目のように張り巡らされ、旱魃の年であっても深刻な飢饉が発生することは稀である。この安定した農業生産こそが、アーゲスティアの繁栄を支える最も重要な基盤である。
一方で森林は国土の大部分を覆うほど多くはない。王国東部や北部に比較的大きな森が残るものの、その多くは古くから計画的に伐採と植林が繰り返されてきた。建築用材や薪炭の供給は国家の管理下に置かれ、無秩序な開発は厳しく制限されている。これは数百年前、一部地域で過度な森林伐採が洪水や土砂災害を引き起こした経験によるものと伝えられている。
また、アーゲスティアには巨大な天然資源は少ない。鉄や銅などの鉱山は存在するものの、それだけで国家を支えるほどではない。そのため古くから商業と農業を両輪とする経済構造が形成され、周辺諸国との交易を重視する気風が育まれた。豪奢な宮殿よりも整備された街道や橋梁、水路を誇る国であるという評価は、このような歴史を背景としている。
首都アーゲスは王国のほぼ中央に位置し、複数の街道と河川が交わる交通の要衝として発展した都市である。その起源は古代王国時代にまで遡るとされ、王宮を中心として幾重にも城壁が築かれ、その外側へ行政区、商業区、居住区が放射状に広がっている。
首都を初めて訪れた旅人の多くは、その静けさに驚くという。
フィーネシアのように魔術師が絶えず空を飛び交う光景もなければ、市場で大道芸人が大勢の人々を集める賑やかさも少ない。石畳の道を役人や学者、商人が行き交い、人々は落ち着いた口調で議論を交わしながら日々の務めを果たしている。都市全体に流れる空気は華やかさよりも秩序を重んじるものであり、その印象は王国そのものの性格をよく表している。
都市の中心には歴代の王が居住した王宮が現在も保存されている。しかし現在その玉座へ座る者はいない。王位が空位となって以降も王宮は国家儀礼の中心であり続け、摂政は王座ではなく、その前方に設けられた執務席から政務を執る。巨大な玉座が長年空席のまま保たれている光景は、アーゲスティアを象徴する風景として国内外に知られている。
王宮の西には元老院議事堂が建つ。共和国時代に建設された建物を幾度も増改築したものであり、幾つもの円形議場と広大な文書庫を備えている。ここには建国以来の法令や条約、議事録、系譜、租税台帳などが保存されており、「王国の第二の記憶」とも呼ばれる。政治家だけではなく、歴史家や魔術師、他国から訪れる学者もこの文書館を訪れ、その膨大な記録を研究対象としている。
このようにアーゲスティアは、壮麗な魔法都市でも軍事都市でもない。豊かな農地、整備された街道、静かな首都、そして積み重ねられた記録と制度によって国家を支えてきた国である。その穏やかな景観の背後には、数百年にわたる政治的試行錯誤と、人々が秩序を守ろうとしてきた歴史が息づいている。
アーゲスティア誌 第二章 王権の終焉と共和政の成立
アーゲスティア王国の政治を理解するためには、現在の制度ではなく、その制度が生まれた歴史を知る必要がある。
今日のアーゲスティアは「王国」でありながら王が存在しない国家として知られるが、その背景には数百年にも及ぶ政治的変遷が存在する。
建国当初のアーゲスティアは他国と変わらぬ王国であった。初代の王は諸部族をまとめ、中央平原を統一し、河川沿いに街道と砦を築いたと伝えられる。その後も王権は幾世代にわたり安定を保ち、周辺諸国との交易路を整備しながら国家の基礎を築き上げた。
しかし王国の発展とともに、有力貴族もまた力を蓄えていった。
広大な農地を管理する地方領主、交易を支配する都市貴族、王家に代々仕える名門武家などが、それぞれ独自の財力と軍事力を持つようになり、王は次第に彼らとの協議なくして政治を行えなくなっていった。
この変化そのものは平穏であった。むしろ当時の人々は、諸侯の協力によって国家が豊かになったと考えていたという。
転機となったのは、王家の継承問題である。ある王の死後、複数の王族が正統な継承者を名乗り、各地の貴族がそれぞれ異なる候補を支持したことで、王国は深刻な内乱へと陥った。
戦いは十年以上に及び、多くの都市と農村が荒廃した。皮肉にも、この戦争で最も利益を得たのは勝者ではなく、生き残った貴族たちであった。彼らは王家の権威に依存せずとも、自らの領地を統治できることを知ったのである。
内乱終結後、王位は形式上回復されたものの、その権威はすでに以前とは比較にならないほど弱体化していた。
王は存在する。しかし決定権は元老たちにあり、軍も財政も地方貴族の協力なしには動かせない。この状況が数代にわたり続いた末、最後の王は後継者を残さず没した。
王位継承権を主張できる血統はなお複数存在していたが、誰を王としても再び内乱が起こることは明らかであった。そこで元老たちは一つの大胆な決断を下した。「王を選ばない。」それが共和国成立の瞬間であった。この決定は決して王家への反逆ではなかった。むしろ彼らは王権という制度そのものを守るため、一時的に王位を空位とする道を選んだのである。
こうして王家の紋章や王冠は保存され、国家の儀礼も維持された一方で、政治は元老院が担うこととなった。
共和国時代はおよそ百数十年続いたとされる。この時代、アーゲスティアは法と記録の国家として大きく発展した。
地方行政は整理され、租税制度は統一され、街道や水路は計画的に整備された。
元老院では法学者や書記官が重用され、議論によって国家を運営する文化が花開いた。現在まで続く膨大な議事録や法典の多くも、この時代に編纂されたものである。
しかし共和国は万能ではなかった。
議論を重ねる制度は平時には極めて優れていたが、戦争や飢饉、魔物の襲来のように即断を求められる事態には弱かった。
ある地方で魔物の群れが出現した際、討伐軍を派遣する決議が成立するまで数十日に及ぶ議論が続き、その間に複数の集落が失われたという記録が残されている。
また、大規模な旱魃の際にも、穀物備蓄の放出量を巡って各地方の代表が互いに譲らず、多くの民衆が困窮した。
人々は次第に気付き始めた。良い制度だけでは国家は守れない。最後に決断する者が必要なのである。とはいえ、人々は再び絶対的な王を望んだわけではなかった。内乱の記憶はなお生々しく、王家への権力集中を恐れる声は根強かった。
そこで政治家、学者、貴族、そして魔術師たちは長い年月をかけて新たな制度を模索する。その結論が、「王国への復帰」と「王位の空位」を両立させるという、他国には例を見ない政治体制であった。
王国は復活する。しかし王は置かない。国家の威厳は保ちながら、一人の人間に王権を集中させることは避ける。
こうして摂政を中心とする現在の統治制度が整えられ、元老院、貴族、魔術師が互いを監視し合う政治秩序が成立したのである。
後世の歴史家は、この変化を革命とは呼ばない。アーゲスティア人は古い制度を壊すことよりも、それを修復し、形を変えながら受け継ぐことを選んだからである。
彼らの歴史とは、王を否定した歴史ではない。王だけに頼らない国家を築こうとした歴史なのである。
アーゲスティア誌 第三章 摂政・元老院・魔術師
アーゲスティアの政治制度は、中央八主国の中でも最も複雑なものとして知られる。他国では国王あるいは女王が国家意思の最終決定者となるのが一般的であるのに対し、アーゲスティアでは権力が一人へ集中しないよう、複数の機関へ慎重に分散されている。その中核を成すのが摂政、元老院、そして魔術師による選定団である。三者はいずれも国家に不可欠な存在でありながら、互いに上下関係を持たない。権限を分け合うのではなく、互いを監視し、均衡を保つことこそが制度の目的である。
「摂政」
摂政は国家を代表する最高行政官であり、王に代わって政務を執る。外交使節を受け入れ、軍の総指揮を執り、法令を公布し、非常時には即座に命令を発する権限を持つ。そのため外国からはしばしば「実質的な国王」と見なされる。しかし、アーゲスティア国内ではそのような理解は好まれない。摂政はあくまで「王権を預かる者」であり、「王そのもの」ではないからである。
摂政は王冠を戴かず、戴冠式も行わない。就任の日には王宮大広間へ入り、空席の玉座へ一礼した後、その正面に置かれた執務席へ着く。この所作は数百年変わることなく受け継がれており、「王は制度の中に在り、人には宿らない」という理念を象徴している。
また摂政は世襲できない。任期を終えれば、一貴族として故郷へ戻る者もいれば、元老院議員として後進を育てる者もいる。摂政経験者であるというだけで特別な特権を持つこともない。これは、一度権力を握った者が生涯国家を支配することを防ぐためである。
「元老院」
元老院は共和国時代から続く国家最高の議決機関である。地方貴族、都市代表、司法官、学識者などが参加し、法律の制定、財政、租税、街道整備、大規模事業などについて審議を行う。議論は慎重を極める。一つの法案が数か月にわたって討論されることも珍しくなく、議場では声を荒らげるよりも論理を積み重ねることが美徳とされる。
若い議員はまず他者の演説を書き写すことから学び、十分な経験を積んで初めて発言を許されるという。この伝統のため、アーゲスティアでは優れた政治家とは雄弁家でもある。言葉は剣よりも長く国家を守る、と考えられているのである。
もっとも、元老院は万能ではない。決断の遅さは共和国時代から繰り返し指摘されており、その欠点を補うために摂政制度が生まれたことは前章で述べたとおりである。
「魔術師選定団」
摂政を最終的に承認するのは魔術師選定団である。しかし彼らは政治を司る組織ではない。選定団の使命は、「国家を預けてはならない人物を見抜くこと」にある。
候補者は数日から数週間にわたる審査を受ける。調査されるのは家柄や財産だけではない。精神の安定、魔力の変質、呪詛の影響、幻術による記憶改竄の有無、さらには強大な権力を前にして理性を保てるかどうかまで、多方面から検証される。これらの審査方法は公表されていない。そのため各国では様々な噂が語られている。
真実を語れば魔法陣が光るという者もいれば、古代の記憶結晶へ精神を映すという者もいる。しかし選定団自身は一切説明を行わない。彼らは制度への信頼こそが国家を支えると考え、個々の技法を秘匿し続けている。
もっとも重要なのは、魔術師自身が摂政となることを極力避けている点である。
魔術師は権力から距離を置くべきであるという思想は、魔法戦争以前から存在していたとされるが、魔王という存在が歴史へ刻まれて以降、その考えは一層強くなった。
強大な魔力と政治権力が一人へ集中することを、アーゲスティアは制度そのものによって避けようとしているのである。
「三者の均衡」
摂政が暴走すれば元老院が制限する。元老院が停滞すれば摂政が決断する。その双方が国家の危険となるならば、魔術師が制度を動かす。
この均衡は決して完全ではない。時には対立も起こり、摂政と元老院が数か月にわたって意見を戦わせることもある。しかしアーゲスティア人は、それを制度の欠陥とは考えない。むしろ対立こそが国家を長く保つために必要な過程であると信じている。
「一人が正しい国より、多くが誤りを正せる国を。」
これは元老院議事堂の一室に刻まれている言葉であり、現在でも若い官僚たちが最初に学ぶ格言の一つである。アーゲスティアの政治は英雄を待たない。制度が人を導き、人は制度を守る。その思想は王権の終焉から数百年を経た今日もなお、この王国の根幹として息づいている。
アーゲスティア誌 第四章 人々の暮らしと文化
国家の制度は数百年を経てもなお書物に残る。しかし、その制度を支えてきたのは、名も残らぬ民衆の日々の営みであった。アーゲスティアの人々は、自らの国を「英雄によって栄えた国」ではなく、「人々が秩序を守り続けた国」であると考える。そのため、勇猛さよりも誠実さ、華やかな才能よりも堅実な人格が尊ばれる傾向にある。外国では「真面目すぎる国民」と評されることもあるが、彼ら自身はそれを決して恥とは思わない。
「村落と農村」人口の大半は都市ではなく農村で生活している。中央平原には大小の村々が点在し、一つの村は数十戸から数百戸ほどの規模で形成される。村の中央には集会所や共同倉庫が置かれ、周囲を耕地と果樹園が取り囲む。農民たちは季節ごとに互いの農作業を助け合う。種まき、収穫、水路の補修など、一家だけでは難しい仕事は村全体で行うのが古くからの慣習である。この共同作業は単なる労働ではない。村人同士が信頼を確かめ合う場でもあり、若者が婚約者を見つける機会にもなっている。
「都市生活」都市では商人、職人、役人、書記官、教師など、多様な職業の人々が暮らしている。アーゲスティアの都市には派手な歓楽街は少ない。代わりに書店や文房具店、写本工房、法律事務所などが多く並び、街路には巻物や帳簿を抱えた役人の姿が絶えない。旅人の中には、「この国では商人より役人の方が多いのではないか」と冗談を口にする者もいる。もっとも、それは誇張ではあるものの、文書行政が社会へ深く浸透していることを示す一例と言える。
「貴族社会」
共和国時代を経た現在でも、貴族は国家の重要な担い手である。もっとも、アーゲスティアにおける貴族とは単に土地を所有する家柄ではない。多くの名家は代々行政や司法、外交を担い、国家へ奉仕することでその地位を維持してきた。そのため若い貴族には幼少より歴史、法律、修辞学、算術などが教えられる。剣術も学ぶが、それ以上に議論する力が求められる。元老院で一族を代表する者は、武勇より知性によって選ばれることも珍しくない。
「教育」
アーゲスティアでは読み書きを重視する文化が古くから発達している。都市では寺院や学院が子どもへ基礎教育を施し、有力商人の家では家庭教師を雇うことも多い。地方でも村役人や退役書記官が子どもへ文字を教える例は少なくない。すべての民衆が文字を読めるわけではないが、中央八王国の中でも識字率は比較的高いと考えられている。これは法と契約を重視する国家において、文書を理解できる人材が不可欠であったためである。
「食文化」
食卓は決して豪華ではない。日常では小麦や大麦を用いたパンや粥、季節の野菜、豆類、羊乳から作られた乳製品が中心となる。河川に恵まれた地域では淡水魚も重要な蛋白源であり、都市では塩漬けや燻製に加工された魚が広く流通している。祝祭の日には羊や子牛が屠られ、葡萄酒や果実酒が振る舞われる。しかし過度な贅沢は美徳とはされず、「腹を満たすための宴より、心を満たす語らいを」という古い言葉が今も好まれる。
「衣服と住居」
衣服は機能性を重んじる。麻や羊毛を織った落ち着いた色合いの衣が一般的であり、鮮やかな染色や過度な装飾は主として祭礼や公式儀式で用いられる。
住居も同様である。農村では石と木材を組み合わせた二階建てが多く、都市では石造建築が主流となる。豪壮さを競うより、長く使えることが重視されるため、一つの家を数世代にわたり修繕しながら住み継ぐ例も多い。
「祭礼」
アーゲスティアには季節ごとの祭礼が存在するが、その多くは収穫や建国の記念に由来する。祭礼の日には元老院も政務を休み、人々は広場へ集まって歌や舞踊を楽しむ。しかし祭礼の終わりには必ず歴史の朗読が行われる。建国の出来事、共和国成立、内乱、飢饉からの復興など、祖先が経験した歴史を語り継ぐことが祭礼の重要な役割となっている。子どもたちはそこで初めて、自らが受け継ぐ国家の歴史を知るのである。
「国民性」
アーゲスティア人は、自らを特別優れた民族とは考えない。英雄を生み出したことよりも、英雄がいなくても国家が続く仕組みを築いたことに誇りを持つ。
そのため外国で名将や大魔術師の武勇譚が語られる一方、アーゲスティアでは優れた法学者や行政官、外交官の逸話が長く語り継がれることが少なくない。
彼らは制度を愛し、歴史を敬い、議論を恐れない。一方で、制度だけでは人は生きられないことも知っている。
村人が互いに助け合い、商人が約束を守り、役人が記録を書き残し、貴族が私利を抑えて公に仕える。そのような一人ひとりの日常の積み重ねこそが、王なき王国アーゲスティアを今日まで支えてきたのである。
アーゲスティア誌 第五章 外交と軍事
アーゲスティアは中央八王国の中でも、領土拡張を国家理念としない数少ない王国である。歴史上、周辺地域へ軍を進めたことは幾度となく存在する。しかしその多くは国境防衛や街道の安全確保を目的としたものであり、他国を征服して王国へ編入することは比較的少なかった。
その理由は軍事力の不足ではない。国家の安定は武力よりも均衡によって保たれるという思想が、歴代の摂政と元老院の間で共有されてきたためである。アーゲスティアの政治家たちは、一国が急速に勢力を拡大すれば、その均衡は必ず崩れ、新たな戦争を招くと考える。そのため外交とは敵を屈服させる技術ではなく、争いを起こさせない技術であると理解されている。
「国境と防衛」
王国は豊かな平野に囲まれている一方で、天然の要害には乏しい。そのため古くから国境防衛は城壁ではなく街道の管理によって行われてきた。主要街道には一定間隔で砦が築かれ、平時には交易商人を保護し、有事には直ちに軍へ転用される。各砦には常備兵だけではなく測量官、書記官、工兵も配置される。道路、水路、橋梁の維持もまた防衛の一部と考えられているためである。アーゲスティアでは兵站を軽視する将軍は名将とは呼ばれない。軍とは戦場で勝つためだけではなく、国家全体を機能させるための組織なのである。
「常備軍」
共和国時代以前、軍の主力は地方貴族が率いる兵であった。現在でもその制度は残されているが、それだけでは国家を迅速に守ることは難しい。そのため摂政府直属の常備軍が設けられ、国境警備や街道の巡察、魔物討伐、災害救助などを担っている。彼らは勇猛さだけではなく規律を重んじる。毎日の訓練には剣術や槍術だけでなく、築城術、架橋術、応急治療、測量、さらには文書作成まで含まれる。軍務を終えた兵士が地方行政へ携わる例も多く、軍と行政の結び付きは強い。
「魔術師と軍」
アーゲスティアは魔術師を尊敬する国家である。しかし、軍隊の指揮権を魔術師へ委ねることは極めて稀である。これは魔術師を軽視しているからではない。むしろ、その力が大きすぎることを知っているためである。魔術師は戦場に立つことはあっても、一軍を率いる最高司令官となることは少ない。彼らは結界の構築、通信、治療、魔物への対処など、人間では代替できない任務へ集中する。政治制度と同じく、軍においても権力の集中を避ける思想が貫かれているのである。
「デレクタード王国との関係」
現在、アーゲスティアが最も緊密な協力関係を築いている国家がデレクタード王国である。両国は文化も政治制度も異なるが、長い歴史の中で互いの長所を認め合う関係を築いてきた。共同軍事演習や街道整備、魔物討伐などは定期的に実施されており、国境地帯では両国兵士が同じ砦へ駐留する例も珍しくない。外交上、両国は「双柱」と称されることがある。中央諸国南方の安定は、この二国の協調に支えられているという意味である。
「アア帝国の保護」
アーゲスティア外交を語るうえで、アア帝国との関係は欠かすことができない。月魔世を経て衰退した古代国家アア帝国は、現在も独自の文化と言語、信仰を受け継いでいる。しかし単独で周辺諸国に対抗するだけの国力は持たない。そのためアーゲスティアとデレクタードは共同で保護国制度を整え、外交、防衛、大規模交易について支援を続けている。この制度は一見すると友好的に見える。しかし実際には複雑な問題も抱えている。アア帝国には、「保護とは穏やかな支配ではないか」と考える者も少なくない。一方アーゲスティアでは、「支配ではなく共存である」と主張する者が多数を占める。元老院でも幾度となく議論が重ねられてきたが、現在に至るまで明確な結論は出ていない。それでも両国が関係を維持できているのは、武力よりも対話を優先する姿勢を失わなかったためである。
「外交思想」
アーゲスティアの外交官には古くから伝わる言葉がある。「国境は剣で引くものではなく、約束によって保たれる。」もちろん現実には軍備も必要である。しかし彼らは、剣によって得た平和は剣によって失われることも知っている。だからこそ条約を書き、議論を重ね、記録を残し、後世へ伝える。国家とは一世代だけで築くものではなく、幾世代もの約束の積み重ねである。この思想は建国以来の理念というよりも、王権の崩壊、共和国時代、そして現在の「王なき王国」という長い試行錯誤の末に獲得された知恵である。
中央八王国の中でアーゲスティアが「秩序の王国」と呼ばれる理由は、その軍の強さだけではない。争いを終わらせることよりも、争いを始めさせないことを国家の務めと考える姿勢にあるのである。
アーゲスティア王国の旧王宮には、現在も玉座が一つ残されている。金銀によって飾られたものではなく、灰白色の石を削り出しただけの質素な玉座である。そのため他国の使節には王座というより祭壇に見えることもあった。
古くから伝わるところによれば、その玉座には一度だけ何者かが座った。
それが誰であったのかについては記録が一致しない。王であったとも、名もなき旅人であったとも、幼い子であったとも、善き魔術師であったとも伝えられる。ある書には「その日、王はいなかった」とあり、別の書には「その日、王だけがいた」とある。また玉座に近づいた者は皆その顔を見たにもかかわらず、後には誰一人としてその姿を思い出せなかったという。
ただ一つ、全ての年代記が一致して記すことがある。
その翌日より、王は立てられず、摂政が国を治めることとなった。
それ以来、歴代の摂政は玉座に座ることなく、その前で執務を始めることを慣例とした。即位の儀も戴冠の儀も存在せず、新たな摂政はただ玉座の前に立ち、一礼して国務を受け継ぐのである。
玉座は今も空席のままであり、磨かれ続けている。誰が命じたものかは伝わらないが、掃除だけは一日たりとも絶えたことがないという。
人々はこれを「空の玉座」と呼ぶ。
ある者は王権の終焉を象徴するものと言い、ある者は真の王が再び現れる日まで空けられた席であると言う。また魔術師たちはこのことについて問われても肯定も否定もせず、「昔からそうであった」とだけ答える。
玉座が空である理由を知る者は、今日まで現れていない。
デレクタード誌 第一章 王国として不足のない土地
デレクタード王国には、王国を営むために必要なものが概ね揃っている。川があり、耕地があり、森林があり、町がある。石材を採る場所があり、鉄や銅を少量ながら産する土地もある。馬や家畜を育てる地域があり、穀物を多く作る平地もある。特に巨大な山脈はない。国土の半分を覆う森林もない。遠くからでも国境が分かるような大河もない。しかし山脈や巨大森林は、王国を維持するために必ず必要なものではない。デレクタードの地誌では、しばしばそのように記されている。
外国で作られた地理書には、「デレクタードには国土を象徴する地形が乏しい」と書かれることがある。国内でもこの記述は知られているが、それが欠点を指しているのか、単なる地理的記述なのか、よく分からないと言う者が多い。実際、国のどこへ行っても全く同じ景色が続いているわけではない。南部には緩やかな丘陵が多い。北へ行けば平地が増え、穀物畑が広がる。西部には石の多い土地があり、小規模な採石場や鉱山が点在する。川沿いには果樹園があり、別の地方では牧草地が続く。
ただ、それらのどれか一つを取り上げて「デレクタードとはこのような国である」と説明しようとすると、別の地方の住民から自分たちの土地とは違うと言われる。このため国外の旅行者が、デレクタード人に国の見どころを尋ねて困らせることがある。山を見たいなら山のある地方へ行けばよい。大きな市場を見たいなら大きな町へ行けばよい。古い城を見たいなら古い城の残っている町がある。ではデレクタードでなければ見られないものは何か、と重ねて尋ねられると、そこで初めて質問の意味が分からなくなる。
国土の人口はおよそ七百万人とされる。人口は一つの巨大都市へ極端に集中せず、王都のほかに複数の地方都市と、それより小さな町が各地に散らばっている。大きな町は川や街道の交わる場所に多い。小さな町は農村地帯の中心となり、定期市、役所、宿、倉、工房などを持つ。さらにその周囲に村がある。デレクタードの地理書では、このような町の配置について特別な説明が加えられることは少ない。人が住めば村ができ、人が多く集まれば町になるからである。外国の研究者が、デレクタードでは中規模の都市が比較的多いと指摘したことがある。これに対する国内のある地誌の注釈には、「地方にも人は住んでいるため」とだけ記されている。それ以上の説明はない。
デレクタードの都市は、極端に古いものばかりでも、新しく計画されたものばかりでもない。古い街道の宿場から発達した町があり、城の周囲に市街が広がったものもある。川港から大きくなった町もあれば、周辺の農村から人が集まって成立した町もある。都市の中心には、市場や行政施設が置かれることが多い。城壁を持つ都市もある。持たない都市もある。かつて城壁を持っていたが、町が外へ広がったため壁が市街の途中に残っているところもある。フォーンフェヴォーのように城壁そのものが町の性格を決めるほどではない。デレクタード人に城壁について尋ねれば、「必要な町にはある」と答えることが多い。塔についても同じである。見張り塔、鐘楼、魔法設備を置く塔などが各地にある。フェンフレイユーほど多くないだけで、塔そのものが珍しいわけではない。高さが必要なものを高い場所へ置けば塔になる、と説明する建築家もいる。
王都セレンまた、デレクタードの中では最大級の都市であるが、それ以外の国土から完全に切り離された存在ではない。市場が大きく、役所が多く、王宮があり、外国の使節や商人が集まる。地方では手に入りにくい商品もある。しかし地方都市で見られない種類の生活が王都だけに存在しているわけではない。パン屋があり、鍛冶屋があり、宿があり、学校があり、家がある。王都の住民は、王都だから当然それらがあると考えている。
地方都市の住民も、自分たちの町に同じものがあることを特に不思議とは思わない。農村も、デレクタード全体を一つの作物で説明することは難しい。麦類を多く作る地方がある。豆を作る地域がある。果物で知られる谷もある。牧畜の比重が高い場所もある。ある地方で不作になっても、別の地方から全く同じものが送られてくるとは限らないが、国全体が一つの作物だけに依存することも少ない。このことをデレクタードの農業の長所として挙げる外国人もいる。国内では単に、土地によって育ちやすいものが違うためだと説明される。
森林についても同様である。建築用の木材を取る林があり、薪を取る山林があり、狩猟に使われる森もある。無尽森林のような巨大な森林地帯ではない。だからといって、木が不足しているわけでもない。石についても、ドーブニウのような鉱山文化を形成するほど地下資源に依存してはいないが、建築や道路に必要な石材は国内で相当量を得られる。足りないものは輸入する。余るものは売る。それもまた特別な方針というより、商売とはそういうものだと考えられている。
国境にも、必ずしも劇的な景観の変化はない。街道を進んでいると、検問所や標石によってデレクタードへ入ったことを知る。その前後で畑の色が突然変わるわけではない。川を一本渡れば別世界になるわけでもない。隣国側にも似た家があり、同じような家畜がいて、似た作物が作られていることがある。旅人の中には、「気付いた時にはデレクタードにいた」と旅行記へ書く者がいる。これについて国内の旅行案内書は、「国境では確認を受けるため、通常は気付く」と訂正している。
デレクタードには古い城もある。戦争の跡もある。焼けて再建された町もある。長く使われなくなった街道もある。王朝が代わったこともあり、飢饉も魔物の被害も経験している。しかし、それらの多くは世界史の年代を二つに分けるほどの出来事にはならなかった。デレクタードの歴史書には、一つの都市を十年苦しめた戦争が数十頁にわたって記されていることがある。外国の世界史では、その戦争が一行も載っていないこともある。それについて憤る歴史家もいるが、世界史とは世界中の地方戦争を全て記録する書物ではない、という反論も国内から出る。ただしその反論をした歴史家自身が、外国の地方戦争についてほとんど知らなかったという話も残っている。デレクタード人が、自国を何かの中心として日常的に意識しているわけではない。他国へ行けば、その国にはその国の事情があることもよく知っている。ドーブニウへ行けば山中の道の使い方を学び、フェンフレイユーでは空塔を珍しがり、フォーンフェヴォーの古い城壁を見物する。イクツドゥークへ行けば、竜について不用意なことを言わない方がよいことも知っている。そのうえで帰国すると、特に説明する必要のない家、道、市場、川がある。自国のものに名前を付け直す必要もない。家は家であり、道は道であり、町は町である。
外国の旅行者から「デレクタード式の町とはどのようなものか」と尋ねられたある地方役人が、「町です」と答えた記録がある。質問を拒んだわけではない。その役人には、それ以上に何を説明すべきなのか本当に分からなかったらしい。デレクタード王国は、それだけの土地と人口を持ち、都市と農村を抱え、中央八主国の一つとして現在まで続いている。何か一つが欠けているために他国の助けなしでは存在できない国ではない。何か一つだけによって成り立っている国でもない。デレクタードの人々にとって、それはおそらく説明を必要とする状態ではない。
デレクタード誌 第二章 町から町へ
デレクタードを移動する時、多くの旅人は街道を使う。これも国内では特に説明を要することとは考えられていない。町と町の間には道があり、荷車が通り、人が歩く。川を越える場所には橋があり、橋を作るには適さない場所では渡しが使われる。道が傷めば修理され、使われなくなれば別の道が主要路になる。
外国の旅行記には、デレクタードの街道網が比較的よく発達していると記されることがある。国内の地誌では、主要な町が互いに離れている以上、それらを結ぶ道が必要である、と説明される。両者は同じ事実を述べている。街道沿いには一定の間隔で宿のある町が現れる。必ずしも宿場として計画されたわけではない。旅人が泊まるようになり、そのために宿ができ、馬を替える場所ができ、食料を売る者が現れ、そのうち鍛冶屋や荷車の修理屋まで住み着いた結果として町になったものも多い。そのためデレクタードの街道を何日か旅すると、よく似た配置の町に何度も出会う。入口近くに厩がある。少し内側に宿がある。荷を積み替えるための空き地があり、その近くに倉がある。市場は街道に面する場合もあれば、一本中へ入った広場に置かれることもある。宿の向かいに食堂がある町もある。宿そのものが食事を出す町もある。これらの違いについて現地人へ尋ねても、「宿による」と答えられることが多い。
街道の町では、外国人を見ることも珍しくない。アーゲスティアから来た商人、アア帝国へ向かう使節、別の中央諸国から来た冒険者、魔法使い、荷運び人などが同じ宿へ泊まる。そのためデレクタード人は外国人に慣れていると言われる。この評価についても、国内では「街道にいれば旅人は来る」と受け取られる。特別に外国人を歓迎する文化があると考えているわけではない。来た者には部屋を貸す。食事を頼まれれば出す。代金が払われなければ困る。宿屋としては、それで十分である。
デレクタードから各国へ運ばれる品物にも、際立った名産は少ない。木箱、樽、袋、縄、革紐、荷車の部品、簡単な家具、鍋、釘、農具、瓶、日常用の陶器などが大量に流通している。どれも他国でも作ることができる。実際、他国でも作られている。それでもデレクタード製のものは中央諸国の市場でよく見つかる。一度にある程度まとまった数を作る工房が多く、街道によって各地へ送りやすいためである。品質についても、極端な評価を受けることは少ない。高級家具として王宮へ納められるようなものも作られるが、デレクタードの木工品全体が高級品として知られているわけではない。陶器にも美しいものはある。しかし国外で「デレクタード陶」と言えば誰もが憧れるというほどではない。普通に使える。普通に壊れる。丁寧に扱えば長く使える。買い替える時には同じようなものがまた売られている。デレクタードの商人にとっては、それで商品として成立している。外国で使われている日用品の産地を調べる研究者が、ある地域の樽の三分の一近くがデレクタード産であることを報告したことがある。その報告は国内でも紹介された。樽職人たちは喜んだ。ただし、それによって樽がデレクタードを象徴するものになったわけではない。樽は酒や油などを入れるために作るものだからである。
この国では、「何を作っている国か」と問うより、「その町では何を作っているか」と尋ねる方が話が早い。ある町は織物で知られる。別の町では革製品を多く作る。石工の多い町がある。農具の製造で周辺の村を支えている町もある。馬の取引で栄える土地もあれば、川沿いの倉庫業によって大きくなった町もある。国内の者が旅行する時には、こうした地方差を当然よく意識する。ある町の陶器を褒め、別の地方の果物を土産に買う。したがってデレクタード人が自国に地方色がないと思っているわけではない。むしろ地方について話し始めると細かい。「北のパン」と一括して呼ぶと、その北のどこの町なのかを聞き返されることがある。
しかし外国人から「それらを総合したデレクタード文化とは何か」と尋ねられると、話が少し難しくなる。町が違えば作るものが違うのだから、全部同じである方が不自然だからである。街道は、こうした地方の違いを互いに結んでいる。穀物の多い地域から不足する地域へ食料が運ばれる。山寄りの採石場から石材が都市へ送られる。都市で作られた道具が農村へ行く。農村から家畜や作物が都市へ入る。外国向けの商品も、まず国内の倉へ集められることが多い。このため主要街道には大きな倉庫群を持つ町がある。ただしデレクタードは自らを倉庫の国とは考えていない。大量の荷物が一度に来れば、置く場所が必要になる。そこで倉を建てた。それだけのことである。荷車の修理業もよく発達している。長い街道を走れば車輪は壊れる。軸も摩耗する。荷台の板も割れる。
そのため街道沿いの町には、木工と鍛冶を兼ねて荷車を修理できる工房が多い。外国人の商隊が、修理の早さを理由にデレクタードの街道を好むという記録もある。そのことを誇る職人はいる。しかし「荷車修理の国」と呼ばれると、さすがに違うと思う者が多い。デレクタードとアーゲスティアの関係も、こうした街道の上に現れる。現在、両国はアア帝国を共同で保護しており、街道整備、魔物討伐、軍事上の協力も行っている。国境地帯では双方の兵が同じ砦に駐留する例もある。しかしデレクタード側の日常から見れば、この関係は条約の文章より先に、通行量の多さとして見える。アア帝国方面へ向かう荷が増える。護衛が必要になる。道路の傷みが早くなる。宿が埋まる。兵士が食料を買う。役人が馬を替える。その結果、街道沿いの町では仕事が増える。
デレクタードがアア帝国を保護しているという事実は世界誌では一行で済むが、その一行のために、実際にはかなりの数の人間が毎日荷物を運んでいる。アア帝国との関係には、もちろん保護と支配の境界をめぐる問題がある。アーゲスティア側の記録にも、「保護とは穏やかな支配ではないか」というアア帝国側の疑念が記されている。デレクタードでも同様の議論は存在する。ただし街道の町でこの問題が語られる時には、「向こうへ送る荷に、こちらで勝手に決めたものが多すぎないか」「護衛と言いながら兵が多すぎないか」「帝国側の商人がこちらへ来る方が面倒ではないか」といった、より具体的な話になりやすい。大きな理念の問題も、荷札と通行証の話へ降りてくる。デレクタードでは、そうなって初めて議論が進むことも多い。街道には冒険者もいる。魔物が出れば討伐依頼が出る。橋が壊れた先に危険な獣が棲み着けば、役所や商人が費用を出して追い払うこともある。
しかしフィーネシアのように冒険者そのものが国家像の中心にあるわけではない。デレクタード人にとって冒険者は、必要な時に危険な仕事をする者である。非常に強い冒険者が現れれば当然有名になる。町を救えば銅像が建つこともある。それでも翌日には橋を直す仕事が残っている。街道を維持するのは、英雄一人ではなく、多くの場合、石工、木工、荷運び人、役人、近隣の農民などである。これについて「デレクタードでは英雄より無名の労働者を重視する文化がある」と評した外国人の文章が知られている。国内では必ずしもそのようには受け取られていない。竜を倒せる者がいれば竜を倒してもらう。橋を架けられる者には橋を架けてもらう。仕事が違うので比較する理由がない、というのがよくある説明である。
こうして町と町の間では、人と物が絶えず移動している。そのためデレクタードは交通の国であると言おうと思えば言える。交易の国とも言える。日用品生産の国と言えなくもない。地方都市の国と呼ぶこともできる。しかしそのいずれかを国全体の性格として示すと、国内からはおそらく細かな訂正が入る。交易をしない土地もある。工房の少ない町もある。街道から遠い村もある。地方都市ばかりでなく王都もある。一つの言葉でまとめると、必ず何かが抜ける。そのためデレクタードでは、町について説明する時には町の名を言い、道について説明する時には道の行き先を言う。国全体について尋ねられた時だけ、急に説明が大きすぎるのである。
デレクタード誌 第三章 デレクタードで暮らす
デレクタードの家について、一つの典型を示すことは難しい。石材を多く使う地方があり、木造の家が多い地方がある。町では隣家と壁を接して建つ家もあるが、農村では庭や作業場を囲むように複数の建物を置くこともある。寒い土地では窓が小さく、暖かい地方では大きくなる。雨の多い地域では屋根の傾斜が強い。外国の建築家が、このような違いをまとめて「環境への適応を重んじるデレクタード建築」と呼んだことがある。国内では、雨の多い場所で雨の入りやすい屋根を作る理由はない、と説明された。ただし、デレクタードの住宅にも国外の者が見れば分かりやすい特徴は幾つかある。
都市部の家では玄関の脇に小さな腰掛けを置くことが比較的多い。外から帰った者が靴や荷物を整えるために使い、近所の者と短く話す場所にもなる。店では客待ちの椅子として置かれることもある。外国人がこの腰掛けをデレクタード特有の習慣として紹介したところ、その記事を読んだ住民から「入口に座る場所があるだけだ」と訂正が送られたという。しかし国外の宿屋がわざわざ「デレクタード式腰掛け」として同じものを置く例も現れている。デレクタード人自身は、その呼び方をあまり好まない。特別な形をしていないからである。
衣服も地方と職業によって異なる。農作業をする者は丈夫な布を使い、工房では袖を短くまとめる。町の商人や役人はそれより整った服を着る。裕福な者は国外から入る布や装飾品も用いる。国中で同じ色を好むわけでも、特定の帽子を被るわけでもない。それでも外国人には、デレクタードの服は比較的見分けやすいと言われることがある。上衣の襟がやや浅く、腰の位置で布をまとめる仕立てが多いためである。国内ではこれを「デレクタード風」と呼ばない。服屋に行って「普通の上衣」と頼めば、その形が出てくる地域が多い。フォーンフェヴォーから来た商人が別の襟型を注文すると、仕立屋が「向こうではそうするんですね」と答える。悪意はない。実際、向こうではそうする。
食事についても似た事情がある。パン、粥、豆、野菜、肉、乳製品、果物などが広く食べられる。川沿いでは魚も多い。都市では国外から香辛料や保存食品が入り、地方料理にも影響している。料理を一つ挙げてデレクタード全体の代表とすることは難しい。ただ、野菜や豆、肉を一つの鍋で長く煮る料理は各地にあり、家庭によって材料が違う。北部では濃く作る家が多い。南では汁を多くする。西ではある香草を入れる地域がある。その香草を使わない地方の者は、西の煮込みを食べればすぐ分かる。外国の料理書では、それら全体を「デレクタード煮込み」として紹介することがある。国内でその名を使うと、どの煮込みのことか聞き返される。パンにも地方差がある。ある地域のパンは発酵がやや強く、外国人には酸味があると感じられる。現地では特に酸っぱいパンとは呼ばれない。別の国から来た旅人が「この国のパンは少し酸っぱい」と言うと、宿の主人が一口食べて確かめ、「今日は普通だ」と答えたという話が残っている。
酒も作られる。葡萄を使う地方もあれば、穀物を発酵させる地方もある。国内で有名な銘柄はいくつもあるが、国外で王国全体を代表する酒として扱われるものは少ない。デレクタード人自身も、それを問題とはしていない。酒を選ぶ時には国名より産地や作り手を見るからである。
市場は人々の生活の中心の一つである。都市では常設市場があり、小さな町では決まった曜日に市が立つ。農村から食料が入り、工房の製品が売られ、遠方から来た商人が品物を並べる。市場の閉まる時刻は、国外から来た者には少し早く感じられることがある。デレクタードの多くの町では、夕食の準備が始まる頃までには露店を片付ける。夜まで商売を続ける店もあるが、市場全体が遅くまで賑わう都市はそれほど多くない。外国人がこれを「家庭生活を重視する文化」と説明したことがある。市場商人の側は、暗くなってから野菜を売っても見えにくいからだと答えている。冬になればもっと早く閉まる。夏には少し遅い。その程度のことである。
子供は家庭と地域の中で育ち、一定の年齢になると読み書きや計算を学ぶ。都市には学校があり、地方では複数の村が共同で教師を置く場合もある。職人の家では家業を手伝いながら技術を覚える。農家でも子供は季節ごとに仕事へ加わる。魔術の才能が認められれば、地域の魔法使いや外部の教育機関へ繋がることもある。デレクタードに特有の教育理念が強く存在するわけではない。読み書きができれば便利であり、計算ができなければ商売で困る。仕事を覚えなければ仕事ができない。そのため教える。外国の教育家が、デレクタードの学校教育を「実用を重視している」と評価したところ、ある教師が「実用できないことも教えている」と反論したという。実際、学校では歴史、詩、地理なども学ばれる。その教師にとっては、それらも学ぶべきものだったのである。
休日には市場へ行く者もいれば、家で過ごす者もいる。競技、音楽、踊り、芝居なども各地にある。地方ごとの祭りも多い。収穫を祝うもの。町の創建を記念するもの。古い戦争の終結を祝うもの。川の増水が収まる時期に行われるもの。どれもその地方では重要であるが、国全体で同じ祭りを同じ仕方で行うわけではない。国外の者が「デレクタードの伝統祭」を見たいと言って王都へ来ても、その月には特に何も行われていないことがある。そこで地方の祭りを紹介される。旅行者が「それはデレクタード全体の祭りですか」と尋ねれば、「その町の祭りです」と答えられる。「では国全体の祭りは」と聞かれると、王国として行う祝典がいくつか紹介される。旅行者が期待していた答えと少し違うだけである。
仕事については、農民、職人、商人、役人、兵士、冒険者、魔法使いなど、中央諸国の多くで見られる職業が揃っている。職業によって家のあり方も生活時間も違う。街道沿いでは輸送や宿泊に関わる仕事が多い。農村では季節によって忙しさが大きく変わる。都市の工房では、一家が同じ仕事を数代続けることも珍しくない。ただし家業を継がない者もいる。陶工の子が役人になり、役人の子が冒険者になる。その冒険者が数年後に帰って宿を始める。それほど珍しい話ではない。デレクタードの生活は安定していると外国から評されることがある。これも半分は正しく、半分は正しくない。平穏な町は平穏である。不作の地方では生活が苦しくなる。街道に魔物が出れば商売は止まる。工房が潰れることもある。病気になる者もいる。王都では家賃が高い地域もあり、地方では働く場所が少なく若者が町へ出ることもある。国全体を一つにして「安定している」と言われると、それぞれの生活を知る者には少し大雑把に聞こえる。だからといって「不安定な国」と呼ばれれば、それはそれで違う。
デレクタード人は、このような外国からの分類に対して、熱心に自国像を作り直そうとはしない。自分の住む町についてなら詳しく話す。自分の地方の料理なら隣の地方との違いまで説明する。自分の家が使う道具の作り方なら一時間でも話す。しかし、それらを全て一つにまとめて「デレクタードらしさ」とする仕事になると、急に他人事のようになる。
ある国外の学者が、国内各地を回って「典型的なデレクタード人の生活」を調査したことがある。農村、王都、街道町、工業都市からそれぞれ一家族ずつ選び、住居、食事、仕事、休日を記録した。刊行された本は国外でよく読まれた。デレクタードでも翻訳された。国内の書評では、「四家族ともかなり違う」という点が主な批判となった。学者自身も、それを示すために四家族を選んだのである。
現在でも国外から来た者が、デレクタードについて「普通の国ですね」と言うことがある。それを褒め言葉と受け取る者もいる。つまらないという意味かと少し気にする者もいる。特に何も思わない者もいる。ただし「普通とは何に比べてか」と尋ね返す者は比較的多い。そして相手が答えに困ると、少し満足そうにする。なぜ満足するのかについては、本人にもよく分かっていない。
デレクタード誌 終章 八番目の王国
中央八主国について説明する時、デレクタードは最後まで少し扱いにくい。ドーブニウについて語るなら山とデンバクドゥルがある。イクツドゥークには竜との関係があり、フェンフレイユーとフォーンフェヴォーには天と地の古い信仰がある。セムルやアーゲスティアにも、それぞれ長い歴史の中で形作られた説明の仕方がある。デレクタードにも歴史はある。王家があり、戦争があり、外交があり、地方ごとの古い習慣もある。ただ、それらを一つの言葉へまとめる必要があまりなかった。
国外では、このことを「特色が薄い」と表現することがある。デレクタード人がその評価を聞いて怒るとは限らない。むしろ、何についての特色なのかを尋ねる。地形であれば地方によって違う。料理であれば町によって違う。産業なら産業ごとに産地がある。歴史なら時代によって違う。それらを全部まとめた特色を求めているのだと説明すると、今度は、なぜ全部をまとめる必要があるのかという話になる。もちろんデレクタード人も、外国についてはかなり簡単にまとめる。
ドーブニウへ行くと言えば山の話をする。フェンフレイユーなら空塔を見るよう勧める。フォーンフェヴォーなら城壁について聞いたことがある。イクツドゥークについては竜の話が出る。それと同じようにデレクタードを一つの特色で説明してほしいと言われると、少し考える。ある旅人が、「ではデレクタードには何があるのか」と尋ねたところ、「一通りあります」と答えられたという話がある。誇張ではない。山はある。川もある。城壁のある町も、塔のある町もある。鉱山もあれば農地もある。冒険者も魔法使いもいる。外国人も住んでいる。ただし、山脈を見たい者にデレクタードを第一に勧める者はいないし、塔だけを見たい者ならフェンフレイユーへ行った方がよい。デレクタード人もそのことは認める。何でも自国が一番だと考えているわけではない。むしろ一番でなければならないという問いそのものが、少し大げさに聞こえるらしい。
中央八主国の会議などでは、こうした態度が意外なところに現れることがある。ある国が自国固有の事情を説明すると、デレクタードの使節は丁寧に聞く。そして自国の事情について尋ねられると 「こちらにも事情はあります」と答える。当然である。その事情が何なのかをさらに尋ねれば、税、道路、農作物、兵員、地方の意見などについて細かい説明が始まる。結局、他国と同じだけ事情はある。ただ、それに名前が付いていない。
国外では、デレクタード人は自分たちを中央諸国の標準だと思っているのではないか、と冗談めかして言われることがある。この話をデレクタード人にすると、「標準というものがあるなら、どこかは標準に近いでしょう」と返されたという。自国がそれであるとは言っていない。否定もしていない。デレクタードが他の七王国より重要であるわけではない。世界史上、デレクタードを通らなければ説明できない時代が特に多いわけでもない。旅人にとっては途中で通過するだけの国になることもある。その旅人が町で一泊し、壊れた荷車を直し、パンと保存肉を買い、翌朝に別の国へ向けて出発することも珍しくない。後日、その旅人がデレクタードについて尋ねられ、「普通に国だった」と答えたという話がある。その話を聞いたデレクタード人は、特に訂正しなかったという。




