ドーブニウ
ドーブニウ王国はドーブニウ山脈から山麓域にかけてを支配した王国であり、古都はニウド、新たな首都はヤ=グザンロン・サン=フィネスシスであった。教会の理念を受け入れた国家であり、支配者と支配的な種族はデンバクドゥルであったが、前述の通り彼らは衰退しつつあり、人間との共生が図られている最中であった。卑金属や貴金属を多く算出し、特に銅はアルカ(大陸)中央部の消費の半数近くを賄っていた。人口1000万人。
ドーブニウ誌 第一章 山と最初の民
ドーブニウ山脈に人が住み始めた時代について、確かなことはほとんど分かっていない。後世デンバクドゥルと呼ばれる人々が、人々の救済からほどなくして山脈へ入ったことは広く認められているが、彼ら自身の古い伝承はその出来事を単なる移住として語らない。
ドーブニウに残る最も古い物語では、名のない魔術師によって救われた人々の一部が西へ向かい、まだ名を持たなかった山々の前に至ったとされる。彼らはそこから先へ進もうとしたが、夜になると山の中から低い音が聞こえた。その音を恐れて引き返した者もいたが、何人かはそれを山が人を呼ぶ声と考えた。翌朝、彼らは谷へ入り、そのまま山を離れなかったという。
別の伝承では、彼らを山へ遣わしたのは名のない魔術師自身であったとされる。魔術師は西を指して、「地の内に残されたものを守れ」と告げたという。しかしこの言葉は、知られている名のない魔術師の言行とは一致しないとして後世に疑われている。古い王たちが自らの支配を救済の時代に結び付けるため作らせた言葉であるとも考えられている。
いずれの伝承にも共通するのは、最初のデンバクドゥルが山を征服したとは語られないことである。彼らは山を得たのではなく、山の中に場所を与えられたと考えた。古い言い回しでは、山は王の領土ではなく、「王もその上に置かれているもの」であった。
彼らが最初に住んだ場所がどこであったのかも定かではない。現在のドーブニウ王国では北部の三つの谷がそれぞれ最初の定住地を名乗っており、さらに山脈中央部にも「最初の炉」「最初の井戸」「最初の墓」と呼ばれる場所が幾つもある。それらが同じ時代のものとは限らず、後から古い由来を与えられた場所も少なくない。
ただし、山中にかなり早い段階から複数の共同体が存在していたことは確かとされる。彼らは谷ごとに暮らし、山道を通して互いに行き来した。一つの王が山脈全体を支配していたという伝承もあるが、古い粘土盤から知られる人名や家名は多岐にわたっており、初期から多数の小さな王や長が並存していたと見る方が自然である。
この時代の人々が後世の意味で自らをデンバクドゥルと呼んでいたかも分からない。デンバクドゥルという名は本来、ドーブニウ山脈に住む者を指したとされる。したがって初めに一つの民族があり、その民族が山へ入ったというよりも、山に住み続けた人々が長い年月の後に一つの名で呼ばれるようになった可能性がある。
しかし現在のドーブニウ人は、このような説明をもって自らを新しい民とは考えない。王朝が幾度滅び、谷が捨てられ、異なる人々が山を行き来したとしても、自分たちは最初に山へ入った者たちと同じ共同体の中にいるという認識が強い。古い王の血が誰に残っているかより、どの谷の墓に祖先を葬り、どの坑道を父祖が掘り、どの山道を通って隣の集落へ赴いたかの方が重要である。
ドーブニウの古い信仰では、名のない魔術師も独特の位置を占める。彼を神そのものとした伝承もあれば、唯一の神から遣わされた者とした伝承もある。しかし彼を礼拝すべきではないとする共同体も古くから存在した。後に王ダウムネオグの時代に一定の整理が行われたとされるが、それ以前の信仰については現在でも一つにまとめることができない。
山そのものについても同じである。山を生き物とする教えは一般的ではなかったが、山の内部には人の意思とは無関係な秩序があると考えられていた。地下を流れる魔力、鉱石の生じる場所、地下水、岩盤の裂け方、炉竜の集まる洞穴は、後世にはそれぞれ魔術や鉱山学の言葉で説明されるようになる。しかし古い物語では、それらはしばしば「山の息」「山の道」「山の火」と呼ばれている。
最初の斧についての伝承もある。ある谷の王が岩壁の割れ目から金属の斧を見つけ、それを用いて最初の木を倒したという。しかし別の伝承では、斧を作ったのは山へ入った名もない職人であり、その子孫が後の王よりも古い家系になったとされる。現在知られている考古学的な遺物から、実際に最初の斧がどのようなものであったかを決めることはできない。
それでも斧はやがてデンバクドゥルを表すものになった。後代の彼らが「我ら斧の戦士」と名乗り、炉竜を用いて青銅を精錬し、山地に多くの王国を築くより遥か以前から、木を伐り、岩を割り、道を開く道具として斧は山の生活にあったと考えられている。
後世には、この最初の時代を「山がまだ王を持たなかった時代」と呼ぶ者がいた。実際には多くの長や王がすでに存在していた可能性が高い。それでもこの呼び名が残ったのは、ドーブニウの人々が古い時代を、一人の王によって統一された歴史の始まりとしてではなく、それぞれの谷と家が山の中へ根を下ろしていった時代として記憶してきたためである。
ドーブニウ誌 第二章 斧と炉竜の王国
山に住み着いた人々が、いつから明確な王国を作るようになったのかは分からない。ドーブニウの古い記録には王を意味すると考えられる称号が頻繁に現れるが、それが一つの谷を治める者であったのか、幾つもの集落を束ねる者であったのか、あるいは後世の書写者が古い指導者を王と読み替えたものなのかについては判断が難しい。
少なくとも、人々の救済から幾世代かを経る頃までには、ドーブニウ山脈の各地に恒常的な集落が存在していた。山腹には住居が築かれ、谷底には畑が作られ、地下には鉱石を求める穴が伸びた。標高の高い土地では農耕だけによって多数の人間を養うことが難しく、山を下った人々との交易も早くから行われていたと考えられる。木材、鉱石、石材、加工された道具が山から運び出され、穀物、布、塩などが山へ運び込まれた。
古いドーブニウ人にとって、山の富とは地中に埋められたものを好きなだけ取り出せるという意味ではなかった。岩を割れば何かが出てくる場所と、何も得られない場所があり、同じ坑道でも年月によって石の質が変わった。地下水の流れが変われば坑道そのものを捨てなければならず、魔力の強い場所へ不用意に踏み込めば人や炉竜が衰弱することもあった。
後世に地脈と呼ばれるものについて、当時の人々がどこまで理解していたのかは明らかでない。しかし、山の内部に目に見えない流れが存在するという認識は非常に古かったらしい。岩を叩いた時の響き、壁面の色、地下水の温度、炉竜の動きなどを見て、掘ってよい場所と避けるべき場所を判断する者がいた。彼らは後の時代には山読み、脈読みなどに相当する名で呼ばれるようになる。
このためドーブニウの古い坑道には、目的地まで一直線に進むものが少ない。鉱石が存在する方向を知りながら、あえて大きく迂回している坑道もある。後世の魔法使いはこれを、地脈そのものを断ち切らないための方法であったと説明した。古いデンバクドゥルが同じ理論を持っていたとは限らないが、彼らが山を長く利用するには掘らない場所を決める必要があることを経験的に知っていたことは疑いない。
山中の諸国を大きく変えたのは炉竜の利用であった。
炉竜は竜そのものではなく、後に竜を産む三種の獣の一つとして分類されることになる。熱を好み、鉱山の奥や火山性の洞穴に棲み、強い熱を吐く個体が存在した。ドーブニウの伝承では、最初の炉竜は捕らえられたのではなく、自ら人の炉のそばに現れたとされる。一人の職人が七日間火を絶やさずにいると、八日目に炉竜が炎を覗き込み、それ以来人のそばを離れなくなったという。
別の伝承では、炉竜を従えたのは王である。さらに別の伝承では、一人の少女が傷ついた炉竜を洞穴から連れ帰ったことが始まりとされている。これらの物語を史実として扱うことはできない。おそらく実際には、山中に棲む炉竜を人が徐々に馴化し、その熱を利用する技術が複数の谷で独立して成立したと考えられている。
炉竜の熱は青銅の精錬に適していた。
それ以前にも銅や錫は知られていたが、炉竜を安定して扱えるようになると、それらを大量に加工することが可能となった。斧、槍、留め具、鍋、装飾品、扉の金具などが作られ、山中の王たちはそれまでより多くの武器と道具を配下へ与えられるようになった。
この時代のドーブニウ諸国は、後世「青銅の王国」と総称される。
ただし青銅の王国という一つの国家が存在したわけではない。大小多数の王国が山脈の各地に並び、時には一人の王が幾つもの谷を征服し、またその死後には再び分裂した。山道一つを隔てて異なる王に属する村があり、同じ言葉を話し、同じ斧を用いながら互いに戦うこともあった。
戦争は土地を奪うためだけに行われたものではない。良質な鉱山、炉竜の生息地、山を越える道、森林へ下りる経路、平地の商人が集まる市場を押さえることは王の力に直結した。坑道そのものが城のように守られる場合もあり、入口に石壁を築き、内部へ複数の逃げ道を設けた鉱山も存在した。
こうした争いの中で、斧は生活の道具であると同時に武器となった。
後世に伝わる「我ら斧の戦士」という言葉がいつ成立したのかは分からない。古い粘土盤にも斧を持った人物は多く描かれているが、その言葉そのものが同じ時代に存在したことを証明する資料はない。それでも、片刃の斧を多く用いたクドゥルに対して、デンバクドゥルは両刃の斧によって象徴されるようになった。
両刃であることには実用以上の意味が付された。一方の刃を山へ、一方の刃を人へ向けるという説明もあり、一方を働くため、もう一方を戦うためとする説明もある。しかしこれらの多くは後世の解釈と考えられている。実際の古い斧には片刃のものも多く、初めから民族を区別する印として形が定められていたわけではなかった。
青銅の王国が栄えた時代、デンバクドゥルは山中だけに留まらなかった。
彼らは山を下り、周辺の土地へ支配領域を広げた。精霊湖周辺では木々を伐り、魔術師の仲介を通して木材を売った。鉄鉱石を含む様々な鉱石も山から運び出された。交換によって得られた金貨や銀貨は再び山へ持ち帰られ、その一部は現在でも古い坑道や閉ざされた倉の中から発見される。
貨幣を山へ持ち帰る習慣については様々な説明がある。単に山中では外部の貨幣を使う機会が少なかったためとも、王が交易によって得た富を地下へ蓄えたためともいう。また金銀そのものを山へ返すという宗教的行為であったとする説もあるが、これについて確かな証拠はない。
青銅の繁栄に対して、鉄は長く扱いにくい金属であった。
ドーブニウ山脈では鉄鉱石そのものは得られた。しかし炉竜を中心とする精錬法では、後にクドゥルが行ったほど安定して良質な鉄を作ることができなかった。炉竜の炎が弱かったわけではない。むしろ個体によって熱の性質が異なり、炉の内部を一定の状態に保つことが難しかったとする説明がある。
そのためデンバクドゥルは、鉄を知らなかったのではなく、青銅を捨てなかった。
長い時間をかけて青銅の配合、鋳造、補修、再利用に関する技術が蓄積されていたことも大きかった。破損した武器を溶かし直し、別の道具へ作り替えることができた。王宮の扉から農具まで同じ技術体系の中で作ることができ、一つの谷だけで多くの工程を完結させることも可能であった。
後世クドゥルの鉄の王国が出現すると、青銅の王国は古いものとして対比されるようになった。しかしこの呼び方は、後から二つの時代を分かりやすく整理したものである。青銅を使うデンバクドゥルが鉄を全く使用しなかったわけでもなく、鉄の時代になった瞬間に青銅の文化が失われたわけでもない。
この時代に最も名高い王としてダウムネオグがいる。
彼について伝えられる事績は多いが、その全てを一人の王のものとすることには疑問もある。幾つもの谷を服属させた王、諸王の争いを仲裁した王、名のない魔術師についての信仰を整理した王、星詠文字の使用を広めた王など、後世重要と考えられた事柄の多くがダウムネオグの名に集められている。
ドーブニウの伝承では、彼は山脈全体を統一した最初の王とされることがある。しかし統一が長く続いたことを示す記録はない。彼が実際に支配したのは山脈の一部であり、他の王が彼を盟主として認めた時期があった程度ではないかとする見方も強い。
それでもダウムネオグの時代に、各地で異なっていた信仰や記録の形式がある程度互いに通じるものとなった可能性は高い。
デンバクドゥルは名のない魔術師を、神そのもの、神に近い者、神から遣わされた者、あるいは単に人々を救った偉大な魔術師として理解していた。ダウムネオグはこれらを完全に一つへ統一したわけではなく、互いに異なる理解を持つ共同体が同じ祭儀や王の下に留まれる程度に整理したとされる。
この頃には星詠文字と呼ばれる文字も広く用いられていた。
その名から天体を記すために作られた文字だと考えられることがあるが、実際には王の名、交易の記録、坑道の所有、祭儀、詩、系譜など様々なものが星詠文字によって残された。文字を刻む媒体としては粘土盤が多く、乾燥させただけのものと焼かれたものがあった。
最も古い粘土盤の多くは短い記録である。
誰が何を何個受け取った、どの谷から何人来た、炉竜が何頭死んだ、坑道を何日閉じる、といった内容が並ぶ。その一方で意味のよく分からない韻文も残されている。山、星、火、斧、王、死者を繰り返し歌うものが多く、後世には宗教詩とされたが、酒宴で歌われた歌を書き残しただけではないかとするものもある。
星詠文字という名の通り、星を読むための記録も存在した。星の位置によって採掘の吉凶を決めたという伝承があり、王の即位や遠征の日を決めるためにも用いられた。しかし古いデンバクドゥルが星に未来そのものが書かれていると考えていたのか、それとも季節や天候を知る手段として星を見ていたものが次第に占いへ変わったのかは明らかでない。
青銅の王国の時代は、後世のドーブニウ人にとって最初の大きな繁栄として記憶されている。
しかしそれは一つの帝国が山脈全体を治めた黄金時代ではなかった。王たちは争い、鉱山を奪い、集落は滅び、坑道は放棄された。それでも別の谷では炉の火が燃え続け、別の王が立ち、捨てられた坑道を数世代後の人々が再び掘った。
現在のドーブニウに残る古代の遺構も、多くはこのような重なりによって生まれている。一つの坑道の壁に異なる時代の星詠文字があり、そのさらに上へ現在の鉱夫が印を付けている例も珍しくない。
後世の王国が滅びた場所に、なお人が住み続けた。
王の名が忘れられた後にも炉は使われ、祭りは行われ、死者は同じ谷へ葬られた。このことが、後に幾度となく政治的な支配が崩れながら、デンバクドゥルという人々そのものがドーブニウ山脈から失われなかった理由の一つであった。
ドーブニウ誌 第三章 山の内部
ドーブニウの王国は、地上から見るだけではその大きさが分からない。
山腹に家々が並び、谷に畑があり、道沿いに市場や炉が置かれていても、その下にはそれ以上に長い坑道と地下室、貯蔵庫、水路、古い祭所が広がっている。全てが一つの巨大な地下都市になっているわけではない。人々は基本的には地上で暮らし、必要に応じて山の内へ入る。しかし一つの集落に数世代住めば、その地下には地上の家々とは比較にならないほど長い歴史が積み重なった。
古い坑道には名がある。
王の名を冠するものもあれば、最初に岩を割った者、そこで死んだ者、湧き出した水、見つかった鉱石などに由来するものもある。同じ坑道でも入口によって異なる名で呼ばれることがあり、その内部で互いに繋がっていることを長く知られなかった例もあった。
坑道は直線的には掘られない。
鉱石が存在すると分かっていても、岩の響きや地下水、魔力の偏りが悪ければ、そこを避けて大きく曲がる。古い坑道が後世の者には迷宮に見えるのはこのためである。地脈が明確に知られるようになってからは、こうした掘り方は地脈を傷付けないための知恵として説明された。
地脈は地下水でも鉱脈でもない。山の深部に集まった魔力が岩石の隙間や地下湖を伝いながら長い時間をかけて流れるもので、一本の川というより無数の流れが分岐し、再び合流する網に近い。
デンバクドゥルは地脈そのものを掘り当てることを避けた。
地脈に近過ぎるところでは魔力が強く、岩石はかえって不安定になる。魔石も常に地脈の中心で生じるわけではない。魔力が強過ぎれば石は割れ、弱過ぎればただの岩となる。その中間で、長い時間をかけて魔力を受け続けた石の一部が魔石となる。
そのため古いドーブニウでは、良い魔石を「掘り出す」というより「迎えに行く」と表現することがあった。
若い魔石は価値がないわけではない。しかし魔力を十分に蓄えておらず、結界や魔法具の中核に据えれば早く損なわれる。数百年を経た魔石には内部に細い紋様が入り、それが地脈の流れを写したものだと考えられた。一つとして同じ形を持たないものの中には固有の名を与えられたものもあり、王冠、武器、城門、祭具などへ用いられた。
ただし、魔石は山の主要な産物ではあっても、全てではなかった。
銅、錫、鉄、金、銀その他の鉱石が採られ、建築用の石も切り出された。魔力を内に宿した金属は通常のものとは区別され、それぞれ固有の名を持つようになった。鉱物の価値は市場価格だけでは決まらず、どの坑道のどの層から得られたかによっても扱いが異なった。
一つの鉱山で働く者も同じ仕事をしていたわけではない。
山を読む者が先に入り、岩を叩き、壁面を見て進む方向を定める。魔力を見ることのできる者は地脈の位置を確かめた。岩を割る者が坑道を伸ばし、運ぶ者が鉱石を地上へ出した。炉を扱う家は受け取った鉱石を選別し、精錬した。危険な坑道には武器を持った者が同行し、後の時代には冒険者や魔法使いがこの役目を担う場合も多くなった。
これらは完全に別の職業ではない。
一人の者が若い頃には鉱石を運び、歳を取ってから岩を読む側へ移ることもあった。父が炉を扱い、子が坑道へ入ることも珍しくなく、家ごとに仕事が完全に固定されていたわけでもない。その一方で、特定の坑道について数百年にわたる知識を持つ家も存在した。
ドーブニウでは、家を語る時に地上の住居だけを意味しないことがある。
一族が使ってきた地下倉、炉、坑道の一部、死者を置く場所まで含め、それらを一つの家として考える場合があった。地上の建物が焼けたり建て替えられたりしても、地下の部屋が残っていれば同じ家に住み続けていると見なされることもあった。
この感覚は現在のドーブニウにもかなり残っている。
古い集落では、住宅そのものは何度も建て替えられているのに、その地下室だけが数百年前のものであることがある。新しい壁の下に古い石積みが残され、その奥へさらに古い通路が続く。一つの家の者ですら、その地下の全てを把握していない場合もある。
食事については、山の中だけで全てを賄うことは古くから難しかった。
谷では穀物や野菜が育てられ、山羊やそれに近い家畜も飼われたが、人口の多い鉱山集落では平地との交易が欠かせなかった。穀物、塩、油、布などは外部から運ばれ、代わりに金属、石材、木工品、加工した道具が出された。
山中では食べ物を長く保存する必要があったため、乾燥させた肉、硬く焼いたパン、干した果実、発酵させた乳などがよく用いられたとされる。これらの具体的な形は時代や地域によって異なるが、坑道へ入る者が数日分の食事を携える習慣そのものは古くから変わっていない。
坑道での一日は地上の昼夜と必ずしも一致しない。
奥深くに入れば日光を見ることがなく、火や魔石の明かりによって時間を知ることになる。そのため一定の時間ごとに地上へ戻る決まりを設けた鉱山もあった。大規模な坑道では交代して働くため、夜に地上へ出て朝に眠る者もいる。
こうした生活のため、ドーブニウでは山を下りずに一生を終える者も珍しくなかった一方、交易を担う者は遠方まで旅をした。
外へ出たデンバクドゥルが帰還する時には、珍しい品物だけでなく外部の言葉や歌、料理を持ち帰ることもあった。古い粘土盤に、山の外から来たと思われる語が突然現れることがあるのは、このような往来の痕跡と考えられている。
それでもドーブニウの生活は外の流行によって急激には変化しなかった。
坑道へ入るために必要な道具、炉を維持する方法、食料を保存する必要、冬の山道を越える難しさは、王が代わっても大きくは変わらなかったからである。後世に魔法具や新しい照明が入っても、古い坑道の幅が変わるわけではなく、荷を運ぶためには依然として同じ曲がり道を通らなければならなかった。
現在でも古い鉱山では、何百年前の作業手順がほとんどそのまま残っていることがある。
もちろん道具は変化した。魔法を利用した測量や照明も使われ、危険な場所では結界が張られる。しかし岩の音を聞き、水の流れを確かめ、無理に真っ直ぐ掘らず、危険な場所を避けるという基本は変わっていない。
古代の者が地脈という言葉を知らずに避けた場所を、現代の鉱夫は地脈を守るためだと説明する。
同じ行為に与えられる理由だけが変わったのである。
王国もまた、この山の利用を完全に支配したことはなかった。
王は鉱山に税を課し、重要な坑道を王家のものとし、戦時には金属の供出を求めた。しかし山中の全ての坑道を王が把握することは不可能であり、古い家や谷の共同体が独自に管理する場所が多く残った。
使われなくなった坑道を閉ざす時も、入口を完全に埋めるとは限らない。
石を積み、印を刻み、その前を通る者に入ってはならないことを示すだけの場合がある。数百年後に理由が分からなくなり、再び開かれることもあった。その先から古い鉱床が見つかることもあれば、水だけが満ちている場合もあり、魔物が棲みついていることもある。
ドーブニウ山脈に古い遺跡が多いのは、王国が何度も栄えたからだけではない。
人々が一つの場所を捨てても、その場所そのものがなくならないからである。
地上の都市であれば、古い家を壊してその上に新しい家を建てる。しかし山の内部では、使われなくなった坑道の脇に新しい坑道を掘ることができる。古いものはそのまま奥に残り、さらにその手前へ新しい時代が積み重なる。
現在の鉱夫が作業中に壁を破り、千年以上閉じられていた通路へ出ることもある。
そこには古い斧が置かれていることもあれば、読めない星詠文字の粘土盤が積まれていることもある。何もなく、ただ人が歩いた跡だけが残っていることもある。
こうした場所を見つけても、必ずしも作業が止まるわけではない。
重要な遺物があれば取り出され、記録される。しかし安全であり、採掘の妨げにならなければ、古い壁の横に新しい支柱を立て、そのまま仕事が続けられることもある。
ドーブニウでは過去は地上から失われても、山の中から完全にはなくならない。
そして現在の人々もまた、過去を保存するためだけにその中で暮らしているのではない。古い坑道を通り、古い水路を直し、古い炉の上に新しい炉を据えながら、それらを今なお使うべきものとして扱っている。
ドーブニウ誌 第四章 古王国の衰え
青銅の王国がいつ終わったのかを、一つの年によって示すことはできない。
後世には、無尽森林から進出したクドゥルがエンスやカンの方向へ鉄の王国を築いた時代と対比して、デンバクドゥルの繁栄をそれ以前のものとして扱うことが多い。しかし実際には、鉄の武器を持つ王国が現れたからといって、その日からドーブニウ山脈の炉が消えたわけではなかった。山中では青銅の斧が引き続き作られ、古い坑道は掘られ、谷ごとの王や長も存在し続けた。
変わったのは、山の外におけるドーブニウの位置であった。
かつてデンバクドゥルの王たちは山を下り、鉱石と青銅器を持って周辺に勢力を広げることができた。だが、鉄を安定して扱うクドゥルの王国群が大きな力を持つようになると、山からもたらされる青銅の武器は以前ほど特別なものではなくなった。交易が失われたわけではない。むしろ金属や魔石、石材を求めて山を訪れる者はその後も絶えなかった。ただ、それらを持つことが直ちに軍事的な優越を意味する時代ではなくなったのである。
この変化は王たちに強く現れた。
平地に領地を持っていた王家の中には、それを失って山へ戻ったものがある。反対に、山の外の王に従うことで坑道や交易路を守った家もあった。一つの谷を何代にもわたって治めた家が、名目上は別の王国の臣下となりながら、実際には以前とほとんど同じ生活を続けた例もあったと考えられている。
そのため、ドーブニウの歴史において王朝の滅亡は、必ずしも共同体の滅亡を意味しなかった。
王が敗れれば王宮は接収され、紋章は削られ、税を納める相手も変わる。しかし坑道を知る者まで入れ替えることはできない。どの岩盤に水が溜まり、どの道を冬に使ってはならず、どの坑道を数十年休ませるべきかを知る者がいなければ、征服した側も山の富を利用できなかったからである。
このことが、古い家々に独特の強さを与えた。
王に仕える家でありながら、王より長く一つの土地に残る。王朝が変われば新しい王に誓いを立てることがあっても、自分たちが管理する坑道や墓地まで新しい王のものになったとは考えない。現在のドーブニウでも、王家より古いと称する家が幾つもあるが、その主張の全てを系譜によって証明できるわけではない。それでも同じ谷に古い墓が残り、同じ坑道名が何世代にもわたって用いられていることはある。
婚姻も、この谷ごとの連続性を保つものの一つであった。
古い時代から、同じ集落の中だけで婚姻が完結していたわけではない。近隣の谷や山麓の町との間で人が行き来し、婚姻によって二つの家が坑道や牧地の利用を調整することもあった。山の外から配偶者を迎えることも知られていた。しかし、そのためにデンバクドゥルという共同体意識が薄れるとは必ずしも考えられなかった。どこから来た者であっても、家に入り、山で暮らし、共同体の死者と同じ場所に葬られるようになれば、その子孫は山の者として扱われた。
それゆえ、古いドーブニウ人の連続性は、血が全く混じらなかったという意味ではない。
どの山を故郷とし、どの家に属し、どの墓を自分たちの死者の場所とし、誰から坑道を受け継いだかということの方が重要であった。
死者は多くの場合、生活の場から完全に切り離されなかった。
谷ごとに共同の墓所を持つ場合もあれば、家に属する地下の一室が長い間死者のために用いられる場合もあった。危険な坑道で死んだ者を地上まで運ばず、入口近くに閉ざされた横穴へ葬ったと伝えられる鉱山もある。そのため、古い坑道を再び開いた際に人骨と道具が一緒に発見されることがある。
死者の名を残す方法も一定ではなかった。
王や有力者は粘土盤や石に名を刻ませることができたが、多くの者について残ったのは簡単な印だけである。一つの家を表す記号、その者が使った斧、あるいは星詠文字一字だけが刻まれる場合もあった。それが誰を表していたのか分からなくなった後にも、墓そのものは壊されずに残されることが多かった。
王国が衰えても、このような生活は大きくは変わらなかった。
朝に谷から坑道へ入り、仕事を終えれば家へ戻る。炉を持つ者は火を守り、交易を担う者は山を下り、冬になる前に食料を蓄える。家の中では老人が幼い者に道の名を教え、坑道へ初めて入る若者には、掘る技術より先に入ってはならない場所を教えた。
外から新しい道具が入れば使った。
鉄器も拒絶されたわけではない。後のデンバクドゥルは鉄製の道具や武器を普通に用いるようになる。しかし、それによって炉竜を用いた古い精錬や青銅加工が直ちに捨てられたわけではなく、用途に応じて複数の技術が併存した。
星詠文字についても同様であった。
広い地域との交易が増えれば、外部で通用する文字を使う必要が生じた。王の命令や取引の記録には別の文字が用いられるようになり、星詠文字だけで生活することは難しくなった。それでも家の印、墓碑、祭具、古い坑道の標識には長く残った。
やがて文字を完全に読める者が少なくなってからも、特定の記号だけは意味を保った。
「水あり」「崩れる」「戻れ」「死者あり」といった坑道で必要な印は、文章として星詠文字を読めない鉱夫にも知られていたと考えられている。一方、古い王の粘土盤や韻文は少しずつ読めなくなった。
この時代、魔術そのものを取り巻く状況も変化していた。
世界では魔術の使用による不安定化が問題とされ、その使用は段階的に抑えられていくこととなる。デンバクドゥルはもともと魔法を警戒する傾向を持っていたため、この決定そのものが生活を直ちに破壊したわけではなかった。しかし地脈の観測、魔石の扱い、危険な坑道の維持などでは魔術師の知恵を利用していたため、その影響を全く受けなかったわけでもない。
魔術師との関係には古くから矛盾があった。
名のない魔術師を神的な存在として扱う伝承を持ちながら、自ら魔術を扱うことについては慎重であった。魔術を忌む共同体から魔術師が生まれることもあり、その者が長い寿命を持って谷の指導者となることさえあった。
そのような者は、王とは異なる権威を持った。
五百年近く生きる魔術師が存在すれば、数代の王を知ることになる。一人の王への忠誠より、山や共同体そのものを長く見てきた者として扱われるようになるのは不自然ではなかった。後世、長老と呼ばれる存在の中には、このような魔術師が含まれていたとされる。
だが、長い時間の中でデンバクドゥルの力そのものは衰えていった。
山を下って全地の支配に関わることは少なくなり、かつて幾つもの王国を持っていた地域にも空白が生じた。坑道が閉じられ、使われなくなった道に森林が広がり、名前だけが残る谷も現れた。
原因を一つに定めることは難しい。
鉄の王国の伸長、交易路の変化、王家同士の戦争、魔術の制限、鉱山の枯渇、地脈の変動など、異なる時代の出来事が重なっている。後世のドーブニウでは、この長い衰退を一つの大事件によって説明する伝承も作られたが、実際には何百年にも及ぶ変化であった可能性が高い。
そして、この衰退の間にも人々は山を離れなかった。
人口の減った集落から隣の谷へ移ることはあった。山を下りた者もいた。しかしドーブニウ山脈そのものからデンバクドゥルの共同体が消えた時代は知られていない。
王国の数が減り、古い文字が読めなくなり、青銅の斧が世界の主たる武器ではなくなった後にも、炉には火が入り、冬の食料は地下へ蓄えられ、死者は同じ山へ葬られた。
後世から見れば、この時代には古いドーブニウ文明の多くが失われている。
しかし当時そこに暮らした者にとって、自分たちの生活が終わりつつあるという感覚は必ずしもなかったであろう。王が変わっても山はそこにあり、昨日通った坑道を今日も通り、親から受け取った道具を子へ渡すことができたからである。
ドーブニウの古代は、ある時突然滅んだのではない。
何が古いもので、何が新しいものなのかを誰も決めないまま、長い時間をかけて現在へ近づいていった。
ドーブニウ誌 第五章 失われた時代
ドーブニウの古い王国が衰えた後にも、山脈から人がいなくなることはなかった。しかし魔法戦争から月魔世に至る時代については、それ以前と比べて記録が著しく少ない。
この時代を後世のドーブニウでは、しばしば「名の切れた時代」と呼ぶ。
王の名が全く伝わっていないという意味ではない。幾つかの谷には王統表が残り、坑道の壁にも人名や年を示すと考えられる文字が刻まれている。ただし、それらを他地域の年代と正確に対応させることが難しく、同じ人物と思われる者が数百年離れた二つの記録に現れることさえある。
古くから用いられていた星詠文字も、この頃には読む者が減っていた。
王家や神殿、坑道を管理する一部の家では文字そのものが伝えられたが、日常の記録には外部から入った文字が用いられることが増えた。星詠文字による長い文章を読み書きできる者は少なくなり、古い粘土盤は意味を失ったまま倉や地下室に積まれた。
しかし、文字が読めなくなったからといって、そこに書かれていた全てが失われたわけではない。
坑道の危険を示す印、炉の扱い、地脈を避ける道、冬に閉ざされる峠、古い墓の位置などは、文字ではなく仕事の中で伝えられた。父から子へ、師から若い鉱夫へ、あるいは隣の家から新しく入ってきた者へ教えられた。
このことは、後の大きな混乱の中で重要であった。
魔術の使用を抑える決定に反発した悪しき魔術師たちは各地で力を増し、魔法戦争に至ると、山脈の周辺も戦いから無縁ではなくなった。ドーブニウそのものが戦争の中心となったわけではないが、山道は軍の通行路となり、鉱山から得られる金属や魔石は各勢力に求められた。
王や長の中には一方の勢力に従った者もいれば、谷を閉ざして外部との往来を止めた者もいた。
大きな山道を石で塞ぎ、必要な交易だけを細い脇道から行ったという記録も残されている。戦争が終わるまで坑道の入口を閉じ、人々が谷の中で生活したとする伝承もある。数十年にわたって完全に外部と隔絶したという話は誇張されている可能性が高いが、山脈の地形が共同体を守る働きをしたことは疑いない。
一方で、外部へ連れ出された者も多かった。
デンバクドゥルは鉱山を知り、金属を扱い、山地での戦いにも慣れていたため、兵士、鉱夫、職人として利用された。魔術師の支配下で坑道を掘らされた者についての記録もあり、帰還した者が自分の生まれた谷を見つけられなかったという話も伝わる。
さらに深刻であったのは、魔術による人の改変であった。
魔法戦争後も各地に残った魔王や、それに従うトークレムは、人々を結界の中へ閉じ込め、ナナキによって人格を崩し、肉体を変える実験を行った。クドゥルやデンバクドゥルもその対象となり、そこから解放された者の一部は後に穢と呼ばれるようになる。
特にレイスでは、デンバクドゥルと穢の区別そのものが曖昧になった。
山岳地帯で鉱石を採掘していた者が、そのまま穢として扱われる場合もあり、古いデンバクドゥルの共同体との連続性を後から確かめることができなくなった地域も多い。
しかしドーブニウ山脈では、同じ変化が全域を覆ったわけではなかった。
幾つもの谷では人々が従来とほとんど変わらない生活を続けた。
坑道へ入り、炉を使い、山羊を飼い、外から穀物を買い、死者を山に葬った。戦争によって王がいなくなった谷では、複数の家の長が共同で物事を決めるようになった。魔術師が残っている場合には、その者が長老として争いを仲裁することもあった。
この時代に、ドーブニウの家々の中で「誰が王であるか」より「誰が道を知っているか」が重要になったとする言い伝えがある。
冬に山を越えられる道を知る者、閉ざされた坑道の水を抜ける者、古い炉を直せる者、どの岩盤を掘ってはならないかを知る者がいなければ、共同体は維持できなかったからである。
現在にも残る幾つかの家は、自らの祖を王や戦士ではなく、この時代の「道守」「炉守」「水守」と呼ばれた者に求めている。
それが実際の古い称号であったかは分からない。後世に職能を説明するために付けられた名である可能性もある。それでも、王朝が弱くなった時代に家や仕事の継承が共同体を支えたという理解は、現在のドーブニウ人にも広く共有されている。
魔法戦争が終わった後も、安定は長く続かなかった。
各地には弱い魔王が残り、かつて封じられていたものが再び現れた。山中でも突然魔力の流れが変わり、長く安全であった坑道が使えなくなることがあった。地脈が乱れた場所では魔石が砕け、地下水が枯れ、別の場所から水が噴き出した。
そのような場合でも、人々は必ずしも集落そのものを捨てなかった。
坑道一つを閉じ、別の坑道を開く。
水路が使えなくなれば、さらに古い水路を掘り直す。
地上の家が失われれば同じ場所へ新しい家を建てる。
この繰り返しによって、どの建物がどの時代のものか分からない集落が増えていった。
古い王宮も同じである。
王がいなくなった後に集会所となったもの、倉庫となったもの、炉を置かれたもの、家畜を入れる場所になったものがある。建物が特別な由来を持つことは知られていても、それを使ってはならないとは考えられなかった。
この頃までに、古代のドーブニウに存在した多くの知恵が山の外へ渡っていた。
職人が他国へ仕えたこともあれば、戦乱を避けて文書や道具が持ち出されたこともあった。古い技術の一部は遠く離れた土地で別の形に整理され、後世まで残った。
その中でも後に重要となるのが、現在のセムルへ連なる地域である。
どの時代に、どれほどの知識がそこへ渡ったのかについて明確な記録はない。しかし古いドーブニウに由来すると考えられる技術、文様、言葉、記録方法の中には、本国では失われながら、セムルでは古い形に近い状態で伝えられたものがある。
これはドーブニウ文明がセムルへ移動したということではない。
ドーブニウの人々は山に残っていた。
むしろ、人々が生活を続けたために、本国では古いものが新しい用途へ変えられていったのである。
星詠文字で書かれた粘土盤は、読めなくなれば炉の壁を補修するために使われることがあった。古い祭具は金属を取り直すために溶かされた。昔の王宮は住居となり、その石は別の建物へ運ばれた。
一方、遠方へ伝わったものは、由来のある古いものとして保存される場合があった。
後世のドーブニウ人が、自らの祖先が作ったものをセムルで初めて知るという現象は、この時代から始まったと考えられている。
そして救世歴の末、月そのものが崩壊した。
六つに分かれた月の魔力は地上へ大きな変化をもたらし、六大魔王の時代、すなわち月魔世が始まった。
ドーブニウ山脈でも空に六つの月が見えた。
後世の伝承では、最初の夜、人々は全ての炉を消し、谷へ出て空を見上げたとされる。六つの月のうちどれを本来の月と呼ぶべきかを巡って老人たちが争い、子供はそれを面白がっていたという。
史実であるかは分からない。
しかし月魔世が、王や魔術師だけでなく、山で暮らす者にとってもそれ以前とは異なる時代の始まりであったことは確かである。
月の魔力によって地脈は不安定となり、山中にはそれまで存在しなかった魔物が現れた。古い坑道の一部では内部の距離が変わり、昨日まで歩けた道が同じ場所へ戻るようになったとする記録もある。
王国としてのドーブニウは、この頃にはほとんど一つの政治的存在として語ることができない。
幾つもの谷、幾つもの町、幾つもの家が、それぞれ異なる方法で月魔世を生き延びた。
ある谷は魔王に従った。
ある谷は貢物を送り、内部への干渉を避けた。
ある谷は山道を閉ざした。
また、何が起こっているのか十分に知ることもなく、以前と同じように鉱石を掘り続けた集落もあった。
そのため月魔世のドーブニウについて、一つの物語を作ることは難しい。
後に全地を覆った魔王の名より、自分の谷を守った無名の者の名を覚えている共同体もある。
どの月がどの魔王に属したのかを忘れても、月魔世のある冬に三つの家が食料を分け合ったことは覚えている村がある。
このような小さな記憶の集積が、古い王国の歴史に代わって残った。
月魔世の終結によって、山に新しい国家が直ちに生まれたわけではない。
しかしその時代を越えてなお、同じ谷に暮らし、同じ坑道を使い、同じ墓へ死者を葬る人々が存在した。
後のドーブニウ王国が自らを古代デンバクドゥルの後継者と考える最大の根拠は、失われた王冠でも、完全な王統表でもない。
王国そのものが失われていた時代にも、山の中に人々がいたということである。
ドーブニウ誌 第六章 王国の再形成
月魔世が終わった時、ドーブニウ山脈には統一すべき一つの国が残されていたわけではなかった。
谷にはそれぞれ人が住み、鉱山は動き、古い道も使われていた。しかし誰が山脈全体の王であるかを問われれば、答えられる者はいなかった。古い王家の名を伝える共同体はあったが、その王家がどこまで遡るものかは明らかでなく、別の谷には別の王統があった。
月魔世の終結後に甲魔歴が定められ、全地で新しい年代が用いられるようになっても、この状態はしばらく続いた。
外の歴史から見れば、これは王国の存在しない時代である。しかしドーブニウの側から見れば、必ずしも無秩序な時代ではない。
谷には谷の決まりがあり、鉱山には鉱山の決まりがあった。水を誰が使うか、どの家がどの坑道に入れるか、山道を誰が修繕するか、冬に備えてどれほど食料を蓄えるかといったことは、それまで通り共同体ごとに決められていた。
月魔世が終わったことで最も大きく変わったのは、山の外との往来であった。
長く閉ざされていた山道が再び使われ、商人が入り、山からも人々が出るようになった。戦乱の間に失われていた交易路を探し直す必要があり、かつて一日の道程であった場所へ行くのに何日もかかることもあった。
地形そのものが変化していた地域もある。
暗断裂や結界の残滓によって道が途切れ、古い地図では繋がっている谷同士を直接行き来できなくなっていた。逆に、月魔世以前には存在しなかった道が生まれ、山を越えることが容易になったところもあった。
こうした変化を調べることが、後の王国形成の初めとなった。
初めに必要とされたのは王ではなく、道であった。
どの谷からどの谷へ行くことができるか。どの峠が冬にも通れるか。どの坑道が崩れているか。どの地域に魔物が残り、どこまでなら商人が護衛なしで入れるか。複数の共同体がそれぞれ持っていた情報を持ち寄らなければ、山脈全体の往来を再び成立させることはできなかった。
このため甲魔歴初期のドーブニウでは、谷の長、鉱山の代表、商人、魔法使いなどが定期的に集まる場が作られたとされる。
後世にはこれを現在の王国の最初の議会であったかのように語る者もいるが、おそらく当初はそれほど整ったものではなかった。一つの道を直すために三つの谷が費用と人手を分ける。魔物が出れば隣の共同体へ知らせる。外部の王国から商人が来れば、どの谷でどの税を取るかを決める。そのような必要に応じた集まりが繰り返され、やがて常設の仕組みに近づいたものと考えられている。
王が再び置かれたのも、その過程の中であった。
現在のドーブニウ王家は古代のダウムネオグから一直線に続く家であると主張してはいない。しかし王家に属する幾つかの系譜では、青銅の王国の時代にまで祖先を遡ることができるとされる。
その真偽は確定していない。
古い王統表には後世の書き足しが多く、月魔世以前の数百年間を一人の人物によって繋いでいる例さえある。それでも現在の王家が甲魔歴初期から山脈中央部の複数の谷に一定の権威を持っていたことについては、比較的確かな記録が残っている。
最初の王たちは山脈全体を直接統治したわけではなかった。
王は道を守り、谷同士の争いを裁き、外部との交渉を担った。各地の坑道や土地については従来の家や共同体の権利が認められた。
この原則は現在までかなり残っている。
王国の土地であるからといって、王が自由に鉱山を掘ることはできない。古くから一つの谷が管理してきた坑道については、その共同体との協議が必要となる。王国が道路を作る場合にも、古い墓地や地下水路を通るならば地元の承認を得るのが普通である。
王国という一つの政治的な枠が作られても、山をそのまま王の所有物とする考えは生まれなかったのである。
このため、ドーブニウ王は他国の王と比べて強い場合と弱い場合がある。
外交や戦争においては王の言葉が大きな力を持つ。王国の外から見れば、ドーブニウは一つの国家である。
しかし一つの谷の水路をどちらへ曲げるかという問題について、王が遠方から命令して決めることは難しい。そこでは水を実際に利用する家々の合意の方が強い。
この政治の形は、統一が不完全だから生まれたものではない。
山脈で長く生活してきた共同体を壊さずに一つの王国を作った結果である。
また、現在のドーブニウ人の多くは、自らが王国の成立によって初めて一つの民になったとは考えていない。
王国よりデンバクドゥルの方が古い。
王国がなくても彼らは存在した。
現在の王国は、古くから存在した人々を政治的にまとめ直したものに過ぎないという理解が強い。
そのため「ドーブニウ人」と「デンバクドゥル」は完全に同じ意味ではない。
デンバクドゥルはより古く、山そのものと結び付いた呼び名であり、ドーブニウ人は現在の王国に属する者という意味を含む。山を離れて暮らすデンバクドゥルも存在し、逆に別の土地に祖先を持ちながら何世代もドーブニウに住む者もいる。
しかし日常において両者を厳密に区別する必要はあまりない。
一つの家が何百年そこに住んだかを確かめてから隣人になる者はいない。谷の祭りに参加し、共同の道を使い、死者をそこに葬るうちに、その家は山の家の一つと考えられるようになる。
王国の再形成によって、古い祭りも整理された。
山脈全体で同じ祭日を定めようとする試みは何度かあったが、完全な統一には至らなかった。現在でも同じ祭りが谷によって数日違って行われる場合がある。
古くから重要なのは、炉の火を落とす日と再び入れる日、坑道を閉じる日、死者を記憶する日、冬の終わりに山道を開く日などである。
これらの祭りに、古代の信仰がどの程度残っているのかは判断しにくい。
名のない魔術師について語る祭りもあるが、その内容は谷によって大きく異なる。彼を神の使いとする地域もあれば、人々を救った古い魔術師としてのみ扱う地域もある。
星詠文字もこの頃から再び研究されるようになった。
甲魔歴の学者や魔法使いは、山中に残っていた粘土盤を集め、その文字を読み解こうとした。しかしすでに完全な読み方を知る者は少なかった。
その際、思わぬ場所から古い形が知られることとなった。
セムルに残されていた文書や工芸品の中に、ドーブニウでは失われた星詠文字の用法や古い文様が確認されたのである。
当初、それらが本当にドーブニウに由来するものかを疑う者もいた。
しかし山中から後に発見された古い粘土盤と比較すると一致する部分があり、セムルに伝わった技術の少なくとも一部が古代デンバクドゥルのものを継承していることは広く認められるようになった。
これはドーブニウ人にとって奇妙な発見であった。
祖先のものが、祖先の土地ではなく別の王国に残っていたのである。
しかし、それによってセムルから古い文化を取り戻そうという大きな運動が起こったわけではない。
ドーブニウではすでに別の生活が続いていた。
読めなくなった星詠文字の代わりに現在の文字があり、古い炉とは異なる炉が使われ、失われた工芸品の代わりに現在の職人が新しい品を作っていた。
セムルにあるものは祖先の遺産ではあるが、現在の生活を昔の形へ戻す理由にはならなかった。
この態度は、古い建物に対するものとほとんど同じである。
残っているなら使う。
壊れれば直す。
使えなければ別のものへ作り替える。
しかし完全に失われたものを、失われたという理由だけで復元しようとはしない。
甲魔歴が進むにつれて、ドーブニウ王国は中央部の諸王国の一つとして数えられるようになった。
フィーネシア、セムル、イクツドゥーク、フェンフレイユー、フォーンフェヴォー、アーゲスティア、デレクタードと並び、現在では中央八王国、あるいは中央八主国の一つとされている。
しかしその国境の内側には、王国そのものより古いものが大量に残っている。
王家より古い家。
現在の道より古い坑道。
現在使われる文字より古い印。
国家の法より古い水の取り決め。
そして、それらの多くは古いという理由で保存されているのではない。
今でも必要だから残っているのである。
ドーブニウ誌 第七章 現在の山国
現在のドーブニウ王国を訪れた者が最初に目にするものは、必ずしも鉱山ではない。
山脈へ近づけば、谷の斜面に沿って家々が並び、その間を細い道が通っている。家の多くは石造であるが、上階や屋根に木材を使うものもあり、建て替えを繰り返したため一つの建物の中に異なる時代の石が混じっていることも珍しくない。外から見れば普通の住宅であっても、地下には古い貯蔵室や作業場があり、そのさらに奥に現在は使われていない通路が残っていることがある。
王都も、その延長として存在する。
ドーブニウの王都は、山脈の全てを上から支配するために築かれた都市ではない。幾つもの谷と山道が交わり、交易と裁定のために人が集まる場所が長い時間をかけて大きくなったものとされる。王宮はそこにあるが、それだけが都市の中心ではない。市場、職人の区画、鉱山から運ばれた石や金属を扱う倉、遠方から来た商人の宿、共同の炉などがそれぞれ人を集めている。
山中の町は王都より小さいが、生活の形は大きく変わらない。
朝には坑道へ向かう者がいて、炉を開く者がいる。外から運ばれてきた穀物や塩が市場へ並び、山中で作られた金属器や石材が荷にまとめられる。家畜を追って谷の上部へ向かう者もいれば、王国の役人や商人として一日中地上にいる者もいる。
現在のドーブニウ人の大部分が鉱夫であるわけではない。
採掘には鉱夫だけでなく、測量を行う者、坑道を補修する者、荷を運ぶ者、炉を扱う者、道具を作る者、帳簿を付ける者、地下水を管理する者、魔力の異常を調べる魔法使いなどが関わる。その周囲には食料を作る者、衣服を縫う者、商いを行う者、子供を教える者もいる。
それでも鉱山は、王国全体の生活の尺度となっている。
大きな鉱山がしばらく閉じれば、その周辺の市場は静かになる。新しい鉱床が見つかれば人が集まり、宿が増え、山道が修復される。地脈を休ませるために採掘が停止されれば、数十年後までその土地をどう利用するかが共同体の問題となる。
地脈を休ませるという古い考えは、現在でも生きている。
現在の魔法使いはそれを魔力の流れとして説明し、古い鉱夫は「山を疲れさせないため」と言うことがある。両者の言葉は異なるが、実際に行うことはよく似ている。
採り過ぎない。
水の変化を見る。
岩の響きが変われば掘るのを止める。
一度閉じた坑道を、必要以上に早く開かない。
このためドーブニウでは、採掘をしないことも鉱山を管理する仕事の一つと考えられる。
百年間ほとんど使われない坑道があっても、それは捨てられたものとは限らない。入口が整えられ、年に一度だけ中を確認し、水位と岩盤の状態を記録する場合もある。子供の頃に閉じられた坑道が、老人になってからようやく再び開かれることさえある。
こうした時間の長さは、人々の生活にも影響している。
一人の人間の生涯では終わらない仕事が多い。
父が閉じた坑道を子が管理し、孫が開く。
ある家が始めた水路の修繕を、隣の家の者が完成させる。
王が命じた道路工事がその王の死後まで続くこともある。
それを特別なこととは考えない。
ドーブニウでは、完成を見ることより、次の者へ問題なく渡せる状態にしておくことの方が重要な仕事も多いからである。
家族の生活も古くから大きく変化していない。
現在では王国の法によって婚姻や相続について一定の決まりがあるが、家ごとの慣習も強く残っている。家そのものだけでなく、坑道の利用権、地下室、炉、牧地、水の利用、墓所などが相続の対象となるため、単純に土地を分ければよいというものではない。
一つの坑道を兄弟で分割することはできない。
そのため共同所有のまま残すこともあれば、一人が管理を引き受け、別の者が他の財産を受け取ることもある。家の者が誰も鉱山の仕事を継がない場合には、親族や同じ谷の別の家へ管理を移すこともある。
婚姻によって別の谷へ移る者も多い。
山脈の内側であっても谷が違えば言葉の癖や料理、祭りの日が少し異なるため、婚姻した者が相手の谷の生活に慣れるまで数年かかることもある。
山の外から来た者についても同じである。
ドーブニウ人であることを血統だけで決めようとする考えは強くない。しかし山に来た者がすぐに山の者になるわけでもない。
何年住んだか。
誰と暮らしているか。
共同体の仕事に加わっているか。
どこに死者を葬るつもりでいるか。
そうしたことが積み重なって、その者がどこの者であるかが決まっていく。
逆に山を離れた者も、直ちにデンバクドゥルでなくなるわけではない。
商人、冒険者、魔法使い、兵士などとして他国に暮らしながら、自分の家の谷へ定期的に帰る者もいる。死後は遺骨だけでも山へ戻すよう頼む者もいる。
葬送には現在でも古い習慣が多く残っている。
死者を地上の墓地へ葬る地域もあれば、山腹の石室や地下の共同墓所を用いる地域もある。かつて坑道で働いた者の道具を一つだけ墓へ置く習慣もあり、斧を置く場合もあれば、槌、灯り、炉を扱う小さな道具などを置く場合もある。
高価なものを大量に副葬することは一般的ではない。
良い道具は生きている者が使うべきだと考える者が多いからである。
そのため死者の愛用品そのものではなく、刃を落とした古い斧や、小さく作った模造品を置くこともある。
墓には星詠文字が残っている。
現在それを完全に読み書きできる者は限られるが、名前、家、死、山などを表す幾つかの字は広く知られている。現代の文字で名を書き、その下に星詠文字一字を添える墓碑も多い。
その字が本当に古代と同じ意味で使われているかは、必ずしも明らかではない。
しかし人々にとって重要なのは、完全な古代語を再現することではない。
祖父の墓にあった印を父が使い、父の墓にもそれを刻む。その連続そのものに意味がある。
信仰については、王国全体を一つの教義によって説明することは難しい。
名のない魔術師は現在も多くの地域で語られる。
ある者は彼を唯一の神に仕えた者とし、ある者は人を救った偉大な魔術師とする。古い伝承のまま神的なものとして敬う者もいるが、それを偶像的であるとして嫌う者もいる。
王国として、どれか一つを正しいものと定めることはしていない。
山や地脈についても、人によって語り方が違う。
「山が与える」と言う鉱夫が必ずしも山を神としているわけではなく、「地脈が戻った」と言う魔法使いが信仰を持っていないとも限らない。
ドーブニウでは、古い宗教語と現在の技術語が同じ生活の中に並んで残っている。
炉竜もその一つである。
古代のように青銅精錬の中心を炉竜だけに頼ることはなくなったが、現在でも一部では飼育されている。大型の炉で補助的に利用されたり、山中の高温環境で作業する際に用いられたりする。
炉竜を家畜と呼ぶことを嫌う家もある。
それは神聖だからというより、人が完全には支配できないものだからである。扱いを誤れば炉を壊し、火傷を負わせ、逃げれば捕まえることも容易ではない。
古い炉竜飼いの家では、それぞれの個体に名を付け、性質を記録する。
その記録の中には、古い家系図より詳しいものさえあると言われる。
食事は外から見れば質素に映ることが多い。
平地から入る穀物を煮たもの、硬いパン、乳製品、保存肉、豆や根菜が日常的に食べられる。谷によっては果樹も多く、川魚を食べる地域もある。
古くから坑道へ持っていく食事には、水分の少ないものが好まれる。
肉と穀物を固めて焼いたもの、塩味を強くしたパン、乾燥した果実などは形を変えながら現在まで残っている。
しかし祝祭の日には食卓は大きく変わる。
家族だけでなく隣家や遠方から帰ってきた親族が集まり、普段より多く肉を焼き、酒を開ける。谷によっては一頭の家畜を共同で料理し、複数の家へ分ける。
祭りには壮大な宗教儀式より、共同の食事の方が重要である場合も多い。
冬の終わりに山道を開く日には、若い者が実際に道を歩き、雪や崩落を確認する。それが終わって初めて、その年の往来が始まる。
坑道を閉じる時にも小さな宴が行われる。
それが十年後に開く坑道なのか、百年後なのか、二度と使われないのかは分からない。
入口には日付と管理する家の印が刻まれる。
そして最後に入った者が灯りを持って出てくる。
この習慣の起源は分かっていない。
現在では単に安全確認の手順として扱う者もいる。
ドーブニウの服装も、山での生活から強い影響を受けている。
坑道で働く者は厚い上着を用い、袖口や裾を狭くして岩に引っ掛からないようにする。地上では天候によって外套を重ね、山道を歩く者は足首を固く覆う。
祭礼用の衣服には古い幾何学的な文様が織り込まれることがあり、その中にはセムルに保存された古代ドーブニウの文様とよく似たものもある。
ただし現在のドーブニウ人が、その全ての意味を知っているわけではない。
「昔からこの形である」という理由だけで使われているものも多い。
これはセムルとの違いをよく表している。
セムルでは古いドーブニウ由来の技術や文様の中に、由来を記録し、形を保ったまま伝えられているものがある。
ドーブニウでは同じものが生活の中で変形している。
セムルの工房に古代とほぼ同じ形の器が保存されている一方、ドーブニウではその器から派生した日用品だけが残り、元の形を知らないこともある。
反対に、セムルでは文書によってしか知られない道具を、ドーブニウでは今も鉱夫が普通に使っていることがある。
どちらがより正しく古代を継いでいるかという問いには、簡単には答えられない。
セムルは形を残した。
ドーブニウは使い続けた。
現在の両国の関係に強い敵意はないが、この違いは学者や職人の間でしばしば議論になる。
セムルの研究者が古い製法を説明し、ドーブニウの職人が「それでは壊れる」と答えることもある。
反対にドーブニウで失われた工程について、セムル側の古文書によって初めて意味が分かることもある。
王国はこうした古い共同体の上にある。
現在の王は外交、軍事、主要街道、王国全体に関わる法を扱う。王都には役所があり、税が集められ、各地域から人が来る。
しかし王が一つの谷へ赴けば、そこでは王自身も古い決まりに従う。
共同墓地を横切る新しい道を王が望んでも、地元の同意なく作られることはない。
王家が重要な魔石を必要としても、その鉱床が休ませる時期にあるなら、容易には採掘されない。
これは王権が弱いということではない。
王が守るべきものの中に、王より古い約束が含まれているからである。
ドーブニウ王国には、自らを世界の中心と考える強い伝統はない。
古代には山を下り支配地を拡大した王たちもいた。
青銅の王国が広い地域へ影響した時代もあった。
しかし現在の人々にとって、それは自分たちが再び成し遂げるべき事業とは一般に考えられていない。
山にはすでに十分な仕事がある。
閉じられた坑道があり、修理すべき水路があり、次の冬までに直すべき道がある。
王朝が興り、魔術が変わり、六つの月が現れて五つが失われた後にも、人々はこの山で暮らしてきた。
現在のドーブニウ人が古代デンバクドゥルの末裔であると言う時、それは完全な血統表を持っているという意味ではない。
同じ王朝が続いているという意味でもない。
山脈のある谷で、古い坑道の脇を通り、祖先と同じ場所から水を取り、名の分からない死者の墓を壊さず、その隣に自分たちの死者を葬っている。
その生活が途切れなかったという意味である。




