5.もしもの世界
アリアが自己否定をし、私たちを肯定した後、アリアは私を見つめている。
アリアは力なく私に首を傾げて、
「あなたがここに来た理由は、私に『カッコつけ』の意味を問いたかっただけですか?」
私は言葉に詰まっている。
問いたかった。そんな理由もなく、ただ家を飛び出して来たのだから、問いたいという気持ちは確かにあっても、その気持ちは曖昧な、人間の感情らしいものだった。
一瞬の感情に流されたかのように、今の私は熱から冷めたかのように感じていた。
だが、アリアが私に聞いた質問には答えられない。そこに曖昧な理由しかないのだから、それこそ運命というものなのだろう。
「答えられませんか。いえ、答えられない。質問自体を私が間違えました。
違う話にしましょうか、クエリ。あなたが好きそうな……」
アリアは何かを考えているように私から目を逸らして、何かを思いついたように不気味に笑い、
「ある場所では、誰もが学校に通って教育を受ける。勉強ができない人間はバカと言われ、勉強ができる人間は天才と言われる」
私は笑っている。なぜなら、懐かしいからだ。
私はアリアの言葉に、変だと思っていた。私には理解できない、だから変なのだ。アリアに問う。
「ずいぶん、変わった世界だね。なぜ勉強を物差しにしたの?」
そう、私はアリアに問うた。単純な話だ。なぜ勉強が優劣を決める物差しなのか。私にはそれがわからない。なぜ勉強なのか。
「この世界では、そのあなたの問いを社会はズレとして、周囲はあなたを冷笑し、冷笑しているものも冷笑されないために冷笑します。あなたの問いはズレとして、バカや異常というレッテルを貼られて排斥されるのですよ」
アリアは私にごく自然に言うが、私には冷笑されることがなぜ嫌なのかがわからなかった。変だと思っていた。
アリアは私を見つめながら話を続ける。
「そこでは、形を尊重すると言いながら、みな違いがわからない形に収まっていきます。
努力は美徳ですが、何のための努力かは最後まで曖昧です」
「なぜ、そこまで救いがない世界なの? なぜそんな世界で努力をして……」
私は気づいた。努力をしないことが形であっても、それは尊重されず、冷笑される。だから、みな同じ道を歩んでいく。
「そう、あなたの理解している通り、救いようがない世界なんでしょうね。ニュースを見れば、戦争、殺人、物価高、政治不満と、不満ばかりで未来には希望はない」
私の、この世界はみな優しい。戦争はなく、殺人もなく、政治不満もない。
何かのために努力したい人間だけが努力すればいいし、形は尊重されるし、冷笑なんてされたこともない。そんな優しい世界。
「なぜ、そんな世界に生まれてしまったのでしょうかね」
アリアは冷静に私にそう言う。「なぜ」が付いているが、私に問うているのではなく、その世界にいる人間がまるで可哀想だとでも言いたげな言葉だった。
「そんな世界、あなたはどう思いますか?」
「最悪な世界だね」
最悪な世界……人は良いことよりも嫌だったことが残る。人は良い面しか見たくないが、覚えるのは反して、いつも悪い面ばかりだ。
とても面白い世界。それだけが全てだったとしても、それが面白い。空想はいつも私に非現実を与えてくれた。人は本質的に、いつも安定よりも刺激を求めている。
私はなぜか楽しそうであり、事実、楽しかった。なぜか私はいつもこんなことを考えないからであろう。考えることが楽しかったと思ったのか、アリアといる時を楽しんでいるのか、まだ私にはわからない。
「ねぇ、クエリ。あなた……わかってますよね」
アリアは笑顔だった。その笑顔は私には不気味な笑顔に見えた。
アリアは私に呟いたが、その言葉に私の表情には何を言われたのかわからない困惑が浮かんでいた。
「何、言ってんの?」
「いえ、ただ本当にクエリは面白い使い方をするなと」
アリアは本当に凄いと私は思う。あれは本当に予想できなかった。私はいつもアリアの後ろを歩き続けている。まだその背中は見えない。
私は「何を言ってるか?」とアリアに問うたが、アリアのさらに意味不明な言葉に何を言いたいのかがわからない表情をして、少し強く、
「何を言いたいの?」
「いえ、すみませんね。あなたと話しているのに……今日は本当に悪い天気ですね」
アリアは雨が降る真夜中の街を見ながら、「今日は悪い天気」だと答えたが、私にはアリアが何を言っているかが全くわからなかった。
私は困惑と理解できない苛立ちで眉を寄せ、そして何よりも「悪い天気」だと言ったことにさらに苛立ちを露わにした。
「何言ってんの! 良い天気って言いたいの!?」
私は苛立ちのままにアリアに少し声を荒げて問う。
おかしいのだ。「雨を悪い」天気となど言うことは、アリアは冒涜しているのか、単に間違えたのか、私が理解しきれないのか。それらを考えても私にはわからない。だからこそ、私は苛立ちを表情に出しながらアリアの言葉を聞く。
「いえ、そうですね。今日はとても良い天気です……では、もし悪い天気という世界があったらどうですか?」
「おかしい、そんな世界あってはいけない!」
私はアリアの言葉にすぐに答える。それは反射的なものだった。
そんな世界があってはいけない。そんな冒涜的な世界があっては……
「寒いですね」
アリアは私を見て「寒い」と言った。
私の寝巻きは大雨で完全に濡れ、元々の気温も一桁であり、さらに裸足である。皮膚は赤くなって手は霜焼けになっている。
だが私はなぜかそんなことを気にしていなかった。アリアと話している間、私は取り憑かれているのかというほどに。
だが、アリアの言葉に自分の姿を見て、やっと現実に戻ったかのように、
「確かに、寒い?」
「家に帰らないんですか? それともまだ話しますか?」
「まだ、話していたい」
「なら、雨が当たらない場所に行きましょう」
そう言い、アリアは公園から出て、道路を渡ってビルとビルの間の路地裏に足を運ぶ。
そこは雨が届かない。だが、公園とは違い街灯の灯りがなく、かすかに道路の街灯の灯りが差し込むだけだ。
アリアは私に自分が着ていた上着を羽織らせる。アリアはなぜかその時だけは信じられないほど優しい顔をしていた。その顔を見ているだけで心が落ち着き、寒い? 雨が降っている? 外? そんなことはどうでもよくなった。ただ心が温まるような気持ちになった。
「懐かしいですね。ここが私は1番落ち着くのかもしれません。そして1番幸せだったのかもしれません」
アリアは路地を見て、過去を懐かしむように独り言を私の前で呟く。
私は少し顔を赤くして、安心そうな顔をしていた。
アリアは路地の壁に立ったまま寄りかかり、私を見て、ポケットから新品のタバコの箱と新品のライターを取り出して、
「あなたを見ていて、またカッコつけでもして吸いたくなって買ってみたのですがね……私には吸えないみたいですので、あげますよ」
「どうしたの? なんで吸わないの?」
アリアは私にライターとタバコを差し出した。
私はタバコとライターを渡された手を見つめながら、純粋な疑問をアリアに問うた。
「約束というやつですかね。まぁ、吸わないのであげますよ。そのタバコ、嫌いだったら捨ててください」
私は何も言わずに濡れた寝巻きのポケットにしまった。




