祇園精舎での問答――2
このとき集まりの中にいたパセーナディ王がその巨きな体を揺らして立ち上がった。そして恭しく申し述べる。
「世尊、私はまだ仏の御教えを聞かないころに、サンジャヤ・ベーラッティプッタに会ったことがあります。そのとき彼は、この体が死んで滅くなったことが涅槃であると申しましたが、死後、滅くなるということは淋しいことです。それにいま世尊は、滅くなることのない覚の本心というものをお説きになったので、私はまことに明るい気持ちになりました。どうか、その無くならない心の境界に入る道をお説き下さい」
それに応えて世尊が云う。
「王よ、汝の体は金剛のように強いものか、それとも滅くなるものか」
「滅くなるものであります」
「いま現に滅くなっていないものを、どうしたら滅くなると解るのか」
「世尊、この体はちょうど火が次第に灰へ変わってゆくように一刻一刻に遷り変わっております。世尊、子供のころには、私も膚が艶やかでありましたが、今は年老いて皺んで来ました。また若いころには、血気に満ちていたのでありますが、今は気も弱り心も昏くなって来ました。もとより何時どれほどに老いたとは覚えませんが、しかし十年を一限にして過ぎこしかたを見返りますと、明らかにこの老いの変わり目が見えます。さらに思いをこらして見ると、この変わり目は一年の上にも見られ、一月の上にも見られます。否、刹那の間すらも止まらぬのが、人命の無常であります。これによって見ますと、この私の体も、遠からずして滅くなるものであることは、少しの疑いもないのです」
「王はよく身の滅くなるものであることを申された」
世尊は頷き、続ける。
「それでは次に、その滅くなる身の内に、滅くならないものがあるということを説くであろう。王よ、王はいつ初めて恒河を見られたか」
「三歳のとき、母に伴われて神の廟に詣でて、初めて恒河を見ました」
「その時と今とで、恒河の水に何か変わりがあるであろうか」
「五十五歳になりました今日も、三歳の昔も、同じように流れております」
「王よ、髪に白さが混じり、面に皺のよってきた今と、三歳の童であった昔とで、その河の流れを見るに、見方の違いはあるまいか」
「少しも違いはありませぬ」
「王よ、面が皺んでも見方の性には皺がよらない。変わるものは変わっても、変わらぬものは変わらぬのである。皺むものは変わり、変わるものは滅くなる。しかしその中に滅くならぬものがあることは解るであろう。異教の人達が云うように、体が滅くなると一緒にすべてが滅くなるとは云えぬのである」
パセーナディ王は、強国コーサラの統治者として何者にも脅かされない力と莫大な富を持ち、すべてを思うがままに出来る立場にあった。けれども、歳を重ねるごとに漠然とした不安と焦り、そして寂寥感が大きくなっていくのをどうにも出来ないでいた。それはこれまで、いかな聖者の言葉を聞いても払拭されなかった。
(しかし世尊は仰せられた。たとえ朽ちゆく身は捨てても、そこに滅びないものがあって、永久の生を得ることが出来る、と)
昏い胸の奥底に燈火がぽっと灯ったかのような、暖かな想いを感じた。
(やはり世尊の御教えは素晴らしい)
王の心は慰められ、類ない喜びが湧き起こってき、パセーナディ王はしばしそれに浸っていた。




