祇園精舎での問答――1
このような出来事の後、アーナンダは娘の誘惑をいかようにも出来なかった我が身のふがいなさを感じ、師へ道を修める方法について尋ねた。
それは大きな集まりの時であった。講堂には多くの比丘や比丘尼、また在家の信者たちがいた。
アーナンダの問いに世尊は云う。
「アーナンダよ、汝は初めて発心したとき、どのような相を見て、世の愛欲を捨てたのか」
訊かれてアーナンダは出家を決心した際の自分の心境を思い起こした。
「世尊……私は世にも勝れた世尊の御相好を拝見して、『この瑠璃のように澄みわたる御体は決して愛欲の中から生まれたものでない。欲の気あらくして膿血のように濁った心を持つものに、どうしてこのように光が出るであろう』と存じて、渇仰のあまりに出家しました」
と、彼は答えた。
「アーナンダよ、善いかな。汝もし、まことに真の證を究めたいと思うならば、直ぐな心で私の問いに答えるがよい。アーナンダよ、汝は仏の相好に渇仰して出家したと云うが、それはいったい何によって見、何によって慕うたのであるか」
「世尊、私はこの眼によって拝み、この心によってお慕い申しました」
「アーナンダよ、それに違いはない。しかしまた、汝を今日まで生死の巷に流転わしめたものも、その眼と心であったことを知らねばならぬ。それゆえアーナンダよ、ちょうど国王が賊に侵されてこれを討とうとするには、何よりも先にその賊の所在を知る必要があるように、いま煩悩の塵を滅くそうとするにも、先ず以ってその眼と心の所在を確かめねばならぬ。汝の眼と心は、どこにあると思うか」
「目は顔に、心は身の内にあります」
「では、この講堂にあって、汝の眼に何が見えるか」
この問いかけに、アーナンダは改めて自分の見ているものを確認した。目の前には尊敬してやまない師が坐し、周囲には多勢の人々が坐っている。出家者の席には良く知った上座の弟子たちが並び、一方の在俗の者たちの席には最前列にパセーナディ王の巨体が在った。その周りにはコーサラ国の重臣たち、後ろにはスダッタ長者をはじめとするシュラーヴァスティーの富商たちの顔が見える。そして、その向こうに開かれた大きな窓を通し、祇園精舎に生い茂る木々の緑が目に映った。
彼は答える。
「……先ず世尊を見奉り、次いで大衆を見、それから外に及んで林を見ます」
「いかにも汝のいうように、いまこの室の窓が開いているから、遠くの林までも見ることが出来る。しかしこの大衆の中で、仏を見ないでただ室の外ばかりを見ているものがあるであろうか」
「さようなものは居りません」
アーナンダの返事を受けて世尊は肯き、さらに云う。
「アーナンダよ、もし汝の身の内に心があるならば、何をおいても先ず、身の内のことを詳しく知るはずである。しかるに人々は身の内のことについては何事も知ることが出来ない。してみれば、『心は身の中にあり』ということは出来ぬではないか」
アーナンダは少し考えた後、答えた。
「世尊、私はいま御教えによって、心は身の内にあるのでなく、身の外にあるのであるということを悟りました。たとえば、室の内に燈明を点すと、燈明は自分自身を照らさずに、まず室の内を照らし、次いで室の外に及ぶというように、人々もまた身の内を見ないで、ただ身の外ばかりを見るのでありましょう」
「しかしアーナンダよ、もし心が身の外にあるとすれば、身と心が互いに離れて、心の知るところを身は知らず、身の覚えるところを心の知ろうはずがない。けれども実には、心の知るところは身に感じ、身に感じたことは心によくわきまえるのである。それ故、アーナンダよ、心は身の外にあるとはいえない」
アーナンダの思考は混乱した。
(世尊は先ほど、『心は身の内にあると云うことが出来ぬ』と仰せられた。けれども、『身の外にもない』とは。では、私の心の所在は何処なのであろう)
そこで彼は掌を合わせ、改めて世尊に尋ねた。
「既に心は身の内にあるのでもなく外にあるのでもないとしますと、いったい心の本体はどこにあるのでしょう。願わくは世尊、大慈悲の御心を以って、この理を明かし給うて、道を修める者の要をお教え下さい」
世尊は云う。
「アーナンダよ、すべての人々は、始めも知れぬ昔から深く業の絆に縛られているのであるが、それは全く二つの根本を知らぬからである。一つは生死の根本が妄の心であることを知らないで、これを自分の本性であると思っていること。二つは覚の本体であるところの清浄な本心が、自分の上に備わっているということを知らないことである」
そして世尊は肘をあげて指を屈げた。人々の眼がいっせいにそこへ集まる。
「……アーナンダよ、これを何と見るか」
「世尊がいま、肘を挙げて拳をお作りになり、私どもの心をお引きになったことと拝します」
人々の痛いような視線をそこに感じながら、アーナンダは答えた。
「何によって見たのか」
「大衆と一緒に眼を以って見ました」
「眼を以って見たのならば、心を引くと云わぬでもよいであろう」
「しかし私が眼を以って見たところを、心で以って拳であるとわきまえたのであります」
「アーナンダよ、汝はそのわきまえるものを汝の心だと思うのか」
「まことに仰せの通りであります」
咄
と、このとき世尊は舌打ちしてアーナンダを叱る。
「アーナンダよ、それは汝の本当の心ではない」
驚いたアーナンダは云った。
「世尊、それでは私の本当の心は何でありますか」
「アーナンダよ、その分別の心は実のない虚妄のものである。因縁によって起こり、因縁によって移り変わる実態のない空のものである。それを実のある心と信じたところに、汝の永劫の惑いが起こったのである」
次いで世尊は、また拳を作り、さらにそれを開いてアーナンダに問う。
「アーナンダよ、汝はこれを何と見るか」
「世尊が拳をお作りになり、またそれをお開きになったと拝します」
「汝は私の手に開合があると見たのか、あるいは汝の見方に開合があると考えたのか」
「世尊……世尊の御手に開合が在るのであります。私の見方によって定まったのではありません」
「それでは、動くのは私の手か汝の心か」
「世尊の御手であります」
そこで世尊はさらに手を挙げて左右に動かし、アーナンダの心に何事か暗示を与えた。
一方、アーナンダは師の手の動きにつられて、左右に首を動かした。
「アーナンダよ、汝が私にひかれて頭を動かすときに、汝の頭が動くものと思うか。または汝の見方が動いておるものと思うか」
「世尊、頭であります。見方には何の動きもありません」
そして世尊は講堂にいる人々に向かって云った。
「弟子等よ、すべての人々はちょうどこのように、みな客塵煩悩のために、常にその清浄な本心を汚されて、誤った考えに堕ちこんでいる。外の因縁にひかされて起こる煩悩は、常に動き動いて止むときがない。それは客の如くにしばしの間宿る心であり、塵のように外からくっついて内の本心を汚すものである。けれども覚の本体である浄い心は、そのために動かされることもなければ汚されることもない。煩悩の塵に埋もれど、その性は失われぬのである。それはいま、アーナンダが頭は動くが見方は動かぬと云い、私の手は動くがアーナンダの見方は動かないと云ったのと同じである。汝ら心して、動く客塵の煩悩を自分の本性と思ってはならない。動かない覚の本心に眼ざめて、真の自分を知らねばならぬ。もし動く煩悩に心捉えられれば、いつまでも転倒の見方に追われて、迷いの巷にさまよわねばならぬであろう」
この教えを聞いて、アーナンダを始めとする講堂に会した人々は心開け、喜びが湧いて、乳を失った赤子が慈母に見出されたような感慨を持った。




