比丘尼たち(キサー・ゴータミー)――2
そしてキサー・ゴータミー[吉離舎瞿曇弥]、彼女の経験は悲惨である。
シュラーヴァスティーの貧しい家に生まれた彼女はひどく痩せていたので、キサー(やせた)ゴータミーと呼ばれた。嫁してささやかな幸せを得たが、やがて子を宿し出産が近づいたため実家へ行く途中、夫が路上で死んでいるのを見つけた。その衝撃でゴータミーは男の子をその場で産み落とした。小さな命を胸に抱き、母となった喜びにひたったゴータミーであったがそれもつかの間、赤子の泣き声はしだいに弱くなり、そのうち呼吸も止まってしまった。
ゴータミーの心の内で何かが崩れ落ちる。
「この子を助けて……」
彼女は道行く人々を止めて我が子の助かる道を尋ねた。
人々は憐れに思ったが、既に息絶えたものを蘇らせる術も無いので、ただ同情の涙を流すことしか出来なかった。それから幾日も、正気を失った哀れな女が都の巷をさまよっていた。
そんなある日、一人の男が彼女を見かねて呼びとめ、教えた。
「妹よ、その子の病はなるほど重い。どうして世の中の医師の手に負えようか。しかしただ一人、その病を癒せる御方を私は知っている。それはいま幸い祇園精舎に留まっておられる仏陀その人であろう」
彼は熱心な仏の信者であった。
これを聞いたゴータミーは、もはや救われたように踊り上がり、すぐに祇園精舎に向かった。そして世尊に会って愛児の病を救いたまえと、ひたすらに願った。
釈迦牟尼世尊は静かに彼女の云うところを聞いたのち、優しく語る。
「ゴータミーよ、この子の病は癒し易い。しかしそれには、芥子の実を五、六粒飲ませねばならない。急ぎ街に出てもらってくるがよい」
彼女はあまりにも容易いことと知り、すぐさま街へ駆け出そうとした。けれども世尊は、それを制止してさらに云う。
「しかしゴータミーよ、その芥子の実はまだ一度も葬式を出したことのない家、人の死んだことのないところへ行って、求めて来ねばならない」
彼女にはその意味がとくと呑み込めかねたが、いま愛し子の危急の際に、深く考えている余裕はなかった。そして急ぎシュラーヴァスティーへ行き、芥子の実を乞うのであった。ところが、乞われて芥子の実をくれない家はただの一軒もなかったけれど、死人があるかと聞かれて、一度も死人を出さないと答える家は街中の隅々まで訪ねても求めることが出来なかった。
ゴータミーは不思議に思った。だが、悲しみと激情に乱れていた彼女の精神が静まってくるにつれ、次第にその意味が解ってきた。
人は生まれて死なぬものはない。家に死別の悲しみが訪れぬものはない。いとしき妻、可愛い我が子、大切な両親、頼りとする夫、いずこにも人の世の悲哀はつきない。そして最後は、その無常を我が身の上に受けねばならない。
ゴータミーは粟立つような戦慄を覚えた。そして腕の中を見れば、冷たくなった我が子は歩くたびに、がくがくと作り物のように首を揺らし、かすかに異臭も漂いはじめている。
彼女は街を出た。愛児の骸を墓地に置き、急いで精舎へ戻って仏陀の前に跪いた。
「赤子はいかがいたした。芥子の実は求められたか」
世尊はゴータミーに話しかけた。
「いえ……悪い夢から醒めました。世尊、どうか妾を御弟子の一人にお加え下さい」
こうして世の無常を知った彼女は出家したのであった。




