善き友
あるとき、アーナンダはふと思ったことを口にした。それはシャーキャ族の人々が住む村に留まっていたときのことである。
「世尊、よくよく考えてみると我らが善き友、善き仲間のなかにあることは、その道の半にもあたるように思われます」
彼の師は、にこりとして応える。
「アーナンダよ、それは違う。そのように考えてはならぬ。アーナンダよ、それがこの道のすべてである」
アーナンダはよく理解できず、怪訝な顔をした。それを見た世尊は詳しく説き明かす。
「アーナンダよ、それはこのことによっても知ることが出来る。アーナンダよ、汝等は私を善き友とすることによって、老いねばならぬ身でありながら、老いより自由になることができ、死より自由になることが出来るのである。アーナンダよ、それを考えても、善き友を持ち、善き仲間とともに在ることが、この道のすべてであると分かるではないか」
仏陀に従い、僧伽に在ることは、その教えを学び、行うということである。ならば、この善き友らと共に在ること、それが道のすべてであると、彼の師は云う。そして自らも、その中の一人なのだ、と。
実際、彼らの師は弟子にかしずかれて、独り超然としている人ではなかった。覚を得てもそこで止まることなく、一人の道を求める者として修行をおこなっていた。
ある雨安居のときである。眼の不自由なアニルッダが衣を縫うのに難儀していた。
「善き方々よ、私の針に糸を通して、さらに功徳を積もうとする方はおいでになりませぬか」
その声にすぐに応じた者がある。
「アニルッダよ、私が功徳を積ませてもらおう。さあ、針と糸を」
それは師であった。
「世尊……」
アニルッダは困惑した。
「私は覚を開いた方で、この針に糸を通すことによってさらに功徳を積もうとする者はいないか、と申したのです。既にあらゆる功徳を積まれ、一切を成し遂げられた世尊にお願いするためではありませぬ」
「アニルッダよ、功徳を積むことにおいて私に勝る者はいない。私は多くの功徳を積みたいと思っている。しかしそれは自らのためでなく、生きとし生けるものを救いたいがためなのだ」
世尊の言葉に、アニルッダはもはや何も云わず、衣を縫ってもらった。厳しい修行に明け暮れる日々であったが、世尊の弟子たちはこのように和やかで暖かな雰囲気の中にいた。




