弟子たちの語らい――3
このように釈迦牟尼世尊の弟子たちは互いに親しみ尊重し、思いやりの中で修行を為していた。けれども弟子の数が多かったので、皆がみな、互いを見知っていたわけではないようである。世尊が竹林の栗鼠園に安居を過ごしたときのことであった。安居が終わって多くの弟子たちが諸方から師の許へ集まってきた。その前で、世尊は問いかけた。
「各々(おのおの)の安居の場所において汝等のうち、欲少なくて足ることを知り、自ら人里を離れて努め、自ら戒を修め禅定を修めて、智慧をひらき覚をひらき、しかも他の弟子にも同じくこのようにならしめて、よく同学の諫言者、教訓者、開導者、鼓舞者、激励者、喜ばし手となったものがあるだろうか」
「それはプールナであります」
と、答えが返ってき、弟子たちはプールナを讃えた。
このときシャーリプトラは世尊の程近くに坐っていて、思った。
(プールナは幸いである。彼の同学者は師の前で彼の徳を説き、師はそれを喜び給うた。いつかプールナと何事かについて話し合いたいものである)と。
やがて世尊がラージャグリハを去ってシュラーヴァスティーの祇園精舎に入ると、そのプールナが挨拶に現れた。それを知ったシャーリプトラは急いで立ち上がり、黒林の方へ向かったプールナの後を程よい間を置いて追っていった。そしてプールナが林に入り、とある樹の下に座をとれば、シャーリプトラもまた、林の中の樹の下に座を占めた。
そのうちに夕方となり、陽が翳ってきたのを機にシャーリプトラは禅定の座を立ってプールナに近づき、語りかけた。
「友よ、あなたは世尊の御許で修行をしておられるのですか」
「その通りです」
プールナ[プンナ、富楼那・満願子]は顔を上げた。丸い顔に大きな眼の人物だった。その黒々とした瞳が、いきなり声をかけられて驚いたのか、さらに大きく丸くなっている。上座の弟子であるシャーリプトラのことを、彼は知らないようだった。
プールナは世尊が初めて説法をしたとき一番初めにさとったコンダンニャ長老、今はそのときの師の感嘆の言葉からアニャータコンダンニャ[阿若憍陳如]と呼ばれる高弟、その彼の妹マンターニの子であった。
(伯父御に似ておられる……)
そう思いながら、シャーリプトラは傍らに坐り、さらに尋ねた。
「あなたは戒行を清めるために修行をしておられるのですか」
「そうではありません」
「それでは見解を清めるために修行をしておられるのですか」
「そうではありません」
「それでは疑いを離れるために修行をしておられるのですか」
「そうではありません」
「それでは正しい道と間違った道とを知るために修行をしておられるのですか」
「そうではありません」
「それでは覚の道を知るための修行でしょうか」
「そうではありません」
「それでは智慧を得るための修行でしょうか」
「そうではありません」
「それでは、あなたは何のために修行しておられるのか」
シャーリプトラは、プールナの考えを知ろうとしていた。
「私は完全な涅槃を得るために世尊の御許で行を修めています」
「戒行の清らかさは完全な涅槃ではないのですか」
「そうではありません」
「心の清らかさは完全な涅槃ではないのですか」
「そうではありません」
「では友よ、見解の清らかさは完全な涅槃ではないのですか」
「そうではありません」
「友よ、疑いを離れることは完全な涅槃ではないのですか」
「そうではありません」
「道と非道とを正しく知る清らかさは完全な涅槃ではないのですか」
「そうではありません」
「覚の道を知る清らかさは完全な涅槃ではないのですか」
「そうではありません」
「清らかな智慧は完全な涅槃ではないのですか」
「そうではありません」
「それでは完全な涅槃はこれらの法の外にあるのでしょうか」
「そうでありません」
「友よ、あなたはこれらの法が完全な涅槃かと問われて、そうではないと答え、またこれらの法の外にあるかと問われても、そうではないと云われる。あなたの言葉の意味はどのように心得てよいのでしょうか」
そこでプールナは自らの思うところを語った。
「友よ、戒行の清らかさも心の清らかさも見解の清らかさも、また覚の智慧の清らかさもこれは完全な境地ではありません。まだ余地のある境地であり、煩悩の燃えくずがすべて無くなったものではありません。といってまた、これらの諸法の外に完全な涅槃があるならば、並な人々もみな涅槃に入ることでしょう。何故ならば、常並みの人々はこれらの法がないからであります。それで私はここに一つの喩を挙げます。それは例えばコーサラのパセーナディ王が何か不意の出来事によってサーケータに行かねばならなくなったとしましょう。そこで王はサーケータとシュラーヴァスティーの間に七輌の馬車を用意させ、市門から第一の馬車に乗って旅をなし、第二の馬車に達して第一の馬車を捨て、第三の馬車に達して第二の馬車を捨てます。こうして次第に進んで第六の馬車を捨てて第七の馬車に乗り、サーケータの市門に達します。そのとき人あって、『大王はこの馬車でシュラーヴァスティーからサーケータの城門まで着かれたのでありますか』と尋ねるならば、王の正しい答えは、『否、わたしはシュラーヴァスティーからサーケータまでの間に七輌の馬車を用意せしめ、次第に乗り捨ててこの町に来たのである』というものでありましょう。
ちょうどこのように、戒行の清めは心の清めのためであり、心の清めは見解の清めのため、見解の清めは疑いを離れるためのものであります。そして疑いを離れることは道と道ならぬものを知りわける智慧の清めのためであり、それはまた覚の道を知るためのものであって、覚の智慧を清めるがためでもあります。この覚の智慧の清めは燃えくずの尽き果てた完全な涅槃のため、そして私はこの完全な涅槃のために、世尊のもとで行を修めるのです」
シャーリプトラは笑み、云った。
「あなたの名は何といいます」
「私の名はプールナです。同学の人々は私をマンターニの子と呼んでいます」
「友よ、まことに勝れたことである。博学にして師の教えをよくさとり、深い義をさまざまに説き明かされた。あなたを見ることが出来、左右に侍ることが出来る同学のものは幸いである。私もあなたを見ることが出来、共に坐ることが出来たのは幸いである」
いま眼前にいる壮年の人は、その落ち着きと澄んだ魂の様子から、ただの出家とは思えなかった。そのためプールナもまた、沙門に名を尋ねた。
「そのように云われる貴方は……」
「私の名はウパチッサ。同学の人達はシャーリプトラと呼んでいます」
「ああ……」
プールナは驚きと嬉しい感動のため、すぐに言葉が出てこなかった。
「世間の人々から世尊とも比べられるほどの尊い弟子と語りながら、私は貴方を知りませんでした。もしも私が貴方であることを知れば、このように詳しくは言わなかったでしょう。友よ、まことに勝れたことであります。博学にして師の教えを正しくさとられ、貴方は深い義をいろいろに問いかけられた。貴方を見るを得、左右に侍ることが出来る人々は幸いであります。私もまた、貴方を見ることを得たのは、まことに幸いでありました」
ふたりはこうして語り合い、喜んだのであった。




