03-22:アルカク防衛1
その日は忌々しいほどに空が青く、晴れ渡っていた。
イザックによる死傷者の報告がなされてから五日後、八番月の三日。
朝の段階では誰もが暑さを予想して顔を顰めた、それだけだった。
「今日は各チームの担当時間を短くした方が良いと思う。ハンス達とエリィには悪いけど、休みは持ち越しにしてもらえないかね?」
朝のミーティングで提案したのは女将さん。
元が付くとは言え、暑さでへばるような者は居ないはずだ。それでも確実に消耗はする。
まだ終わりが見えていない段階なのだ、気力を振り絞って無理やり戦う必要性はない。温存しながら湧いてくる魔物と戦うべきだという彼女の主張に皆が首を縦に振った。
「こんな日に休みが回ってきてラッキーだったのに――と言いたいところだけど、そうも言えないわねェ。アタシは良いわよ?」
「僕らも構いません。暑さが落ち着いたら休ませてもらいますが」
「よし、なら決まりだ。メンバーたちには水分と塩分の補給を徹底させて、暑さにやられる奴がいないように注意しておくれ。シェリル、アンタにも負担をかけちまうけど頼めるかい?」
「もちろんよ」
肩よりも少し上で切り揃えた艶やかな髪を揺らしてシェリルが頷く。彼女が作り出す魔法の霧による冷却効果によって戦う者達の負担はかなり減る。自分の働きの重要さを認識しているシェリルの顔には誇らしさが滲んでいた。
「じゃ、最初は “魔物狩り”とアタシ、次にリオウ爺とイヴァン組、その後にエリィとハンス組の順番で回そう。時間は一と半時間ずつ。これでどうかね?」
女将さんの言葉にその場にいた全員が頷いた。
* * *
んふ、と含み笑いをしながらリアは矢筒に矢を詰めていた。
詰め込めばもう少し入るのだろうが、取り出しやすさも考えて五十本。矢が補充された日から、矢を数え直して収納していくのがリアの日課になっていた。
当然ながら毎日すべてを使い切っているわけではないため、補充された分にはまだ余裕がある。矢の不足を気にしながら戦っていたリアにとって、贅沢とも言える状態なのだ。
自然にリアの頬が緩んでしまうのも、周りのメンバーが生暖かい目で見ているのも無理はない。
「よしっ、準備おっけぇ」
背中を反らせながら気合を入れた時、リアは一瞬だけ背筋に不快なものを感じた。
まさかギックリというやつか。
恐々としながら体を動かしてみる。大丈夫、痛みはないはず――。
「はっはっは、朝から気合入ってるねぇ」
「……待たせたな。予定通り、このまま出る。何か体に異変を感じたら、すぐ声をかけてくれ」
「はいはーい、お帰りなさい。私はいつでも動けるよ」
「おぅ、オレも行けるぜ」
朝からキラキラ感を纏ったレオナ、暑さにも全くバテることのないザイードが笑う。学者然とした風貌のフレッドもまた微笑みながら頷いていた。
「荷物の準備もバッチリですよ!」
リアはそう言いながら、小振りな袋を掲げて見せた。リアがしていたのは自分の矢の用意だけではない。担当するチーム全体としての荷物となる、予備の水、塩、薬、そして緊急時用の笛と魔光筒を点検してまとめていたのだ。
「とりあえずオレが持つんで良いな?」
言いながらさっさと自分の荷にそれを加えたのはザイードだ。素早さを重視するレオナやフレッドはもちろんのこと、やや暑さに参っているアルスに負担をかけないようにという気遣いも見える。
「頼みました。……それで、今日もいつも通り森の浅いところで?」
「あぁ。やることは変わらない。ただ、時間は短く区切ることになった」
「助かりますねぇ。毎年の事とは言え、暑いのは辛い」
「アンタ、B級なんだからもちっとシャッキリおし。暑さなんて結構慣れるもんなのにさ」
「いやぁ……そういえば女将さんは暑さに強いですよね」
「毎日厨房に入ってりゃ暑いなんて当たり前だからね。――ほら、さっさと行くよ! 短時間でパパパッと狩ってやろうじゃないのさ」
気合十分。
ずんずんと進んでゆく女将さんの逞しい背中に、アルスとフレッドが苦笑を浮かべた。知識も豊富で健康管理や食事まで万能な女将さんではあるが、戦闘狂の気があるのだ。今だってきっと獲物を見つけた猫のように目を爛々とさせているに違いない。
しかし、魔物を狩るのがこの場に集められた全員の仕事である。
大立ち回りで自爆しない限り、意気込んで悪いということはない。
「私たちも行きますか」
「そうだね、女将さんが全部倒しちゃったら格好付かないし」
気を抜いているわけではないのだが、緩く言葉を交わしながら“魔物狩り”も森の中に入った。この拠点に来てから既に半月以上も経っている。誰もが自分の庭と言っても過言ではないほどに地理を把握していた。
目を瞑ってでも歩けそうなくらいである。
まだ日が昇り切っていないとは言え、すでに暑い。
陽を遮る木々と湿った土の狭間は遮るもののない宿営地と比べて、随分と涼しく感じられた。頭が冷えると同時に、感覚も研ぎ澄まされていくような気分になる。
リアは森に入ったと同時に意識を切り替え、周囲に溶け込むようにして気配を探っていた。
息を吸い込む度に感知できる範囲が広がってゆくイメージ。
目には見えない、脳内でのみ捉えられる幻想にも似た世界がゆっくりと形作られていく。
(魔力を出さなくても大分出来るようにはなったけど……遅いし、狭いなぁ)
“魔物狩り”に参入してからリアが鍛えてきたのは自分の体内にある魔力を薄く放出し、その魔力と触れたものを感じる方法だった。しかし、ここに来て魔術師であるシェリルの存在から魔力を使わない方法へと方向転換を強いられることとなった。試行錯誤の末、魔力を使わずに周囲の気配を察知できるようになってきたところである。
「前……二時の方向に一体、十一時の方向に小さいのが四体います」
「ふぅん。じゃ、アタシは一体だけの方をもらおうか」
ワイルドに槍を担いだまま、特に気負うでもなく呟いたのは女将さんである。大爆笑しながら大きく重い一撃を繰り出す姿の印象が強すぎるものの、元はBランクまで上った女だ。森の中のような狭いスペースも長槍を巧みに使うことも、必要であれば静かに魔物を狩ることも出来る。
リアが感じ取った一体は決して弱いとは言えないもの――おそらくはE級上位――だが、女将さん一人に任せることに不安はない。人数の多い“魔物狩り”が数の多い方を受け持つのが無難であろう。
「では、私たちは左ですね。後で合流しましょう」
女将さんは軽く手を挙げると、のしのしと前方へと歩いて行った。
余計な言葉は必要ない。
周囲に魔物の気配がなければ仲間の方へと合流する。寄せ集めのメンバーで安全かつ自分の戦闘スタイルを変えずに魔物を倒すために自然と確立された、その方法がスタンダートになっているのだ。
「オレらも行こうぜ、小さいとは言っても全部潰せた方が良いだろ?」
「言われるまでもないよ」
ザイードとレオナが頷き合い、ペースを上げた。
二人を追いながら、リアは自分たちの獲物の姿をさらにはっきりと掴むべく意識を集中する。
魔力を使った感知は特定のものに集中するほどに、魔素もしくは生命力の輝きが見えなくなる。対して現在会得しかけている方法は、集中すればその部分をより鮮明に認識できることが利点だ。
広く曖昧なもの、狭く鮮明なもの、この二つを組み合わせることが出来ればリアの探索能力は格段に上昇するだろう。
「リアが小さいって言うんなら、デカウサギか角ウサギあたりかな?」
「ッ――! 待って!」
チリリとうなじの毛を焼かれたような嫌な感覚に、思わずリアは声を上げていた。
気配察知に引っ掛かったものではない。
もっと本能的な部分を刺激するものだ。
「何?」
「どうしたよ?」
「どうしました?」
「どうした?」
一斉に全員が目を向けるくらいに、リアの声は切羽詰まったものだった。
「えっと……」
リアを見ている“魔物狩り”の面々は既に臨戦態勢になっている。
自分が感じたものを説明しようとして、リアは言葉に詰まった。瘴気でも、明確な方向性をもって放たれた殺気でもないことは分かる。しかし、その嫌な感覚をもたらした正体が何であるかは分からない。
「ごめんなさい……何だか、すごく嫌な感じがして」
リアは眉を寄せてもう一度、自分が視ていた四体の小物の方へと意識を向けた。
四体までの距離は一キロメートル強い、相変わらずほぼ同じ場所にいる。
だが――。
「動きが、変?」
リアの眉がさらに寄り、眉間に薄っすらと溝が出来た。
魔物達の居場所は大きく変わっていない。しかし、四体のうち二体が小刻みに動き回っている。こちらの動きに気付いたのではなく、リア達とは別方向の何かを気にしているような気がした。
「奥……奥に……?」
感じられる範囲をさらに伸ばそうとするが、魔力を使わない探知範囲は狭い。
シェリルとは距離があるし、魔力を使っても構わないだろうか。
そんなリアの逡巡はアルスの言葉によって止められた。
「君には何が見えている?」
見晴らしの悪い森の中である。まだ魔物の姿を目視していないアルス達には、リアが突然止まった理由も、難しい顔をしてぶつぶつと呟いている意味も分からない。
眉を開いたリアは仲間達の顔をぐるりと見まわした。
怪訝な顔のザイード、少しばかり目の泳いでいるレオナ。フレッドは心なし目元を引き締めて周囲を窺い、アルスはじっとリアのことを見つめていた。
「魔物の様子が変な気がするんです。まるで何かを警戒しているような――あっ!」
魔物の反応が、一つ消えた。
リアの感覚では宙に吸い込まれたかのような消え方であった。しかし、魔素が凝り固まって魔物が出来る場合はあれど、自然に空中分解するなんて話は聞いたことがない。空気に魔物が解けたと考えるよりも、認識出来ていない何者かが存在する可能性の方が格段に高い。
「ちょっと魔力を使います。もし、バレちゃった時は知らなかった事に……!」
返事を待つことなく、リアは即座に魔力を薄く展開した。鼓動が、本能が、そうすべきであると囁いている。例え反対されようと、起こるかもしれない面倒事を気にするより間近に迫る危険に対処すべきだと瞬時に決断したのである。
魔力を開放すれば、体から離れた魔力が気配としては認識出来なかった様々な存在を教えてくれる。
探すまでもなく、リアは求めていたものを見つけた。
「う……」
くっきりと周囲から浮かび上がる禍々しい澱み。
それは下級魔物とさほど遠くない距離に存在しながら、魔力を使わない気配察知では認識出来なかったもの。十中八九、小さな気配を放っていた魔物が消えた原因であろう。
(ヤな感じはこれのせい? いや、分かんないな)
死を覚悟するほど絶望的に強くも無さそうというのがリアの本音だ。感覚的には三ヶ月前に遭遇した、変異しかけのナイトベアと同じくらい――魔物の区分で言うならば、C級上位もしくはB級くらいだろうか。
とは言え、ビッグラビットのように易々と倒せる相手ではないことは間違いない。
ふっと意識を現実世界に引き戻し、リアは再び仲間へと目を向けた。
彼らはリアが魔力感知を行っている間、じっと待っていてくれたのだ。
「小さい魔物を殺したか食べたかした魔物がいます。……断言は出来ないですけど、前のナイトベアに近いくらいに強いと思います」
ザイードとレオナの顔に苦いものが浮かんだ。




