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03-20:不安の夜

 ふう、と息を吐いて見上げた空には欠け始めた月。

 今日は十九日。これから月明かりは弱くなり、新月へと向かう。

 その事が不吉に感じられてリアは少し目を細めた。


 幸いにも、昼間のグラトニーラットとの戦いで戦線を離れるほどの怪我を負った者は居なかった。多少の引っかき傷や噛み傷はあれど、薬を使うほどの負傷ではない。休息しながら【強化】状態を保てば明日明後日には治るくらいのものだ。


 現時点では問題ない。

 しかし、三日前よりも苦戦したのは事実だ。ならば明日は、明後日は――もっと苦戦し、いずれ重傷者が出るのではないかという不安が拭えない。

 ある程度は人の生死を割り切れていると自負していたが、それは敵対者に対してだけだったのだと思い知らされた。この拠点の誰かが傷つくと考えると心臓が縮むような気分になる。


「……魔力を喰らう魔物、か」


 不安に拍車をかけるのが、魔力を求めていた異様なグラトニーラットの姿。

 それを危惧したのはリアだけではなく、戦闘後には全員参加で話し合いの場が設けられた。この拠点のメンバーは引退したとは言え、並々ならぬ冒険者としての経験を持つ者ばかり。フレッドが変異種になりかけていたナイトベアの情報を公開してなお、その意味を察せない者はいない。


 取り急ぎ報告したほうが良い。

 満場一致で決まったが、辺境伯サイドに最も信用があるであろうシェリルは魔力切れでダウン。顔の広いフレッドと女将さんが連絡場所として指示されていた拠点へと向かうことになった。

 出立したのは夕方、夜明けまで戻らないのかもしれない。


「お祖母ちゃんに聞けたら、何か分かったのかな?」


 本人以外は聞こえないほどの小声で独りごちる。

 リアの脳裏に浮かぶのは久しく顔を見ていない――もしかすると一生見ないのかもしれない――育ての親ルミナの姿。十年以上も彼女と共に暮らしてきた、そのリアでさえも正体不明だと感じている女性である。魔術に造詣が深く博識であることは窺えたものの、リアが彼女から得られた知識は悲しいほど少ない。

 ラボルの街を離れてからの半年間、そのことを嫌というほどに痛感していた。


(考えても仕方ないって事は分かっているんだけどね)


 仮に魔力を取り込んだ魔物が変異種に進化するとして、リア一人で対処出来る話ではない。

 分かってはいる。

 しかし、不安と焦燥ばかりが募る。


 魔物のことだけではない。

 数に限りのある自分の攻撃方法。

 リオウに遅れを取った気配探知。


 反省点と不安がごちゃまぜになり、不安な気持ちに拍車をかけている。

 だからこそ、夜の見張りの担当でもないのにリアは一人拠点を抜け出した。重く沈んだ澱のような感情を振り切らなければ万全の状態で戦えない。

 躊躇いが生死を分ける――育ての親ルミナの口癖である。


 ぼんやりと森のシルエットを眺めながら意識を切り替えようとしたのだが、そう簡単に不安は消えない。目の前に広がる森を闇の塊のように感じてしまう始末だ。


 今この時、森の中では魔物が湧いているのだろう。

 濃い闇がぬらりと風に揺れる木々とは異なる方向に動き――。


「……どうした、こんなところで」


「うぅわッ!」


「見張りか?」


「ア、アルス隊長……。違います、ちょっと頭を冷やそうかなーと思って」


 頭を冷やすのには不向きな、蒸し暑さに満ちた風が吹いた。

 見張りではないのにどうした、という言葉は森から出てきたアルスにそのまま返したい。一人で何をしていたのかと思う反面、答えを聞くのが怖くもある。


「あの、今日はすみませんでした。それと、ありがとうございます」


 口を噤んだまま立ち去るのを待つ、という気分にもなれずに口にした言葉はあまりにも唐突だった。リア自身が言った端から後悔した程である。

 伝えたかったのは【水盾(ウォーターシールド)】に取り付き喰らいつく魔物の姿を見て硬直した件なのだが、果たして伝わるものか。


「礼を言われることも謝罪されることもない」


 伝わったのか、伝わっていないのか分からないご回答である。


「座っても?」


「あっ、ハイ」


 そのまま立ち去るのだろうというリアの予想を裏切り、アルスは確認を取ると近くに腰を下ろした。適度に距離が空いており、リアと同じく森の方を向く形で座ったため表情は分からない。

 ただ、なんとなく笑っているような気配があった。


「……アルス隊長も見張りじゃないですよね?」


「あぁ。ザイードに声はかけてきたがな」


 夜の見張りは各グループから一人ずつ。“魔物狩り”の中で今夜の担当はザイードである。それを知りつつも互いに見張りか、と言い合っているのは単に探りを入れているだけだ。


「だからと言って、一人で森に入るのは――」


 危険だし要らぬ疑惑を生むのでは。

 そう言いかけた言葉は吐息のような笑いによって遮られた。


「いや、すまん。君も猫のように夜目が利くわけでは無いんだな。境界を少し歩いたが、魔物が湧き続ける森に一人で突入するつもりはないから大丈夫だ。見張りの位置からもある程度は見えていただろうし」


 リアの考えることなど端から承知していたようだ。

 夜行性の生物よりは劣るものの、リアも人よりは夜目が利く。この距離で森と一体化しているように見えたものが見張りの位置から確認できるとは考えにくい。言い訳のように付け加えられた言葉は「疑惑を抱かれるほどの時間は姿が見えない場所に留まっていない」という意味で捉えることにした。


「それより、君こそどうした? 昼間のことを気にしていたのか?」


「それは、まぁ……」


 グラトニーラットを前にしながらも動けなかったことを気にしていないと言えば嘘になる。

 しかし、リアが一人で外に出ていたのはそれに限ったことではない。


「褒められたことではないが誰にでも起こり得ることだ。無事にやり過ごせたのならば、今後気をつければ良いだけのこと。他には? それだけではないだろう?」


「……矢の数のことを考えると別の攻撃手段もあったほうが良いのかな、とか。魔力を使わなくてももっと気配探知出来るようにするにはどうしよう、とか。こうして皆さんと動いて、たくさんの魔物と戦うには足手まといな気がして」


 長らく魔物を倒してきたつもりであったが、最近までの自分の動き方は冒険者よりも猟師に近かったのだとリアは自己評価する。危なそうな魔物や群れとの遭遇を避けるのが第一、狩るのは必要な分だけである。

 持てるだけの矢を持って尚足りないと感じることなど無かった。


 だが、それを言葉にするのは無責任に弱音を吐いているだけだ。

 苦い自覚と共にアルスの方を向いたリアの目に映ったのは、いやにはっきりとした笑みだった。


「ハハッ――安心したよ。君もそう考えることがあるのだな」


「へ?」


「君は俺達の中で一番若い。だと言うのに、知識は豊富で魔物との戦いにも慣れているように見えた」


 まさかの評価に口をあんぐり開いたリアを見て、アルスはもう一度小さく笑いを漏らした。夜の闇で視界が悪いせいだろうか、普段よりも柔らかく人間味を感じさせる雰囲気だ。心なしか言葉も多いように感じられる。


「おそらくレオナやザイードも、俺と同じように感じていただろう。俺達は冒険者になったのが遅く、知識も経験も不足しているしな。だから、冒険者として正しいから分からないが……弓とは別の攻撃手段を身につけるのも良いが、武器や個人の戦い方によって得手不得手があるのは当然だと俺は思う」


「そうですけど、今回みたいな事が続いたら――」


「蟻のようにグラトニーラットが這い回る中、君が倒したグラトニーラットの数がレオナの半分以下だったとして、俺は君が劣っているからだとは考えない。おそらく他の連中も同じだろう。誰よりも多く倒そうなんて張り切られても困るな。死角から攻撃してくるもの、手の届かない部分をサポートしてくれた方が助かる」


 慰められている。

 気を遣わせて申し訳ないと思いつつ、心が軽くなるから困りものだ。


「それに、この拠点に集められたメンバーは皆優秀だ。他の武器を取り入れるにしろ、彼らに激しく劣るようでは使い物にならない。思うことはあるのだろうが、今回は今のやり方で俺達をサポートして欲しい」


「はいっ。ありがとうございます、愚痴を言ってしまったのに」


「前向きな悩みは愚痴ではないさ。俺やフレッドには言いにくいかもしれないが、あまり溜め込まずに話してみると良い。レオナやザイードも喜んで聞くだろうし、言われたほうが安心もするだろう」


 本能を逆撫でする瘴気のような感覚や、感情の起伏を感じさせない雰囲気に身構えてしまうが、アルスという男は細やかな部分を持ち合わせているのだ。


「話が変わるが、一つ、尋ねたいことがある。前にナイトベアの討伐依頼を受けた時、君とフレッドを襲った黒いローブの人間が居ただろう? 君と初めて狩りに行った時にも、と話したことを覚えているか?」


 “魔物狩り”と初めて依頼を受けたのは四ヶ月前。

 リアにとっては初めてのパーティ戦であり、草原に湧くはずのないメタルベアが現れたという異常事態でもあった。過去の引き出しに入れられたまま見向きされなくなりつつある記憶だが、忘れるにはまだ日が浅い。

 覚えています、と頷いたリアを見てアルスは、


「あの時、君は嫌な感じがしたと言って周囲を調べた。今回はどうだ?」


 真剣な顔で、そう言った。

 アルスの意図はリアもすぐに分かった。

 あの時リアと共に探索し、黒い繊維を発見したのはアルスである。魔物が変異することを危惧するだけではなく、今回もまた黒いローブの何者かが背後で動いているのではないかと考えているのだろう。


(あの時は皆が連携をとって戦っていて、私は放つタイミングを計っていて――感じたのは気配というよりも視線だった。悪意を持ってじっとりと睨みつけられているような……)


「特に気になった事はありません。ですが……すみません、無いと断言は出来ないです」


 肌を指すような視線は感じていない――はずである。ただし、見たことが無いほどの魔物の群れや魔力を喰らう姿に圧倒され余裕が無かったのも事実。目の前のことに集中していて気づけなかった可能性もある。

 皮肉にも手の届かない部分のサポート、というアルスの述べた希望を裏切ったような形だ。自ずと声が小さくなり、ちょっとばかりリアの背が丸まった。


「君だけに背負わせるつもりはない。だが、君は察知能力が高く、以前もそいつと遭遇している。なるべく周囲を気にしていて欲しい。間違いでも構わない、何かあればすぐに声をかけてくれ」


「わかりました、気を付けます」


「頼む。では、俺は戻る。君もきちんと休めよ」


 すっと立ち上がり、天幕の方へと戻るアルスの細い背中が頼もしいものに見えた。

 ずっと年が離れているように感じるが、アルスは二十六歳なのである。リオウに言わせれば「兄ちゃん」もしくは「若造」であり、リアとは十も歳が離れていない。それでいてリーダーとして必要なものを備えているのは軍人としての経験か、生まれ持ってのものか――。


「まっ、いいか。アルス隊長の言う通り、皆が危険無く戦えるようにするのが第一だね」


 二十六歳になった自分が彼のように振る舞えるのか。

 束の間そう考えた後に、自分はリーダーになるようなタイプじゃないとリアは開き直った。刃物や棒を持っての接近戦に向いていないことも自覚している。


 ならば、周囲の警戒や弓での援護で前に出ている仲間の危険を減らすしか無い。

 天に向かって体を伸ばしたリアの心から不安の割合は減り、明日からどう動くべきかという想定が大多数を占めていた。


【補足】

①1ヶ月は30日、月の満ち欠けと連動している

(1年は12ヶ月=360日/太陰暦兼太陽暦)


②強化による治癒促進≦薬品(ポーション) 類≦回復魔術

(ただしポーション類や回復魔術はクオリティ次第。回復魔術に関しては使い手が居ないため現実的ではない)


オーソドックスではない部分もありますが、こういう世界観なんだなと思って下さいm(_ _)m


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