03-03:高みを目指すのならば1
クレメンテ辺境伯領の大半は南へと突き出した縦長の半島――クレメンテ半島である。東側にはサフィア湾、湾内にはクンカン諸島連合、湾の対岸にはタルキールと呼ばれる国がある。
半島の付け根以北は東がハジャルブとの国境に接し、南東端にはエヴァルスの迷宮とそこを訪れる冒険者のための街もある。
対してクレメンテ半島の西にあるのは海のみ。
広大な海を西に進んだとしても、何もない。
ある歴史家は延々と海原を走り続けると別の大陸に辿り着くと言う。聖光教では世界の終わりに到達すると教えている。しかも、広く深い海には多数の大型魔物が存在しているのだ。この数百年の間、西の海に出て生還した者も、西の海から渡って来た者も記録されていない。
「やっぱり、今回のルートじゃ海は見えませんね……」
「なに? 海、見たかったのか?」
それでも、未知なる世界に興味を掻き立てられる者は少なくない。
見えない海を探すように西の方角を見つめて語るリアもその一人である。アルカクの東にある丘陵から人生初の海を見たときよりも更に瞳を輝かせ、力いっぱいに断言した。
「西の海って、ロマンがいっぱいじゃないですか!」
「それを言うなら、危険がいっぱい、だろ? 海の中だけじゃなく陸の魔物も強ぇし」
海だけではなく、クレメンテ半島でも西側に湧く魔物の方が強い。
街道付近に湧く魔物の脅威度は東側が平均でE級。西側はD級。この級分けは冒険者の区分に準じたものだが、実のところG級からE級までに大きな差はない。冒険者ギルドでは仮成人で登録すればGランク、本成人済みで登録すればFランクとなり、真面目に数回依頼をこなせばEランクに上がる。
しかし、E級とD級となれば話は別である。
D級魔物は戦闘経験のない人間が一人で倒すのはほぼ不可能。村の狩人が単独でE級のワイルドボアを狩ることは珍しくはなくとも、D級のビッグボアになると一匹を倒すために村人総出となるくらいだ。
「嬢ちゃんの気持ちも分からなくはねぇけど、人も居ねぇし、船も出ない海岸眺めてもな……」
交易船も、迷宮目当ての冒険者も来ない。
漁業も命がけ、湧いてくる魔物も強い――となれば、当然ながら西側は人口が少ないのだ。国内有数の都市アルカクと開けた農村地帯というイメージのあるクレメンテ辺境伯領ではあるが、領土の三から四割、西側はほぼ未開の地となっている。
それでも無人ではなく所々に集落が存在してはいるあたり、人という生き物の強かさを感じるが。
「でも! 知らない大陸があるかも知れないんですよ? 私達とは違う武器や金属、魔術……もしかしたら神話文明期の名残があるかも。となれば、この目で見たいじゃないですか。西の海と、その先にあるものを!」
今日の移動はここまで、と焚き火を囲んで夕食を食べていた。
西の海への強い思いを語るうち、力が入りすぎてリアは食べかけの干し肉を掲げている。もう一声くらい煽れば立ち上がって仁王立ちで演説しそうな勢いだ。
アルスの影が揺れたのは、火の動きではなく笑いを噛み殺したから。噛み殺す気のないレオナは盛大に吹き出し、ザイードもニヤニヤと笑みを浮かべている。
「リアは西の果てに大陸がある派なんですね」
「はいっ! お祖母ちゃんから教えてもらいました。私達の住んでいる大大陸と同じくらい大きな大陸があって、色んな人がいるって。きっと美味しいものもいっぱいありますよ! それに――あっ、すいません……」
はたと自分の力説っぷりに気づきリアは赤面した。
生暖かい目で自分を見つめているメンバーに小声で謝れば、全員が慈母のようななんとも言えない笑みを浮かべている。恥ずかしい。耳まで赤くなったのが自分でも分かった。
「いや、安心しましたよ。リアにも年相応なところがあって」
「おっ? 先生もそう思う? 私も今、ちょっとホッとした。依頼は意味分かんないけど、遠出も意外と楽しいし良かったかなー。リアもよく喋って、笑うようになったしね」
「え? えぇぇ?」
「いや、今までに不満があるわけじゃねえよ? ただ、なんつーか……三歩四歩くらい離れてる気がすることがあったって言うか。年もちょっと離れてるし、話しにくいのかなって」
「そんなことは……!」
「うちのパーティなんて変人しか居ないんだから。生まれも経歴もバラバラ。ちょっと普通とズレたって誰も気にしないよ? お行儀の良さなんて求めてないし、そもそも普通ってのが分からないしさ」
「そーそー。尻尾が生えてようと、西の果てに妖精サンがいると思ってようと、嬢ちゃんは嬢ちゃんだろ? オレ達を騙したり襲ったりすりゃ話は別だけど、それ以外は別になぁ。三年ソロだったからとか、山育ちだからどうしたって話だし」
「……なんで、それを?」
「この前ガキども見た時、思いっきり顔が強張ってただろ。臨時も含めて誰とも組まなかったって言うなら、周りと上手く行ってなかったって考えるだろ?」
ストレートに核心を突かれて、リアは小さく頷いただけで口を開けなかった。思うことが無いわけではない。だが、何を言うべきで、何を言いたいのか分からなかった。それよりも、
「……無理に昔の事を語る必要はない。それよりも、何か――」
「アルスも感じたかい? 私も嫌な感じがする」
アルスとフレッドの言葉で“魔物狩り”は全員、警戒態勢に入っていた。
二人が感じたという何かを探して闇に目を凝らす。
獣型の魔物に見られる、目の反射はない。生物がいるような気配も。
それでいて別の、魔物に似た嫌な存在感は薄っすらと感じるのだからたちが悪い。
「何も居ないと思うんだけど、なんか、嫌な感じだな?」
「その嫌な感じはこの商売に必要なものです。レオナ、よく目を凝らしていなさい」
「でも。物音もしねぇし、何も見えないッスよ」
ザイードの言うように何も見えていない――今は、まだ。
最初に感じたのは、空気が振動するような音だったか。闇の中に小さな光が浮き上がり、蛍のように舞い飛ぶのが先だったか。闇の中に“何か”が存在している確信したときには、手のひら大の鬼火が十個以上、ブゥン、と低い振動音を立てながら周囲を飛び回っていた。
その鬼火の正体をリアは知っている。
「うわッ! ゆゆゆゆゆゆうれいッ!」
「違う! レオナ、違うから大丈夫! あれはレッサー・エレメント、ですよね、フレッド先生?」
「多分ね。こんな所に出るなんて何かの間違いだと思いたいですが」
「どういう事だ? ……と、聞いている余裕はあるか?」
「アレに意識は無い、と言うのが定説だから大丈夫かと」
レッサー・エレメント。
空気中の魔素のうち、特定の属性に偏った状態であると発現する。
肥大化しエレメントとなれば意識を持つが、現時点では意識は無いと考えられている。ふわりふわりと飛び回り、触れたものに自らが持つ属性の影響を与えるだけである。
「目の前にいるのは炎ですから、触れれば小さな火が出るか、軽く火傷くらいはしますね。だけど、いきなり全身が火に包まれて消し炭になったりはしませんよ」
「なら、何でセンセェは何かの間違いだと?」
「普通の環境では湧かないからです。確か、えーと……リア、知ってます?」
「通常は様々な属性を持つ魔素が混ざり合うことで、輪郭を持った魔物が生まれる。レッサーエレメントは特定の属性の魔素のみが集まってできるのものなので、見られるのは迷宮内と、高位の魔物もしくは魔獣が近くで分解されている時くらい――と私は聞きました」
レッサー・エレメントが湧く原因となるほど高位の魔物であれば、死んでいても何らかの気配はある。魔力を持つ者ならば膨大な魔素が溜まっていれば、魔素による威圧感を感じるはずなのだ。しかし――。
「魔物が死んでいる気配は無いよな?」
「そうです、それが気持ち悪い。しかもですよ、レッサー・エレメントは確かC級に入るはずです。手足や武器での攻撃でダメージが入りにくいんです。向こうはこちらを焼くのに、こっちの攻撃はすり抜けてしまう。そういう部分は、レオナの言う幽霊に近いかもしれませんね」
「怖いこと言わないでよっ! でも、それなら触れないように無視してれば良いってこと?」
「周りが岩とかの迷宮内ならそうします。ですが、ここは平原ですよ。私達以外にも燃えるものはたくさんあります」
レオナとザイードが息を呑んだ。
高位魔物の分解など例外的な条件化でレッサー・エレメントが出現した場合、もっとも恐ろしいのはその存在自体ではなく、引火や浸水などの二次災害の方である。最悪なパターンとしては、環境を自分の属性に置き換えていくことで、より影響力の強いエレメントへ進化してしまうことも考えられる。
「ってことは、猛ダッシュで燃えない場所まで逃げる……!」
「普通の攻撃は当たりませんが、実際はCランクでもレッサー・エレメントを倒している人たちもいます。Bランク以上なら倒せる人の方が多いでしょう。方法はアルス――は知らないみたいですね。リアは?」
「一体なら魔術で潰しますが……それ以外はわかりません」
「意外と知られてないんですねぇ。あの黒いローブの事も気になりますし、丁度良いか。エレメントを倒せる方法、実践してお見せしましょう。この方法を習得するとゴーストなんかと出会った時も楽になりますし、エレメント系は必ず魔石が出るので損はないですよ?」
その言葉でリアにはフレッドが行おうとしている事が分かった。
黒ローブと戦った時に見せた、ひどく精度の高い【強化】である。
魔力光と呼ばれる光の粒子が見えるほどの【強化】は、黒ローブから送り出された斬撃を雲散させた。リアはどれだけ強力でも【強化】は強化するだけだと思っていたが、あの時を堺に考えを改めた。
魔術的に作り出されたものを消滅させられるのであれば、それは単なる身体強化ではない。超常的な現象を作り出さずとも魔術の一種――奇しくも十年以上経ってルミナが【強化】は内向きの魔術の一種であると解説していたことを実感したと言って良い。
「おぉ! センセェ、俺、絶対習得する! つぅか、もっと早く教えて欲しかった」
「皆、誰かに教わるというよりも【強化】を高める中で自然に体得するものですから、【強化】の扱いに慣れていないと難しいんですよ。貴方達も出会った時と比べて、いや、ここの最近は特に【強化】の使い方が洗練されてきたように見えますから、案外すんなり出来るかもしれませんけど」
貴方達と呼ばれたレオナとザイードだけではなく、全員が真剣な顔をしてフレッドの言葉を聞いていた。
にっこりと笑って「練習台にはちょっと難易度が高いかな」という不穏な呟きを残し、フレッドはレッサー・エレメントの舞う方へと向かっていった。




