02-21:アルカクの森の変異1
歓迎会という名の宴会から二日後。
リアはレオナとザイードと共に自由区と隣接する森に入っていた。
本当は昨日、つまり宴会の翌日から二人の特訓に入れてもらう予定だったのだ。しかしながら泥酔し切っていた二人は朝になっても酒が抜け切らず、二日酔いでダウン。自主トレーニングを兼ねた狩りは一日遅れで決行されたというわけだ。
「前に弱いのが二体、少し左に逸れた所にそれよりも強いのが一体」
「おっし! とりあえず二体だ。嬢ちゃんは強そうなのが逃げないか気にしててくれ」
リアの声でザイードとレオナが走る。
分かりにくい部分ではあるし、急激に強くなったという訳でもない。しかし【強化】状態で走る姿を見る限り、良い具合に力が抜けているように感じられる。一ヶ月ずっと自主訓練に励んでいた二人は、きちんとその時間に見合ったものを得ているようにリアには思えた。
ザイードの棒がホーンラビットを宙へと突き上げ、レオナが首元を切り裂く。
ぱっと舞った魔物特有の血液――黒いインクを水で薄めたような液体――が地に着く頃、二人は既に二体目の魔物を相手にしている。この流れるような連携もまた、ここ最近の訓練の成果である。
ホーンラビット以外の、跳ね上げられないようなサイズの魔物でも、多少のアレンジで使うことが出来そうだ。今までよりも肉体運動と魔力、両方の面で効率が上がっていように感じられる。
「はい、一丁上がりっと。もう一体は?」
「ほとんど動いていません。この方角です」
次なる獲物の方角を指差しつつ、リアは自分が彼らと同じくらい成長したかを考える。
近くの魔物の気配は一ヶ月前よりも掴めるようになった。だが、依然として気配を消している魔物や遠くに位置している魔物を感覚的に捉えることは難しい。未だ話しながら、移動しながらでは無理なのだ。
無意識のまま自然に周囲に溶け込んだ感覚を得ることは出来ていない。
十年くらいやってきて出来ていないこと。やる気を出して色々試してみたところで、一朝一夕で変わるものではない。それは分かっていても、二人を見ると焦りが湧いてくる。
時間は誰に対しても平等に経過する。
自分は二人よりも甘い気持ちでいなかったか、と。
「おっ? アレ、ワイルドボアじゃなくない?」
先頭のレオナが囁く。
目を凝らせば遠くに魔物が見えた。黒・灰色・白色が斑に入り混じった毛皮。確かに、共通して茶色の毛皮を持つワイルドボアではない。警戒態勢のまま進めば、濃淡まだらな毛皮だけではなく、ヤギのような大きく湾曲した角も木々の間から見えた。
「イビルボア……」
禍々しい外見から命名された、その魔物の名前をリアは呟いていた。
もう少し近付けば、横一文字の瞳孔を持つヤギのような目も見えるだろう。毛皮、角、牙、目と人が本能的に禍々しさを感じるような外見を寄せ集めたかの如き魔物である。
しかし、魔物として見ればイビルボアは特別凶暴であるとか、毒など性質の悪い攻撃手段を持っているわけでない。邪悪という由来はその見た目が大半を占めているのだ。
一般人が難なく倒せるほど弱くもないが。
「ワイルドボアよりは強そうだな?」
「その上位版って感じですよ。私の地元にも居ました」
「おっ、出たな物知り嬢ちゃん。で、アレは何級だ?」
「C級だったはずです」
人によってはC級魔物との遭遇は命の危機を意味する。C級冒険者でも一人で遭遇した場合は逃げるのが吉であろう。一般人なら角で吹き飛ばされて終了だ。
だが“魔物狩り”は鬼気迫る様子もなく、いっそ暢気とさえ言える雰囲気で言葉を交わす。イビルボアとの距離が空いていること、攻撃対象と見做されたとて三人であれば問題なく対処できる自信もあった。
「Cなら大丈夫だな。なんなら、リア、一人で戦ってみる?」
「急に何ですか?」
「Cランク昇格試験受けるつもりなんでしょう? 練習に丁度良いじゃない」
「……昇格試験ってC級の魔物と一対一でやり合うんでしたっけ?」
と言うリアは、言葉こそ疑問形を取っているが、そんな事は絶対にないと確信している。
昇格試験の内容は受験者同士での臨時パーティ、もしくはソロでの討伐。そして魔物の等級は“そのランクの四人パーティで倒せる”ことが基準である。一対一ですんなり勝てることではない。C級の実力があるか定かではないDランカーに対して、一人でC級魔物を倒せとは言うまい。
違ったっけ、と首を傾げているレオナは魔物の区分けを認識していないだけだ。
王子様もしくは貴公子然とした外見をしているが彼女は“魔物狩り”随一の脳筋型ではないか、と最近リアは疑っている。昇格試験の時もよく分からないまま、倒せと言われた魔物を倒しまくった可能性が濃厚すぎる。
「普通に射るだけだと一撃で仕留められないと思います。……暴れたら面倒ですし、一緒にお願いしても?」
含みのある言い方をする自分にリアは少しだけ罪悪感を感じてしまう。
レオナもザイードもそれを全く感じられないほどに鈍い人間ではない。一ヶ月前に秘密を打ち明けているから、リアが何を言いたいのかも察している。かと言って「普通じゃなくやってみろよ」と言うような性質でもない。
それが居心地の良さに繋がっていると同時に、リアの心の薄皮をわずかに摩耗させる。力を出し惜しんでいるわけではないにしろ、もっと安全で効率の良い戦い方が出来るのではないか、と。
「問題ねぇよ。そんなに強くて遠くからでも攻撃できたら、世の中、弓以外は要らねぇってなるもんな。オレが前に出るから、レオナと嬢ちゃんはアレの気を逸らしてくれるか?」
「私一人でも倒せる」
顔を顰めてそう呟いたレオナをザイードはハンッと鼻で笑った。
「連携も込みでの訓練だろ? 勝手に狩りに行って怪我したら――」
「アナタ達はやっぱり馬鹿ですね。せっかくだから大怪我してくださいよ、この草の効能を確かめられたのに」
レオナが斜めに顔を反らせて、見下すような目をしてみせた。そんな姿をして話しているとことなど見たこともない筈なのに、誰の真似をしているつもりかは不思議と分かってしまう。内輪ネタの極みである。
ザイードとリアは笑った。
流石に大声で笑うわけにもいかないから必至に声を殺す。口と腹を押さえて妙な音を出す二人を見て、レオナは得意げな顔をしている。
「フヒヒ、ヒィッ……フ、フレッド先生は、そんな事言いませんよね?」
「言いかねねぇ。口だけじゃなくセンセェは目でも言うんだ、目で」
「似てただろ? で、隊長がビミョーな顔して――ん? ザード、リア、見ろ!」
笑いを堪えるために前屈みになっていた二人が視線を上げる。
イビルボアは相変わらず置物のように佇んでいた。こちらに気付いて敵意を向けてきたのであれば、言われなくともリアもザイードも気付いたはずである。
レオナが見せたがっている何かを探すリアは、目で見るよりも先にそれを感じた。
「……人?」
イビルボアよりも更に向こうから、何らかの集団が近付いてきている。
賑々しい気配は冒険者と言うには無警戒過ぎるが、人の集団であるようにしか感じられない。
「冒険者、にしちゃ遅いか。相手次第ですぐに出られるようにしよう」
ザイードが目を細めながら同じ方角を凝視していた。彼の言う通り、冒険者が【強化】を使っているのならば遅めだとリアも思う。だからと言って魔力に全く頼らない移動としては速い。
低ランク冒険者が知らずにC級魔物とぶつかってしまえば危険である。
だが、冒険者同士であれば得物の横取りはご法度。
相手の様子や何となくの強さが感じられれば分かるのに――リアは未だ思うように探索の成果を上げられていない自分に歯噛みした。自信満々故の余裕か、恐れを知らないが故の無謀か。
どうすべきか、ジリジリしながらリア達はイビルボアの向こう側を凝視する。
「見えた! あれは……うわ、面倒くせぇ」
思いっきり声に出したのはレオナだが、三人は同じタイミングで皆が向かってくる相手を認識した。三人揃って同じことを考えたのだろう。苦々しい表情を浮かべつつ目線を交わす。
「……目の前で死なれたら嫌だしな。ヤバそうなら行くか」
「……だね」
イビルボアに接近していたのは冒険者で間違いない。
問題は本成人を迎えていないだろうという年代の駆け出し冒険者達だったということだ。もちろんの世の中には十五、六歳でもイビルボアを余裕で倒せる者もいる。しかし、目の前の少年少女達は楽々倒せる部類とは思えないことがリア達の顔を暗くさせる。
移動速度の遅さも単に【強化】の技量不足であろう。戦闘面での技量は一般人と大差ない、F級もしくはE級魔物でも苦戦するくらい。ラボルで似たような駆け出し冒険者パーティを見てきたリアはそう結論付けた。
相手がイビルボア――C級魔物と分かっているのか、いないのか。
位置取りもなく七、八人で雪崩込むように向かってくる姿には嫌な予感しかしない。
「わ、私、上からサポートしますよ」
「待って! 陣取っていてくれるのは良いけど、助けるかは確認してからにしよう。後から横取りしたとか文句を言われるのはごめんだよ」
「ああいうのに限って、余裕だったのにとか言うからなぁ」
彼らが目の前で殺されるのを眺めていたとしても、誰にも咎められることはない。
今日も世界のどこかでは武器に触れたことのない人が魔物に殺されているのだ。冒険者ならば尚更のこと。無謀なことをしたとため息交じりで、時には酒の肴の笑い話として語らるくらいのものである。冒険者は自己責任、自分の命を盾にしてまで見知らぬ他冒険者を助ける義務はない。
「……分かりました。余裕があったら合図してください」
ラボルで自分を馬鹿にしていた駆け出し冒険者と彼らの姿が重なる。
リアは複雑な気分だった。助けるような相手じゃないと囁く自分も心の隅にいるが、それでも死んでしまえとは思えない。ここで背を向けて、後から訃報を聞いたとすれば後悔に苛まれることが分かりきっている。
二人の返事も聞かず、リアは近くに生えていた木に手をかけた。
小ぶりな弓は既に矢筒に引っ掛けて留められている。
弓と矢を背負ったままスルスルと木を登っていくリアを見ながら、ザイードとレオナは納得した。
「ちっこいから弓も小せぇのかと思ってたが……」
「木を登るんなら邪魔だよね」
あっという間にザイードの背丈よりもずっと高い所まで登ったリアが、ガサッという音と共に別の木へと移ったのを見て二人の口があんぐりと開いた。ポカンという効果音まで見えてきそうな間抜け面で見上げている二人と、樹上から地上を見下ろすリアの目が合う。
(山猿らしく木を揺らしてやろうか)
恥ずかしさのあまりそんな事を考えたのは束の間のこと。
「……私じゃなく、あっち見ててくださいよ!」
頬を染めてそれだけ言うと、リアはさっと次の木へ飛び移っていった。




