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02-18:謎の男の正体

 ふう、と息を吐いてリアはレモンで味を付けた水を飲んだ。

 孤児院で冷や汗をかいたせいか、歩き回った後だからか、さっぱりした風味がやけに美味しく感じられる。


 あの後――女の子の勘違いを解くのに苦労したのだ。

 十八歳で冒険者だよと言っても、幼女は目をパチクリさせて首を傾げただけ。通じないやりとりを笑って見ていたレオナがとうとう飽きてきて、本当なんだよと言い聞かせたことでやっと納得してくれたのである。

 単にレオナに見惚れてキュロットの裾を開放しただけかもしれないけれど。


 一緒に夕食をとキャロルは誘ってくれたが、夕方からはヘロン亭の手伝いだ。

 孤児院に残ると言ったザイードと別れ、華屋横丁をさっと眺めながら自由区へと戻った。自由区の憩いの場となっているアミークス広場で一息ついた今、リアは昨日から聞きそびれていたことを聞いてみることにした。


「フレッド先生、昨日ギルドにいたカルヴィンさんって何者なんですか?」


「あぁ、彼ですか……」


 知っていることは間違いないはずなのに、言いよどむフレッドをレオナは半笑いで見ていた。美形の半眼半笑いというのは結構怖い。


「先生。何で先生とあんなに仲良しなのか、私も気になってたんだよね。言えない関係じゃないなら教えてよ? 答えないなら、とりあえず正体は私がリアに教えるけど」


「はぁ……まぁ、本人は隠したいらしいですけど無駄でしょうしね。リア、あの男はクレメンテ辺境伯の息子、次男ですよ」


「うぇぇぇっ!」


 あまりに驚きすぎて仰け反った。

 カップに入っていたレモン水が溢れて手が濡れたが、そんなことを気にしている余裕などリアにはない。一気に早まる心拍数を耳の奥で聞きながら考える。

 クレメンテ辺境伯といえば領主であり、アルカクで一番偉い人だ。

 冒険者ギルドに入り込んで事情聴取出来るのは分かるが、貴族の子息がそんなことをするのか。しかも、あんなにフランクな態度で――そこまで考えて、リアの顔から一気に血の気が引いていった。


「わ、私、不敬罪とかで処刑されませんかッ!」


「大丈夫。されませんよ。本人は家を継がないし爵位もない、一庶民のつもりですから。家を出たからって、そんな訳にはいきませんけど、本人はそれが不服らしい。昨日だって、あれ、自分はただのカルヴィンだからよろしくな、とか言ったんですよ絶対」


 面倒臭そうな顔でぼやくフレッドを見ながら、そういやこの人はカルヴィンと親しげに話していたな、と思う。貴族のご子息相手にとんでもなく不敬なことを言ったり、毒づいたりしていた――ような気がする。


「それで、先生と領主のお坊ちゃんとの関係は?」


「幼馴染ってやつですね。私よりも一つ年上で、子どものころは散々振り回されました」


「ぶぇ……。フレッド先生って、モシカシテ、貴族、ですカ?」


 実際にリアが貴族と呼ばれる人を見たのはほんの数回、それも遠くから見ただけだ。それでもリアが見聞きした貴族というものの評判は、変な声を発してしまうくらいに宜しくない。

 世の中にはそんな貴族ばかりではないと分かっているが、フレッドがそうかもしれないと思っただけで口が緊張する。言葉以上にカチコチに強張ったリアの顔をフレッドは苦笑しながら見つめ、首を振った。


「いいえ、私は薬屋の子です。想像は何となく分かりますけど、アルカクというかクレメンテ辺境伯に連なる人達は、想像されているような貴族とは違いますよ? ご存知の通りアクは強いし善人とも言い難いですが、少なくとも中央のように理不尽ではない……と私は思います」


 褒めているのか貶しているのか定かでない評価である。

 中央を知らないリアからすれば、へぇとしか言いようのないコメントだ。

 その横ではレオナが小さく鼻を鳴らし吐き捨てるように呟く。


「……貴族なんか」


 その目に一瞬だけ暗い焔が揺らいだのをリアは見てしまった。

 聞かなくても貴族絡みのトラブルが合ったのだろうと想像できる姿だ。

 カスディム王国内では珍しい話でもない。魔術適性のこと以外にも、貴族の傲慢さに起因する抗えぬ被害はそこかしこに落ちているのだ。


(そう言えば、昨日ギルドでもほとんど口を開いてなかったな)


「レオナは、アルカクの街やカルヴィンも嫌いですか?」


「……アルカクは好きだよ。あの男も、今のところは別に……」


 凍ったように硬く、歯切れの悪い返答。

 幼馴染だというフレッドに気を遣って言葉を抑えていることがよく分かる顔だった。今のところは自分に害を与えたわけではないから良い、恨みはしない、というのが彼女の精一杯なのだろう。

 けれど、貴族なんて信頼できない。

 害しか無い連中だろう、とその目は雄弁に語っていた。


 レオナに限らず貴族と呼ばれる階級のものが自分たちを統治し、守ってくれるというイメージを持っている庶民は少ない。多くの、特に豊かとは言えない庶民にとって貴族は搾取するだけの存在だ。

 だからこそ、華やかな世界に一抹の憧れを抱きつつ、貴族というものをゲジゲジやゴキブリ並みに嫌う人が多いのであろう。


「……贅沢と搾取にしか脳ミソを使わない貴族も多いみたいですけどね。ですが、うちの殿様は領主として真っ当な部類だと思いますよ?」


 アルカクが活気ある都市であることは勿論のこと、クレメンテ辺境伯領内では餓死者が続出するような厳しい税の取り立てもない。それどころか、場合によっては税の減免や低金利での貸付なども行われている。


 周囲から攻められる可能性性が高かった昔はともかく、現在は平民にとって過ごしやすい地方だと言える。もちろんクレメンテ辺境伯領の民全てが今の生活に満足しているわけではない。貧しさに夢を諦める人も、商売の失敗ですべてを失う人もいる。

 それでもクレメンテ辺境伯を忌み嫌う領民は少ないのだ。


 特にアルカクであれば各地から人が集まる関係上、庶民層まで各地の噂は広く耳に入る。元クレメンテ辺境伯の系図――ベイティア家以外が領主になった場合、状況は悪化すると結論付けるしかないのが現状だ。


 だからこそ、フレッドだけではなくアルカクの人々は、クレメンテ辺境伯のことを「うちの殿様」と呼ぶようになったらしい。搾取しかしない王など支配者として認めていない、自分たちが従っているのはベイティア家であるという皮肉をたっぷりと含ませて。


 ちなみに、殿様は異国から伝わった言葉。王様や領主に対しても、夫や男児を揶揄する時にも使う。男と同じくらいの意味合いで使われる外来語を使うことで、不敬と謗られても言い逃れが出来るという寸法だ。


「説教がましくなりますが……貴族だからというだけで嫌うのは、貴族が平民を見下す感覚と似ていると思います。軽すぎるきらいもありますが、カルは相手と対等に向き合いたい男です。リアやレオナにも普通に接してもらいたいから、ただのカルヴィンとして紹介させたんでしょう」


 フレッドの言葉は自分の敬愛する領主、付き合いの長い友人へのフォローだったのだろう。

 しかし、リアはガンと頭を殴られたような気分になった。

 貴族が庶民を一緒くたに見下すように、庶民も貴族をひとまとめに嫌う。そこには相手の人格も、個性も何もない。どの系譜に連なるか、それだけで同じ枠で作られた量産品のように扱われるのだ。

 無性に哀しい、とリアは思った。

 レオナもフレッドの言葉に何か感じることがあったらしい。


「……私も、良い街だとは思ってるんだ。みんなと会えた場所でもあるし、アルカクに来たことを後悔したことは無いよ」


「中央では下賤な成金共の街、と言われていますけどね」


「ははは。私も来るまではもっと野蛮な無法地帯かと思ってたよ」


 クレメンテ辺境伯領から離れるほどにアルカクの印象は変わる。

 閉鎖的な村や町は勿論のこと、王都や東西南北の四大都市においても、成り上がり貴族が納めている蛮族の行き交う町と思っている人は多い。庶民にはそう思わせるように仕向けている節があるし、貴族たちもそう思い込もうとしているのだ。

 実情を知る商人だって不興を買うと分かっていれば口を噤む。

 だが――。


「けど、私はそんなご立派な生まれじゃないし。干乾びるまで搾り取られない、貴族と御用商人が幅を利かせていない、近場で欲しいものが手に入る。この三つがあれば十分さ。引退までに金を貯めてココに住みたいって奴が多いのも、まぁ納得できるよ」


 冒険者は基本的には土地に縛られない。各地を巡り、易易と国境を超える者も居る。同業者からの情報量も少なくはないし、自分の目で各地を見る人々だ。だからこそアルカク――もしくはクレメンテ辺境伯領がいかに恵まれた土地であるのかという事に気づくのだろう。


 しかし、アルカクを現役時に拠点に選ぶ者は少ない。

 クレメンテ半島南端には中規模の迷宮が一つあるが、アルカク周辺に湧く魔物は低級が大半。かつ街の外周や街道付近は軍が巡回しているため安全性が高く、冒険者にとって華々しい活躍の場はない。皮肉にも立身出世を夢見る者にとっては最大級に旨味がない街なのだ。

 これが冒険者に“引退後に住みたい街”と称される理由である。


「そう言ってもらえると嬉しいですよ、地元ですからね。好きになれとは言いませんが、カルも薬屋の三男坊と泥だらけで走り回っていた男です。高圧的に理不尽な命令をされる心配はしなくても良いはずです」


「あぁ! もう! だから、クソ野郎とも言えなくて困ってるんだ」


 頭を掻き毟りながら呟いたレオナの言葉を聞いて、フレッドは嬉しそうに笑った。生まれ育った街と幼馴染に対する好意的な評価は嬉しいらしい。いつもの何か企んでいるような微笑みではなく、大変素直な笑顔と笑い声である。


「……でも、昨日の聞き取りは何だったんでしょう?」


 カルヴィンの正体は分かった。

 だが、冒険者ギルドで変わった魔物の出現について調べていた理由は謎のままである。ぽつりと呟いたリアの言葉に答えるフレッドもどことなく歯切れが悪い。


「もしも変異種や湧かないはずの魔物が出てくるとなれば、早めに手を打ちたいと思っているんでしょうねぇ。現時点では辺境伯が動く問題でもないですが、アルカクの冒険者ギルドにはほとんど高ランク冒険者がいませんから」


「カルヴィンさんは、そういったお仕事を?」


「気になったから首を突っ込んでみたってところかと。まっ、言動はアレですけど無能ではないでしょうから、必要があれば冒険者ギルドなり、クレメンテ騎士団なりに引き継ぐでしょう。私達は単なる中間層の冒険者ですからね、聞かれたことに正直に答えておけば良いんですよ」


 フレッドが言ったことは至極真っ当で、大半は間違いでもない。

 大半から漏れた部分がどれかも、漏れた部分が自分たちに関係するのかしないのかも、今のリア達には関係のないことである。それもそうだと頷いた彼女達の間でカルヴィンの聞き取り調査は、終わった出来事として意識の外へと追いやられていった。

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