01-21:クマさんに出会った2
前足を振り上げたままメタルベアは叫び、ブルリと体を震わせた。
ただし、それは己の望みを果たしての喜悦からではない。焼け付くような痛みがB級の魔物に怒りと苦痛の咆哮を上げさせたのだ。
痛みを与えた原因は、左目に突き刺さった一本の矢。
ザイードの棒を掴んだことで、メタルベアの動きが制限された。
リアにはそれだけで十分だった。確信を持って射られた矢はメタルベアの左目にしっかりと刺さった。脳天を貫き一撃で殺せるほどに深く沈み込むことは無かったが、この場の流れを変えるだけの影響は与えられるはずだ。
しかし――。
「ヒッ!」
安堵する間もなく、リアは背筋を這う悪寒に小さく悲鳴を上げた。
叫びながら膝をつくように崩れ落ちるナイトベア。
その脳天に叩き込まれる、開放されたザイードの棒。
薄い膜を一枚隔てたような感覚の中で、呆気なく感じるほどの決着を眺めていた。
リアに悲鳴を上げさせた、冷たく、這いずるような感覚の発生源は分からなお。不意を突かれたメタルベアの怒りや怨念か、アルスがその足を切り飛ばす時に瘴気のようなものを放ったからか。それとも奥の方に潜んでいた“何か”か――。
メタルベアが相手ではなければ、リアは不安の正体を追求したはずである。
しかし、明らかに格上の魔物と戦っていたのだ。もしかすると勘違いかもしれない一瞬の感覚よりも、全員が無傷で岩熊を倒せたという安堵の方が大きかった。
粘ついた視線も今は感じない。
座り込んでしまいたいという気持ちに蓋をして“魔物狩り”の方へと向かう。
「や、殺った……?」
剣を構えたままで、小さく喘ぐような声でレオナが呟く。
メタルベアの頭蓋骨を叩き潰した棒で確認するように何度か突付いた後、ザイードは強張った笑みを浮かべて頷いた。ふっと体から力を抜くと、彼はそのまま地べたに座り込んでしまった。
「わりぃ、オレが甘かった……」
「怪我はないな?」
淡々と確認しているのはアルス。
この剣がメタルベアの足を斬ったのか――とリアはこっそりアルスが拭っている剣を眺めた。片刃で緩く湾曲した形状が特徴的ではあるが、至って普通の剣に見える。魔法金属が使われていたり、何らかの効果が付与されていたりするようには見えない。
剣よりも一人だけ緊張も安堵も感じられない、無機質とも言える表情をしている事の方が気になる。先程までメタルベアと戦っていたとは思えないような落ち着き様である。
「……全員無事で良かった。俺もここまで硬いとは思わなかった、ザイードが焦った気持ちも分かる。棒を取られた時以外の動きは悪くなかったな。レオナも最初はさておき、その後の動きは前よりも良かった。それに――」
アルスは一旦言葉を止めてじっとリアと見つめた。
不意に、初めて見るのではないかと思うほど分かりやすい笑顔が浮かぶ。
「君の弓も素晴らしかった。お陰で一気に片を付けることが出来た」
「いえっ! ア、アルスさんなら、余裕で倒せましたよねっ?」
硬いことに定評のあるメタルベアの後ろ足を一閃で切り飛ばす。そんな芸当ができたということ、一人だけ平然としていることから想像はついていた。
アルスにとってメタルベアという魔物は、事前に口にしたように“試すのに丁度良い”存在くらいでしか無かったのだと。
「……アレが我を忘れていなければ、結果はまた違ったはずだ」
「本当、嬢ちゃんに助けられた。あのギラギラ熊野郎、見た目より力強ぇのな。オレが無事でも、あのままじゃ棒が曲がっていたかもしれねぇ。リア様々だな!」
予想以上の評価にリアの顔から耳の先までが熱くなった。
茹だってもここまで赤面はしないかもしれないと思いながら、恥ずかしさにリアは俯く。笑ってしまいそうな口元を必死に抑えているリアの姿を“魔物狩り”は微笑ましそうに見ていた。
「照れンなよ、本気で感謝してるんだから。あぁ、隊長、この変な熊、熊なんスかね?」
「……何だろうな? 食えそうには見えないが――」
「リアが知ってるって。メタルだかアイアンだかの熊って言ってたよね?」
レオナの言葉によって“魔物狩り”三人の視線が向いた。
顔だけではなく耳まで熱い。熱いを通り越えて痛いくらいである。知りませんと言って逃げ出してしまいたいと思うが、それは出来ない。
なにせメタルベアは結構な高値で買い取ってもらえるのだ。
不味そうだから捨て置こう、なんて言われた暁には目も当てられない。
「これはメタルベアと呼ばれている魔物のはずです。買い取りのメインは、この、頑丈な皮です。防具として優秀らしいです」
「らしいってことは、嬢ちゃんも詳しくは知らないのか?」
「はい。迷宮か岩山に“湧く”のが大半らしいので、この辺りでは珍しいんじゃないかと」
説明役になっているリアだって実物を見たのは初めてだ。
知っている事と言えば、ルミナが持っていた本に描かれていた絵と簡単な説明くらいなものである。
「一応ギルドに報告した方が良いのか。――ああ、済まない。続けてもらえるか?」
「え。えーっと、売れるのは皮と、雄なら睾丸だったはずです。薬の原料になるとか」
全員揃って微妙な顔をしないでいただきたい。
リアとしてもどんな薬に使われるのか想像はつくが、買い取りの説明を求められたら言わないわけにはいかない。私が決めたわけじゃない――そう大声で主張したいのを堪え、微妙な顔は見なかったことにして続ける。
「それ以外には爪と牙ですかね、皮よりはかなり安いらしいですけど。お肉は熊肉ほど美味しくはないらしいです。基本的に値はつかないものの、マニアックな方が納品依頼を出していることがあるとか」
「……なぁ、ザイード。やはり魔物図鑑を購入すべきでは?」
「駄目ッス、本は高い。収納袋が遠くなる」
リーダーの言葉をザイードはバッサリと切り捨てていた。
けんもほろろに断られたアルスは、腕組みでメタルベアを見下ろしながら食い下がる。
「高額の魔物を見逃しているかもしれないだろう?」
「なら図書館とかで調べて覚えて下さいよ。もしくは嬢ちゃんに聞くか」
「彼女も本の知識だ、と言ったが」
「安いやつは下手すると嘘が書いてあるって聞くじゃないっすか! 嬢ちゃんは当たりの図鑑を見たんでしょうよ。とにかくダメ、貯金は使わない!」
目を見開いてリアは言い合う二人を凝視していた。
「武器のメンテナンスと同じく投資だろう」
「良いのは高いし、分厚いから持ち運べないでしょうよ。どうせ屋内で読むんなら図書館で十分! 無駄に良い記憶力を生かして節約してくれ」
言い合いが続くのを聞くほどリアの口がぽかんと開いていく。真面目な内容の話のはずなのに、欲しい玩具を強請る子供と親の会話に聞こえてくるのは気のせいだろうか。
更に何かを言い募ろうとしていたアルスがリアの顔に気付いてしまった。
気まずそうに視線を逸らし、獲物に万能針を刺すことに集中することにしたらしい。間抜け顔を見られたリアも慌てて口を閉じた。
「……それで、このメタルベアとやらはいくら位で売れる?」
「詳しくは分かりませんけど、最低でも大銀貨一枚は堅いかと――」
「うぉぉっ! やった!」
レオナが叫ぶ横で、ザイードがヒュゥと口笛を吹いていた。
何しろ大銀貨は小銀貨十枚、銅貨なら百枚だ。メタルベア一体でビッグラビット十五匹体分以上である。苦労に見合っているかはさておき、良い稼ぎだということにはリアも同意する。
先程までの戦闘の疲労に加えて、ウサギ狩りよりも大きな収入が得られるという事実。どこか緩んだような空気が場に流れる。特にザイードとレオナは休憩だと言わんばかりに、座り込んだままである。水筒から水を飲む二人の顔には疲労が滲んでいる。
(確かめるなら今だろうなぁ。気になるし)
落ち着いてくると、メタルベアと戦っていた時に感じた視線の事が気になってたまらない。今は“魔物狩り”以外の気配を全く感じない、そのことが逆に不気味である。二度目の悪寒についてはアルスが瘴気のようなものを発していただけかもしれないが、木々の中にはこちらを窺う何かが居たはずなのだ。
「あ、あのっ! 皆さん、休憩されますよね?」
「開けたところまで戻ってからと考えていたが……どうした? 疲れたか?」
「ちょっと、あっちの方を調べてみたいなんです。休憩をとるならその間に行けるかーなと」
「ん? まぁ……レオナとザイードは休みたいようだし、構わないが」
「ありがとうございます! すぐ戻りますので」
上手く行った。
あそこに居たのは魔物で、自分よりも強そうな存在に怖気づいて逃げた。そんな確証が得られれば良い。場所の見当は付いているから時間はかからないはずだ。
ペコリと頭を下げてリアが目的の方向へと移動し始めると、なぜかアルスも付いてきた。
「ひ、一人で大丈夫です!」
「単独行動は危険だろう? 邪魔はしない」
そう言われてしまうと、来ないでください、とも言えない。
仕方なく黙々と進み、風魔術を使った時に動きがおかしいと感じた場所へ向かう。単独行動と言えるほど距離は離れていない。レオナ達の姿も見えるし、会話は聞こえないが叫べば声の届く位置である。
(魔物が潜んでいたような雰囲気はない。だとすると人間?)
獣であれば足跡や糞、体毛などで追跡する。魔物も同様に毛や足跡が残るし、魔素によって成り立っている存在と言われるだけに魔力の残滓が感じられることもある。
リアが行う、自分の魔力を微量だけ開放する方法であればより明確に分かるのだが。
アルスが近くに居る状況で魔力を動かすのは避けたい。だから確実ではないが、何の魔力も気配も感じないことから魔物が居た確率は低いだろうとは思う。獣ならばあれほど嫌な視線を送ってくることはあるまい。
消去法でいけば、潜んでいた可能性が高いのは人間――。
「そろそろ、何を探しているのか教えてもらえるか?」
「えっ、いやぁー……売れそうな薬草とかあったら良いなと」
「……違うだろう?」




