01-20:クマさんに出会った1
アルスという男は何の気負いもなく、格上のB級かもしれない魔物と戦ってみようと言う。関わってはいけない部類の人と見るべきか、心強いと言うべきかリアは判断に悩んでいた。
「ザイードと俺は前に出る。レオナはフォロー、君は可能だと感じたら援護を頼む。無理をする必要は無い」
何かで何処かを逆撫でされた気分。その感情が何であるか、良いものか悪いものなのかさえも分からなかった。胸の奥のざわつきを消化できないまま、リアはただ頷くことで共に戦うという意思を示す。
ガサガサと音を立てながら、木々の間を進む。
ザイードが威嚇するように動き回った後だ。今更気配を消して近寄ろうとしても、気付くならば不自然な違和感に気付くはずである。気づかれないことに賭けをするよりも、獲物が視界に入った瞬間に動ける状態を保つことを“魔物狩り”は選んだ。
進んでいくうちに、誰もがザイードが感じたという気配を認めていた。
それは、ひどく不安定で刺々しい気配だった。
移動しているわけでもないのに、その気配自体が点滅するかのように薄れることがある。存在を見逃してしまうそうにふっと薄れた後、強烈な殺気を伴って気配が濃くなる。うたた寝をしている時の意識のようにも思えるが、肌を突き抜けるような鋭い殺意はそれが微塵も心地よさなど感じていないことを示していた。
曖昧でありながら明確な殺気を放ち続けているそれは、どこか禍々しい。
確かに絶望的な恐怖はない。
しかし、リアも“魔物狩り”も気配を感じてから緊張している。気を抜いた瞬間に飲み込まれそうな、嫌な予感がするのだ。レオナとザイードさえも最低限の確認以外は口を開かず、鋭い視線を周囲に向け続けている。
「……そろそろだな。全員、危ないと思ったら退け。無理をする必要はない。君は俺達が劣勢になれば逃げられよう距離を開けておけ。可能な限りは援護を頼む」
刺々しい空気の中では異様にも思える、アルスの静かすぎる声。
二人に倣ってリアも頷き返した。もしも声に出して返事をしなのならば声が掠れたかもしれない。そう思う程に緊張していた。
痛いくらいに乾いた喉の奥を、つばを飲み込むことで誤魔化す。
速度を上げた男二人の背を見ながら、リアは自分の弱さを噛み締めていた。劣勢になれば逃げろと言われた事も悔しいが、逃げる以外に出来ることが思いつかないことも悔しい。
(私はこの辺りで遭遇する魔物の種類も、逃げ道も知らない。一矢で仕留められる魔物だって限られているし、魔術は逃げるための時間稼ぎにもなるかも怪しい)
十五歳で独り立ちをした。それからずっとソロだったが不安を感じたことはない。
狩りに関しては祖母と分かれた後も腕を磨いてきたと自負していた。大抵の魔物であれば戦うか逃げるかの違いはあっても、危険を覚えるような事態にはならないと慢心していた。
だが、自分が一人で不安なく動けていたのは祖母のお陰だったのだ。今なら試行錯誤して自力で得たものは僅かだと分かる。山にいる魔物の特徴、効率の良い狩りの方法、逃げる方法――それはあの山で暮らすために必要だったものだ。そして今、自分がいるのは慣れ親しんだ山ではない。
苦い自覚を噛みしめるほど不安が膨らむ。
「……隊長の復唱みたいだけど。怖いとか、無理とか思ったら逃げて良いんだよ。味方に当たりそうだと思うなら、自信が持てるタイミングまで黙って見れば良いの。一人じゃないんだからさ」
とん、と軽くリアの肩を叩きながらレオナが笑った。
体中に【強化】張り巡らせているのは当然だが、気迫もまた彼女の全身を覆っているように感じられた。十分過ぎるほどに気負っている、その目に臆した色がないことが不思議なほどに心強い。
「ありがとうございます。いつでも行けます」
濃い青色の瞳に見つめられながら、リアがそう言った直後。
金属が擦れ合うような、耳障りな音が弾けた。
明確な憎悪を感じさせるそれは、音ではなく声と呼ぶべきだろうか。
言葉をかわすこと無く、同じタイミングで二人は駆け出した。
ほんの少し進むだけで耳障りな音を放った犯人が見える。
「何だよ、アイツ」
「何で、こんなところに……」
「知ってるのか?」
「メタルベア、のはずです。でも、こんなところに居るはずは……」
見えたのは、くすんだ銀色の塊。
メタルベアと呼ばれる、熊に似た姿をした魔物である。
金属染みた質感の皮からメタルベアとは呼ばれているが、金属に覆われている訳ではない。皮は矢を跳ね返すほどに硬く、かつ柔軟性も持ち合わせている。硬い魔物に多く見られる鈍重さ、熱に弱いということも無い。
大きさは後ろ足で立ち上がっていてもリアに届かない程度。アルスやザイードと並べば小さく見えるし、実際に熊系の魔物としては小型の部類である。
しかし、メタルベアはB級。
その理由は基本的に迷宮内、特に洞窟風の狭い岩場のフィールドに湧くことが多いからだ。小柄な体を活かしつつ岩陰から飛びかかってくるのである。咄嗟に斬り返したとしても余程の手練でないと硬い皮に阻まれて攻撃は通らない。身体が小さい分、他の熊系の魔物よりも素早く小回りが効く。
森の中でお会いしたい熊さんでないことは確かだが、岩場から不意打ちされるよりは相手の苦手なフィールドであるだけマシだろう。そもそも魔物でなく獣であったとしても、熊とは森で遭いたくないものだが。
駆け出したレオナを見送りながら、リアは弓を構えた。メタルベアという魔物の存在こそ知っていたが、実際に目にするのは初めてなのだ。どのくらいの速度で動くのか、どういった予備動作があるのかは分からない。
いつでも放てるように弓を引き絞った状態のまま、その動きを追う。
先行していた二人は絶えず動いていた。
アルスがメタルベアの気を引き、その隙にザイード棒を叩き込む。
ザイードに反撃しようとしたところを、再びアルスが挑発して気をそらす。
二人に攻撃を躱されるメタルベアは苛立ったように金属的な叫び声を上げ、前足を振り回している。空気を裂く音が聞こえてきそうな鋭い一撃。目当ての人間を傷つけられなかった爪は、しかし、見るだけでぞっとするような傷跡を木の幹に残していた。
「はあぁっ!」
鋭い気合を発して、レオナが岩熊に切り込む。
メタルベアに突っ込むのではないかと思われる勢いで走り、前足が届く寸前で高く跳んだ。空中で体勢を変え、一方の短い剣で岩熊の鼻面を狙う。
だが、レオナの速さと的確さよりも、岩熊の速度と硬さが勝った。
レオナの剣は柔らかい鼻先ではなく額に当たり、硬い皮膚に弾かれて耳の間を滑った。着地して飛び退くように距離を開けたレオナが叫ぶ。
「クソッ! かってぇなっ!」
「オレの棒でだって潰せねぇんだ! 離れろ!」
「レオナ! お前は相性が悪い。ザイードが狙いやすいように動け」
「了解ッ!」
彼らは会話している最中でも動き、腕を振り回すようにして暴れるメタルベアに対して牽制をしている。何度かザイードの棒はメタルベアに当たっているものの、硬い皮に阻まれているのが見て取れた。
幸運な事に、メタルベアは速度や強靭さに優れているものの賢くはない。
自分に痛みを与えようとしてくる者、自分の近くにいる相手に襲いかかる。アルスとレオナが細かに動いて目をそらし、急所となりそうな場所にザイードが致命傷になる一撃を入れようと奮闘している。
リアはじっと弓を引いたまま耐えていた。
現状では、メタルベアが人に翻弄され右往左往しているように見える。しかし、ザイードの攻撃がほとんど効いていないとなれば待つのは持久戦である。メタルベアの速度とパワーに対抗するには【強化】が必須、人が【強化】を掛けるのには魔力が必要だ。魔力が切れた時点で、危険な状態に陥る。
“魔物狩り”の三人が桁違いの魔力を持っていない限り、互角で戦い続けるのはジリ貧だ。
戦っている当人達もそのことを理解しているのだろう。ザイードの動きは少しずつ焦りの濃度が濃くなり、動きが大雑把になっている。レオナもメタルベアを挑発するタイミングがずれ始めている。
しかし、動き回る“魔物狩り”とメタルベアが入り乱れている状態では矢を放つタイミングを掴みきれない。味方に当たらないことは大前提として、リアが妙なタイミングで矢を当てれば痛みによってメタルベアが挑発を無視する可能性もある。
そのリスクを犯してまで攻撃する場面ではない――と思う。
決定的瞬間を待つリアをよそに、近距離型の三人はメタルベアと戦い続けている。
ふと、嫌な視線を感じてリアは三人よりも更に後方へと目を向けた。
全くと言って良いほどに気配はない。だと言うのに、粘っこい視線のようなものを感じる。そんな場合ではないと思うが、気になって仕方がない。
「風よ、揺らせ」
視線の元と思われる場所へ強めの風を吹かせてみた。
この程度であれば戦っている三人には気づかれないだろう。気付かれたとしても気のせいだとか、何とでも誤魔化すことは出来る。
リアの放った風は束の間、草木を大きく揺らした。
(ん? 今、あそこの動きだけ不自然だった?)
何かが潜んでいるらしい、不自然な箇所。
リアの意識が向きかけたが、ナイトベアの方も余裕がない。振り下ろしたはずのザイードの棒が、その頑丈な爪によって押さえられたのである。このことで不自然な部位に向ける余裕が無くなった。
「GRGYAAAAAAA!」
何度目かも分からない、狂気さえも感じる岩熊の雄叫び。
「チッ……! この野郎ッ!」
メタルベアは殺意を濃縮したような目で獲物を見据え、器用な前足を使って棒を振り回そうとする。さすがに吹き飛ばされこそしないものの、揺らぶられたザイードは蹌踉めき体制を崩した。
アルスが居るのはザイードの斜め後ろ。場所が悪い。ナイトベアの近くにはレオナが位置取っているが、彼女の一撃は致命傷になり得ないことは承知――。
もう片方の前足を振り下ろせば殺せる。
メタルベアが人間であれば、そう嗤っていただろう。




