01:甘くそして寂しいワナ 2/2
ボクが幼く一番古い記憶だって、ずっとこの町の光景だ。十七年間ボクはこの町で、学校だって小、中、高と、錦宮坂で過ごしている。この高校だって、他所から来たヤツもいるが、半分ぐらいの生徒は小中の頃から見る顔が同じだ。昔からこの町も学校も平和過ぎるぐらい何も変わってない。
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ボクらのクラスは三年D組。廊下の突き当たりの教室で、階段から一番遠いという事ぐらいがデメリットだ。それ以外は特に新クラスに対して変化は無いし、クラスメイトにカナエがいる事、ボクにはそれしか印象がない。
が、他の奴らはどうも違うらしい。
一クラス三十五人で構成されているはずなのだが、明らかにこの教室はそれ以上いる。廊下から不審者かのように覗き込むヤツがいたり、教室を何度もキョロキョロ見渡したり、皆口々に言うのは"サヤコス"。ファンタジーゲームの魔法の呪文か?それに、朝から唐突に『ぜってぇ彼女作る!!!』と叫び出す頭のおかしい男がいたり……いや、頭がおかしいというのは、腐った状態の熟れていない緑の蜜柑のような、黒色が疎らに混ざった黄緑色の頭をしているから、と言っておこう、よく知らない人の事を悪く言うのはボクのポリシーに反する。
「すごいねユタカ、すごく平常心そうに見える、私なんて心臓バクバクなのに」
確かにカナエは、他の奴ら同様に落ち着きが無く、足をソワソワさせている。
「そいつはそんなに有名なのか?ボクの知ってるシンガーで例えてくれ」
「私レコード聴かないからわからないよ」
「ボクはレコード以外聴かないからそいつの知名度がわからん」
「うーん……魚で例えたらメジナぐらい有名かな」
「ごめんもっとわからん……」
ふと思う。新学期の初日というのは新しい顔ぶれ達をもっと眺めるものなのではないのだろうか。女子達もこの日のうちに、学校生活を過ごす為の仲良しグループを形成したり、同じクラスに慣れたことを喜んだり嘆いたり、それがボクも見てきた普通の新学期の初日の教室なはずなのだが、それほどに三年D組の教室の空気は異様だった。
ーーーキーンーーーコーンーーカーンーーコーンーーー
八時三十分、ホームルーム開始を告げる鐘が鳴る。
しかしまだ担任の先生は教室にいない、というより廊下から『はやく自分の教室に戻りなさい!遅刻扱いにしますよ!』という複数の大人達の怒号が聞こえる……、これから現れるであろう有名人を一目見たくてしょうがないヤツらが元々の自分のクラスの担任の先生に回収されていく様も、異質すぎる。
廊下がようやく静かになり、本来のD組の面々が教室に残った所で、担任が教室に入ってきた。
「少し遅くなってごめんなさいね、皆この通りに座ってね」
そう言うと座席の書かれたプリントを大雑把に配り、また教室から出ていってしまった。五十代前半ぐらいの女の先生。確か去年までは家庭科の教科担任だったと思うが、今年からクラスも受け持つようになったのか。
「良かったー担任は立花先生だー、ユタカは席どこ?」
先生からプリントを貰い損ねたボクに、カナエはもう1枚を持ってきてくれた。
窓側から二列目の一番後ろの四角形の枠に"椋橋"と書かれていた。武道館なら微妙だろうが、教室なら良席だ。後ろのロッカーにギターを立てかけても振り返ってすぐに確認できるから安心だ。ボクは思わず拳を握り小さく「ヨシッ」と声が漏れた。
ちなみに"凪田"の文字は一番右上、つまり廊下側から一列めの一番前に記入してあった。
「一つ疑問をいいかいユタカ、なぜ出席番号順じゃないんだい」
カナエがフグのようにぷくーっと頬を膨らませた。ボクとは裏腹に結果に対して機嫌を損ねたようだ。そりゃそうだろう、黒板が最も見え辛い席であるし国語の音読がトップバッターだったり何かと面倒事を押し付けられる席だ。コンサートで言う見切れ席だろう。
「万年出席番号一番の藍川さんへの配慮ではなかろうか」
「そうかもね、立花先生らしいや」
「違う、水苗 左彩子を守るためでしょ」
ボクらの会話にそう口を挟んだのはハルコだった。ハルコの言葉に、二人して座席表に目を配ると、確かに窓側から一列目の一番後ろ、すなわち、ボクの席の左斜め前に"水苗"の字があった。
「え?ハルコちゃんどういう事?」
ボクが聞く前にカナエが問う。
「サヤコの周り、女子だけ」
「本当だ!さやこすの前の席は優芽ちゃん、右斜め前は佐原さん、隣はハルコちゃん、右斜め後ろがユタカだね」
座席表には名字しか書かれていないため、名字だけでは男女かは判別できないせいで気がつかなかった。確かにサヤコの周りは女子だけなのはどう見ても異様だ。そういえば、ハルコの名字、冴島っていうのか。
「あっ、でも、椋橋くんは違うね……」
ーーーガラガラッ!!
「みんなー座席についてー?」
突如勢い良くドアが開き、担任の立花が入ってくると、『やべっ』とみな慌てて表のとおり指定された座席へと着席した。カナエもしぶしぶ、右端の方へと離れていく。
しかしまだ、ボクの左斜め前は空席のままだ。
そして教室中の目線は、担任の立花ではなく、この空席へと向けられていた。
「本当にサヤコス来んのかな?!」
「てかテレビのドッキリじゃね?モニタランドじゃね?!」
「オレ一番最初に告るわ!」
「お前が笹風瑠輝に勝てるわけないだろ!ウケるー!」
「ねぇルキくんの名前出したらコロスから!!」
「ルキヲタこわっ!」
「皆さーん、ホームルーム始めますよ!!」
今の所の印象、クラスメイトは喧しいし担任はオドオドしていて頼りない。高校生活最後の年は普通に終わって欲しいところだが……
「じゃあまず、今年度からこの学校に転入してきた転入生を紹介します、皆さん、恥ずかしがり屋さんの彼女の為にも静かにお願いしますね」
「キターーーーッ!!サヤコス!!!」
「まだ来てねぇよ」
「まじで?まじでサヤコス?」
「お静かになさい!!」
今から有名人が現れるこの教室を静寂に出来る敏腕教師がいるのなら是非担任になって貰いたいが。
「水苗さん、どうぞ、皆さんに御挨拶して?」
焦りも見える立花先生が、廊下にいるであろう有名人に手招きすると、しぶしぶといった動きで、その彼女は、二つ結びの金色の髪を僅かに揺らし、教室へとゆっくり入り、俯いたまま、やがて教壇の前へと立ち竦んだ。
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実際本人を目の当たりにすると、ざわざわ感は拭えないものの、何を言って良いのか分からないのか、つい先程まで騒ぎ立てていたクラスの生徒達は、じぃっと彼女を見つめ出方を窺う事しかできないようだ。
「黙っていたら伝わらないわよ?ちゃんと皆さんに自己紹介して?」
黙ったままの彼女に耐えられなくなった立花先生が煽る。チョークを黒板にぶつけ、『カッカッカッ』と音を鳴らし、彼女の代わりに名前を書き始めた。それにつられてようやく彼女は重い口を開けた。
「……………、東京の、双桜学園から転校してきました、水苗 左彩子です」
彼女はそれだけ告げて、床だけに視線を向けながら、自身の座席へと歩き出した。
「…………え?それだけ?」
「本当にあの子サヤコス?」
「テレビとキャラ違くない?」
「てかさぁ!やっぱりあの記事って…」
コソコソと小言を言うヤツらの中で一人、髪の毛の色が黄緑の男が声を荒らげた。それはボクでもわかる、コイツの口を止めないと絶対にマズイーーーー
「ねぇ!!!さやこす!!」
ーーーーー!!!
「私、信じてたんだよ………?!!」
そう思ったその刹那、前の席の冴島ハルコが勢いよく立ち上がり、自身の座席に座ろうとしていたサヤコに向かって叫ぶ。
ハルコはサヤコの方をひどく睨みつけ、唇を噛み締めて、体も震わせている。ハルコは激昂しているようで、泣いていた。
その様に、サヤコは目線を床の方から一瞬、ハルコに向けかけたのだが、すぐ様また俯き、ハルコを見ること無くそのまま着席する。サヤコは、泣いているハルコを無視したのだ。
その態度にハルコは、ヒステリックに自身のカバンについているミツバチのパスケースをもぎ取ったかと思えば
『ベシッ!!!!!』
と、着席しているサヤコに向かって叩くように投げつけた。
サヤコはビクッと一瞬体を震わせた。
それでも、サヤコは、窓の方へと首を動かしただけで、結局1度もハルコの方すらも見なかった。
ハルコは、その態度に驚愕と絶望が入り混じったような表情をし、呆れたように机に突っ伏し、咽び泣きだした……。
前の席の佐原が「ハルコちゃん大丈夫?」と同情したように声をかける。
確かそのパスケースは……LonelyHoneyのグッズだと、カナエが言っていたな………。そうか、冴島ハルコはコイツのファンだったのか。
………………。
教室中が、困惑、といった所か。担任の立花でさえ
どうしていいか分からないようで、黙って突っ立っていた。クラスのヤツらは『ひどい』『やばい』だの、それぐらいしか言えなくなっていた。
…………。
でもボクには見えてしまった。
ボクにだけ、見えてしまったんだと思う。
ハルコが怒鳴りつけた時、教室の床に目線を逃がした彼女は、
ひどく悲痛な表情を一瞬、浮かべていたのを。
ーーーーキーンーーコーンーカーンーーコーンーーー
チャイムは9時を知らせた。
横浜市立錦宮坂高等学校三年D組の教室のこの空間は、澱んでいて、なお重く息苦しい。




