三者三様の
どんな一日であっても、太陽の光は万物に降り注ぐ。
雲の隙間から差し込む熱が地表を温め、大気の温度を上昇させる。
この日は特に日差しが強く、ジクジクと蝕むような痛みが彼らの喉を焼いた。
肌を露出させないように着込まれたローブが、彼らの体を熱から守っていた。
しかし、それはこの日光に対してではなく。
息を潜める彼らの視線の先に存在する、炎に包まれた人型の魔物が放つ熱を防いでいるのだ。
「あれが、件の魔物か」と。
彼らのうちの一人が、確かめるようにそう呟いた。
その言葉に呼応するかの如く、魔物が周囲に騒音を吐き出す。
牛の唸り声にも似ているその音は、管楽器の音色に苦痛の念を上乗せすることで奏でられていた。
「金属で出来た牛頭、これだけ離れていても伝わってくる熱気、そして……この悍ましい啼き声。間違いないだろうな」
その場の一人が、呟きに対してそう応えた。
視線は魔物に向けたまま、「なによりも」と言葉を続ける。
「あんな存在が、自然に生まれた命であってたまるものか」
それは、この魔物を倒すために集まった者たちの総意でもあった。
金属で作られた、二足歩行の牛。
その大きさは、一般的な王国民成人男性の二倍に相当するだろう。
身に纏った炎によって、金属の体は赤く染まっている。
その炎は全身の至る所から放出されており…………つまるところ、その魔物は自分の力で自身の肉体を燃やしていた。
「牛頭鬼」と呼ばれるそれは、ここ数ヶ月の間で新たに発見された魔物の一種だ。
王国領の数箇所で姿を確認されており、新種の中では比較的個体数が少ない傾向にある。
特徴は、その体から発せられる炎。
少なくない犠牲者によって発見された事実として、この魔物はその身の内に人間を取り込む習性がある。
その燃料が多ければ多いほど、この魔物はより強い力を手に入れると同時に、より活発的に殺戮を振りまくようになる。
人を燃やして力を増し、更に人を殺す。
民の守護者であると自負する貴族達にとって、これほど許せない行いはなかった。
巨体の魔物が片手に赤熱した剣を握り、平原に立ち尽くす姿はそれだけで周囲に威圧感を与える。
誰かが唾を飲み込む音が、いやに大きく響いた。
「この領の次男と三男が殺されたらしいな」
最初に言葉を溢した男が、事実確認の為にそう口にした。瞳には、隠しきれない怒りの感情が渦巻いている。
「ああ、民を逃す時間を稼いだ。彼らは立派に務めを果たした、役割に殉じたんだ」
他の男が、そう返す。
ミノタウルスは何故か「火属性の魔術師が治める領地」にのみ出現している。
そして、この魔物に火属性の魔術は殆ど通用しない。
打倒する為に放たれた炎を吸収し、逆に強い力を手に入れてしまうのだ。
そんな魔物が、まるで狙ったかのように火属性の魔術師の元へと現れる。
それは何者かの悪意を感じさせた。
「あいつは…………いや、あれに限った話ではない。魔物は生かしておけない、確実に仕留めるぞ」
この分隊の長を務める男が、その場の全員に向けてそう呟いた。
その言葉を切欠にして、全員が静かな闘志を燃え上がらせる。
それぞれが杖を手に取り、体の中の魔力を滾らせる。
緊張感が極限まで高まり、ピリピリとした雰囲気が辺りを包み込んだ。
彼らが見つめる先には、動きを見せない魔物が襲撃者を待ち構える番兵のように立ち尽くしている。
分隊長は腰から剣を抜き、その鋒が魔物に重なるように視線の中に収める。
そして一言、号令をかけた。
「ーーーー作戦開始、我らの敵を速やかに殲滅せよ」
炎天下の平原に、蒸気の渦が舞い上がった。
複数の魔術師たちが力を合わせ、的確に魔物を追い詰めていく。
魔物を中心に大地が沈み、平原は極度に高低差のある盆地へと変容する。
大量の水がそこへ注がれ、魔物に殺到した。高熱の鎧に触れ、水蒸気となって周囲へ吹き付ける。
風が渦となって勢いを増し、魔物と水を高速でかき混ぜる。
魔物は突然の襲撃に抵抗する姿勢を見せるが、既に完成した大魔術によって肉体は完全に拘束されているため、思うように動くことすらできない。
轟々と音を立てて燃え上がっていた炎は、嵐のように叩きつけられる波によって掻き消される。
片手に握られていた剣がボロボロと形を崩壊させ、魔物の手から抜け落ちる。
そうして無力化された魔物は、それでもまだ息を残したままだった。
苦しげに呻き、吐き出された煙が蒸気と交差する。
攻撃されている、それを理解した魔物は残された力を振り絞って両足を動かす。
いや、動かそうとしていた。
万が一でも魔物を逃さぬように、と。
魔術を待機させていた魔術師が地面を操り、土の手で足を掴む。
魔物は拘束を力任せに振り切り、再び前に進もうと足を踏み出す。
踏み出した先の大地が蠢き、再度魔物の機動力を奪った。
あとは、それの繰り返しだった。
消耗した魔物はやがてに地面に跪くと、足の爪先から徐々に灰となって空へと散っていく。
獰猛な見た目に似つかわしくない、呆気ない最後だった。
ラムセスはその「狩り」を、戦場から離れた丘の上で見届けていた。
柔和な表情の中、黄金の瞳には一つの感情が浮かび上がっている。
それは、好奇心。
自分以外の魔術師の戦いを眺めるだけの日々にも慣れたラムセスは、「集団を率いて戦う」という事への関心を見せ始めていた。
自分だけが動くのではなく、大衆を率いて統率の取れた行動を促す。
それもまた、王として在るに必要な事だと。
ここ半月ほどの出来事から、ラムセスはそれを認識していた。
確かに、魔術師は強い。
平均的な力しか持たぬ者でも、一人で大抵の物事に対応することができる。
そして、ラムセスは並みの魔術師とはかけ離れた存在だ。
正直なところ、先ほど分隊が見せたような連携をとらなくとも、ラムセスは一人で魔物を討伐する事ができる。
未熟な子供の体であっても、それくらいはたやすい事だと。
彼は自分の持つ力に自信を持っているし、その認識は事実でもある。
だが、そうではないのだ。
ラムセスがどれだけ強く、才能に溢れていたとしても。
彼が一人の人間であり、寝食を摂らねば死んでしまうことに違いはないのだから。
全ての人類が、ラムセスほど優秀なわけではない。
そもそも戦う力を持つ人間自体が、この世界の総人口から見れば微々たるものなのだ。
魔術師にとっては討伐可能な魔物も、平民には恐るべき脅威でしかない。
全ての人々を守り、導くためにはーーーー。
限られた戦力を効率的に割り振り、非常時に対処する。
それこそが、為政者としてのラムセスの役割であると。
だからこそ、今この瞬間を学ぶ事へと注ぎ込む。
そんな信条を持って、ラムセスは今日も「後方待機」の任務を実行していた。
「今日も問題なく討伐完了、怪我人はなし…………だねぇ」
両足を抱えて地面に座り込んでいるラムセスへと、一人の男が話しかけた。
ここ最近毎日聞いている声の主にむけて、ラムセスは顔を動かす。
そして、名前を呼んだ。
「バイオさん」
「呼び捨てでいいってのに、ラムセスくんは真面目だねぇ」
バイオは緩慢とした動きでラムセスの隣まで足を進めると、その場に座り込んだ。
笑顔を向けて、口を開く。
「ところで、そろそろ退屈を持て余していたりしないかい? 毎日見学だけじゃあ流石に不満かなって思ったんだけど」
「勉強になってますよ」
「そう? それならいいんだけどねぇ」
王都で出会ってから、バイオという男はラムセスの世話係のように振舞っていた。
どういうわけか、大遠征の間はバイオがラムセスの面倒を見る事になっていたのだ。
最年少であるラムセスに対して、バイオは親身になって付き添っていた。
それはラムセスが、実力はともかく年齢が余りにも低すぎるからこそ。
若さゆえに、というよりも。
幼ささから無茶無謀を行わないように、保護するべきだと。
「たとえ魔術が強くても、子供である事に変わりはない」という声が上がったために、上層部から決められた役割だった。
王都を発ち、魔物の出現した場所へと移動し、戦闘を繰り返すこと既に三回。
ラムセスが割り振られた班では、彼とバイオだけが一度も戦闘に加わっていない。
「慌ただしい旅だけど、ラムセスくんはもう慣れたかな? 学園に通うようになれば、こういう事も経験するかもしれないけど…………まだ何年も先の話だからねぇ。体調を崩してたり、しない?」
「大丈夫です。ちゃんと体も鍛えてますから」
「お爺ちゃんが聞いたら喜びそうな言葉だねぇ」
そんな雑談をしながら、他の面々が戻ってくるのを待ち続ける。
二人の視線の先では、魔物の痕跡を確認する討伐隊のメンバーが忙しなく動き回っていた。
その光景とは裏腹に、二人の間には穏やかな空気が流れていた。
頬に風を受けて、ゆったりとした時間を過ごす。
「そういえば」
「ん、どうしたの?」
「バイオさんはいいんですか? 戦いに参加しなくて」
ラムセスはバイオが自分に構っている事で、戦いに参加できていない事を気にしていた。
貴族というものは、多かれ少なかれ「魔物と戦う」ことを名誉に思っている。
人々を守り、命を次へと繋ぐ。
それを誇りに思っているからこそ、どんなに危険な事にも立ち向かえる。
そんな「貴族的」な魔術師の多くが、自ら名乗りを上げて大遠征に参加している。
例に漏れず、ラムセスにもその気がある。
人々を守る事に繋がる行為が、何より心地よいのだ。
そんなラムセスだからこそ、戦闘に参加させない、という決定を最初に聞いた時には不満に思ったものだった。
今ではこれも経験と思い納得しているが、バイオにとっては只の子守りでしかない。
それは、彼のためにならないのではないか。
ラムセスはなんとなく、それが気になっていた。
そんな質問を受けて、バイオはやや困ったように笑いながら、視線をあちこちへと動かした。
言葉を探すように「あー」と声を漏らし、指を虚空へ向けて揺らす。
それも長くは続かず、「実はね」と前置きした上でバイオは言葉を返した。
「僕はあんまり…………うん、戦いを好んで行う方じゃないんだよねぇ」
やっぱり、と。ラムセスは納得した顔を見せ、思った事を口にする。
「なんとなく、分かってました」
「じゃあ聞かないでよぉ」
二人は顔を見合わせて、吹き出すようにして笑った。
バイオは言葉を続ける。
「僕はねぇ、研究や実験をするのが好きなんだ」
「どんな分野なんですか?」
「もちろん、人体さぁ」
一呼吸置いてから、再び口を開く。
「どれだけ技術が進歩して、人々が栄えたとしても…………怪我や病は常に生活の側にいるもの…………全ての人々が健康で、強い身体を持っているわけじゃないんだ」
「そうですね」
魔物とは、人間が死ぬ事で産まれる。
その中には当然、流行り病に倒れて魔物になった者も存在する。
彼らは存在そのものが毒となり、害となり、他の人々に自分と同じ苦しみを味合わせようと行動してくる。
そういった「感染型」の魔物が出現した時は、国を揺るがす一大事になりかねない。
「だから、僕はそれを克服させたい。健康な身体、全ての人類が病に犯されず…………苦しみの中で命を失うことがないように。それが魔物を減らす事にも繋がる、そう信じてるよ」
「そのために行動できるのは、凄いことだと思いますよ」
「照れるねぇ」
魔術師によって治療を施しても、病が確実に治るとは限らない。
人体から病気を取り除くということは、その毒となるものを正しく認識している必要があるからだ。
バイオが目指しているのは、「病」そのものを未然に防ぐ肉体を作り出すこと。
それは、直接魔物と戦うことと同じくらい…………あるいは、それ以上に難しい事だった。
だからラムセスは、バイオという男の事を素直に凄いと思っていた。
あそこで戦った魔術師たちも、バイオも、そしてラムセスも変わらない。
貴族というものは、それぞれ自分なりのやり方で義務を果たそうとしているのだ。
ラムセス達が王都を出てから、既に半月の月日が過ぎ去った。
大遠征の日々は、こうして今日も順調に進んでいる。




