黄金妖精の金貨壷
「選べ…………誓いを立てるか、此処で死ぬかだ」
視界の全てが金色で塗り潰された空間。
数え切れないほどの金貨が山積みになった、その頂点。
そこからバステトを見下し、ゴルドはそう言った。
既に体の半分を金塊に替えられたバステトは、焦りで額から汗を流しながらも、口を開く事が出来ない。
「どうした? …………簡単な事だろうが、何故それが出来ない? …………お前のあいつに対する愛情とやらは、偽物なのか?」
ゴルドの姿は、既に人のソレでは無くなっていた。
白かったスーツは、その上から金の輝きで上塗りされている。
いや、衣服だけではない。
ゴルドの全身は、左目とその周辺を残して全てが黄金へと変容していた。
口元は金で出来たマスクに覆われており、その形状は甲虫の顎門に似ている。
オールバックにされていた髪の毛は逆立ち、色も黒から金へ。
元々金のメッシュがあった場所のみが、反転したかのように黒髪になっている。
両手両脚には爪のような物が、その背中からは二対の虫の翼が生えており、それらも全てが金で出来ている。
その人ならざる怪人を視界に収めながら、バステトはこの状況に陥る前の出来事へと、意識を傾けた。
◆
バステトは食事の席についていた。
円状の机と、それを囲む形で設置された四つの椅子がセットになった卓。
周囲には同じようなものが幾つも存在している。
バステトの右側にはマスキン、左側にはフォルテ、そして正面にはゴルドが座っている。
ラムセスはこの場にはいない。
王女の指示で彼を迎えに来た使者に連れられ、彼女の待つ個室へと向かったのだ。
ラムセスは最初、バステトを連れて行こうとした。
しかしーーーー。
『申し訳ありません、ネフェリ様はラムセス様と二人きりの時間をご所望です』
その時のラムセスの狼狽える姿が、バステトに決心させた。
自分を置いて、行ってくれと。
もちろん、ラムセスと王女が二人きりになると聞いて、バステトは心穏やかにはいられなかった。
しかしそれでも、ラムセスに迷惑を掛けたいとは思わない。
もとよりラムセスは王国の貴族であり、王女はその婚約者だ。
バステトはラムセスと距離こそ近いものの、その関係性は奴隷と主人。
客観的に見て、ラムセスが優先するべきは王女の要求だ。
それにも関わらず両方を天秤にかけ、自分の事を気にかけてくれた。
バステトは、それだけで十分だった。
だからバステトは、ラムセスに言ったのだ。
『私は一人でも大丈夫です…………にゃ』
ラムセスは最後まで心配そうにバステトの事を振り返っていたが、やがてその姿は通路の奥へと消えていった。
その場に残ったバステトは不安を感じていた。
そして、そんな彼女にゴルドが声をかけたのだ。
『おいお前、少しツラ貸せよ』
有無を言わさないような口調に、バステトは気圧されつつも頷く。
ゴルドに連れられて辿り着いたのは、会場内に設置されたレストランだった。
四人用の卓を選び、一足先に席についたゴルドはその場で叫んだ。
『おい、男女! 隠れてないでお前も席につけ!』
『げっ、なんで分かったの』
その一言と共に、何処からともなくフォルテが現れそのまま席についた。
不思議そうに首を傾げているフォルテを見て、バステトは頬を引きつらせた。
そうしている間にマスキンも着席し、残った席はゴルドの正面のみ。
『座れ、お前に大事な話がある』
バステトに拒否権はなかった。
そうして、この奇妙な空間が出来上がったのだ。
貴族が三人に、獣人の奴隷が一人。
それも、貴族のうち二人は公爵家。
バステトだけ、明らかに浮いていた。
しかしそんな彼女はいま、三人から放置されていた。
体を縮こませて肩身が狭そうにしているバステトをよそに、この事態の発端となった人物は注文した料理を口に運んでいる。
ゴルドを含めた貴族三人は、それぞれが各々の好物を手に取り、無言で咀嚼していた。
バステトの目の前にも大きい焼き魚が届けられ、食べられるのを今か今かと待ち構えている。
緊張で口を開けなかったバステトの代わりに、ゴルドが勝手に注文したものだ。
分かっていた事だが、完全に猫のイメージのみで好物を判断されている。
しかし、バステトはその料理に手をつけることはなかった。
魚が嫌いというわけではないが、目の前の光景のせいで食欲が湧かないのだ。
ゴルドは山積みになったステーキにフォーク話突き立て、絶え間なく口の中へと運び、咀嚼し続けている。
マスキンは巨体に似合わぬ繊細な仕草で、マナーを守りつつ鳥の丸焼きを一人で消費している。
フォルテは最初からデザートを頼み、数々の甘味を楽しんでいる。
胸焼けしそうな景色だった。
緊張と合わさり、料理に手をつける気が全く起きない。
そんなバステトが気になったのか、ゴルドは食事を取る手を止め、彼女へ話しかけてくる。
「あ? もしかして魚嫌いだったか? 肉にするか?」
「いや、その…………お腹が空いていなくて、です……にゃ」
「そうか。マスキン、お前代わりに食え」
「はいはい」
ゴルドがそう言うのを予想していたのか、マスキンは手早く焼き魚が乗った皿を自分に寄せた。
再び、沈黙が訪れる。
ナイフとフォーク、そして咀嚼音のみがその場に響いた。
それに耐え切れなかったバステトは、自分に対する用事を聞き出すために口を開こうとする。
「あのーーーー」
「獣人、お前に聞きたい事がある」
しかし、その声に重ねる形でゴルドが話を切り出した。
元よりそれを待っていたバステトは、ゴルドと目を合わせながら、大人しく話を待った。
ゴルドは何故か、バステトに目を付けている。
一度は金銭で手に入れようとし、撤回こそしたものの、まだ安心する事は出来ない。
何を言われても、不思議じゃなかった。
最悪脅される事を想定しながら、バステトは耳を傾ける。
そしてバステトは、その想定を越える内容に対して、言葉を失った。
「お前…………いや、お前達か。あいつに近づいて、何を企んでいる?」
硬直したバステトの隣で、何故かフォルテが噴き出した。
幸い口の中の物は飲み込んでいたのか、正面のマスキンに生クリームが降りかかる事はなかった。
混乱の中でバステトは悟った。
この男は、自分の事を知っていると。
「だんまりか? まさか何を言っているのか分からない……なんて、事はないよな?」
「ちょっ、ちょっと! ゴルド少年、突然なにをーーーー」
「男女は黙ってろ! それとも、なんだ? やっぱりお前も気がついていたクチか?」
咄嗟にゴルドを止めようとしたフォルテは、自分に向けられた鋭い視線に閉口した。
いや、閉口させられた。
子供のものとは思えない、殺気すら感じられる気配に、言動を封殺されたのだ。
その様子を戸惑いながら見つめていたバステトへ、ゴルドは更に語りかける。
「最初は別人かと思ったぜ? なにせ髪の毛の色すら変えていたみたいだからな…………だが、すぐに分かった。テメェが、共和国に議席を持つ「猫一族」の元頭領の娘、現頭領の妹と同一人物だって事はなぁ!」
「ど、どうして…………」
どうしてそれを。
そう言おうとしたバステトに先んじて、ゴルドが更に話したてる。
「俺様の実家、グランベルグ公爵家は国交を任されている」
それを聞いたバステトは、記憶の中から一つの出来事を思い出した。
それは自分の姉が頭領に就任した時に開かれた、他国の使者を交えた祝いの席での記憶。
外国の言葉を知らないバステト……まだキティという名前だった彼女が、会場の扉外から宴を覗き込んだ時に目が合った、黒髪の少年の顔。
「あっ、あぁ…………もしかして、あの時の…………」
「その通りだ…………俺様は、お前に会ったことがある!」
バステトは自分の秘密を暴かれた事に対して、呆然とする。
彼女はショックを受けていた。
それは、自分の身元を知られてしまった事に対してではない。
あの姉が、こうなる事を予想していなかったはずがないからだ。
それにも関わらず、自分に何も告げられていなかった事に、バステトは強い衝撃を受けていた。
「商店街でテメェに会ったあの日から、俺様は金と伝手を最大限使ってテメェの足跡を追った…………テメェは共和国から奴隷として売られたあと、あちこちを転々と回された後に、ラムセスの野郎に買われたそうじゃねぇか。共和国の議員の一族であるお前が、王国の公爵家に買われるだと…………? 随分な偶然じゃねぇか、奇跡と言ってもいいぜ…………?」
一つ一つ、逃げ道を塞ぐように事実を羅列するゴルドを、誰も止めることが出来ない。
マスキンも、フォルテも、そしてバステト自身も。
そして、ゴルドはついに本題を口にした。
「んなわけあるか! 仕組まれていたに決まってんだろうが! お前という存在が! 王国で奴隷として売られている! それ自体が既におかしいんだよ! 外交問題にならない筈がない! 直接俺様の家に話が来ないのがありえないくらいだ! 何を企んでいる? マッチポンプで糾弾でもするつもりか? 何を要求するつもりだ! …………それとも、あいつに取り入るのが目的か?」
「ち、ちがっ…………私は、そんなつもりじゃ…………」
「じゃあ答えろ! テメェの目的はなんだ! いや、お前達は何を企んでいる!」
徐々にヒートアップするゴルドがその場に立ち上がろうとした時、彼に制止の言葉がかかる。
「ゴルド少年、そこまでだ。これ以上彼女を追求する事は、許されていない」
それは、いつも浮かべていた笑顔を無表情へと変えたフォルテだった。
手慣れた様子で周囲の音を遮断した彼女は、風の魔術によってゴルドの首に真空の刃が添えている。
「はん、やっぱりテメェもなにか知っているんだな…………フォルテ」
ゴルドは全く焦りを見せない。
なぜなら、彼が手に持っていたフォークの切っ先が伸び、フォルテの首元にほぼ同タイミングで突き立てられていたからだ。
フォルテの顳顬から、汗が滑り落ちる。
突然始まった物騒なやりとりに、バステトは目を丸くする。
ゴルドも、フォルテも。
お互いに一歩も引かない。
そんな二人を止めたのは、やはりマスキンだった。
「ストップ、それ以上はダメだよ…………ねぇ、ゴルド君。やっぱりこの子は何も知らされていないと思うよ? 動揺こそしてたけど、悪意はないみたいだし……寧ろ、追求される事すら想定してなかった節があるよ。何か企んでいたのなら、こういう場面を想定して、言い訳の方が先に出てくるでしょ? フォルテさんのいう通り、ここまでにしておこう?」
マスキンは心からゴルドを心配して、そう言った。
フォルテがこの場面に立ち会う事は想定していなかったが、概ねゴルドを止める方針である事は理解できた。
ならば、止めるなら今しかないと踏んだのだ。
この件は確かに重要だが、なにもゴルドが追求するべき事でもない。
ラムセスとの関係が拗れることを考えると、ゴルドにとってはマイナスでしかないのだ。
だからマスキンは、ゴルドを止める為に口を開いた。
しかし、その言葉が逆にゴルドを刺激した。
「ここまで、だと…………?」
顔に血管がうかぶほどの怒りを見せていたゴルドは、急激に落ち着きを取り戻す。
そのまま魔術を切り、フォークを元に戻す。
フォルテは少しの間、膨れっ面になったゴルドを警戒していたが、やがて彼女も魔術を解くと席に着き直す。
自分に関する事だというのに、自分を外に話を進めている三人に対して、バステトは安堵とも不満とも言い難い感情を抱いた。
しかし、自然と鎮火した事に安心しため息を洩らす。
その場の緊張感が、一気に解き放たれた。
ひとまず、丸く収まった。
誰もがそう思ったからこそ、誰一人その行動を止めることが出来なかった。
ゴルドは大きくため息を吐くと、椅子に大きく背中を傾け、天井を見上げながら言った。
「やっぱり……最低でも、保険は掛けとかねぇとな」
ピンっ、と。
音を立てて、一枚の金貨が宙を舞った。
それは綺麗な放物線を描くと、全員の視線を奪いながらバステトの手元へと落ちる。
バステトが反射的に両手で受け止めたのを確認すると、ゴルドは口角を上げ、ソレを唱えた。
「黄金妖精の金貨壷」
世界が、黄金で塗り潰された。
今回の「◼️◼️◼️」'sキーワード
「黄金妖精」
アイルランドに伝わる伝承の妖精。
金貨の入った壷を持ち、人が一瞬でもそれに気を取られるとイタズラをして消えるという。
地中の宝物の事を知っており、捕まえるとその在りかを教えてくれるが、手に入る事はほとんど無い。




