異邦人
「ようこそ、俺様の世界へ。歓迎しよう」
見渡す限りの、一面の金世界。
積み重なる無限の金貨、それだけで全てが出来ていた。
壁も、地面も、天井も。
四方を囲むそれらは不思議な事に、バステトがどれだけ腕を伸ばしても届く場所には存在しなかった。
足元に転がる金貨ですら、手を伸ばすほどに遠くへと離れていく。
急に現れたこの奇妙な空間に動揺し、バステトは言葉を失っていた。
マスキンとフォルテは、そこにはいなかった。
バステトと、ゴルド。
その二人だけが、この場所に存在する全てだった。
「まぁ、ゆっくりしていけや。ここでの時間は有限じゃない。時は金なりって言葉は知ってるか? つまり、金さえあればいくらでも余裕が持てるって事だ」
そう言い放ったゴルドは、この異常事態にも関わらず、全く動揺していなかった。
この場所に訪れる前の出来事、そしてその態度からして、この現象を引き起こしたのが彼である事は明白だった。
バステトの知識の中には、こんな事をできる存在は一つしかいなかった。
そうーーーー。
「…………魔人?」
「残念だが、そいつはハズレだ」
確信にも似た予想はしかし、ゴルドによって否定される。
ならば、と。
実在しているのを目撃した事はなかったが、次点で考えられるものを口にする。
「魔法使い?」
「惜しいな。似てはいるが、根本的に異なる存在だ」
それすら否定され、バステトにはこの少年の正体がなんなのか分からなくなっていた。
魔術は論外だ。
確かにゴルドは土属性の魔術の使い手であり、その最高峰に位置する公爵家の人間だ。
しかし、大原則として「魔術で物質を無から生み出すこと」はできない。
仮にこれだけの金貨をゴルドが所有していたとしても、それだけでは他の異常に説明がつかない。
困惑するバステトに対し、その原因であるゴルドは口を開いた。
「まぁ、言いたい事は分かる。俺様が分からないんだろう? これから何をされるのか、何を目的としているのか、そしてこの力の源がなんなのか…………それに見当もつかない、そうだな?」
実際、その通りだった。
知識の中に存在しない、未知の現象。
あまりにも理解できないこの空間が、バステトの中の恐怖を困惑で塗り潰していた。
人は、自分の理解できない事を怖がる生き物だ。
しかし、行き過ぎた非現実はその感覚すら麻痺させ、思考する能力を奪う。
そんなバステトに対し、出来の悪い生徒に説明するように、ゴルドは語り出す。
「最初に説明してやる。此処で起きた出来事に関する記憶は、『外の世界に引き継ぐ事は出来ない』。つまり、俺様が何を語ろうと…………どれだけ口を滑らせたとしても、この世界を出たテメェはその事を何一つ思い出す事は出来なくなる。何故なら、この世界は俺様の所有物であり…………その中にある物は、『俺様の許可がない限り』『決して取り出す事は出来ない』からだ」
「…………」
「そしてもう一つ。この世界の外、俺様達が元いた場所では現在…………俺様がこうして話している間も、時間が全く経過していない。この世界はテメェが金貨を見た一瞬を永遠に引き延ばす事で成り立っている。つまり…………テメェが沈黙を保ってどれだけ時間を稼いだとしても、誰かが助けに来る事などない。それがこの世界の中での『契約』、ルールだからだ」
その内容はあまりにも非常識で、同時に不可解だった。
その話が本当だとするならば、余りにも逸脱し過ぎている。
自然界に法則があるように、物理に限界があるように、魔術に原理が存在しているように、何事にも前提や制限が存在し、それを基にして世界は成り立っている。
その例外こそが、魔法使いや魔人といった存在なのだ。
しかし、そのどちらでもないとゴルドは言った。
そしてバステトは、その正体こそ分からないが、類似している存在を一人だけ知っていた。
この理不尽さはまるで、猫一族現頭領、自らの姉のようなーーーー。
「だから、テメェが観念して…………少しでも早く全てを白状するように、俺様の事を話してやろう。自分が見ている相手がどれだけふざけた存在なのか、それを理解した上で建設的な話ができるようにな…………どうせ全部忘れるだろうしよ…………さぁ、何から聞きたい」
ゴルドが言っていたことは、バステトには理解できない事だらけだった。
しかし、それでも彼女は状況を正しく理解していた。
結局のところ、この男を納得させられない限り、この場を出ることは出来ないのだろう。
ならば、正面から受けて立つ。
胸の内から湧き出てくる感情に身を任せ、バステトはその覚悟を決めた。
ラムセスにも話していない秘密を暴かれたことは、確かにバステトの精神を揺るがした。
しかし、彼女は自分が疚しい事をしているという気はなかった。
そもそも、自分ですら姉から詳しいことは何一つ聞いていないのだ。
あの日、実の家族に身分を奴隷へと貶められた時。
姉は最後に一言だけ、こう言った。
『自分の心に正直に生きなさい。意図して作られた運命が、お前を真実へと導くのだから…………出会いを大切にするのです』
最初は意味が分からなかった。
何も説明せず、自分を追放した姉を恨んだことすらあった。
しかし、そのお陰で今のバステトがある。
ラムセスとめぐり合い、共に時間を過ごした。
今なら分かるのだ。この出会いこそが、自分の辿る運命なのだと。
確かに、あの優秀な姉には常人が計り知ることのできない意図があるのだろう。
しかし、それは今の自分とは関係ない。
今の自分は猫一族の子猫ではなく、ラムセスの所有物であるバステトなのだ。
そもそも、姉との約束さえなければすぐにでも彼へと全てを打ち明けたいと思っていた。
それを無理やり掘り返して、訳知り顔で好き勝手言ってーーーー。
冷静になった彼女は、一周回ってこの理不尽な状況に対する憤りすら感じ始めていた。
その瞳に不屈の意志を乗せ、バステトはゴルドを睨んだ。
ゴルドはそれを見て、意外そうに口笛を鳴らした。
その余裕ぶった顔に、なんとしても一撃食らわせてやる。
そう決意したバステトは、最初から相手の核心へと迫る質問を投げかけた。
「あなたは…………あなたは、一体なんなんですか! 魔人でも魔法使いでもないなら、あなたは一体なんなんです! 誰なんですか!」
感情の昂りによって語尾を忘れ、瞳孔が開いて毛が逆立つ。
そんなバステトを見て、ゴルドは笑った。
そして、変化が始まる。
「聞かれたからには、答えてやろう。俺様は『世界契約』に導かれし者…………死を乗り越え、世界を乗り越え、人間の体を捨てた『異邦人』…………いや、あえてこう言おう。『転生者』だと!」
眩い光と共に、何処からともなく出現した黄金の液体がゴルドへと殺到した。
それは彼を中心に螺旋となり、その存在を作り変える。
骨格、血潮、その肉体全てが有機物から無機物へと再構築される。
全てが終わった時。
そこに立っていたのは人ではなく、失われた幻想の生物だった。
顎門、触角、爪、羽根。
この世界にただ一人のみ存在する種族、『黄金妖精』。
知られざる『世界契約の第二法則』によって産まれし、奇跡の体現者。
『黄金妖精の異邦人』、その名はゴルデバラン・グランベルグ。
「一人の男の話をしてやる。救いようのない、クソみたいな奴の話をな」
今回の『◼️◼️◼️』'sキーワード
「世界契約の第二法則」
異なる世界の人間の魂を呼び出し、誓いと契約によって人ならざる力を与える「世界契約」の「隠された項目」。
呼び出された魂は人の枠を超え、幻想の生物へ本質を変える。
彼らは自らを、『異邦人』と呼んだ。




