Undoing,the『Day's』
「…………えっ?」
フォルテはあっけに取られたような顔で、そんな声を溢した。
それは、この襲撃者の言っている事が理解できなかったからではない。
勿論、話を理解する事は出来なかった。
普通なら、突然「お前は本当に、お前か?」などと問われても、その意図も目的も全く分からないだろう。
それはフォルテも同じだ。
しかしその不可解さに違和感を得る前に、彼女は思考を止めてしまった。
止めざるを得なかった。
全く意味がわからなかった。
何故、この襲撃者はそんな質問をしたのか。
何故、このタイミングで襲いかかってきたのか。
何処の陣営の人物なのか、何の為にこんな事をしているのか。
浮かび上がって消えていく、幾つもの謎。
だが、それよりも大きな疑問が、フォルテの頭の中を塗りつぶしていた。
何故、自分の視界が急に屋根瓦に近づいているのか。
どうして自分は、体の感覚を失っているのか。
彼女の意識は、現実からいなくなっていた。
刹那にも満たない時の中で、彼女はこれまでの自分自身の十二年間の人生を旅した。
それは走馬灯と呼ばれるもので。
フォルテは最後の時まで、その理由を知る事はなかった。
何故ならば、彼女は既にーーーー。
「まぁ、答えは身体に聞かせてもらいますけどね」
切断面から間欠泉のように血が吹き出し、その場に赤色の柱を作り出した。
屋根の上に落ちたフォルテの頭部はどんどん滑り、やがて屋根の端から地面へと消えていく。
その原因となった女性。
隼の獣人であり、魔術師でもあり、そしてただ一人の渡り鳥である彼女ーーホルスは、その様子を冷たい眼差しで観察していた。
フォルテは勘違いしていた。
ホルスは何処かの組織に属しているわけではない。
ただ一つの目的を持ち、たった一つの約束を果たすために。
そのためだけに、彼女はフォルテを襲ったのだ。
大義の前に立ちはだかる幾つもの障害。
その一つになりうる可能性が、フォルテには存在していた。
だからこそ、前方確認をする為だけに、ホルスはフォルテの首を刎ねた。
この襲撃の目的は、情報を得るため。
しかしそれは、フォルテやその背後の人間が想定しているような、国がらみの陰謀などについてではない。
現時点のフォルテが、本当に人間なのか。
ホルスはそれを知りたかった。
最初から彼女だけが目的だったのだ。
彼女を殺すことこそが、襲撃の目的。
フォルテがそれを知っていたなら、あるいは気が付いていたならば。
彼女がここで死ぬ事は無かったかもしれない。
なりふり構わず抵抗し、何がなんでもその場から逃げ出した事だろう。
しかし、それも今となってはifの話にすぎない。
もっとも、フォルテが本気を出したからといって、ホルスから逃げきる事が出来たかどうかは別の話なのだが。
「なるほど、まだ普通に人間だったんですね。可哀想な事をしました」
そんな事はカケラも思っていないような、白々しい言葉だった。
ホルスが見つめる先では、フォルテの死体が変化を始めている。
誰もが知っている事だ。
この世界で悲劇的な死を迎えた人間は、魔物へと変わる。
他者の身勝手な理由で理不尽な死を迎えたフォルテは、勿論その条件に該当する。
吹き出た血液が沸騰し、肉体が泡立ち、既に彼女の死体は原型を留めていない。
魔物は素体となった人物が生前に強い力を持つほどに、より強力な個体となる。
公爵家に産まれ英才教育を施された、将来大成したであろあフォルテの死体からなら、きっと途轍もない災厄の化身が生まれる事だろう。
それを確認して、ホルスはホッとため息をついた。
この時点ではまだ彼女はただの人間である、という知識を得る事が出来たから。
ホルスがかつて聞いた話によれば、この後起きる事件の黒幕は、この少女になるはずなのだ。
正しくいえば。
それはこの少女であって、そして全くの別人。
すなわち、魔人。
事件が発生するまで、誰もフォルテという少女が入れ替わっている事に気が付かなかった。
だからこそ、こうして正体を確認する事が、ホルスにとっては何よりも大切な事だった。
ラムセスの輝かしい未来のため、その覇道へと導くため。
ホルスは何でもすると誓った。
そしてその為には、未来を知っているというアドバンテージを最大限に活かし、これからの出来事を誘導する事が必要不可欠だ。
ホルスは既に、本来辿るはずだった歴史を何度か変えてしまっている。
これから先の知識に差異が生まれ、運命の手綱が自らの手元を離れていくことを、彼女は恐れていた。
彼女の持つ力の特性上、自分自身で知識を得る事は難しくはないが、その回数が限られている。
だからこそ彼女は、こうして自分の手と足で情報を得ることを心掛けていた。
自分のしている事が、どれだけ愚かであるのか自覚しないまま。
「ファラオに接触したのは、別件だったみたいですね。事件が始まるまでファラオと面識が無かったと聞いていたので、つい勘ぐってしまいました……てっきり既に入れ替わっているのかと思いましたが…………見当違いだったみたいですね。この辺りの変化は、バステトさんが生き残ったのが原因でしょうか?」
ホルスは片手を頬に当て、考え事に耽っている。
目の前にいる、魔物を無視して。
それは明らかに異常な光景で、訪れる結末は予想通りのものだった。
『あぁ! あぁ! よくも! よくも! 死にたくない! まだ死にたくない!』
「あっ、こういう感じになるんですね。てっきり実体を持たない魔物になると思っていたのですが…………なるほど、勉強になります」
魔物と化し、怨みと嘆きの源となったフォルテだった者が、ホルスに襲いかかる。
ホルスはそれを、変わらぬ瞳で眺め、そしてポツリと呟いた。
「『ーーー、ーーーー』」
世界が、捻れる。
「…………えっ?」
フォルテは突然悪寒に襲われ、その場に膝をついた。
目標への接触は既に終了し、あとは上への報告を終えるだけ。
だというのに、彼女は何か悪い出来事が起きそうな予感を受け取った。
国の指示を受け、ラムセスという貴族の側に現れたバステトという獣人の少女について彼女は調べていた。
フォルテにはその理由は知らされていないが、王国の上層部はなんらかの目的があり、この少女の事を重要視しているらしい。
だからこそ、フォルテがその身元を確認するために接触した。
そこまではいい。
ラムセスという少年に話を聞こうとして失敗こそしたが、最低限の仕事はこなせた。
それは、フォルテの片手に掴まれた一本の頭髪が証明している。
それまではいい。
じゃあ、この嫌な予感はなんだ。
体の中身を無理やり掻き混ぜられたかのような、この気持ちの悪さは。
頭を中を覗かれているかのような、居心地の悪さは。
視界がぼやけ、体に力が入らない。
まるで極大の悪意に曝されたかかのような、生存本能が叫び声をあげるような。
フォルテは確信した。
この場にいると、何かよくない出来事に遭遇してしまうと。
彼女はふらふらと立ち上がると、壁に手をつけ姿勢を固定し、呼吸を整えた。
そして、自分自身に言い聞かせる。
大丈夫、大丈夫だ。
ここは結界に守られた、王都アリストクラット。
外敵に襲われる心配はなく、内敵など存在しない。
そうやって自分を勇気付け、やっとの思いで彼女は立ち上がった。
その時だった。
「あの、大丈夫ですか?」
「ヒッ…………」
フォルテは呼吸が止まるかと思った。
後ろに立つ何者かが、フォルテの方に手を置いたのだ。
しかし、その声は彼女を心配するものだった。
確かに、路地裏で少女が一人苦しそうにしていたら、誰だって声を掛けるだろう。
冷静になった彼女は、無事を告げるために後ろを振り返った。
「は、はい…………大丈夫です。ありがとうございます」
そこに居たのは、獣人の女性だった。
鳥類の獣相を持ち、側頭部から翼が生えている。
フォルテは一瞬だけ、「何故ここに獣人が?」と思考に潜りそうになったが、それを女性の声が引き止める。
「顔色が青いですよ? どこか休めるところに」
「いえ! 自分一人で大丈夫ですので」
フォルテはとにかく、少しでも早くこの場から離れたくて仕方がなかった。
申し訳ないとは思いつつも、善意を払ってその場から駆け出す。
心の何処かに存在していた、恐怖感から目を背けて。
その後ろ姿を、一人の獣人だけがジッと見つめていた。
彼女は独り言を呟いた。
「あらあら、嫌われちゃいました?」




