金任せの貴族
「ふぅん」
水を打ったような静寂が、その場を覆い尽くした。
ラムセスは口角こそ上がっているものの、その瞳は笑っていない。
ゴルドは元から威圧感のある瞳を、さらに鋭く尖らせている。
バステトは何を言われたのか理解できていなかったが、やがてゴルドの言葉の意味を理解すると、驚愕の声を上げた。
「わ、私ですかっ!? にゃ!?」
「バステト、少し静かにしていてくれるかな」
目を白黒させるバステトを窘めてから、ラムセスはカップを手に取り、口にする。
そのハンドルを持つ手は僅かに震えており、感情を抑えつつも力を込めていることが、マスキンには分かった。
怒っているのか、狼狽しているのか。
明らかに前者であると、マスキンは判断した。
マスキンは止めるべきだと思いつつも、ゴルドから前もって釘を刺されていたため、この場では口を開かない。
ラムセスはカップをソーサラーの上に置くと、机に肩肘を置き、頬杖をつく形で姿勢を変えた。
そして、できる限り感情を抑え、口を開く。
「それで? よく聞こえなかったんだけど、もう一度言ってくれるかな?」
ゴルドは理解した。
ラムセスは「聞かなかったことにしてやるから、撤回しろ」と言っているのだと。
それはつまり、交渉が既に決裂している事を示している。
そもそも、ラムセスの家は公爵であり、国でも上から数えた方が早いほど位の高い貴族だ。
金には困っていないし、困っていたとしても、ラムセスにバステトを手放すつもりはなかった。
ゴルドはその意図を、完全に理解した。
そして理解した上で、再び要求を口にする。
「その奴隷が欲しい。幾らでも出すから、譲ってくれ」
マスキンは声にならない悲鳴を漏らした。
ゴルドの言葉を聞いたラムセスは、それまで表面的に浮かべていた笑みを消し、瞳をカッと見開き、顳顬を痙攣させている。
それは子供とはいえ、貴族としての風格を放つ者の、本気の怒り。
漏れ出た魔力が瞳から光として溢れ、その興奮具合を表している。
マスキンには、その瞳の中に轟々と燃え盛る炎を幻視した。
しかし、ゴルドはそんなラムセスの正面に座りつつも、全く動じていない。
彼はこうなる事を予想しつつ、それでもその言葉を口にしたのだ。
ラムセスの地雷たり得る、災いの言葉を。
二つの公爵家の跡取りが、ここに激突しようとしていた。
子供であるとはいえ、貴族である。
幼少期から高度な教育を受け、国のためと覚悟を決め、戦う事を受け入れ生きてきた。
そんな彼らは一般的な少年少女よりも、遥かに理知的で、そして強大な力を有している。
公爵家など、その最たるものだ。
こんな街中で争い始めるとは思わないが、万が一が起きないとも限らない。
特に、ラムセスは既に戦闘態勢に入っているようにも思える。
今回に関しては、全面的にゴルドに非がある。
そもそも、貴族の所有物を金銭で譲ってもらおうなどという事は、相手によっては普通に侮辱として取られても仕方のない暴挙だ。
普段金にものをいわせているとはいえ、ゴルドがそれを理解していないとは思えない。
きっと、何かしらの理由があるのだろう。
しかし、それでも今は止めるべきだ。
マスキンはそう考え、口を開こうとして。
「ご…………っ!?」
それが出来ないことに気がついた。
口が開かないのだ。
いや、口だけではない。
マスキンはその場で一切の身動きを取ることが出来なくなっていた。
顔を動かさない範囲でできる限り瞳を動かし、状況を把握する。
マスキンは、店のガラスに映る自分の姿を目にし、驚愕した。
(魔術…………ゴルド君、そこまでして……っ!?)
驚くべき手腕だった。
ゴルドは土属性の魔術を使用し、しかもそれを全く悟らせる事なく、一瞬でマスキンを拘束していたのだ。
窓に映るマスキンの背中には、光り輝く黄金が、メッキのように張り付いていた。
背中だけではない。
後頭部や足腰の関節に至るまで、背面のあらゆる場所を、液体の様に蠢く黄金が覆っていた。
顎の関節を後ろから固定され、口を開くことすら出来ない。
しかもそれは、肉体の力強さに自信のあるマスキンを拘束した上で、身動きを取れなくさせるほどの頑強さを持っている。
公爵家の麒麟児として知られているゴルドの、その実力の一端を、マスキンは身を以て体感していた。
正面にいるバステトや、斜め前方にいるラムセスからは、ゴルドの黄金は見えない。
角度まで計算に入れた上で、人知れずマスキンを無力化させる。
これが噂に名高い、「金脈」のゴルドの「金属術」。
そこまでして。
そこまでして、この件にマスキンが関わらないようにしているというのか。
勿論、魔術を使えばマスキンはこの拘束を解くことは可能だ。
先手を取られているとはいえ、マスキンは肉体の頑丈さでいったら金属よりも上をいく自信がある。
水属性魔術師は回復魔術の恩恵によって、持久力もある。
力任せに自由になる事など、造作もない。
しかし。
そうしかし、マスキンはゴルドの意図を汲み取り、瞳を閉じて不動の構えを見せた。
どのみち、賽は既に投げられている。
マスキンに出来ることは、なるべく温厚に話が結末を迎える事を祈ることのみだ。
目の前でアタフタしていた奴隷の少女には申し訳ないが、この茶番に暫く付き合ってもらうしかない。
マスキンはそう考えながら、物言わぬ置物に徹した。
ラムセスは怒気をにじませながら、口を開いた。
「余が…………それを飲むと、本気で思っているのか?」
「ははっ、なんだよその口調。そっちが本性が? 随分と偉そうじゃないか、えぇ?」
「質問に質問を返すな、二度は許さぬ…………答えよ」
ラムセスの怒りが、風圧となって店内を駆け抜ける。
その場にいる一般人の客達は、身動きを取ることすら出来ない。
確かに感じる「王の覇気」に、潜在的な恐怖を感じ、体が萎縮してしまっているのだ。
ゴルドはそれでも動じない。
軽薄な笑みを浮かべ、茶化すような言葉を選び、ラムセスを刺激する。
「まぁそうカッカするなよ…………同じ公爵同士だろ? 仲良くしようぜ」
「それはこれからの貴様の言動次第だ、言葉は選べよ」
「良い子ちゃんかと思ったが、そんな顔も出来るのか。クソ面白いやつじゃねぇか、おう」
ゴルドが片手を机の上に伸ばす。
そして掌を下に向けると、その場で力を入れ、擦り合わせるように動かした。
チャリンと音を立てて、ゴルドの手から机の上へ何かが落ちる。
それは金貨だった。
王国の貨幣の中で最も価値の高い、「魔術王」の顔が彫刻された金貨。
それ一枚で、一つの一般的な平民家庭が一年間暮らせる程の価値がある。
ゴルドが手を擦り合わせるたびに、一枚、また一枚と、机の上に金貨が重なっていく。
「どうだ? 好きなところで止めろよ、幾らでも金はある。世の中の大半の物事は金で解決できるんだ…………俺様とお前の蟠りや諍いも、金の輝きが覆い尽くしてくれるかもな?」
ゴルドがそう口にしている間にも、ラムセスの目の前には次々と金貨が積み重なっていく。
ラムセスはそれをつまらなそうに眺めてから、ゴルドの瞳を覗き込んだ。
「…………っ!」
此処で初めて、ゴルドはラムセスに気圧された。
ラムセスはもう、その瞳に怒りを残してはいなかった。
むしろ、微笑ましいものを見る眼をしていた。
ゴルドの記憶の中の誰かの表情と、その顔が重なる。
思わず手を止めたゴルドに、ラムセスは語りかけた。
「何故……そこまで必死なんだい? 教えてくれるかな?」
言葉遣いも出会った時の物へと戻り、雰囲気も少年のそれへと変貌している。
突然威圧感が消えた事に、ゴルドやマスキン、そしてバステトは拍子抜けしていた。
間抜けそうに口を開き、その端をピクピクと震えさせながら、ゴルドは言葉を探し、口にした。
「誰が…………誰が必死だって? 相手を見て物を言えよ。俺様は余裕だぜ? 金があるからな。金持ち喧嘩せずって言葉を知ってるか? 金に余裕があるやつは、心にも余裕を持っているんだよ。金はなんでも出来るからな」
「そんなに虚勢を張ることはないよ。あんなに露骨にされたら、怒りで視野が狭くなっていても流石に気がつくさ。金はなんでも出来るだって? 君自身がそう思っていないくせに、よく口にしようと思ったね。演技は上手みたいだけど、言葉選びは下手くそだね」
ゴルドは背筋に冷や汗が流れていく事を自覚した。
見抜かれている。
派手さで覆い隠した、ゴルドの心の壁が、金メッキを剥がすかのように、あっさりと。
返す言葉すら見つからないゴルドへ、ラムセスは言葉を続ける。
「そもそも、最初からおかしかったんだよね…………人の所有物を金で取ろうなんて、正直貴族としては三流だ」
さりげなく侮辱しているラムセスの言葉にすら、ゴルドは沈黙したままだった。
「初めて姿を見た時も諍いを金で解決していたし、そういう人間なのかなって思っていた…………でも、違うね。君は自分が賢くない事を自覚していると言っていた…………本当の愚か者は、自分を賢いと思っているものなのにね」
そう、ここにきてラムセスは、目の前の少年の言動の矛盾に気がついていた。
知性を宿した瞳のままで、相手の神経を逆撫でするような挑発的な言葉を選ぶ事の、なんと不自然な事だろうか。
それに気がついた事により、この場の情勢はは、ラムセス側へと傾いていた。
相手を警戒するゴルドの眼差しの、なんと心地よい事だろうか。
ラムセスは清涼感を覚えながら、本当の余裕というものを見せるため、含み笑いを浮かべながら、ゴルドを見つめる。
そして、今度はラムセスの方から、口火を切った。
「さぁ、話してみなよ…………ゴルド君?」
今回のファラオ'sキーワード
「土属性魔術」
物質へ直接干渉し、思う通りに操作する魔術。
前提として、操作する物質が「元から存在」している事が条件。
魔術で物質を「産み出す」事は出来ない。




