旅立ちの夜に
「またか…………」
寝る前に翌日の準備を確認し、身を清め、いざ就寝しようとしたラムセスは、自分の部屋のベッドの上が膨らんでいるのを確認すると、そう呟いた。
それが聞こえたのか、ベッドの中にいる誰かはビクッと反応を示す。
ラムセスは少しずつベッドに近づくと、一思いに掛け布を引っ張る。滑らかな肌触りの、上等な布だ。
ラムセスの想像した通り、そこには双子の兄妹であるアトムとアンナが忍び込んでいた。
前にも同じ事があったが、その時とは明らかに違う点が一つある。
それは、アトムもアンナも目が覚めているという事。
双子とラムセスの瞳が、交差する。
双子は、相貌こそラムセスと似通っているが、ラムセスよりも数段幼い顔つきをしてる。
双子同士はよく似ている。
身長、体重は勿論のこと、声や癖、そして魔術の実力までそっくりだ。
服装と髪の長さを入れ替えたら、肉親でさえ入れ替わっている事に気がつけないかもしれない。
そんな双子はどういう訳か、自分達の兄に対して、異常なまでの好意を抱いている。
常識や恥じらいを覚えた今こそ、やたらめったらくっつく事はないが、ラムセスが幼児だった頃など、兄が近くにいないと泣き出し、近くにいれば一時も離れない程だった。
そんな双子は今、在りし日のようにラムセスの寝床に忍び込み、彼に懇願するような瞳を向けている。
最初は暗くてよく見えなかったが、その目尻には薄らと涙が浮かんでいる。
ラムセスの呟きを耳にして、嫌われるとでも思ったのだろうか。
それを確認したラムセスは、小さく溜息を吐き出した。
双子が目を閉じ、体を震えさせる。
叱られると勘違いしている双子の頭を撫で、それに反応した二人が両目を開けてから、ラムセスは自らもベッドの中へと入り込んだ。
アトムを一旦抱きかかえ、自分の通る空間を作り出し、ベッドの真ん中へと進む。
そして中央に辿り着くと、アトムをベッドの上へと解放する。
アトムは恥ずかしさからか、嬉しさからか、頬を上気させ顔を赤らめている。
ラムセスが布団へ身を横たえると、その左腕へアンナが、右腕へアトムが腕を絡め、両側からラムセスを捕獲する。
ラムセスは懐かしさから、少し感傷的な気分になった。
ラムセスと双子の部屋が別れたのは意外にも、双子達自身がそうするように言いだしたのが原因だった。
だいたい、一年ほど前の出来事だ。
双子は貴族としての教育を受け始め、自分達の振る舞いを恥じるようになった。
いくら家族であるとはいえ、あまりにも度が過ぎている。
教育係やレムリットにそう窘められ、その意味を理解したから。
そして、自分達と兄の間にある歴然とした“差”を感じ取ったからだ。
その時から、双子は少しでも早く兄に追いつくために、あらゆる事に取り組むようになった。
苦手だった勉強も、礼儀やマナーも、魔術の訓練も。
全ては兄に追いつくため。
そして一人の貴族として、兄に認められたいがために。
そう考えた双子は、ラムセスから少しだけ距離を取ろうと、寝床を分ける事を言いだしたのだ。
そして当然、ラムセスはその双子の心情を、一から十まで理解していた。
ラムセスが初めて、この世界について学んだ時。
先達として存在していた、数々の英雄達の偉業を知った時。
この人達に追いつこう、追い越そう。
そう決意したラムセスの顔と、同じ顔をしていたのだ。
ラムセスはその事に、少しむず痒い感情を抱きながらも、双子の成長を喜んだ。
双子達同様、少しの寂しさを覚えながら。
そんな双子達だったが、結局兄離れをする事は出来なかった。
前のようにべったりと甘える事は無くなったものの、代わりに遠くからラムセスを眺めている事が増えたのだ。
しかし、自分達から言いだした事だったからこそ、感情に素直になって兄に近づくことは出来ない。
甘えたくても、甘えられない。
そんな事を繰り返し、双子は少しずつ、ラムセスに物理的に接触する事を、恥ずかしがるようになった。
そんな双子が、その羞恥心を抑えて、ラムセスの元を訪れる事が、時々ある。
それは、魔術がうまく出来なかった時や、勉強が進まなかった時。
レムリットに叱られた時や、母であるイシズの容体が悪くなった時。
そして、兄を遠くに感じてしまった時。
双子は、誰にも言ったことはないが、自分達の存在を希薄に感じてしまう事がある。
兄や、その周りの人達はいつも命の輝きを放ち、今を懸命に生きている。
じゃあ、自分達は。
そう考えた時、二人揃って謎の悪寒に襲われるのだ。
まるで、自分という存在がこの世から無くなってしまうかのような。
兄という輝きの影で、自分達が生きていた証が消えてしまうかのような。
理屈じゃ説明できない、虚無感や孤独感が、二人の中には存在している。
双子が兄へ極端な好意を抱いているのも、その感覚を紛らわせるためなのかもしれない。
双子達は、そう自覚している。
「今日は、どうしたの?」
だからこそ。
こうして自分達を気にかけ、そして受け入れてくれる兄のことが、二人は世界で一番好きなのだ。
ラムセスは魔術で灯篭に灯りをつけ、双子へ話しかける。
自分達の尊敬している兄の笑顔を見ながら、二人は口を開く。
「兄様、明日屋敷を出て行っちゃうんでしょ?」
「兄様、早く帰ってきてね」
「なんだ、もしかして寂しかったの? そんなに心配しなくても、僕はちゃんと帰ってくるよ」
「寂しいの」
「悲しいの」
双子は自分達の体を押しつけるように、力を込めてラムセスの腕へ抱きつく。
ラムセスはそんな双子を見て少し考えると、抱きつく二人の腕を優しく解いた。
表情に疑問を浮かべる双子の額へ、それぞれ一回ずつ唇を落とす。
何が起きたのか理解できていない双子の、その唖然とした顔を見て、少しだけ笑いをこぼしてから、ラムセスは二人を力一杯抱きしめた。
双子は最初こそ体を硬ばらせていたが、やがて力を抜くと、恐る恐るといった動作で、兄を抱き返した。
双子はそれぞれ顔をラムセスの体に埋め、スリスリと押し付けている。
ラムセスはそれに愛おしさを感じながら、できる限り優しい声で、安心させるために語りだす。
「大丈夫……オリシス家は王都から最も近い領地の貴族。道中に万が一はあり得ないし、何かあっても護衛がいる。僕自身、自分でいうのもなんだけど……優秀な魔術師だ。王都は結界で守られているから危険はないし……まさか、貴族が集まっている中で攻めてくる相手もいないだろうし、ね? 必ず、無事に帰ってくるよ、約束する」
「うん、早く帰ってきてね」
「毎日待ってるからね」
「「貴族祭」が終わったら、すぐにでも戻ってくるよ」
それから暫く、沈黙が続いた。
しかしそれは、穏やかで優しい静寂だ。
誰も傷つく事はない、何も悲しむ必要はない。
双子をあやすように、ラムセスは両手でそれぞれの背中を撫でる。
呼吸が安定してきた双子に、「これは寝たかな?」と思ったラムセスは、魔術を切り、灯りを消した。
その時、双子が揃ってラムセスの事を呼んだ。
「にいさま」
「にいさま」
「ん? どうしたの?」
「もっとギュってして、アトムよりも」
「もっと愛して、アンナよりも」
こんな時でも競い始めた双子に可笑しさを感じて、ラムセスは吹き出す。
そして、その「おねがい」を叶えるため、二人を平等に抱きしめる。
そうして、兄弟の夜は過ぎていく。
優しく、そして暖かく。
やがて彼らの意識は、夢の中へと旅立っていった。
今回のファラオ'sキーワード
「双子を抱く女」
一人の女がいた。
強く、気高く、美しく。
慈悲に溢れ、勇敢で。
だからこそ。
その命尽きる時、お腹の中の彼らを世界に残して行けない事だけが、未練だった。




