44・主よ、御許へ近づかん。
デュッセルドルフへ帰って、懇意の内科医に診てもらった所、パウルは胃癌に罹っているらしいと告げられた。
異常が他者からも伺えるということは、既に初期段階は過ぎているのだろうとイザベラは思うと、かつてパウルが話してくれた、彼の亡き妻の話を思い出した。
看護婦の身で一番愛する人の、異常にも気付かなかったとは!と、イザベラはその場にうずくまったが、内科医は彼女を助け起こし、「自覚症状が出た段階では、既に進行していると言われますが、本人はまだ疲労のせいだと思っているみたいですから、早く手術して腫瘍を取り除きましょう」と、パウルも知っている外科医に、執刀を頼んだ。
本人にはストレスが溜まって、胃潰瘍を起こしていると言ったが、医師である彼を、騙し切れるとは思えず、イザベラは彼に何と言ったものか、どんな態度で接すれば良いか、悩み抜いた。
「今まで頑張り過ぎたのですよ。この機会に悪い所をすっかり治してもらって、疲れを取り切ってから、またお仕事に励みましょう。まだお若いのですから」と、イザベラが笑顔で話し掛けると、「若いか・・・」とパウロは病室の天井を、眺めながら呟いた。
「あのとき僕の年の半分ぐらいの若者が、次々死んで行った。生きたかったろうに」
イザベラは黙ってしまったが、パウロは続けた。
「僕の力で生かせる者も、生かせない者もいたが、それが彼らの運命だったんだとすれば、僕も神の定めに身を任せるよ」と言った切り、彼は目を閉じて胸の上で手を組んだ。
そして「でもあの地獄のような戦争の中で、貴女という天使に出合って良かったよ。
それがあの修羅場を掻い潜って、寿命が尽きるまで生き延びられた、活力になったのかもしれないな」と、か細い声で言った。
イザベラも何か言いたかったが、感情的になってしまいそうで、必死で口を結んんでいた。
翌年には姪のイザベラが、ローエ男爵との結婚式を挙げるので、招待状が来たが、パウルから目を話したくなかったイザベラは、丁重に断った。
パウルはあれから手術を受け、癌は思ったより広がっていたのか、臓器のかなりの部分を摘出したため、以来げっそりと痩せて行った。
イザベラも流石に近い将来、彼と別れることになるかもしれないと覚悟した。
思い起こせば野戦病院で出会ってから10年余り、短いのか長いのか判らないが、医師と看護婦として、上司と部下として、そして恋人同士として、世間の男女よりは、濃密な関係を築いてきたような気がする。
離婚してあのまま修道院へ入るか、実家の厄介者として生きるよりも、苦労は多かったが、手応えのある時間を過ごした。
クリスティーネが言ったように、人生の一時でもそんな経験があれば、その後の人生も強く生きていけると、今は確信できた。
自分はこのあと何年生きるか判らないけど。




