41・戦争の残滓
イザベラは一旦家族のいる、ウンガリッシュ・アルテンブルグへ帰った。
両親へは夫が戦死し末息子が夭折した、クリスティーネを慰めるためにアンホルトへ行き、その周辺で連合軍の攻撃を受けて荒廃した街で、看護婦を続けると告げた。
父のフリードリヒ公は、イザベラの思惑には大体察しがついていたようだが、反対する理由もなく、クリスティーネをよろしく頼むとだけ言った。
母はバイエルン国王も退位し、王家の人々もハンガリーへ逃れて来ているが、ゲオルクは聖職者になるため、インスブルックの神学校へ行ったと聞くので、もう再婚しても良いのではないかと言ったが、せっかく学校へ入って資格を取り、戦場で経験も積んだ看護婦という仕事を、今後も続けて行きたいので、少なくとも上級貴族との結婚は、無理だろうと答えた。
イザベラは「それに貴族と言ってももう、元貴族という名ばかりで、地位も財産も失ってしまったんですもの。結婚して幸せになれるとは限らないわ」と言ったものの、母はまだもろ手を挙げて、賛成できないらしかった。
テシェン家は元はオーストリアにもボヘミアにも、多くの領地や居城を持っていて、皇帝よりも財産家と言われていたくらいだから、それらが没収された後も、ハンガリーに充分土地が残っていたので、帝国時代と遜色ない暮らしを送っていたが、イザベラはもはや、親兄弟の世話になるつもりはなかった。
そしてゲオルクもまた、本来志していた道に、ようやく進めるようになったのかと、素直に喜ぶことが出来た。
それからイザベラは先に、デュッセルドルフへ帰っていた、パウルの元へ駆け付けた。
街は空襲による荒廃だけでなく、貧困にも喘いでいた。
パリ講和会議でアメリカは、ドイツに多額の賠償金を課すことは、再び戦争の火種にもなりかねないと反対したが、戦争で多大な損害を被っていた英仏は反対した。
不運だったのはこの決定を下す場に、ウィルソン大統領が例のスペイン風邪に罹って欠席したせいで、英仏の主張が通って、ドイツは国家予算の20年分にもなる、莫大な賠償金を背負うことになったのである。
この貧困による疲弊と、敗戦による自信喪失が、心身ともに傷付いたドイツ国民の中から、史上最悪の怪物を生むことになるのだが、それはまだ先の話である。
イザベラとパウルの当面の仕事は、この心身ともに疲れ切り、免疫力が低下している地域の人々を、まだ流行り続けている、スペイン風邪から救うことだった。




